第11話 鼻たれ小僧のケンへの応援コメント
これはなかなかヘビーな。
本当に傷ついて泣いてしまった結果こうなった、のならまだしも、どこか「仕返ししてやれ」的な子供の残酷さが出てしまったあとにこれ、というのは、なんというかいたたまれないものがありますねえ……。
でも良かれと思ってしたことが、なんて場合もありますし、これはこれで子供ならではの交流ではあったのだろうな、とも思います。
であればこそ、未だに思い出しては、感じるものがあるんでしょうし。
作者からの返信
スロ男さん、コメントありがとうございます。
そうですね、この時ははっきりと「仕返し」狙いでした。自分ひとりで仕返ししていたなら、ここまで後味は悪くなかったんですけどね。
ケンがあの後どんな人生を送ったのか知る事は出来ませんが、なんとか明るい方向に向いていてほしいなと思います。
自身を助けようとしないと他者からの助けも届かないですし。
第12話 いつか、またへの応援コメント
コメント失礼します。
完結、お疲れ様でした。
実はもう随分前に最終話は読み終わっていたのですが。
なんと感想を書いて良いものか考えあぐねていました。
本作は子供時代を回顧したエッセイとしてとても優れていると思います。
子どもの頃の心情と現在の見解が並ぶ構成もとても興味深いです。
でもそれだけじゃないのです。
どうにもならないもどかしさ。
言葉にならない気持のようなものが残ります。
たぶんですが。
ここにも、時間の隔たりが関わるのでしょう。
生な喜怒哀楽を伴った記憶が、大きな時間の隔たりを経た後では、客観視できるようになる。
事の良し悪しを超えて〝なにもかもみな懐かしい〟気持となるのでしょう。
この妙味が読む者に言いようのない大きな気持を覚えさせるのではないでしょうか。
興味深いお話をありがとうございました。
とても面白く拝読いたしました。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、全話にコメントをありがとうございます。
これは確かに時間の隔たりが無ければ書けなかったと思います。
大きな哀しみとか後悔、憎しみも、慈しみも、生々しい間は文章に出来ない気がします。そんなのは私だけかもしれませんが……。
淡々と書くよう心掛けましたが、読んでくれる方にはどう捉えられるのだろうと心配でした。
自分語りになっては嫌だな、と思いつつ、力が足りないから上手く伝わらないんじゃないかと。
そんな迷いもありながら何とか書ききれたのは、応援して下さった方々のおかげだなあと感謝の気持ちでいっぱいです。
木山さんには全話をとても丁寧に読んで頂いて喜びの極みです。おまけに「興味深いお話」とまで言っていただき恐縮してます。
本当に、ありがとうございました。
第12話 いつか、またへの応援コメント
面白かったです。
続きを期待しています。
作者からの返信
hekiseiさん
コメントありがとうございます。
面白いと言って頂けると元気が出るものですね。
続きは……多分、書けないと思います。
この先は大人になっていくわけで、当然、清廉潔白には生きられないので、この形で書き続けるのはヤバいのです(笑)
編集済
第11話 鼻たれ小僧のケンへの応援コメント
後半、怒涛の重い話です。
事実は容赦ないです。
子どもには、ままならない。
そんな事ばかりです。
思えば。
生きていくなかで人は多くの人と関わります。
昔、仲良くしていて後に疎遠になった人。
昔、良くない対応をしてしまった人。
私も時折、そんな人たちのことを思いだします。
その人たちが今このときに、幸せであったら良いと思うものです。
そんな祈りにもならない決まり文句で自分の気を紛らせているものです。
人生は、ままならない。
巡り合せの仕合せでなんとかやっている。
そんな風にも思います。
だから、時折やりきれなさが浮かぶのでしょう。
この度も良いお話でした。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん コメントありがとうございます。
10話、11話と重い話になってしまいました。
長い間生きてるうちには、そういう場面にも何度か遭遇してしまいますね、どうしても。
大人になってからも度々しんどい目には遭いますが、子供のときよりは対処の選択肢が増えてる気がします。ただ、大人ならではの縛りにがんじがらめになって、有るのに見えない選択肢もあったり。
子どもには選択肢も経験も知識も少なくて自分の力だけではどうしようもなかったり。
でも、いろんな毎日の中には楽しいことや嬉しい出来事もあって、そんな繰り返しに翻弄されながら生きてるんですよねぇ。
自分に出来ることには限界があるし、失敗もすれば酷い事もしてしまう。人間なんてみんなそんなものかと思っています。
くよくよはせず、でも悲しい思い出や苦い後悔の念はしっかり胸に留めて、明るい方へ進んでいたいと思います。
木山さんはいつも「良いお話」と言ってくださるので、明るい方に進む力を貰えている気がします ^^
第10話 命の隔だたりへの応援コメント
コメント失礼します。
不謹慎かもしれませんが。
病室へ向かう途中の笑顔を作るエピソード。
悲しさより怖さが勝り、御父様の御遺体に近づく事が出来なかったエピソード。
良くして貰った伯父と時間が経つうちに疎遠なったエピソード。
どれも通り一遍の挿話ではありません。
体験から出た現実感が備わっていたように思います。
記す事は多面的な記憶の一面だけを切り取る事なのでしょう。
だとしても豊かな感性と明快な意図があればそれは在り在りとした事物として読む者に映る。
そんな印象がありました。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、いつもありがとうございます。
とりとめのない思い出話を温かく受け止めて下さり感謝いたします。
他人から見れば意味不明な変な行動も、本人からしたらどうしようもない、それしか出来ない行動だったりするんですよね。
映画やドラマのように誰が見ても心の内がわかるような行動は、案外、実際には出来ない気がします。
人間は摩訶不思議です(笑)
第9話 恐怖の川遊びへの応援コメント
コメント失礼します。
川遊び。
大人と子どもの視座の違い。
焦っている者と、余裕を持って対応する者の時間感覚の差異。
そんな対比が、短い文のなかで巧みに並べられて緊迫感を体感できました。
そして御父様はそんな若さで。
ゆかりさんも御苦労があったかと思いますが、ゆかりさんの御母様の事を思うと、言葉がありません。
御子様方を抱えての生活。
その当時の日本は御婦人の就労先も乏しかったと聞きます。
昔話とはいえ胸に迫りました。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、コメントありがとうございます。
本当に。時間感覚というのは不思議です。
同じ場所で同じ体験をしていながら個々に流れる時間は長かったり短かったり。
あの川の淀みは本当に怖かったんですが、実際に私の家族の命を奪ったのは車であり、道路であり、父自身の運転ミスでした。
皮肉にも何気ない日常の中にこそ「死」が大きな口を開けて潜んでいたということですね。
母は確かに大変だったと思います。それでも案外楽しく過ごしてましたよ。
血圧が高くて、今の私くらいの年齢で亡くなりましたが、同じ女性としていろいろ思うところはあります。
その母の死からも既に二十年ほど。
時間のたつのは早いです。
もたもたしてたら、私にもお迎えが来てしまうので、出来る限りやりたい事を沢山やろうと今は思ってます(笑)
第8話 国鉄がやって来たへの応援コメント
コメント失礼します。
お父さんのエピソード。最高ですね。
The人間という感じです。
好感しかないです。
こういう生な情動で動く人は最近あまりいないです。つまらない気がします。
ことにゆかりさんの生まれる時のエピソードには、思わず涙腺が緩みました。
本当に嬉しかったんでしょうね。
何か演歌かフォークソングになりそうな良いエピソードです。
今回も良いお話でした。
作者からの返信
木山 喬鳥さん
ありがとうございます。
この時代は、こんな人が今よりは少しだけ多かった気がします。
