記憶の片隅にある、あれやこれやの名作たち。
子供の頃はその面白みや深みなんて分からなかった。
そうだとしても、「記憶にある」ことで、大人になってその深みに迫ったり、身近に感じることができるのだなと感じられる素晴らしい作品です。
教科書や義務教育は基本能力の養成というより、触れる機会や識るきっかけのために存在しているのかなと個人的に思うところもあり、そういう意味でも「昔読んだな」と振り返る対象としてこそ最大の存在意義がありそうだ、などと改めて考えさせられました。
作品の読解は鋭く洗練されており、その感想も感情豊かに表現されています。
そんな大人の姿を間近で眺めることのできる環境もまた、お子さんにとって素晴らしい環境ではないだろうか、などと微笑ましく楽しく読ませていただきました。
本作は、小学校の教科書に掲載されている物語を、大人の目線で改めて読み解いていくエッセイです。
取り上げられている物語は、『スイミー』『モチモチの木』『ごんぎつね』など……タイトルを見るだけで、記憶の引き出しから内容が蘇ってくる名作たちが揃っています。各エピソードの冒頭に綴られた要約文と、隙のない筆致でまとめられた感想文が、読み手の心を一息に「その物語と出会った小学生の頃」まで連れていってくれます。
あの頃、私はそれらの物語をきちんと理解できてただろうかと自問したとき、おそらくできていなかったのだろうな、と思いました。それぞれのストーリーラインは記憶に残っていても、柔らかでありながら研ぎ澄まされている文章や、登場人物たちの何気ない台詞や動作の中から、幼い目線では汲み取れずに取り零した情緒の数々が、たくさんあったことに気づきました。あるいは、それらを感覚的に汲み取っていたとしても、幼さゆえに感じ取ったものを言葉にするすべを持たなかったのかもしれないな、とも思います。
そして、そういった「汲み取れたこと」「汲み取れなかったこと」の両方が、現在の私を始めとした、多くの人たちの心を育んできたのだろうなという点も、本作を通して得られた大切な気づきの一つです。子どもの頃には「汲み取れなかった」部分に対する考察も、作者さまの眼差しに温もりが感じられて、今回のエッセイ執筆にあたって、物語それぞれと真摯にじっくりと対峙されていたのだろうなと想像しました。
再び出会い直した物語たちは、大人になっても心を揺さぶるものばかりでした。ぜひ、本作を通して、名作に続く扉をもう一度開いてみてはいかがでしょうか。今も昔と変わらず子どもたちの心を豊かにし続けてきた物語たちが、大人の心も温かく包んでくれること間違いなしです。
教科書とは世の中を教えるものである。
小学生のものならなおのことだろう。
だが、国語の教科書に載る数多の文学作品には、正解がない。なにを学び、なにを知るのか。授業という場を経ても、それは個々人の解釈に任される。
そしていつしか、それらのなにかが、人生のなにごとかの琴線に触れることも、あるのかもしれない。
文学という曖昧なもの。
何もかも自分が咀嚼しないと身に入らないもの。
わたしは、このエッセイで改めて「自分は国語の教科書、ひいてはそれ以降触れた数多の文学作品からなにを教わったのだろう」と考え込みました。
それにも明確な答えは出ない。
まさに「クラムボン」のよう。
だけどそれらは、確実にわたしの、またはわたしたちの、血肉になっているのです。
本作はタイトル通り、国語の教科書でおなじみの名作の感想集です。
タイトルの懐かしさにひかれて、読み始めた本作。
作者様の深い感想に、共感したり、新たな気づきを得たり……素敵な時間を過ごせました。
なにより、作者様の物語に向ける目線が優しくて、とても素敵だなぁ、と思いました。
物語を書いたり、絵を描いたり、創作には人柄が出るとは聞きますが。
その作品の鑑賞のしかた――もとい「その作品から何かを受け取る力」といいましょうか――にも、人柄がでるのかもしれない。
本作を読んでそんなことを考えました。
素敵な作品を書くことも素晴らしいですが、この作者様のような素敵な読者にもなりたいな、なんて思うのです。
小学校のときは音読の宿題があり、母に読み聞かせてはコメントを書いてもらっていました。その音読があったからこそ記憶に残っている物語、悲しい気持ちでいっぱいになって泣かされた物語。六年間のうちに出会ったたくさんの物語は、未だに覚えています。
本作はそんな子どもの音読がきっかけで、小学校の教科書に載る作品を読み直したお母さんによる感想文です。
ピックアップされた名作十作品の要約と、大人になったからこそ分かる見方・感じ方。読者も改めて読み直したくなる感想文なので、子どものころは嫌々読んでいた方も面白さに気づけるかもしれません。
お子さんがいる方は、教科書を借りて熟読したくなってしまうかも?
