第15話 残滓

 静けさをまとったまま、ルキウスは旧骨董屋の内部を睨みつけていた。


「……いいわねぇ、こういう“片づけ方”は嫌いじゃないわ」


 しばらく室内を歩き回った後、彼は一つの机の前に立ち止まる。天板には何の装飾もなく、古びた木目が疲れたように軋んでいた。引き出しをひとつずつ開けていくルキウスの指は、爪の先まで美しく整えられている――だがその動きは、解剖刀のように鋭く正確だった。

 そして、最下段の引き出しを開けたとき、その中に――小さな木箱があった。


「……あら?」


 何気なく蓋を開けた瞬間、ルキウスの瞳が微かに揺れた。中には、三本の小瓶。それぞれには青緑色の透明な液体が静かに揺れている。その底に敷かれていた羊皮紙に、淡いインクの筆跡が残っていた。

 ルキウスはそれをそっと持ち上げ、光にかざす。


《ごめんなさい。少しの間、おやすみします。でも、どうか諦めないで。

 必要な人に使ってください。命は、守っていいものです。――リーナ》


「……!」


 ルキウスの笑みが、初めて消えた。

 指先で羊皮紙をなぞる。その筆跡は、若い女性のもの。文章からは焦りと覚悟、そして誰かを想う優しさが滲んでいた。


「見つけたわよ。やっぱり……いたのね。“ソワン”の血筋……ここに」


 瓶の中の液体を一つひとつ確認する。香り、粘度、揮発性――そのすべてが、彼の記憶にあった“青魔法”の特徴と一致していた。


「これはただの薬じゃない……“命を操る”魔術の残滓」


 ルキウスは手紙と小瓶を丁寧に手袋の中へしまい込み、口元に再び笑みを浮かべた。だが、それは先ほどまでの余裕に満ちたものではなかった。むしろ――執念に近い、狩人の顔だった。


「どこかにいる……この村の近くに、まだ。完全には逃げ切れてない……」


 彼は踵を返し、声を張った。


「ディート、マリオ。村の西と南の境を重点的に調べてちょうだい。小道、廃屋、祠、獣道。全部、よ。足跡でも残飯でも煙の痕でも、なんでもいいから」


「はっ」「承知しました」


 二人の部下が即座に散開するのを見届けながら、ルキウスはそっと空を見上げた。薄曇りの雲の向こうに、かすかに光る太陽の輪郭があった。


「さあ、“隠れた異端者”たち……。あたしを、どれだけ楽しませてくれるのかしら?」


 その美貌の奥に潜む激情は、もはや静かな憤怒と呼べるものだった。

 ――“癒しの魔”を宿す存在。

 ――教会の秩序を脅かす異端の力。

 それを、この手で暴き出すこと。それこそが、ルキウス=サルヴァリスの“使命”だった。

 そしてその夜、ルキウス一行は森の入口で微かな足跡と焚き火の灰を発見することとなる。小さな鍋の破片と、火に焼かれた薬草の香り。

 それは確かに、レインたちがほんの数日前に踏みしめた、逃亡の痕跡だった――。


 村から離れて北の森をさらに奥へ進んだ先――ひっそりと苔むした丘の中腹に、石造りの祭殿跡があった。樹々に抱かれるように佇むその遺跡は、いまや人の手が入ることも少なく、風と時の流れの中に埋もれかけていた。


「ここ……思ったより、ちゃんと“建物”が残ってる……」


 リーナは肩から荷物を下ろし、石の階段に腰を下ろした。背後には大理石の円柱が何本か立ち並び、その奥には崩れかけた礼拝室らしき空間が広がっていた。


「このあたりは、昔“祭殿区”と呼ばれてたそうです。古文書によると、信仰と魔術が交わる“はじまりの地”だったと……」


 メルキオルが静かに語る。彼の声は風に溶け込むように静かだったが、その手は黙々と薪を割り、火を起こす準備を進めていた。

 

「……でもここって、“ジル=サルハ”が封じられた場所なんですよね? 本当に大丈夫なんでしょうか。」


 リーナは声を潜めながら、周囲の暗がりを見回した。


「伝説に過ぎない、と思いたいけど……可能性はゼロじゃない」


 レインは木片を一つ火打石で弾きながら言った。

 “ジル=サルハ”――それは古くからこの地域に伝わる怪鳥の名。翼を広げれば十尺を超え、爪には猛毒を含み、眼差しだけで獣をひるませるという。数百年前、北方の三つの村を一夜で滅ぼしたとも言われていた。


「でも、もうここしか……居場所はないんですよね」


 リーナは微笑もうとして、少しだけ顔を伏せた。

 村には戻れない。王都にも、町にも。この“びょういん”は、逃げる場所ではなく――“生き延びる場所”として、選ばなければならなかった。


「ここを仮住まいにするしかない。幸い、水脈も近いし、建物の構造も悪くない。すぐには壊れない」


 レインは既に、倒壊した石材を整理し、崩れた部屋の一つを簡易寝所に整えていた。リーナも慣れぬ手つきで薬草かけを編む。

 薄暗い礼拝室には今、かすかに火の灯りが揺れていた。


「……あの、先生。もしも、その怪鳥が本当に出てきたら、どうするんですか?」


「封印は“まだ”生きてる。魔術の歪みも、感じない。今のところは……大丈夫だと思う」


リーナの質問に冷静に返答するレイン。静かに目を閉じ、魔力を感じようとしている。


「“今のところ”……ですか」


 苦笑しながらメルキオルは辺りを見回している。ひび割れた石の隙間から、星がいくつか覗いていた。

 その時、遠くの森にかすかな足音が響いた。

 鳥でも獣でもない。鋭く、研ぎ澄まされた気配――

 ルキウスたち“異端審問官”が、刻一刻とその気配を迫らせていた。

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