020 モモーネの残り香
訓練場はいつでも使える……とはいっても流石に深夜近くになって警備の教員が回ってきて帰宅を促された。
アパートへ戻ったスティリアは、サッとシャワーを浴びた。
それから、しばらく部屋の中心で胡座をかいてボーッとしている。
パッと見、寝ているようにも思えるほどの気の抜けよう。
訓練場で神経を研ぎ澄ませ過ぎたせいで、あらゆる感覚が鋭敏になってしまったのだ。
だから意図的にめちゃくちゃ気を抜いている。
それでも、月明かりが空気の密度で歪んでいるのを捉えられるくらいにはバキバキなままだ。
しばらく眠れそうにない。
「明日、寝不足とか笑えねぇぞ」
いよいよ明日はスティリアたちのクラスの樹外探索。流石に貫徹はまずいだろう。
強制的に眠気を呼び起こそうとベッドに向かう。
ボフッとうつ伏せに倒れ込んだ。
押し付けられた鼻の、嗅覚もやっぱり敏感で、布団たちからは何となく自分っぽい匂いがした。
「………………ん!?」
しかし、そんな中に思いもよらない香りが混ざっていた。
ふわりと――甘く優しい香りが、鼻腔をくすぐってくる。
(な、なんだ、この香り?)
弾かれるように飛び起きて部屋中を見渡したが、香りの出処は見当たらない。
いつもと変わらない見た目の部屋に、いつもと違うのは古い書籍と辞書がいくつかあるくらいだ。
解せないスティリアはもう一度、深呼吸をした。
そうして見えてきた香りの全容は、まるで朝露に濡れた一輪の花。
ほのかに甘く、そして、どこか懐かしさもある。胸の奥が、きゅっと締め付けられるような……。
スティリアは、ハッとした。
(こ、こ、こここここれは……ま、まさか!)
この香りは、覚えがある。覚えがあるどころの話じゃない。
モモーネだ。
先日、モモーネに詰め寄られた時に彼女から漂ってきた香りと同じ。
――頬が、熱くなっていくのを感じる。
まさか、こんなにもハッキリと彼女の匂いを感じ取ってしまうなんて。
モモーネだと、分かってしまうなんて。
(さ、さっき……思いっ切り嗅ぎ直したよな、俺)
なんてことをしてしまったんだ。
落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け! 落ち着けっ!!
スティリアは、心の中で自分に言い聞かせた。もしかしたら口に出していたかもしれない。
落ち着けと思えば思うほど落ち着かない。考えないようにと思えば思うほど、考えてしまう。
鋭敏になった嗅覚が、彼女の存在を克明に描き出す。
一度意識してしまったら、もう止まらない。
スティリアは、まるで何かに取り憑かれたかのように、部屋の中をぐるぐると歩き回った。そうしていれば落ち着くかも知れないと思っていたが……全然、落ち着かない。
部屋中そこら中にモモーネの残り香があるのだ。
いつもは感じない。でも今は感じてしまう。
「ぉおおお……おおお!?」
歩き回るのはヤバいと感じて、ソファに腰を下ろす。
しかしそこにも強くモモーネの香りがあった。
ドンピシャでその場所に座ってしまい、あたかもモモーネの膝の上に座ったかのような……いや、モモーネに後ろから優しく抱き締められているかのよう――。
(う、あ、あ)
叫びそうになるのを顎の咬合力で無理矢理抑え込む。
背中にフワッと柔らかい弾力を感じる。
レオナの圧倒的な双丘には及ばずとも、モモーネの胸もかなりのボリュームがある。
柔らかく、張りもあり、包み込まれるような感覚。
レオナのように開けっぴろげにしていない分、実は制服がいつもははち切れそうなのだ。
視界には入っていて、意識しないようにしていたことを全部、残り香が思い出させようとしてくる。
(座って……いるのは)
モモーネの膝の上。
スカートの裾から、膝上丈のハーフタイツまでの僅かな隙間――白く艶やかで適度な存在感を放っている御御足。
口ゴムで締め付けられて出来る太もものクビレに視線が吸い寄せられ……しかしスカートの裾が風にあおられる度、急いでその視線を切っていた。
何も無かったかのようにやり過ごしていたことを、残り香のせいで思い出してしまう。
心臓が早鐘を打って、ドクンドクンと熱を帯びた血液を下半身へ送り込む。
今にも張り裂けそうなスティリア。
(……こ、これは、まずいぞ)
落ち着かせようと吸い込む深呼吸も悪手。
またモモーネの奥深くに潜り込む。
そしてやっと気付く。
モモーネは、ただレオナに言われるがまま修行に付き合っていたわけではなかったのだ。
修行に都合が良いからと朝御飯を用意してくれていたわけではなかったのだ。
いつも明るく話し掛けてくれるのは、ただ仲のいい同級生だからというわけではなかったのだ。
だから――あの時、あんな風に。全然、残り香が教えてくれた。
「はぁ……」
息をこれ以上吸わないように吐き出して、床に仰向けに倒れ込む。
「俺だって、もし1人だったら……モモーネが一緒じゃなかったら、編入試験すら受けようとしなかっただろうによ」
フッと笑うスティリア。
「なんだよ、師匠。間違ってんじゃん。寄り添ってくれる人じゃなくて……これは」
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