小学生のころ、ふいっと読み捨てた(すみません、それは私です)
国語の教科書にあった物語。
大人になって読めば、また違った感想を覚えるかもしれません。
この作品は、そんな懐かしい物語を、まさに大人目線で書かれています。
懐かしい物語の数々は、たとえば、「スイミー」とか「スーホの白い馬」とか、「ごんぎつね」とか……。
作者さまは、物語の影に隠れた、小学生の頃にはわからなかった不条理や
大人だからこそわかる優しさを、そのなかに発見していきます。
これはまさに大人の『読書感想文』。さくさくと読みやすく、とても面白いですから、どうぞお読みください。
トップの概要にある通り、小学校の教科書に載っているお話を大人になった今、改めて読んでみようという企画もののようなエッセイですね。どれも有名な絵本のお話だったりするので、いわば絵本のレビュー集という趣があります。
そこで、ちょいと作者さんのアカウントを探らせていただいたところ(ハッキングしたわけではない)、これまでカクヨムで投稿したレビューコメントの数が、え?350件だと?す、筋金入りだ……。そりゃレビューもうめぇはずだわ……というわけで、非常に魅力的な言葉で「大人」の感想文が読めるんですね。
「ちいちゃんのかげおくり」では、お子さんの音読を聞いた際のエピソード(笑いました)なんかも披露されており、やはりこれはエッセイなのだなと感じました。
自分は国語が好きでも得意でもなかった人間でしたから、取り上げられた作品は、あくまで授業で触れただけの物語でした。そういうこともあり、作品本来の魅力やその奥行などに改めて気付かせてもらえるエッセイだったなと、大変、興味深く読ませていただきました。
昔読んだ本を年月を経て読み直したら感じ方が変わってたり、感動のポイントが以前と違うという経験を何度もしてきたはずなのに、かつて小学校の国語の授業で読んだ物語をもう一度読み直すという事を今まで全く考えた事がなかったので、まずはその着眼点に敬服しました。
簡単なあらすじと、それに対する感想というシンプルな構成でまとめられていますが、かつて自分が学んだ頃の感覚と、今現在の感じ方を同時に味わえ、読み物としてとても楽しめました。
懐かしいというノスタルジックな気持ちだけではなく、あの頃は気づけなかった後世に伝わって行く作品の魅力を再発見出来、出会っていたことすら忘れていた名作の存在を思い出させてくれたこちらのエッセイ、読んでよかったと心から思います。
著者、「名作」たちのすばらしさはもとより、これを伝えようと選んでくれた、教科書の選者の方にも感謝の思いです。
そして、思い出させてくれた、この作品へ。
こちらは現在小学生のお子様の教科書に掲載されていたお話とのこと。
何十年経っても、時を超えて掲載され続けている、ということ きっと色々な視点はあると思いますが、変わらないこと、それも大切なことのように感じます。
つくられた、それが心を育み、伝えられていくことへも感動します。
この「感想文」の作品も、要約、視点にしみじみはっとして、大切なことを思い出すように、何度も涙にじみました。
つくられた、だけでなく、つたえられた、その両方で物語はあるのだなと。
感謝いたします。
教科書を保護者に読み聞かせる宿題が小学生の頃あったな――そんなことさえ私は忘れていました。あまりなかったか、それともまともにやらなかったかのかもしれません。
著者は、自身の子供の音読を聴きながら気づきます――子供の頃に習った作品が多く収録されていることに。『ごんぎつね』といった古くから載っているもの、『スイミー』など誰もが知るもの――。それらを紹介しつつ、大人になった今、新たな視点から物語を観ようというのが本エッセイです。
私自身、本エッセイによって数々の懐かしさ――そして発見に出会いました。取り上げられた作品に対する解説は、著者の高い観察眼と鑑賞能力を窺わせます。作品に対する愛情を感じる表現、温かい文章、細かい気づき――それらにより、「この作品を知っている」という懐かしさや、「思い出してみればこう感じる」という発見を超え、さらに奥深い世界へと導かれることとなります。
また、私が忘れてしまった(あるいは、習わなかった?)作品に出合えたことも何よりでした。(『大造じいさんとガン』――そんな男気溢れる作品があったことが特に印象強かったです。こうして物語を知られたことを期に、紹介された作品を実際に手に取ってみなければなりませんね。)
皆様も、タイムカプセルを開けるような感覚を本エッセイによって体験してみませんでしょうか?