ただ、私の反抗期を待たずに亡くなってしまったので、若干、美化された人間像になってしまっているかもです。
女の子が父親を嫌う時期ってのがあるようですが、その経験をしないで済んだのは幸せだったかも。
良いお話と言ってもらって父も喜んでいると思います^^
ありがとうございました。
第7話 テレビの時代への応援コメント
コメント失礼します。
テレビの時代。
ここから映画界が斜陽化するのでしょうね。
ともあれテレビ時代劇。
この時代の作品も普通のサブスクではほとんど見られませんね。残念。
銭形平次といえば〝大川橋蔵〟
歌舞伎から映画、テレビへと活躍の場を移した名優ですね。
銭形平次は後年、いくつかの回しか見ていないのです。残念。
実家にモノクロのテレビはなかったかも。
覚えているのは何か線が繋がった箱型のチャンネルがあったような。
子どもの頃の記憶は本当に曖昧です。残念です。
ゆかりさんのようにたくさん色んなことを覚えていると、楽しいでしょうね。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん
コメントありがとうございます ^^
万博行ってまして返事が遅くなりました。ごめんなさい。
そうでした。テレビの普及が映画界を変えましたねぇ。今また、テレビの一人勝ち時代が終わろうとしているように。
それでも、映画も昔とは違う客層を得て娯楽として定着してるし、テレビも新しい姿に変貌していくのでしょうね、きっと。
子どもの頃、大川橋蔵さんの銭形平次のときの雰囲気と、洋服姿のときの雰囲気がまるで違うのに驚いた覚えがあります。役者さんて凄いなあと思ったものです。
何か線が繋がった箱型のチャンネルというと、「コンバーター」ってやつでしょうか? 当時、大人たちがそう呼んでる装置がありました。
それをつけることで受信できるチャンネルが増えてました。
カチャカチャやるチャンネルじゃなくて、古いタイプのラジオみたいにつまみを回して、微妙な調整をしつつ一番良い感じに映るところで止めるみたいなw
編集済
第6話 駄菓子屋のくじ引きへの応援コメント
コメント失礼します。
子どもの世界ですね。
駄菓子屋で経済と人間関係とそして犯罪を学びました。
最初に万引き見たのが駄菓子屋でした。
この当時、告げ口は良くないとの思いと、駄菓子屋のおばあさんが気の毒だなと言う思い。
その二つの思いの間で悩んでいた事が薄っすら思い出されました。
本作は、忘れていたあれこれを思い出す良い機会となってます。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、ありがとうございます。
駄菓子屋さんで万引きをご覧になったんですか。
告げ口の罪悪感と、店番のおばあさんが気の毒、との間で悩まれたんですね。
そう言えば、子供の頃は「告げ口」に抵抗ありましたねぇ。
まあ、今でも告げ口は気が引けますけど(笑)
大人になると通報、という事になるんでしょうか……
万引き犯が顔見知りだったりすると更に複雑ですよね。
第5話 なわばりへの応援コメント
コメント失礼します。
同じ言葉を連呼するヤツいました。
ある種の強弁なのですが。
頭に来ますね。
これはもう、ケンカするほかないですね。勝てて良かったです。
〝私と妹の名誉に係わる〟
は納得感あります。
子どもには子どもの名誉があるものです。
今回もまた面白かったです。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、こちらにもコメントありがとうございます。
ケンカ……w
女の子のケンカは、何ていうか美しくないですよね。男の子の殴り合いとかだと華やかですけど。(華やか?)
でも、これは負けられない戦いでした(笑)
みっともなくても何でも勝てて良かったです。ほんまに。
ただし、これも今なら炎上案件ですよねw
第4話 招かれざる客への応援コメント
コメント失礼します。
借金取りとのやり取りコミカルです。
日銭商売は売り上げのばらつきが多くて、
人の常として良いときの感覚を頼りがちになるらしいですね。
個人経営者の平均収益を感覚としては持ちにくい性向が感じられました。
あと棺桶の形状。当時まだ桶型が流通してたのですね。
天秤棒みたいので担ぐのでしょうか。
聞いてみないと分からない事柄です。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、コメントありがとうございます。
借金取り(笑) 今の人が聞いたらドッキリしそうなワードですよね。
でも当時は、口座引き落としとか振込とかのシステムが無かったから、集金人が家々をまわるスタイルが当たり前だったんです。
で、タイミングの悪い時に集金に来られると「居留守」を使ったり(笑)
なのでほんと、木山さんのおっしゃる通りコミカルなんです。
まあ、よくある風景だったんですね。
祖父は商売柄もあるでしょうが、そういうタイプの人間だったのかもしれないですw
割と裕福な家で育ったから金銭感覚が変なのかもです。もちろん、この頃には「割と裕福な家」も衰退してました。
棺桶は、この頃でもさすがに桶型は少なかったのでは? と思います。
良くわからないですけど。どうやって運んだのかも今となっては謎です。
第一、焼却炉に入らないと思うのですが、でも、お墓は土葬ではなかったですから。ほんと、どうしたんだろう?
誰かに聞きたくても、もう、当時の事情を知る人は居ないですし……
第3話 祖父の食堂への応援コメント
コメント失礼します。
新鮮な事ばかりです。
知識として見聞きしたことと生で体験されたことの違いですね。
ゆかりさんの書かれた当時の街の人々の暮らしの様子は祖父母や親世代の話と重なる事柄が多く立体的な世情が感じられます。
今回、私が特に惹かれたのが劇場版の「三匹の侍」
未見なので物凄く観たいです。
時代劇好きには堪らないですね。
五社英雄が、コメディアンだった長門勇を主役の一人に抜擢した作品ですね。
ともあれ。
ではまた。
作者からの返信
木山 喬鳥さん、コメントありがとうございます。
古いものが新鮮ていうのも面白いですね。まだ道がほとんど舗装されてなかったから埃っぽい時代でしたよ。半分、時代劇です(笑)
「三匹の侍」さすがにはっきりとは覚えてないんですが、面白かったです。三人の関係性が好きだった気がします。程よい距離なんですよ、三人が。
五社英雄監督の作品なんですね。それは知らなかったです。五社英雄監督ときくと「鬼龍院花子の生涯」が真っ先に浮かびますが、そうかぁ、三匹の侍もだったんですねー
第12話 いつか、またへの応援コメント
あ、ここで完結なのですね……^^;
思わず、次の話を探してしまいました^^;
色々と興味深く、また考えさせられることも多いエッセイでした。
個人的には「間借り住まい」が、強く印象に残っています。
ありがとうございました。
作者からの返信
七倉 イルカさん、コメントありがとうございます。
唐突な終わり方になってしまいました。ごめんなさい。
一応、町の話って事で、町を出てしまったらやっぱり「完」かなぁと思いまして(笑)
あ、でも、最後に「了」とか入れた方が良いのかな?
ちょっと入れてきますw
間借り住まいは大人たちにはどうだったか分かりませんが、子供的には面白かったですよ。今から思うと自分でも不思議な生活でしたけど。
編集済
第2話 間借り住まいへの応援コメント
コメント失礼します。
間借り。
たしか祖母の家が昔、間借りをさせていたと聞いた事があります。
なんというか。人間どうしの距離が近い時代だったのですね。
異世界のようです。
あと。当時の婦人の用の足し方ですが。
もちろん一般の動向はわかりません。
しかし関連事項を思い出しました。
旧国立競技場のトラックの下には女子トイレがありそこには立ったまま用が足せる形式の便器があったそうです。
台付サイホンゼット小便器「サニスタンド」と呼ばれるそれは1964年の方の東京オリンピックで設置されたものだそうです。
外国の方の他はあまり利用されなかったとも聞きます。
つらつら綴ましたが。
ともかく本作は面白いです。
ではまた
作者からの返信
木山 喬鳥さん、こちらにもコメントありがとうございます。
台付サイホンゼット小便器「サニスタンド」!
