勇者誕生編
第22話:勇者誕生Ⅰ
小さな村だけど、大好きな場所だった。
風に揺れる畑。木漏れ日の落ちる小道。素朴な木の家々に、にこにこと笑う村人たち。
私を育ててくれた場所。血は繋がっていないけれど、誰もが家族のように接してくれた。
「リリア、おはよう。今日は畑の手伝いだったね」
「うん! でもその前に、パンを届けてくるね!」
村で唯一のパン屋のおばあちゃんの代わりに、私は焼きたてのパンを届けて歩くのが日課だった。
何もない村。でも、心はとてもあたたかくて。
……私は、この場所を守りたかった。ずっと、ずっと、みんなと笑っていたかった。
――だけど。
ある日、それは唐突にやってきた。
地響きがした。
最初は風かな、と思った。けれど、違った。
森の奥から、黒い影が溢れ出した。
唸るような咆哮。獣のような息遣い。土を削る足音。
「魔物だ……!」
誰かが叫んだその瞬間、地獄が始まった。
人が焼かれ、食われ、潰された。
いつも優しくしてくれたおじさんが、笑ってくれたお姉さんが……次々に、目の前で、命を落としていった。
私は、怖くて――ただ、物陰に隠れて、動けなかった。
足が震えて、涙が止まらなくて、歯を噛みしめても声を殺せなかった。
……助けたいのに。
……助けたかったのに。
ただの村娘でしかない非力な私には、戦う力なんてなかった。
「……いや、だ……こんなの……っ!」
私は、逃げるようにして村の自警団が集まっていた広場へ向かった。
そこに、落ちていた。彼らが使っていた古びた剣が。
剣を握る手が、この身体を支える足が、恐怖で震える。
でも、それでも――
「た、戦わないと……!」
叫ぶようにして、自分を奮い立たせる。
見よう見真似で振るった剣は、まるで藁を切るような、頼りない一閃だった。
それでも魔物の皮膚にかすり傷をつけた時、心のどこかで「私でもやれるかもしれない」と思った。
……甘かった。
体当たりされたような衝撃で地面を転がり、全身に激しい痛みが走る。
「うっ、ぐっ……」
腕は切られ、足は引きずるようにして立ち上がるしかなかった。
目の前で、私のことを「お姉ちゃん」と慕ってくれた村の少年が食われた。
「やめて……! お願い、もうやめてぇぇぇっ!」
叫んでも、祈っても、届かない。
それでも、私は剣を手離さなかった。
もう誰も、失いたくなかったから。
「――ひっ……!」
ひときわ大きな咆哮。
そこにいたのは、他の魔物とは明らかに異なる異形の存在。禍々しい角を生やした黒き巨獣。
動いたと思った時には、視界が回っていた。
鋭い爪が私の腹を裂き、背中から血が噴き出す。
地面に叩きつけられ、視界が白く染まった。
……あ、死ぬんだ……
あまりの痛みに、思考が遠のいていく。
でも、なぜかそのとき――不思議と、涙が出た。
怖いとか、悔しいとかじゃない。
何もできなかった自分が、情けなくて。
……守りたかっただけなのに。
「もっと……力が……あれば……っ!」
血の味がする口を開き、私は祈るように願った。
「みんなを助ける力が……私にあればっ……!」
そのときだった。
雷のような轟音が、頭の奥に響いた。
――力を、望むのか。
「……えっ?」
意識が朦朧とするなかで、声が聞こえた。
それは確かに、村の端にある古い祠の方角から。
あそこには、かつて、古の勇者が聖剣を残したと言う伝説がある場所。
導かれるように、私はよろよろと立ち上がった。
脚は折れているかのように重い。血も止まらない。
それでも、倒れたら本当に何もかもが終わってしまう気がして。
祠の前にたどり着いた瞬間。
地面が震え、祠の石が砕け、まばゆい光が空へと伸びた。
その中心にあったのは、一振りの美しい白銀の剣だった。
銀白の刃に、蒼い宝石が埋め込まれた、まるで天から降りたような神聖な剣。
私は、ふらふらと歩み寄る。
自然と手が伸びていた。
柄に触れた瞬間――光が爆ぜた。
「――ぁあっ……!」
全身に走る痛みとは別の熱。
力が、心の奥から溢れてくる。
見上げると、曇天だった空が晴れていた。
重く垂れ込めていた雲が割れ、柔らかな陽が差し込んでいた。
剣を構える。自然と、構えが浮かぶ。
どうしてかは分からない。
もう、私は怖くなかった。
目の前の魔物へ、一歩踏み出した。
そして――
「はあああああっ!!」
私の一閃が、世界を斬り裂いた。
蒼白い閃光が放たれ、魔物たちは一斉に吹き飛ばされていく。
轟音のあと、残ったのは静寂だった。
私は剣を構えたまま立ち尽くしていた。
呼吸が荒い。足元がぐらつく。剣を握る手も、今にも力が抜けてしまいそうだった。
けれど、私の前に魔物の姿はもうない。ただ、吹き飛ばされた瓦礫と、倒れ伏した魔物が残されているだけ。
私は……みんなを、守れたの?