こちらは光村図書の国語の教科書に載っていたお話を大人になったいま読んでみたら――、という感想です。
こういうお話に限らず何事もそうだと思うのですが、子どもの頃はわからなかったことも、大人になってから読んでみたら内容がスッと頭に入ってきたり、その逆で、あの時はすごくいいお話だと思ったのに、大人になってからは「ちょっとそれどうなの」と眉をしかめてしまったり、ってこと、よくあるのではないのでしょうか。
私なんかはドラえもんがそうです。昔は夢があって面白くて、のび太君って馬鹿だなぁって思いつつもドラえもんが助けてくれるから安心!みたいに思っていたのに、大人になってからは、すぐに調子に乗るのび太君やドラえもんの詰めの甘さにイライラしてしまったりして。ジャイアンの暴力は問題にならないのか、あそこまで経済格差のあるスネ夫がなぜ私立に通っていないんだ、とか。
そんなことはさておきまして。
国語が大好きだった私は、教科書が配られると、まず最初に全部読んでしまう子どもでした。予習とかそういうことではありません。単に、読みたかっただけ。活字に飢えてたんでしょうね。
あの当時はただひたすら、面白かった、悲しかった、それくらいの感想だったのが、大人になってから読んでみると、また変わって来る。
残念なことに私が小学生の頃に使っていた教科書とは違う出版社の物だったので、知らないお話もあったのですが、一部被っているお話もあり、そうそうそう!と懐かしい気持ちになりました。そうそう、大造じいさんとガン、あれは種族を超えた好敵手とのバトルの話だったんだよな、って。互いを認めているからこそ正々堂々と戦いたい、っていう、熱い話だったんだよな、って思い出したりして。
昔読んだ話でも、大人になってから読むとまた違う発見がある、そんなことを気付かせてくれるお話です。
こちらタイトルの通り、小学校の教科書に載っている名作を大人が読んで感想を書く、というものです。
正直、私は名作なのに忘れている、もしくは知らないものが多かったですが、仮に私のような方がいても何の心配もございません。
何故なら作者様の感想及びあらすじが非常に的確で、前者なら思い出す、後者なら情景が自然と浮かびます。
なので作品の概要はおおよそ掴めます。
例えば小五で習う「大造じいさんとガン」では、人と鳥という種族が違うにもかかわらず、真剣さとお互いを認め合っている部分がとても印象的でした。
また小六で習う「やまなし」では不思議な感じがどうしても頭から離れず、パブリックドメインになっていたので、結局ネットで全文を読んでしまいました。
つまりそういうことをこちらにさせるくらい、解説が魅力的だということです。
勿論、何をどう読むかはその方の自由ですが、気付きの多い読書体験が出来るのではないかと思います。
小学生は今、授業でこれらの名作に触れ彼らなりに色々思うでしょうが、その感想を大切にして、次の世代にも名作が引き継がれていけば良いなと思った次第です。
スイミー、ごんぎつね、やまなし――など。
小学校の国語の教科書に長いあいだ掲載され続けている物語を、大人の目線で読んで感想をつづるエッセイです。
誰もが読んだことのある物語についての感想ばかりで、このエッセイを読んだ人みんなが共感したり、自分なりの考えを言ってみたくなったりすると思います。
個人的には『スーホの白い馬』の話がとくに興味深かったです。
中国ドラマやアニメにハマってる今だからこそ、思うところがありました(笑)
当たり前かもしれませんが、大人になって子供のころに学習した物語に触れてみると印象が違うものですね。
これをエッセイのネタにしてみようと思われた作者様の着眼点も素晴らしいと感じました。
小学校で触れた国語の作品を読み返してみよう!
小学生のお子様を持つ作者が実際に教科書を読んでみてあらすじや感想をまとめた、そんなエッセイです。
これがもうすごい。まず記憶が一瞬で蘇る。それも不思議なことに、周辺情報なんですよね。作品のことと一緒に小学校の頃のあれやこれやが思い浮かぶ。そういう意味では若返りも経験できます。
なんて余談はさておき、本作にまとめられた作品はいずれも名作。どれもすずめさんが丁寧にあらすじを書いてくれていますので、ほとんど忘れていても(あるいは使っている教科書の関係上知らない作品でも)大丈夫。
小学生の教科書です。使われる日本語も簡単、ストーリー展開もシンプル。けれど日本語を操る上での大事なエッセンスが濃密に仕込まれていて、すずめさんの目を通して感じるそれらは、創作者のみならず日本語ユーザーならとても勉強になることばかりです。
プレゼンの資料がまとまらないお兄さん。小学校の国語の作品を読んで話の流れの理想形を学びませんか?
文章の間違いを指摘されるお姉さん。まずは基本的なところからやってみませんか?
子供を経験した全ての大人へ。これはとても貴重な読書体験です。