人間はいろんな物を考えますねー
ちらっと調べてみたら、女性のストッキングが傷まないように考えられた代物のようですね。今はストッキングが強くなったからこれじゃなくても大丈夫そうですw
そう言えば今、木山さんの作品「およそ82億と…… え? そんな使い方します? 」を読ませていただいているんですが、どんなアイテムがどんな使い方をされるのか…… 楽しみに読み進めてます。
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
コメント失礼します。
ゆかりさんの記憶の量と精度には
驚くばかりです。
しかし、当時の娯楽。パンチがきいています。
檻に入った熊を見る娯楽。
ナイジェリアでハイエナ飼うみたいな感じでしょうか。よくわかりせん。
それこそ、年月が隔たるとわからないことなのでしょう。
とても学びになります。
それではまた。
作者からの返信
木山喬鳥さん、コメントありがとうございます。
ナイジェリアでハイエナ!(笑)
私にはそっちのほうが分からないです(笑)
檻に入った2頭の熊は、私が物心ついたときから居たので、特に疑問は持ってなかったんですけど、今から思うと恐ろしい話ですよねぇ。
あの頃はホント嘘みたいな風景が当たり前に在りました。
側溝で布オシメの汚物を洗い流してたり……
リヤカーに野菜やら魚やら積んで、手振りの鐘を鳴らしながら売ってる人が居たり。
タンコブの治療に砂糖を塗ったり(笑)
でも、令和の風景も、いつかそんなふうに語られる日が来るんでしょうねー
第12話 いつか、またへの応援コメント
こういうエッセイ大好き。また気が向いたらよろしくお願いします。
作者からの返信
dronpa2017さん
嬉しいコメントありがとうございます。
またいろんなテーマで細々と書いてみたいと思います(^^)
第6話 駄菓子屋のくじ引きへの応援コメント
けむり!(指先につけてこするとモヤが出るやつ)懐かしいwww
だからなんなんだ、と思いつつ、好きだったなあw
ちょい年代ズレるのかなあと思いつつ(あと地方によっても異なるか)、ココアシガレットだ、赤カブだ(私はこれは買った記憶がない)、きなこ玉だ、さくらんぼ餅だ、マルカワのガムやフェリックスガムだ……嗚呼、懐かしき駄菓子屋の日々……!
作者からの返信
スロ男さん
コメントありがとうございます。
ココアシガレット! ありましたありました。さくらんぼ餅、フェリックスガム、知ってます! 懐かしいですねぇ。味まで蘇ります。
スロ男さん、思ったほどお若くない……?w
第6話 駄菓子屋のくじ引きへの応援コメント
ピアノ悔しいですねぇ。大人って汚いっ!って最初に知るのが駄菓子屋の景品かもしれません(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
リリーフランキーさんだったかなぁ、、くじ、空になったのに特賞が残ってるのおかしいって駄菓子屋のおっさんに子供たちで詰め寄ったとかwww
作者からの返信
うみたたん さん
こちらにもコメント、嬉しいです。
くじ引きの件は本当、酷いですよねw 子供を騙すなんて。
リリーフランキーさんも、同じような事されてるんですね。そういえば以前から割と好きな方です、リリーさん。何かしら同じ匂いを感じたのかもですねw
噂ではスーパーの福引も最終日まで特賞は出ないようになってるとか。
都市伝説ならぬ田舎伝説ですけど(笑)
第9話 恐怖の川遊びへの応援コメント
川は怖いですね。いきなり冷たくなって深くなりますもんね。
私は海の近くで過ごしていたので、波に揉みくちゃにされ、上か下かわからず下に泳いで頭を石にぶつけるなどしていました。
お父様そうだったのですね……。
作者からの返信
うみたたん さん
コメントありがとうございます。
川も怖いですが、海も怖いですね。でも、うみたたん さんは泳ぎがお上手なのでは? 底の石に頭をぶつけるって素潜りですもんね。凄いなあ。
私は海や川で足のつかない所へは怖くて行けないんです。浮き輪付けてても流されてしまうし……。
第12話 いつか、またへの応援コメント
連載お疲れさまでした。
今回は、ご自身の生活の節目について触れながら、この時代について狭い範囲の風景と広い範囲の概況とをそれぞれ語り、最後に今のご自身に視点を戻された文章の流れ、本当に味のあるエッセイだなと思います。
全話を締めくくるにはふさわしいテーマと言う感じも抱きつつ、「ええ、ここで終わる?」という恨み節も抑えがたく 笑。
「当時抱えていた問題」については詮索は致しませんが、それほどの決断をなさっての道、さらにその先も色々とご苦労はあったことと思います。半生をドキュメンタリーでというのは無理でも、いつかその航跡の輪郭なりエッセンスなりを創作の形で語っていただけたらと思わずにはいられません。
さて、最後ですので全体を通じて一言。
本作の魅力は、良い意味で理路整然としていないこと。結構自由奔放に話題が飛びつつも、各回のテーマから大きく逸脱することなく、かつそれぞれのカラーもはっきりしているのが面白いです。普通、横道に入った話は、余計な枝葉との意識があるので、私などはなんとか手早く本題に戻ろうと論旨を丸めてしまったりしがちなんですけれど、ゆかりさんの場合はどの話題であれ、身を入れて熱く語っていらっしゃるので、結果として余計な段落という感じがせず、限られた分量で本当に幅広く時代の空気をつづっていらっしゃるという印象です。
たとえば今回分のこのくだり。
> 大人になってから、平野部で育った知人がここを訪れた時に
>「なんか、圧迫されて息が苦しい」
>と言ったのが可笑しかった。私は都会に行くと高層ビルに圧倒されるけれど。
この数行で、少なくとも中学以降一度もその町に戻らなかった……ということではないのだな、という情報が明らかにされており、では実家とのつながりはどうだったのか、また、その時までに都会の高層ビルを知っているとはどういう生活を送っていたのか……などなど、色々な背景を想像させつつ、ゆかりさんの、山がちのその町に寄せる思いなども窺えて、なんかここだけで短編が一つ書けそうな気がします。
こういうエッセイならいつまでも読み続けていたいと思える連載でしたが、まあどこかで区切りは必要でしょうし、これらだけでも何度となく読み返す価値のあるエッセイ集であるはずです。
色んな意味で楽しい読書体験でした。ありがとうございました。
作者からの返信
湾多珠巳さん
丁寧なコメントありがとうございます。
まず、湾多さんから初の★三つに感激してます。
でも、良いんでしょうか(;^_^A
あ、間違えた、と消されないうちにお礼を申し上げておきます(笑)
この話の頃から今に至る間、ネタは多いかもしれないです。しかも同じようにエッセイ風で書くと多方面から顰蹙を買いそうなくらい濃い目です(笑)
なので、薄めながら小出しに他のものと混ぜ合わせたりして書いてみたいです。というか、勝手に滲み出てくる気もしてるんですが……。
>>「なんか、圧迫されて息が苦しい」
確かにここは、ちょっと匂わせってヤツになってますねw
実は少しだけ、狙いましたw
湾多さんの書かれた「春に寄す」や「モノワスレ、バンザイ」のような雰囲気で、この3行を広げられたら素敵だろうなぁと思います。でも、私にあの完成度の高い文章は書けないから、どうごまかすか、とそこんとこのアイディアが浮かんだらチャレンジしてみます!
