主人公の少年が路地の迷路を行くのは、転校生の機嫌を損ねたらだ。
夏の日差しをかき分けて主人公が見たのは、
二階建ての立派なお屋敷が燃えている……といった幻想だった。
幻想の正体は「のうぜんかつら」の花だと、その家の住民である女性「ミチカ」に教わる。
詩的な文体に描かれているのは、
実は人間誰しも持っている不思議な体験のひとつである。
普段聞き慣れない表現や、言葉なので読み解くのに時間がかかったが、
その言葉も相まってより、異物な記憶が浮き彫りになってくる。
それだけではなくて、「ミチカ」の正体や、彼女の家の放火の真相、また主人公が「脳ぜんかつらの家」で見た出来事の全貌について考察させられる余韻もあり、
短い文章ではあるが文字数以上の読み応えがあります。
ご一読を。
物語を視覚的に楽しむといえば、目で読むのだから当たり前なのですが、そう言葉にするのが相応しい怪談というふうに感じました。
象徴的に描写される凌霄花の燃えるような赤など、描写が鮮明で生々しく風景が浮かぶようであることが一つ。
また、物語に意図的につくられた空白によって、すうっと目が寄せられて、視覚的に読みやすいということと同時に空白に何か意味を見いだしてしまう不思議な魅力がありました。
非常に巧みな組み上げられた文によって、主人公の思考を自分が追体験しているように感じられ、彼が見たものがそのまま自分の頭に焼き付き、不思議な心地に落ちる魅力的な怪談でした。
夏には陽炎が浮かびます。子供は近づこうとしますが無理な話です。遠くにあって思うものです。
その家はあまりにも生々しかったのです。壁から屋根を覆い尽くす凌霄花は燃えるが如く。その少女はあまりにも生々しかったのです。過去の受難を身に刻んで出逢う者に見せつけて。
しかし何故かしら幻であることを少年に気取らせていて。人世を離れた絢が故に、物を知らぬ少年にも気取るところがあったのでしょうか。
あれは幻だった、そう言えば終わるかと思えど、終わらぬのです。
形あるものは崩れれば消えますが、幻は消えても瞼の裏に昔のままに。
その消えぬ幻は読者にも残ります。
あの日の蝉時雨と、眩しすぎる夏の光。
そして──赫々と咲き乱れる火焔のような花々。
迷路のような路地を抜けた先で、少年は出逢う。
白いワンピースに身を包み、遠くを見つめる少女。
彼女の名は、ミチカ。
言葉少なく、昏い瞳をしたその少女は、
まるで炎のように鮮烈で、同時にどこか透明だった。
火事で家を失い、母親を看取り、心にも身体にも火傷を負いながら、
それでも静かに笑う彼女に、少年は次第に惹かれていく。
彼女の家に絡みつくのは、蔓に咲く赫い凌霄花。
まるで失われたものすべてを抱くかのように、
屋敷を覆い尽くし、夏空の下で燃え続けている。
これは、ひと夏の出逢いと、ひとつの別れの記憶。
それは夢だったのか、現だったのか。
季節が巡るたび、少年は思い出す。
あの家の炎よりも赤く咲いていた、あの凌霄花を。