第30話

 アンネマリーの手を引いて、王城の長い外回廊をゆっくり歩く。


 散会となってから、王妃とアンドリューの退席にお供するように、大半の夫人と子女らはその場を離れた。残りの夫人らも、周囲と挨拶を交わしながら散り散りになっていく。


 そんな中で、クローディアとアンネマリーは、庭園に咲く花を眺めながら皆が帰った終いの頃に、のんびりその場を後にした。


 今日の体調は良く、腹が張ることも無かった。もしそうなった時のために護衛のウィリアムが控えていたし、ルーシーもついている。


 秋の庭園は、夏の夜会の頃とは姿を変えて、秋咲きの薔薇が盛りを迎えて綺麗に咲いていた。

 アンネマリーを連れて王城を歩く機会などそうそうないことだから、狭い世界に生きる娘に荘厳な王城の風景を楽しんでほしいと思った。


 アンネマリーが子供たちと遊んでいる姿を、クローディアは眩しく見つめた。夫人同士の会話はあったが、大抵、どの夫人らも我が子と王子の様子が気になるらしく、同じように子供たちを眺めていた。


 クローディアから義母に声を掛けることはしなかった。父とは半分絶縁したようなものであるし、噂の多いフォーウッド伯爵家に嫁いだ義娘に話しかけられても困るだろうと思った。


 敢えて彼女の席を見なかったから、彼女がこちらをどう見ていたかはわからない。クローディアはこの時、自分のことよりもアンネマリーが気になって、隣り合う貴族夫人とも社交儀礼的に会話をする程度で終わっていた。



 ぽつんと残ったクローディアたちを、王城の侍女が馬車寄せまで案内をしてくれていた。懐妊しているクローディアに合わせて、歩幅を小さくゆっくり歩いてくれる心遣いがありがたかった。


 風に秋の匂いがする。日射しは影を濃くして頬に当たる陽光が暖かい。


 アンネマリーの手を握り、回廊の向こうに出口が見えるその頃に、背中から小走りな靴音が響いた。


 クローディアが後ろを振り返る前に、ウィリアムが囁くように声を発した。


「奥様、ゆっくりと脇へ」


 身重で慌ててはならないと、ウィリアムが気を遣う。クローディアはそのまま脇に寄って、アンネマリーと繋いでいた手を離した。


「アンネマリー、カーテシーを」


 アンネマリーも彼の姿に察したようで、上手にカーテシーの姿勢で頭を垂れた。


「顔を上げて、アンネマリー」


 追ってきたのはアンドリューだった。真逆、今頃残っている子がいるとは思わず追いかけてきたのだろう。


「まだいたんだね。もうみんな帰ったと思ったよ」


 王子は気さくな様子でそう言った。

 アンネマリーは、ちらりとクローディアを見上げて答えてよいのかを確かめて、それからアンドリューへと向き直った。


「花を見ておりました」

「え?花?」

「薔薇を」


 アンネマリーの視線の先を見て、アンドリューは「ああ」と言う。やんちゃ盛りの王子には、咲いている花の種類など気に掛けるものではないのだろう。


「また城に来たら、もっと奥のほうを見せてあげる」


 王城は広い。どれくらい広いのかはクローディアがわからないくらいには広い。小さな王子様は、そのどこへ案内したいのだろう。


「池があるんだ」

「池?」


 意外なことに、アンネマリーは「池」というワードに興味を示した。それをアンドリューは見逃すことはせずに、


「そうだよ。蓮の葉が浮いている。夏には花が咲くんだ」


 そう得意そうに教えてくれた。


「蓮?ロータスかしら」

「ロータス?なんだそれ」

「ロータスはロータスだわ」


 子供同士であるから話すうちに会話がほぐれて、アンネマリーはいつの間にかタメ口になっていた。だが、王城の侍女たちも近衛騎士らも、その様子を微笑ましいという風に見守っていたから、クローディアも注意はしなかった。


「アンネマリーは花が好きなんだ。僕はそうだな、剣かな」


 アンドリューは少しばかり背伸びをして、一つ年上の少女に男の子っぽいことを語っている。青い瞳がくるくる動いて、王子が好奇心溢れる活発な少年であるのだと思った。


「今度はいつ来るんだ?」


 その問い掛けに、アンネマリーは困ったような顔をした。それでちらりとクローディアを見た。


「次のお茶会にお誘い頂きましたら参ります」


 クローディアがそう助け舟を出すと、


「ふうん。それはいつだろう」


と、アンドリューは後ろに控える侍従に「ねえ、次っていつ?」と尋ねた。


 王族も、生まれた時から威厳に満ちている訳ではない。子供らしいアンドリューに、クローディアは笑みが溢れた。


 アンドリュー自身も、同年代の子女らと遊ぶ機会は少ないのだろう。侍従に促されて戻る際に、彼はアンネマリーを見つめて「またね」と言って去っていった。


「アンネマリー。大丈夫?」


 緊張したのではないかと尋ねれば、流石は一つ年上だけあって、「大丈夫よ」といつも通りに答えた。


「リリベットとはお話ができたのかしら」

「ずっとリリベットが喋っていたわ」


 その姿が目に浮かんで、彼女たちはそんな関係で丁度よいのだろうと思った。子供としては口の重いアンネマリー。黒髪に青い瞳は彼女を年齢以上に大人に見せる。


 初めて接した同年代の子女らに囲まれ、困惑したのではないかと案じたが、リリベットやロナルドが一緒だったからか、不快な経験をせずに済んだようだった。


「旦那様、今頃心配しているわね」

「心配?」

「貴女が楽しんでいるのかと」

「楽しんでいるか、心配になるの?」

「親は何でも心配なのよ。心配をする生き物なの」

「クローディアもそうなの?」

「当たり前じゃない」

「そう」


「楽しかったわ」


 会話が途切れたその時に、アンネマリーはぽつりと呟いた。それは彼女の本心からの、素直な言葉なのだと思った。






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