私の方こそ、こんな想い出話に最後まで付き合っていただき、ありがとうございました。
第2話 間借り住まいへの応援コメント
昭和の光景が目に浮かぶようです。
女性が男性用便器を使うってすんごいインパクトですね(笑)
住居にあまりにもプライバシーがなかったのは我が家もそうです。
子供の頃、姉と共同の狭い部屋でした。
ちょっと環境は違いましたが、この文章を読んで昔を思い出しました。
ところで、私の作品を読んでくださり、ありがとうございます。
物語のほうは滅多に更新しないのですが、
エッセイはほぼ毎日更新してます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
作者からの返信
ポンポコさん
コメントありがとうございます。
やはりそうですよね。今の人には女性が男性用便器を使うって考えられないですよね。
ところが昔はわりと普通だったみたいです。農作業の合間に用を足すときもしゃがみこまずに、同じような体制で用を足していたとか……。
しゃがみこむと蛇などがいて危険だというのもあったようですがw
ポンポコさんの作品はゆったりしていて癒されますね。
エッセイは毎日更新ですか。凄いです。
また遊びに行きますね。
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
はじめまして。
小椋さんの質問企画のコメントでお名前をお見かけしまして、こちらにお邪魔しました。
ところで、血が実はペンキだったというのは、ほっとする結末ですが、
子供の頃は怖かったでしょうね。
その恐怖の臨場感がひしひしと伝わってくる描写がお見事です。
作者からの返信
ポンポコさん
コメントありがとうございます。
小椋さんのところから来て下さったんですね。
どうぞ、ごゆっくりなさって行って下さいね~
( ^^) _旦~~
赤い跡はペンキだったけど、この川で熊が射殺されたのは事実なので本当に怖かったです。
ポンポコさんは柔らかなお話を書かれるんですね。
気持ちが疲れた時には癒されにお伺いしますのでよろしくお願いいたします
(^▽^)
第12話 いつか、またへの応援コメント
最上の選択だった気がします。
親に経済的苦労をかけずに自分も勉強を続ける。
大変だと思います、働きながら学校に行くのは。
その道をたった15歳の子が選んだ、えらいなあと思います。
作者からの返信
小椋 夏己さん
最後までお読みいただき、コメントまで、本当にありがとうございます。
この学校は、そういう生徒だけを対象にして設立されただけに、とても通いやすかったです。生徒たちが務めるそれぞれの会社も、送迎バスはもちろん、寮生活を支える専門の部署(寄宿って呼んでました)もあって至れり尽くせりで。
私などは比較的近くに実家がありましたが、北海道や沖縄から来てる子も沢山いました。そういう子達は長期の休みに実家へ帰るのも一苦労で、切符の手配なんかは寄宿の人がやってくれたり。
休み明けのみんなのお土産は楽しみでしたよ。なにしろ全国の美味しいものが集まるんですから。
編集済
第11話 鼻たれ小僧のケンへの応援コメント
なんとも重い出来事で、なんと言っていいのか。
荒れる子どもにもそれなりの理由があるとはよく分かりました。
だからといって、何をしてもいいというわけでもないですが、誰かに頼ることができたらケンちゃんももう少しなんとかなったかも知れないと思うと、やりきれない思いです。
一番頼るべき大人、親がそういうことになった時、子どもはどうすればいいんでしょう。
でも最初に酷いことをしたのはケンちゃんですし、これもどうしようもなかったことかも知れません。
同じことになっていたら、私も多分、同じように何か仕返しをしたと思います。
作者からの返信
小椋 夏己さん
コメントありがとうございます。
ケンの身に起こった不幸は誰にもどうしようも出来なかったと思います。家の中の事って見えにくいですし。
この件は本当にやりきれない思いしかありません。
私のやらかした事に「私も多分、同じように何か仕返しをしたと思います」とのお言葉を頂き、ありがたく思います。後悔の気持ちは持ち続けようと思いますが、必要以上の罪悪感は持たないようにします。
ケンがあのあと、辛さにのみ込まれてしまってないことを祈ります。
第12話 いつか、またへの応援コメント
ゆかりさん。完結お疲れ様でした。
最終回、良かったです。
15歳で意思を貫き、街へ。故郷との断絶。希望と不安。最後に回想。心に残る好編でした。
おばちゃん戦記にまで至る続きも読みたいので、また連載再開希望します!
作者からの返信
小田島 匠さん
コメントありがとうございます。
この話から「オバちゃん戦記」までを書こうとすると、ややアダルトになるので止めておきますw
最終話までお読みいただき、レビューコメントも寄せて頂いて本当に感謝です。改めまして、ありがとうございました。
編集済
第12話 いつか、またへの応援コメント
私は東京生まれ東京育ち。父は教師。
すごく当たり前のように公立の小中学校を卒業して都立高に入りましたが、当たり前じゃないということが分かりました。
子どもながら自分の意志をしっかり持っていて意見する…素晴らしいですね。
作者からの返信
菊池ゆらぎさん
コメントありがとうございます。
東京生まれの東京育ち、なんだか羨ましすぎます。山育ちの私にとって東京はもはや大都会を通り越して異世界、ファンタジーですw
でも何処でどんなふうに育った方も、かたちの違う沢山の葛藤を越えて踏ん張ってらっしゃるのだと思います。出来る限り、明るい方へ明るい方へと。
私の進路選択は意思というより背水の陣でした。他に道はなかっただけって感じなんで、わりと情けない選択だったというのが真相ですw
第9話 恐怖の川遊びへの応援コメント
妹を助けるために、恐れていた川に飛び込む勇気。
敬服します。
お父様は、若くしてお亡くなりになられたのですね。
大変なご苦労があったのではないでしょうか……。
作者からの返信
七倉イルカさん
コメントありがとうございます。
妹を助けるために……というと聞こえが良いのですが、実際は私ひとりがテンパっていたという😢
よく覚えていないのですが妹も別に助けは求めていなかったのかも。
私が自分の恐怖心で作り上げた怪異にビビりまくってたというのが真相なのかもです(情けない……w)
父が亡くなった年齢を超えた時には、こんなに若かったんだと改めて思いましたね。やらかしの多い父でしたが、これが人生最大のやらかしでした。
編集済
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
【05/03追記】
遅ればせながら拝読。
味のある文章と内容で面白いですねー。
私よりもちょい上の時代の話で興味深いです。
熊の子のくだりは、なんかシートン動物記で似た話があったなーと思い出されました。飼っていた2頭の子グマが逃げ出して、育ちきった後、飼い主に撃たれる……みたいな。
【05/03追記】
私も気になったので調べてみました。
該当作品は「タラク山の熊王」。日本では「熊の子ジャッキー」の名前でアニメ化されたことがあります。私もアニメの原作として読んだ記憶がありますね。
アニメは可愛かったですが、原作はむしろリアルな残酷さに溢れていた気がします。でも子グマとの思い出を猟師がふと思い出したり、泣けるんですよねえ。読みたくなってきました。
作者からの返信
梶野カメムシさん
コメントありがとうございます。
シートン動物記は恥ずかしながら読んだことがないんです。
で、ChatGPTに聞いてきましたw
