2005-01-20 裁判所乱発問題を考える
■ 模擬裁判なのか民衆裁判なのか人民裁判なのか
「当代江北日記」さんが、1/19付けで、問題となっている団体VAWW-NETの声明について、「これでは「模擬裁判」と「民衆法廷」の本質的な区別についての説明になっていないと考える」と表明され、英語版では、模擬裁判という表現が使われていると記されていた。
http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20050119
私の疑問はおそらく「当代江北日記」さんとは違っているんだろうと思うんだが、私もこれらの語の使用については気になっていた。
(1) 日本語でさんざん「民衆法廷」と書いておいて(あるいはそう広報されている)、英文になったらmock trial 模擬裁判とはこれいかに?
(2) 民衆法廷と人民裁判は違うのか?
これが私の疑問。
どこから行っていいのかわからないので、とりあえずwikiでは、主催者は「民衆法廷は平和運動や反戦運動の一環として開かれるので、騒乱状態で多数者が法律によらずに少数者を私的に断罪する人民裁判とは区別されるとしている」のだそうだが、人民裁判と同じじゃないかと言う人もいる、だから報道機関などは「民衆裁判」のように、「 」をつけている、と説明されていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E8%A1%86%E6%B3%95%E5%BB%B7
私は、どちらも、people's tribunalか、courtあたりかなと漠然と考えていて、つまり等価と捉えていた。不勉強なのかしら? 英文のwikiには、このどの組み合わせもない。
ちなみにしばしば言及されるラッセル法廷は、Russell Tribunal。これは知っていた。
wiki、英文は、
http://en.wikipedia.org/wiki/Russell_Tribunal
本論からはずれるがラッセル法廷と今回の法廷を一緒に語るというのもなぁ・・・ではあると私は思う。あの場合、現に今起こっていることに対して反意を収拾し、人びとのアテンションを引き起こす、デモンストレートするためにやっていることがはっきりしてたわけで、だから誰でもわかる通りの政治活動だったわけだ。対して今回のは・・・まぁ、同様に政治活動だというのならそれでもいいわけですが(であれば公共放送に何用あって問題が紛糾、と)。
で、wikiに戻って、ラッセル法廷はアメリカからはshow trialと呼ばれた、とある。そのshow trialを見ると、しばしば独裁体制下で行われ云々、弁護側は殆ど自己を正当化する機会は与えられず云々、有名な例として大粛正時代のモスクワの裁判と、ようするに「見せしめ裁判」という感じか。でもラッセルは別に見せしめじゃないからこれではおかしいので、「見せる裁判」か。(英次郎には、「世論操作のための裁判」と、あはは・・・。
ま、もちろん、それはアメリカの視点だと言ってもいい。アメリカは人民共和国系の発祥の地のようなものだとも言えるがここ数十年は、裏はともかく公式な敵だ。誰も違うとも言うまい。ラッセル裁判は、Possible show trialの中に括られている。
Show trial
http://en.wikipedia.org/wiki/Show_trial
ではそのmock trialはといえば、これは完全に、「模擬」のことだと扱われている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mock_trial
この状況から考えると、日本語の文言で「民衆裁判だ」と言いながら、英語では「模擬裁判」です、というのは、テクニカルには間違いではないが、主意としては微妙だ。
左派のガーディアンはこの「裁判」についての2000年の記事で、
People's court indicts Japan's late emperor for war sex slaves
http://www.guardian.co.uk/international/story/0,3604,408940,00.html
「People's court」という語を使っている。
と、なかなか刺激的なタイトルだがそれはおくとして、文中では"people's tribunal"と使用。
The Women's International War Crimes Tribunal は、バートランド・ラッセルとジャン・ポール・サルトルがベトナム戦争中に米国の行動に抗議するために組織したhearing(公聴会)をモデルにしている。
これには法的な権威はないが、主催者は、このmock trial 模擬裁判が1948年に結審した東京戦争犯罪裁判が残こしたギャップを埋めると言っている。東京戦争犯罪裁判は天皇の罪、あるいは性奴隷について触れていない。当時、冷戦の同盟としての日本を必要としていた米国は、これらの問題は提示するにはあまりにも政治的で文化的に敏感だとみなした。
(川上暫定訳。原文気になる人はみにいってください。載せるの長い)
