この作品は「人には言えない特技」を持つ男の人生を垣間見れる、良質なヒューマンドラマシリーズ、「スー」三部作の結びとなっています。
第一部は1,000文字、第二部は3,425文字となっており、気軽に読み進めることが出来るので、是非そちらも御一読頂く事を推奨致します。
第二部まで読み進めたあなたはきっと、この「サイエン スー」を読みたくなっている筈です。
前置きはここまでで、これからはこの「サイエン スー」についてのレビューです。
作者様の深い知識から生まれたのだろう独特のセンスが光る書き回しや、ルビ芸、そして突然挟み込まれる神(作者)から語られる視点、途轍もなく重厚で質量すら感じるほどの文章は、きっと読み手を選ぶのかもしれません。
9,990文字という、前二作の倍以上と言うボリュームのこの作品は、このレビューをお読み頂いているあなたが思っている以上に硬派で、途方もない苦難を与えてくるかもしれません。
それでも、あなたはこの作品を読み切るべきです。読了後の爽快感は、きっと思いきり
「アレ」を捻り出した時のことを彷彿とさせることでしょう。
私の様な活字中毒者には、叩きつけられた挑戦状にすら感じられました。
元メジャーリーガーの言葉を借りるとすれば「ほぼイキかけました」です。
もし、このレビューを見て頂きご興味をお持ちいただけたのであれば、作者様のお名前をクリックした後に、「サイレン スー」を見つけて頂き是非お読み下さい。そのお手間に見合った体験が出来るはずです。
素晴らしいヒューマンドラマを見せて頂いた作者の青山 翠雲様には感謝を申し上げます。
以下は、この作品に対して大して役に立たない私の感想を書き散らしていきます。
只の独り言で御座いますので、ここから先はお読み進めて頂かなくても結構です。
と言うか、作者様に読まれてしまうと怒られるのではないだろうか。とか、思いながらPCのメモ帳に書き進めております。怒らないで下さい。先に言っておきます。ごめんなさい。
まず、カクヨムのレビューの最大の文字数ってどれくらいなんだろう?
そんなことを考えざるを得ない作品であった。だから、全力を出していきたいと思う。
この作品は例えるなら、家系ラーメンだと思っている。いや、正しくは、私は生まれてこの方一度も食べたことが無いので、只の思い込みやイメージだけの(妄想)家系ラーメンである、と言った方が正しい。不快な思いや、それ違うよ等と言ったツッコミは私の妄想であることを加味してご容赦頂きたい。と言うか、この辺りを読む人がいないだろうことを想定しているので、きっと多分、めいびー大丈夫だろう。
この(妄想)家系ラーメンはとんでもないボリュームを誇っている。だが、勿論一つ一つの具材は文句が無いほどに一流の味付けになっている。だが、その具材一つ一つが兎に角「これでもか」と言わんばかりに盛り付けられている。見たことも無い具材を見つけるたびにGoogle先生に確認に行くために、食べ切るまでには相当な時間を要した。
正直な所この(妄想)家系ラーメンを完食出来た人は、全て☆を置いていくことを義務付けた方が良いと思う。それほどまでに、途中でギブアップを思い浮かべる場面があった。だがその度に鉱山を掘り進め発見した、まるで宝石如き味変の具材が現れるのである。
くそう、これだからやめられねぇんだ。(妄想)家系ラーメンを食べ進める隣の客の声が私の耳には聞こえてくる。
まずもって、現れる具材のジャンルがおかしいのだ。どいつもこいつも濃いめの味付けで現れることには違いないのだが、ラーメンの中から突然刺身が現れたかと思えば、フルーツが姿を現す。一見すると「そんなもん入れるなよ!」とキレそうになるのだが、口にしてみると案外イケるのである。具材の中に更に具材が隠されていることもあるほどだ。なるほど、これが一流の職人の仕事かと思わされる次第であった。チーズインハンバーグって考えた人天才だよね。私はチーズは苦手だけど、画像の吸引力は本当に凄い。食べれないのに美味しそうに見えるもん。
そうして長い時間を掛け、まるで喫茶マウンテンの登頂に成功した時のような(勿論妄想)読了後のカタルシス。きっと(妄想)家系ラーメンを初めて間食した人達の満足感はお腹の具合だけではなく、それを完食したという自分自身の精神的成長すらも、最高のスパイスの一つになっているのだろうと私は妄想してしまう。
そして、この「サイエン スー」の最後を結ぶ言葉が、作者様から私達にもに向けられた言葉のように思える。そんな一寸良いことを言ってみる。
だから、このレビューを怒らないで下さい。お願いいたします。
そんな締まりの無い、Non Gifted Talentな私の拙いレビューを閉じようと思います。
もし最後までお読み進めて頂いた方がいるのならば、お付き合い頂き有難う御座いました。
※もしこのれびゅーだめだったらごれんらくをください……。
この作品は三部作の帰結章であり、「放屁」する男の物語なのです。
――実にくだらない――
そう思いでしたら、静かにお戻りになるのがよろしいかと存じます。
本作を含み、以下にご紹介する三篇を持って語られるのは、放屁する男の日常でしかございません。