「ジョニー・ベア」というエピソードでは逃げた二頭の熊のその後は曖昧だそうです。それとは別に「ワーブ 〜森の王者〜」というエピソードでは母熊を撃たれたワーブが、人間とは距離をとり、森で孤独に誇り高く成長したのち罠にかかり撃たれて死ぬという結末のようです。
人間と野生動物の距離の取り方は永遠のテーマかもですね。
【05/04追記】
追記頂いてたんですね。気がついてなくてごめんなさい。
「熊の子ジャッキー」というアニメだったんですね。
ふとした瞬間に昔に見聞きしたものが蘇って来ることありますよね。はっきり思い出せると良いんですが、ほんの一部だったりすると気になって……。
歌の歌詞の一部だったり、メロディーの一部だったり。
思い出すまでは何か落ち着かないしw
何のお話だったか判って良かったです。
編集済
第11話 鼻たれ小僧のケンへの応援コメント
んー、ここで紹介されたやりとりがあった時期と、彼が転校してしまった時との間には数か月の間があるわけですよね? その期間の様子が気になると言えば気になるんですが……有り体に言えば不可抗力、でしょう。
小説的な世界だと、この時のこのタイミングで異状を目ざとく察知できるキャラがいれば、とか、家庭のトラブルに光を当てやれることができていたら、みたいなストーリーを考えてしまうものですけれども、それはまさに滅多に起きないことだから小説に書けるんであって……割合に行政が家庭内へ干渉できるようになった昨今でも、そのケースはどこまでフォローしてやれたものか……。
まあ「どうしようもなかった」の一言で割り切るには重たい事件でしたね。元より、子供ってそういう割り切り方ができないから子供なんだし。
「その上、こんなふうに人目に曝して良いのか?」とのお悩みもごもっともですが、この話は、その後ずっと後悔を引きずり続けることになる少女の視点で語られていることにこそ意義があるのだと思います。少なくとも、今後この文章を読む人は、みな等しく、彼女が感じたやりきれなさとか苦い思いとかに触れることになると思いますので……その意味では、贖罪の一つの形になり得ているかと。
作者からの返信
湾多さん
コメントありがとうございます。
そうですね。ドラマとかならケンもご家族も救われる展開が有り得ますよね。やはり現実は容赦ないです。ヒーローなんていませんね。
行政の干渉も現代でさえ本当に難しい。何が幸いして何が裏目に出るか、もはやギャンブルですもんねぇ。おまけに結果論で叩かれまくるし。
そう思うと、今そういった行政機関の方たちって、毎日のように、当時私が抱えた後悔を感じながら働かれてるのかもしれないですね。
人間てほんまに厄介です。
私自身は自分がやらかした事の後悔は抱えたままでいるのが、ケンへの祈りかな、と思っています。
それを物語にする事には迷いがあったのですが、湾多さんに「贖罪の一つの形になり得ている」と言っていただいて、やはり書いて良かったと思えました。ありがとうございました。
第8話 国鉄がやって来たへの応援コメント
私も給食が食べられずに残されていた口です(笑)
1年生の時は6年生のお兄さんお姉さんが教室の掃除に来てくれたんですが、食べられない者だけ机を後ろに下げられて、掃除をするほこりが立つ中で残って食べてたなあ。
ご両親との思い出、国鉄の思い出、なんとなくおぼろに残る時代の懐かしさを感じます。
作者からの返信
小椋 夏己さん
何だか共通点が多くて嬉しいです。給食で残される、あの苦しみを共有できる方がいらしたとは! そう! 掃除中も残されて埃まみれの給食を強要されて。今なら炎上騒ぎですよねぇ。
でも、私は絶対食べませんでした。っていうかムリでした。口に入れた途端にリバースになってしまうので(笑)
あの時代、良い事も悪い事もなんていうか色の濃い時代でしたねぇ。
第7話 テレビの時代への応援コメント
「奥様は魔女」と「かわいい魔女ジニー」はよく覚えています。
それから銭形平次の投げ銭、私も心配していました。
後で拾いに行くのかなと考えたり(笑)
あの四角い穴に紐を通して、キュッと引っ張ると外れて投げられるのはいいシステムだなと思ってたんですが、今の丸い穴の小銭だったらあんなにうまくはずれないですよね。
それに投げるとしたら5円でしょうか?
当たってもあまり威力なさそうです(笑)
作者からの返信
小椋 夏己さん
こちらにもコメントありがとうございます。
そうそう、「かわいい魔女ジニー」もありましたね。
もしかして同年代くらいの方なんでしょうか?
銭形平次の投げ銭の話が通じるなんて嬉しい限りです。しかも同じような心配をしてたんですね。私も、後で拾いに行くのかな? それはちょっとカッコ悪いなとか思ってました。子分が拾いにいってたのかもですねw
それにしても小椋さんの執筆量と速度、凄いですね。私にはとても真似ができません。その上、内容も文章も洗練されてて。
少しづつですが、また読みに行かせてもらいますね。
第6話 駄菓子屋のくじ引きへの応援コメント
自分のエッセイにもちらっと書いたんですが、私は子どもの頃に活動範囲に駄菓子屋さんというものがなくて、ほぼ思い出がないんです。
先日も妹と電話で「駄菓子とかだから全然分からないよね」という話になりました。
有名な駄菓子も、大人になってから初めて口にしたものも多く、今でも食べたことがないものも多かったりします(笑)
なんだか子どもらしい思い出、いいですよね。
作者からの返信
小椋夏己さん
コメントありがとうございます。
駄菓子屋さんのないところと仰ると緑に恵まれた場所だったのでしょうか?
私が子供時代に住んでいたところは、とんでもない山の中でしたが、山のなか過ぎて田畑も無いところでした。代わりに鉱山があって人口密度は高めだったから駄菓子屋さんも多かったのかもです。
今はショッピングモールの一角に再現された駄菓子屋さんがあったりしますよね。懐かしさはないと思いますが、ぜひ疑似体験なさってみてください(笑)
第11話 鼻たれ小僧のケンへの応援コメント
ああ、心象があれて水道で悪戯していたのか。。
でも、ゆかりさんのおかげで、一瞬かも知れないけれど、人の心を取り戻したわけですから、それはそれで良い事をしたんだと思いますよ。
その後、お父さんが亡くなったのは、ゆかりさんと無関係なんですし。
彼が今元気で穏やかにしていることを、願ってやみません。
作者からの返信
小田島さん
コメントありがとうございます。
確かに彼の背景に私は責任ないんですけど、行き場のない思いを抱えた同級生を、更に追い詰めたという後悔はあります。
その上、こんなふうに人目に曝して良いのか? と自問自答してみたのですが、やはり書こうと思いました。人には背景がある、という事を忘れないためにも。
彼の穏やかな今を願ってくださって嬉しかったです。
暖かいレビューもありがとうございました。
編集済
第4話 招かれざる客への応援コメント
招かれざる客〜怖いけど笑ってしまう。
そういばさくらももこさんのエッセイで、棺桶に当時背の高い祖父が入りきれず、足や腕を少し曲げていれたら、メルヘン翁になったと書いてあり大笑いしました。あ、ポキポキはしてないと思います笑笑
子供にとってはお葬式って異様だし、記憶に残りますよね。今回も面白怖かったです(*^ω^*)
作者からの返信
うみたたん さん
コメントありがとうございます。
さくらももこさんの「メルヘン翁」って(笑) どうなふうに足や腕を曲げたのかなあ。
子供にとってのお葬式って、年齢とか、亡くなった人によって受ける感じが全然違いますよね。ただただ「?」だったり、怖かったり、哀しかったり。大人になってからもお葬式での感情は様々だけど、子供のときとは違いますねぇ。
