第4話「声」

「ほら、刑部ぎょうぶの滑りは終わったんだから、ホテルに戻りなさい」

「ほかのお客さんの迷惑になるから、ナイター以外の人は戻ってー」


 ナイターの引率に来ている先生たちが、自分たちの高校に通う生徒にホテルへ帰るように促していく。

 観客の人たちも自然に解散していき、この場にはほとんど生徒が残されていない状況になった。


「なんで……なんで……っ!」

阿辺あべちゃん先生っ!」


 刑部ぎょうぶくんに詰め寄ろうとした金島くんと、自分の呼びかけが重なってしまった。

 おとなしい俺が大声を上げたことに驚いた金島くんは目を丸くさせて、一歩後ろへと下がった。


「金島く……」

「いや……なんでもない……」


 同時に行動してしまったことが場を気まずくさせたけど、後退ってしまった金島くんがそれ以上、言葉を紡ぐことはなくなった。


「田中? どした?」


 俺たちの様子を見かねた阿辺あべちゃん先生が、刑部ぎょうぶくんを後ろに連れて声をかけてきた。


阿辺あべちゃん先生っ! 俺も跳びたい!」


 熱気が冷めやらぬまま、心の中で感じたことを思いっきり叫んだ。

 自分の口から語られた希望に、阿辺あべちゃん先生は口をぽかんと開いた。


「ちょっ、田中! 落ち着けって!」

刑部ぎょうぶくん、自分の? スキー場のレンタル?」


 刑部ぎょうぶくんの表現力と高さあるジャンプに圧倒されて、自分もあの舞台に立ちたいという強い思いが抑えきれなくなった。


「……スキー場」


 目を見開いたままの刑部くんだったけど、俺の気持ちを受け取ってくれた刑部ぎょうぶくんは求めていた答えをくれる。


「ありがとう」

「田中! 素人に怪我をさせるわけには……」


 担任の阿辺あべちゃん先生は眉をひそめながら、盛大な溜め息を吐く。

 それでも、俺には諦めるっていう選択肢がなかった。


「お願いします! どうしても跳びたいんです!」


 阿辺あべちゃん先生に自分の気持ちを訴えて、自分が跳ぶ準備を整えていく。


「先生」


 慌てふためく阿辺あべちゃん先生に声をかけたのは、春綺はるきだった。


加西かさい、田中のことを止めてやって……」


 阿辺あべちゃん先生は生徒が怪我をしないように、俺のことを必死に守ろうとしているってことが凄くよく伝わってくる。


新斗しんとは、経験者ですよ」


 担任の言うことも聞けないのかって叱咤されても可笑しくない場面で、幼い頃から付き合いのある春綺は俺の背中を押すために動いてくれる。


「は?」

「は?」

「…………」


 刑部ぎょうぶくんの滑りを見に来た金島くんと、阿辺あべちゃん先生の声が重なる。

 そして刑部ぎょうぶくんは静かな視線を、俺に向けてくるのが分かる。


(どこからどう見ても、運動音痴だよねー……)


 教室の隅っこが、俺と春綺の居場所だった。

 いかにも運動が苦手そうな見た目の俺を疑うことしかできないのは当然のことで、阿辺あべちゃん先生には物凄く大きな心配をかけていると思う。


「絶対に怪我はしません」


 友人のという言葉ほど、力強い存在はない。


「新斗なら絶対に、ルーティーンを成功させる」


 春綺はるきがくれるという言葉に、大きく勇気づけられる。


「ルーティーンって……」

「技の構成のことです」


 ハーフパイプの練習場を利用しているお客さんに頭を下げて、スタート地点に立つ。


(観客からの期待がないからこそ)


 深呼吸をして、スキー場の冷たい空気を肺に取り込む。

 自分が滑る感覚、風が頬を撫でる感覚、記憶に刻まれているすべてを一瞬にして取り戻す。


(引き込みたい)


 目を閉じて、自分の心を落ち着かせるように集中する。

 念願の舞台に立てるという期待と希望を胸に抱いて、スノーボードを足元に固定する。

 そして、思いっ切り滑り出す。


(ここには、母さんがいない)


 ボードが雪の上を滑り始めると、次第にスピードが増していく。

 スノーパイプを往復しながら、体とボードが一体となる喜びに浸っていく。


(今日は、自由に跳べる)


 最初のジャンプに差しかかり、しっかりと集中して跳ぶ覚悟を決める。

 まずは前向きの回転を加えて、谷側の方向に跳び上がる。

 まるで時が止まったかのような感覚って表現があるけど、空中に飛び込んだときはまさにそんな感覚。


(楽しい)


 そして、すぐに着地の時間はやって来て、ボードが雪の上にしっかりと吸いつくのを確認する。


(楽しいっ)


 自分を鼓舞しながら、次は横回転と縦回転を合わせて跳ぶ。

 空中での回転が決まると、今まで積み上げきた光景が一瞬にして甦る。

 ハーフパイプの白い曲線を何度か滑り降りるうちに、自分に与えられた時間が終わることへの焦燥感へと襲われる。


(楽しいっ!)


 最後のジャンプは、後ろ向きで山側の方向に回転して跳び上がる。


「はっ、は」


 風を切る感覚。

 空中で感じる喜び。

 雪の上を滑る感触。

 そのすべてが合わさった心地よさに浸れるようになる頃には、自分が観客から歓声に包まれていることに気づく。


「……した」


 観衆の視線が、一斉に向けられる。

 ほとんどの生徒はホテルに戻ってしまったけど、この場に残ってくれた人たち全員が自分に注目してくれたことが本当に嬉しい。


「……ました」


 大袈裟なくらい頭を下げて、感謝の気持ちを伝える準備を整える。


「ありがとうございましたっ!」


 ただ、お礼の言葉を述べただけ。

 ただそれだけのことで、会場はさらに一段と盛り上がった。

 より一層、大きくなった歓声と声援が胸を打って、自分の跳ぶ時間を後押しする力となっていたことに気づかされる。

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