そう思った瞬間、膝が崩れ、地面に倒れ込んだ。
「――誰か! 生存者を探せ!」
遠くから、怒鳴り声が聞こえた。
金属の打ち合うような足音。規則正しい歩調。
何人もの兵士たちが、村の外れから駆け込んでくるのが見えた。
「遅れて申し訳ありません! 任務で近隣の巡回をしていた第三師団所属の者です!」
息を切らしながら、鎧を纏った男たちが村の惨状を見回す。
焼け焦げた家々、崩れた道、そして倒れたまま動かない人々。
「こんな……間に合わなかったのか……っ!」
誰かの呻くような声が聞こえた。
その時、一人の兵士が声を上げた。
「隊長、こちらに生存者が!」
私の方を指さして、兵士たちが駆け寄ってくる。
私は、ただ立ち上がることもできず、剣を杖代わりにしながら身体を支えていた。
「……君が、魔物を?」
隊長と思しき男が、私の傍にしゃがみ込み、驚きに目を見開いて私を見つめた。
「違う……違うだろ。これは……一体、誰が……?」
そう言いかけたとき、倒れていた村人の一人――老いたおじいさんが、震える指で私を指さした。
「……あの子じゃ……リリアが……全部、やってくれたんじゃよ……。あの光、そう、か……あの伝承は本当だったか……あの子は、選ばれたのじゃな……」
その言葉に、周囲の兵士たちの視線が一斉に私に注がれる。
「まさか、こんな少女が……?」
「剣を見てください、隊長!」
別の兵士が言った。
彼の指差す先――私の手に握られた剣。
銀白の刀身に蒼い宝石。
まばゆい光を湛えるその剣を見た瞬間、隊長の表情が強張った。
「……この剣……この特徴……いや、まさか……まさか本当に……?」
彼は、剣の形状と装飾をじっと見つめ、やがて低く呟いた。
「あの老人の言葉。これが伝承に語られる……聖剣。かつて魔王を討った勇者が手にしていたという……あの剣に、酷似している……!」
周囲がざわめき始める。
「じゃあ……この子が……?」
「勇者が……本当に、勇者が現れたってことか……?」
「そんな……こんな小さな村で……」
驚きと戸惑いに満ちた視線が、私の全身を包み込む。
私はただ、守りたかっただけ。
誰かに「勇者だ」なんて呼ばれる覚悟も、力も、何もなかった。
なのに、隊長は、はっきりとこう言った。
「……勇者が、誕生したのかもしれん」
その言葉が、まるで雷鳴のように私の胸に響いた。
勇者――私が……?
剣を見下ろす。
私の手に握られている、奇跡のような力。
でも、それを得る代わりに、私は――大切なものを、たくさん、失ってしまった。
村は……もう、元には戻らない。
私は涙を堪えながら、空を見上げた。
その先には、嘘みたいに澄んだ青空が広がっていた。
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