第8話 国鉄がやって来たへの応援コメント
波乱万丈な人生を過ごされたお父様だったのですね。
泣きじゃくる私に大丈夫と言い聞かせ、オロオロしながらも父は問題を解決してくれる。
オロオロと書かれていますが、子供にとっては最高に頼りになるお父さんだったのですね^^ 古き良き時代の素敵な父親像が見えるようです^^
作者からの返信
七倉イルカさん
コメントありがとうございます。
そうですね、波乱万丈な父でした。当時はそういう人も今よりは沢山いた気がします。戦争もありましたしねぇ。
オロオロしている父……。基本的に母の方が強かったです(笑)
でも、普段は負けてるけど、ここってときに頑張ってくれる人は頼りになります。
身びいきになりますけど良い父でした。
七倉イルカさんも、書かれている作品から素敵なお父さん像がにじみ出ていらっしゃいますね。きっと良いお父さんなんだろうなーと想像しています。
第10話 命の隔だたりへの応援コメント
荘重なお話に対するコメントとしてはいささか他人事めいた感想で恐縮ですが、私は逆に、この年齢で目の前の死に恐怖する体験を持たれたということに感銘を受けました。そういう、正しくリアルの死を怖がる経験って、私は、少なくとも幼少期には持たないままで……(だからこんな罰当たりな物書きになったのか w)。
でもそういえば、低学年の頃でしたか、「死ぬ」ということがとてつもなく怖いものに感じられた時期がありましたね。きっかけは小一の時に「フランダースの犬」を読んだことで 笑、おじいさんが死ぬところを読んで、「人って年を取ったら死ぬんだ」ということを初めて知って、ものすごくショックだっことが ^^。それから三、四年ぐらいは、なかなか人の死というものを受け止めきれないままだったように思いますが、多分これは誰もが通る道なんではないかと。
ちょうどそんなタイミングで、実生活でお父様を亡くされたのなら、そら怖かっただろうなと思います。でもそこから遺された皆様方、しっかり育っていったんですねー。丸ごと全部ドラマにできそうな、などと書くとさらに失礼な響きになるかも知れませんが、人に歴史ありと言う言葉をしみじみとかみしめた次第です。
作者からの返信
湾多さん、いつもありがとうございます。
コメントしにくいお話に、感想を寄せて頂き感謝です。
ほとんどの人が体験する「親の死」ですが、どのタイミングであっても喪失感は強いですよねぇ。例え、仲の悪い親子であっても自分の中の何かが失われていく感じ……、そういうのがある気がします。
私の場合は既にもう半世紀以上も前の事で、それでも百パーセント客観的に書けているとは言い難い。人間てやっかいなものだなあと思います。
「死」は子供の頃とか若い時は「魔物」のような恐ろしい存在でしたが、今は行く道の先に腰を下ろして、頬杖をつきながらこっちを見ている「もうひとりの自分」みたいな存在です。
「まあ、ゆっくりおいでよ」って言ってますw
「フランダースの犬」に描かれる「死」は、神を信じる人には救いのある最後ですよね。でもそうじゃない私には残酷な最後に思えます。もう少しだけ生き延びていれば事態は好転したのに、という部分が更に残酷さに輪をかけているような。
物語って、日常に隠れている非常を教えてくれたりもするんですね。
第2話 間借り住まいへの応援コメント
すごい!とても興味深く、面白いです!
昔のシェアハウス……みたいな。ローラー式の脱水は朝ドラで見たことがあります。
作者からの返信
うみたたん
こちらにも応援コメントありがとうございます。
あの暮らしは今の私ならちょっと、いや、かなり嫌ですが、
不思議な事にまわりの人が皆同じような境遇だと平気なんですよね。
っていうか楽しかった。
私の幼稚園の運動会の写真に、何故か隣の猟師の奥さんが私達家族に混じって一緒にお弁当食べてるのがありました。
もはや家族やんっ、ていうw
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
おぉ、こちらにも熊のお話が!🧸熊の恐怖もあるけど、檻に入れてるのが異様な感じもあって怖いですね……書いてあるように仲良しなだけかもですけど。
ゆかりさんも怖かったと思いますが、貴重な体験ですね。
作者からの返信
うみたたん さん
ありがとうございます。
以前に「川」を読んで下さったんですね。こちらのお話は「川」が元になってて、熊の話は重複してるかと思います。ごめんなさい。
「川」をスリムにリメイクするつもりが、逆にエピソードが増えてしまってこのような形になってしまいました。
昭和中期……、あの頃は、本当に何でもアリでしたね。
今の人には信じてもらえないくらいw
第9話 恐怖の川遊びへの応援コメント
楽しいはずの川遊びが恐怖とは!
私は東京生まれ東京育ちで、川遊びはなくもっぱらプールでした。とても興味深く読ませていだだきました。
作者からの返信
菊池ゆらぎさん ありがとうございます。
プールもそうですが、水は楽しいけれど怖いですよね。
私は結構な大人になるまで東京が怖かったですよ(笑)
私のような田舎者が行ったら、たちまち犯罪に巻き込まれるんじゃないかってw
でも、行ってみたら驚くほど緑が多いんですね。日本の首都は素敵だな、と思いました✨
第2話 間借り住まいへの応援コメント
「間借り」住まい。
なんだか不思議な物語を作れそうな世界を感じます^^
それにしても驚くのは、男性用で用を足してしまう奥さん^^;
おおらか?な時代だったのですね^^
作者からの返信
七倉イルカさん、ありがとうございます。
そうなんですよ。女性用に入るのが面倒だったんでしょうねw
しかも、用を足しながら前を通る人に普通に話しかける……。
用を足すことを恥ずかしい事とは微塵も思ってなくて、ある意味、正しいのかもしれないです。「音姫」とか見たらなんて言うだろうと想像してみましたが見当もつきませんw
「間借り」住まい、は不思議な世界なんですね。確かにそう、不思議な関係でしたね、住人同士。七倉さんなら、ここから摩訶不思議な物語を紡ぎ出してくれそうです。いつか書いて下さい、楽しみにしています(^▽^)
編集済
第7話 テレビの時代への応援コメント
自分の家族史をここまごまと語るわけにはいかないんですけれど、うちは私の小二の時まで白黒テレビで、それもミカン箱より小さいサイズのものでした。今のノートパソコンより小さい画面だったかも。
ので、私の頭の中では、ウルトラマンも仮面ライダーも全部グレイスケールで、子供向け雑誌のカラーページを見るとなんか変な感じがしたもんでした w。
友達の家に行くとどこもカラーでしたから、多分白黒テレビ使ってた最後の方の世帯だったんじゃないかな。まあでも、番組から受けた情報量とインパクトと言う点では、今日びの4Kテレビ見流してる子供にも負けてなかったと思います。って言うか、今みたいな高精細の画面とか多チャンネルとか、あんまり意味ないんじゃないかと思う 笑。すべて昭和に戻せとは言いませんけどねえ……。
ところで「未来旅行社」の最終話、再拝読しました。なるほど、だいぶん話の唐突感がなくなって、まあ理系職のおばあちゃんとの最後の会話なら、こういうのもありかな、という感じに仕上がっていると思います。あえて言うなら、序盤か前半の方で、ほんの数行でいいんで前振りみたいなのがあったら、実は話全体にそういう裏テーマがあったのだな、と読めるほどになるかと。まあこの先は塩梅が難しいと思いますんで、気が乗りましたら、と言うことで ^^。
作者からの返信
湾多さん、ありがとうございます。