それが壮大なる叙事詩となり得ている事を知らずとも、何一つ差支えはございませんもの。
既に珠玉のレビューが数多寄せられております。
ここでは本作の経路をご案内いたしますがてら、通読なさるお時間に相応しい曲を持ってご紹介いたしましょう。
先ずは、第一部作
『サイレン スー』
https://kakuyomu.jp/works/16818792440745338406
リンクに飛べます事を期待いたします。
掌編として楽しめる作品に、お勧めいたします曲はこちら。
【Mozart - "Leck mich im Arsch" -】
モーツァルトの小曲です。
2分半ほどの調べに乗るうちには、十分に読み終えることが出来ましょう。
この後に、第二部作
『バイオレン スー』
https://kakuyomu.jp/works/7667601419830572767
第一部より少々ボリュームはありますが、短編として軽妙に読める作品です。
こちらでお勧めいたしますのも、やはりモーツァルトより。
【Mozart -"Leck mir den Arsch fein recht schön sauber” - 】
かの天才による遊び心が、この現代に至りまして、このように共鳴するとは。
まさかと運命すら感じるものがございます。
曲のタイトルを和訳しろとは、どうか仰らないでください。
それを「粋」とは申しませんからね。
お待たせしました。
最後に第三部を飾ります本作です。
お勧めしようかと思う曲は、他にもありましたが……
折角ですので、モーツァルトに合わせましょう。
【Mozart - "Symphony No.41 C-major" - Jupiter - 】
本作は短編と言えど、1万字に届く作品であり、
且つ、先にご紹介いたしました作品と響き合う仕立ては、交響曲がまさに相応しい。
ましてや、木星は巨大なガス惑星でありますからね。
ご紹介いたしました曲は全てYouTubeにて視聴することが可能ですので、ご安心ください。
それではご準備よろしいでしょうか。
「芳香なる放屁をする――この人を見よ」
この叙事詩を彷徨した旅人(いや、勇者というべきか)のみ
ヘリウムを吸い込んだ如き高笑いと、意味不明な高揚感に浸れるのです。
一見すると不条理で荒唐無稽な
「屁」の物語に過ぎない。
だがしかし!
その根底には、人生の苦悩や葛藤、
そして何よりも妻への
深い愛情が流れているのだ!
自らの唯一無二の特技を失い、
社会的な生命の危機に瀕するも、
時代の変化に救われ、
最終的には妻との絆に
自己の存在意義を見出す。
この語り手の姿は、
私たちの日常に潜む小さな喜劇であり、
人生というものの滑稽さと
愛おしさを教えてくれる。
無駄な時間、無駄な思考、無駄なオナラ.......
それらすべてが、
愛する人との間に交わされる言葉によって、
やがて何かを創り出すエネルギーへと変わる。
そう、
まさにこれが、これこそが!
無駄なことばかりを追い求めているようで、
実は人生で最も大切なものを見つけようと
藻掻く、我々自身の物語なのかもしれません。
かつてウンベルト・エーコがその著作『薔薇の名前~der Name der Rose』の中で修道士に語らせた言葉:「人間は糞尿の袋である」という言葉は、しごくまっとうな意見であり、その ”臭い袋” である人間に穴がある限り、サイレンサー付きでも無しでも、ヒューマンガスは発生するのだ!!!
この高濃度ヒューマンガスを社会で有効活用するには、これを辞世の句として美しく自死するには、はたまた自分が屁による世界最終兵器となりうるのか、など、目くるめく哲学と理想論が展開され・・・しかしそんな妄想も理想論も、みんなひっくるめてリモートワークという物理的変化によってなりを潜めてしまった。
莫大な妄想エネルギー <<< リアル環境
いや、リアルに適応するために、屁から生じる莫大な脳内エネルギーが ”屁理屈” という名の家庭内トークへと小さく変化したのだ。これは脱帽である。
エネルギーがこんなに小さく濃縮されるとは・・・いずれ ”核爆発” が起きるかもしれない。
スー三部作のラスト!ピンチに陥った主人公を救ったのは⁈
サイレン・スー、バイオレン・スーに続く第三弾。
これは第一弾から読まないと意味が無いので、絶対に第一弾から順番に読んでください。第一弾は1000字、第二弾は3500字くらいです。今すぐ読みに行くべし。
そしてこの第三弾では、まず、せっかく天から与えられたスーの有効活用方法を論じてます。そう、ただ述べているのではなく論じているのです。
その壮大なる論点にただただ驚かされる事でしょう。
そして、主人公はとある病気に罹ってスーの能力の一部に欠陥が生じます。大ピンチです。
それを救ったのがアレです。
そして物語は、主人公がスーの能力で手に入れた大事な人への愛溢れる素敵なラストで締めくくられています。
第一弾も読んでいない方は、この文に???となっている事でしょう。“スー”って何?
さぁ、第一弾から読み始めましょう。青山さんの理路整然とした文章がスーの世界へあなたを誘います。