確かに今のテレビって何を目指してるのかよく判りませんよね。迷走してるっていうか……。画質にこだわったところでテレビ離れが進めば意味ないですもんねぇ。今はネットもあるし。
ネットと言えば、私がパソコンデビューした時はまだ、インターネットがなかったんですよw
パソコン通信の終わり頃、インターネット前夜って感じの頃でした。
マウスの存在がパソコンを身近にしてくれたのか、CMが良かったのか、ワープロでは物足りなくなったのか、わーっとパソコン人口が増えた時でした。
今とは別次元の低スペックだったことを思えばPCの進化はすさまじいです。スマホもですけど。
比べて、テレビはやっぱり全盛期が忘れられないんですかね、その頃から抜け出せない感じですよね。時代の最先端だったはずが、今や古い体質を叩かれたりしてて。
「未来旅行社」の方も見て頂いたんですね。拙いものを何度もすみません。
序盤か前半で匂わせを潜ませたほうが良いんですね。確か他のお話でも同じようなアドバイスを頂いた気がします。私の書く話は唐突な場面が多いのかもしれません。今後、その点に少し気を付けてみます。
いつも本当にありがとうございます。
第7話 テレビの時代への応援コメント
昭和34年生まれです。よくまあ色々覚えておられて素晴らしい。楽しめました。
作者からの返信
菊池さん、ありがとうございます。
いのしし年ですよね? 驚きました。同い年です。
私は今月末にもう一つ年をとってしまうんですけどね。
よく覚えてる風に書いてますが、実は時系列が飛び飛びの曖昧な話なんですよ。おぼろな記憶を引っ張り出して、ネット情報で捕捉しながら書いてます。
楽しめました、と言って頂き感激です。
菊池さんのハッピーエンドなおとぎ話も素敵ですね。癒されて心が軽くなります。また、読みに行きますね。
第7話 テレビの時代への応援コメント
おお、ゆかりさん。面白かったですよ。
テレビは、確かに家具でしたねー。観音開きの蓋というかカバーというかがついてるのもありました。あとチャンネルが、正確じゃなくて、ちょっとずらさないとうまく映らなかったり。
干芋は、今の方が格段に美味しいですよ。焼き芋も。やはり芋自体の進化が大きいです。素朴になれたおばあちゃんがどう言うかは分かりませんがw
作者からの返信
小田島さん、ありがとうございます。
はい。テレビは確かに家具でした(笑) ついでにもう一人の家族でした。
チャンネル、確かに微調整が必要でしたね。それに漫画みたいですけど映りが悪い時に叩くと直るってのもありました。あれ、なんだったんでしょうね。
干し芋は、そうですよね。昔より実際に美味しくなってるんですよね? 決して年齢のせいではない、と。ホッとしましたw
編集済
第6話 駄菓子屋のくじ引きへの応援コメント
かつて、駄菓子屋や貸本屋は、実家のあった町で子どもたちが十円で遊べる憩いの場でした。あの頃が、とても懐かしいですね。けれど、今ではどれも消えてしまいました。
私も駄菓子屋で、大人たちのちょっとした嘘に騙されたことを呼び覚ましますが、それすらも楽しい思い出の一部です。
作者からの返信
神崎さん、ありがとうございます
神崎さんも貸本屋さん、ご存知なんですねw
この頃は家の冷蔵庫でアイスクリームが保存できず(冷凍庫がついてなかった)都度、駄菓子屋さんに走ったものです。確かに懐かしい想い出ですね。
貸本屋の店番してたおばちゃんは、いつも編み物をしてました。
理想の職場だったのに無くなってしまって残念です。
第6話 駄菓子屋のくじ引きへの応援コメント
懐かしい風景ですねえ。これは昭和何年くらいです?
私の家近くの駄菓子屋もこんな感じでしたが、流石に貸本屋は見たことがないです。あったら通ってたと思いますがw
くじ引きはある意味、子供が大人になる通過儀礼と言いますか……私は夜店のくじ引きで現実を教えられましたっけ。
作者からの返信
カメムシさん、ありがとうございます。
昭和何年くらいかと言うと……
20世紀少年の時代が、実はドンピシャなんです(笑)
カメムシさんの家の近くの駄菓子屋さんも同じ感じでしたかあ。
駄菓子屋さんの時代は案外長かったんですね。いつ頃から見なくなったのかなあ。コンビニに淘汰されたのかもですね。
貸本屋には間に合わなかったんですね、生まれてくるのがw
私は将来、貸本屋さんになりたかったです。
店番しながら読み放題!
夜店のくじ引きも怪しげですよね。でも現実を教えられた、ということはカラクリを見抜いてしまったんですね(笑)
第5話 なわばりへの応援コメント
入学してみたら、数日前のケンカ相手と同じクラスメート! ドラマか漫画みたいな展開だと思いましたが、まあ一生に何回か、こういうことってありますね。
この後の集団登校グループでとりなしてくれたのがやはりこの女の子、という話だったら、もう運命の導きだったんでしようが、泥棒の言いがかりつけるような子なんだし、数日後にそれはないか。
第二ラウンド以下はどうなったのか、興味深いところです。
ところでそのベンチの上にあったお菓子ってのは、結局何だったんでしょうかね? 雰囲気からすると洒落た感じのクッキーか何かのようですが、そのやんちゃな子も無関係ではなさそうだし……これはこれで何か一作書けそうな気が w
作者からの返信
湾多さん、いつもありがとうございます。
これね、今でも彼女との遭遇場面のいくつかは画像として頭に残ってるんですよ(笑)
この後、特に親しい友人になるわけでもなく、再度の大立回りを演じることもなく、一定の距離を保ちながら常に意識し合ってた感じで、残念ながらこれ以上のドラマはなかったですw
ベンチの上にあったお菓子は駄菓子です。子供がお小遣いで買える程度の。多分、その子の忘れ物で、取りに戻ったところ私たちが手にしていたので泥棒呼ばわりしたのだと思います。まあ、普通なら、というか私なら「あ、それ私の……」くらいの感じで声をかける場面なんですが、彼女の感性は独特だったようで(笑)
彼女とのドラマチックはここまででしたが、むしろこの後はケンとのドラマがありました。勿論、恋愛ドラマではありませんw
こっちは、シリアスで悲劇的なドラマでした。
また、追々書きたいと思ってます。
あ、それからこの場をお借りして。
未来旅行社の最終話ですが、湾多さんに頂いたご意見を参考に少し書き直してみました。上手く修正出来ていないかもですが、また気が向いたら覗いてみてください。
ありがとうございました(^^)
第4話 招かれざる客への応援コメント
おー。ゆかりさん。全編とても興味深く拝読致しました。
わたし、ラブコメ書いてますけど、こういうのが好きです。
昔の人って、年取るの早かったですよね。
学生運動の大学生なんてみんなオッサンですものね。
わたしなんか、すでにゆかりさんのお爺さんの年ですよ。
連載中のようなので、フォローしておきますね。
もちろんお星さまもパラパラしておきますね。
作者からの返信
興味深く読んで頂けたとの事、とても嬉しいです。そういう言葉って元気が出るものですね。ありがとうございます。
昔の人、確かにそうです。祖母の写真とか見ると、もう、おばあちゃん以外の何者でもない装いと髪型なのに、四十代のときの写真だったりw
今の四十代、五十代は、まだまだ若いです。六十代だって定年には早い気がします。まあ、個人差もありますけど。
お星さまもありがとうございます。
三月は期末とカクヨムのお題が重なって忙しいですが、四月になったらまたボチボチと書きますので、良かったらまた覗いて下さいね。
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
ゆかりさん。これ面白いですよ。
ゆかりさんの子供の頃の話なのかな?
漁師が母グマ撃って、子熊連れ帰ったパターンが多そうですね。
大人になると仕方ないのでしょうけれど、檻に入れっぱなしというのもかわいそうですね。
続きも拝見致します。
作者からの返信
小田島さん、ありがとうございます。
そうです。私が子供の頃というか幼少期と言っても良いくらいの時期の話です。なので、本当に古い話なんですよw
檻に入れっぱなしは我が身に置き換えると耐えられません。
不思議なのは、冬はどうしてたんだろうって事なんですけど、熊って冬眠しますよねぇ……? 幼少期の記憶なだけに、その辺が曖昧なんです。
と、まあ、そんな不確かな想い出話にお付き合いいただいて、何だか申し訳ないですけど、ちょっとでも面白いと思って頂けたなら嬉しいです。
第3話 祖父の食堂への応援コメント
文章の端々から、昭和の時代に生きた作者の子供時代の思い出が鮮明に描かれていることが感じられますね。祖父が営む食堂の風景や人々の関係性、映画館やパチンコ屋での出来事など、どこか懐かしくもあり、活気に満ちた時代が目に浮かびます。
読んでいると、僕も今は亡き母親と一緒にパチンコで玉を弾いていた光景が思い出されます。
また、さまざまな人々が交差する町の青春期の情景や、祖父の食堂の繁栄が心温まるエピソードとして描かれています。こうした細やかな描写が、僕に温かみとノスタルジーを感じさせます。
作者からの返信
暖かいコメント、ありがとうございます。
当時は赤いボンネットバスがいっぱい走ってました。人口もこの頃が一番多かったようです。この頃の活気を思うと懐かしくもあり、寂しくもありって感じです。
神崎小太郎さん、お母さまと一緒に打っていたパチンコって、もしや手動式のパチンコですか?
前の氷で冷やす冷蔵庫のお話と言い……(笑)
第2話 間借り住まいへの応援コメント
昭和の間借り生活を通じて、家族やコミュニティのつながり、日常の小さな喜びや苦労を深く考えさせる素晴らしいエッセイでした。読み進めるうちに、ノスタルジックな雰囲気が漂う光景が目に浮かんできました。
我が家にはローラー式の洗濯機はなかったけれど、氷を入れる冷蔵庫はありました。
作者からの返信
氷で保冷する冷蔵庫!
これは、私は見た事が無いです。小太郎さんのお家にあったのですか? 凄いですね。……小太郎さん、実は案外お年をめしていらっしゃいます?(笑)
そう言えば小太郎さんの作品に「上高地」を舞台になさっているお話がありますね。県は違いますが、私の生まれた町からは案外近いんですよ上高地。
小さい頃に家族で上高地に遊びに行った事もあります。日帰りで。
確か写真があったので、今度、近況ノートに貼り付けてみますね。モノクロですけどw
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
自然の中での出来事を通じて恐怖と畏怖の感情を描きながら、人間の感情や熊との関係性を考えさせる素晴らしい作品でした。切ない結末が心に残ります。
作者からの返信
ありがとうございます。
熊がどんな感情でいるのか、本当のところは人間にはわからないんですけどねw
どうしても擬人化して、自分に寄せて想像してしまいます。
命との関りは切ないですね。
第2話 間借り住まいへの応援コメント
小鳥好きの鉄砲のおじちゃんと、綺麗な絵の描いてあるおじちゃん(お兄さんか?)と。
このエピソードは、なんていうか、普通に雑誌に載っててもおかしくないような完成度を感じました。
私もローラー型の脱水機構付き洗濯機は、漫画でぐらいしかお目にかかったことがございませんw
そういえば洗濯板自体は、いまでも売ってたりするんですね! 小さい板でコマの洗いにちょうどいいとか。アナログなものは、意外と生き残るw
作者からの返信
洗濯板、ありましたねー。対でタライもw
考えてみたら家事って随分楽になってますよね。にもかかわらず未だに煩わしいのは何故だろう?
何かのドラマで「雑用が多くて、ってか雑用しかない」みたいなセリフを最近耳にしましたが、考えてみれば人生自体が雑用かもですね。
気楽にやって行こうと思いますw
第1話 月の輪熊の話への応援コメント
おはようございます😃
あれ? なんかこの話、というか二頭の熊のあたり既視感あるんですが……何かのエピソードで使ってました?
それとも他の誰かの、まさに同じ事象をモチーフにしたものを読んだのか?🤔
具体的な死体より、死の気配のほうが怖い、というのは案外ホラーを書く時の指針になりそうですw
作者からの返信
コメントありがとうございます。
この話は「川」のリメイクなんです。「川」の話を「熊」と「川遊び」編に分けて書き直そうとして、他のエピソードも溢れ出てきてしまった結果、このかたちに……。
なので、熊の話は確かに重複してます。
「川」の話でスロ男さんに頂いたコメントも引き金になりました。当時はそこかしこに戦後があった、というコメントに『そう言えば……』的な掘り起こしが、私の頭の中に起こったんです(笑)
第2話 間借り住まいへの応援コメント
前話の、仔鹿物語を地で行くようなエピソードも色々考えさせられますが、この文章もまた気になるネタがごろごろしてますねー。二槽式は大学時代に重宝しましたが、それの前のモデルと言うのはさすがに目にしたことがありません。とは言え、仕上がりの良さで言うと、全自動式はダメだみたいな話も聞きますねえ 笑。結局入れっぱなしにできるということだけを極めただけですから。
>女性でもアサガオは使える!
これも話だけは聞いたことがある 笑。というか、一昔前だとおばあちゃんなんかが着物の端をまくって草むらに向かって立ったままやってたとか、よく聞きましたが……今は一周回ってちょっとした漏斗みたいなツールを使って、本当に男と同じポーズですませるやり方が成立してるんだそうで。時代が進んだような、戻ってるような。
なんだか描かれている情景の一つ一つがとても精緻で、読んでいて中にずっぽり引きこまれそうですね。しばらく続きますか? 楽しみがまた一つ増えました w。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。そうそう、このお饅頭屋の奥さんも着物の裾をまくってました。この方、一人称は「おり」でした。「おれ」の変形かなあ?
漏斗ですか(笑) 持ち運びが大変そう。そうまでして立って済ませたい理由は何だろう? (';')
電化製品は時代を象徴しますよね、生活に密着してる相棒ですから。
ただ、時代を遡るほど田舎と都会には時差があったと感じてしまいます。
都会は田舎の3年以上先を行ってたんじゃないかなぁ?
編集済
第12話 いつか、またへの応援コメント
あ、読み終えてなかったのか俺……と愕然として続き読みはじめたら、いきなりボディブローを食ったようなw
それにしても「隔たり」というのは、とても象徴的だし、語られた数々のエピソードもよかったですねえ。
最後のエピソード、ウチの母を思い出す流れで(ってどこかで書いた記憶あるぞ?)、女工さんとかも、ハイカラなウーマンリブの先駆者だったんだろうなあ、とw
あ、なんか誤解させてるかもしれませんが、私、ゆかりさんが考えるほどは若くはないのでw バカなことばっか書いてますがw
一回りチョイは離れてそうですが。
にしても、この作品のエピソード、どれも秀逸だとは思うんですが、やっぱクマと川の話はあれだよなあ……逸品だよなあ🤔
作者からの返信
スロ男さん、こちらにもコメントありがとうございます。
お母さまのお話は確か「不揃いな妖精たち」に頂いたコメントだったと思います。
ん? まさかスロ男さん、うちの息子?
なーんて事は有り得ませんが、お互い素性は判らないからそんな事も全く無いとは言い切れず(笑)
息子ではないにしても、お母さまは私の先輩って可能性はありますよね。スロ男さんの年齢から考えて同級生ではない気がしますし。
なにはともあれ、こんな私的なエピソードを最後までお読みいただき、コメントまで、本当にありがとうございました。感謝!です。