つまり、英語あるいは英語圏の了解としては、形態から見て模擬、主意から見てpeople's tribunalってところと考えていいのだろうとみえる。(1)は、だからトーンダウンに見えるだけだが、それでいいならいいかだが疑問点は残る。ガーディアンの件などはいいが、詳細がない場合はやはりmock trialと言われればそれぞれの国でのスタンダードたる検事がいたら弁護人がいてという形式をまず人びとは思うだろうが事実は違うというところ(その意味では、厳密には模擬とは言わない、かもしれないわけだ)。
では、戻って、(2)の「人民裁判」と「民衆裁判」の意味の違いはなんなか。どうも英語圏了解の中にこの語に差異があるとは見えない。どっちも、peopleじゃないかとみえるから。実際、日本語で「民衆裁判」と言っていたそれを描いた、決して志向的に敵対してはいないだろガーディアンが上のようにPoeple's courtと呼び、そうこられたら普通の日本語環境では多くの人は「人民裁判」と訳す慣行は存在する。
courtとtribunalについては本筋に関係ないので飛ばして、参考までに。
"people's court" の検索結果 約 127,000 件
"people's tribunal" の検索結果 約 7,740 件
仕方がないので、日本語環境で調べる。
「あなたの疑問に答える民衆法廷Q&A;」
http://www.icti-e.com/index.html
A 民衆法廷をどのように進めなければならないという決まりはありません。民衆法廷自体、その歴史は浅いものです。ラッセル法廷、クラーク法廷、女性法廷という優れた前例がありますが、民衆法廷とはどのようなものであるべきかについてのまとまった研究も存在しません。
私たちイラク国際戦犯民衆法廷ICTIは、これまでの民衆法廷に学びながら、新しい民衆法廷運動を作り出すために試行錯誤を重ねてきました。その十分な結論はまだ出ていません。ICTIは、これまでの民衆法廷の系譜に連なりながら、新しい民衆法廷のモデルを提案しています。
新しい試みらしいです。
出どころは、The International Criminal Tribunal for Iraq イラク国際戦犯法廷、だそうです。
12月には、ブッシュだか小泉だかが有罪の判決主文(?)を言い渡されているそうです。
唐突に私の感想。
教室で職場でコミュニティで、年がら年中、小泉有罪、ブッシュ有罪が言い渡されているとします。それはそれで、ある一定の大人は理解するでしょう(たとえば主催者とか)。利口で怜悧な子どもなんてのも大丈夫でしょう。が、そうとも言えないかもしれない。人の感情というのは、ある時あるところで、集団で「有罪だ」と決せられ、さらにそれを見ていた、立ちあっていたら、それはそれで彼にとって現実なわけですよ。これを繰り返していたら、彼の、現実社会での価値体系と、自分と自分の回りとの価値体系は混乱しないのだろうか?
しかも、ここがトリッキーだと思うのは、こうした「民衆もの」(へんだが)の多くの場合「国際」が付いている。彼の体験した有罪判決は確かに「国際的」なのだ。ただし、誰が賛同しているのか実際にはよく知らなくても。
また、もう一つ指摘できるのは、「有罪」の連発は何を求めることになるのか、という視点を欠いたままこの語を語る人があまりにも多くなってきていることへの危惧。どうもこの2年間、「国際的に」ブッシュは戦犯なのだ、戦犯なのだという文言が多く出回るよなぁと思っているのだが、たとえば彼が「有罪」だとしてだから何なのだ? 有罪だったら彼は刑の執行をされるべきなのだろう。また彼が有罪だからこそ、大統領だって、へ、笑わせるぜ、なのだろう。しかし誰がそれを執行する? 当然authorityが必要なのだ。刑の執行人が。ではそれは誰なのだ? 世界人民政府はないのだ。しかも、もとより、その「有罪」は、日本教育会館でいつ行われたか誰が知っているのかよくわからない判決によってかもしれないのだが…。しかし、この状況に区別を付けることは、言論上、そして個人の感情上非常に困難である。
私はこのエントリーの入りが明らかにしているようにこの問題についてあまり真剣に考えたことはなかったが、この先は、これらの用語、構成を安易に使うことには反対しようと思う。また、報道機関は、せめて「民衆裁判」についての意味を解説してからこれらの問題を語るべきだと考える。
■ 国内産内外格差
Abe demands an apology
http://www.asahi.com/english/nation/TKY200501190137.html
Shinzo Abe, acting secretary-general of the Liberal Democratic Party, has demanded an apology from The Asahi Shimbun over a report that said he had pressed Japan Broadcasting Corp. (NHK) to revise a documentary about a mock war crimes trial.
現役の自民党の幹事長である安倍晋三氏が、戦争犯罪模擬裁判に関するドキュメンタリーを見直すようNHKに圧力をかけたと報じた朝日新聞に対して謝罪を求めている。
NHK lodges new protest
http://www.asahi.com/english/nation/TKY200501190134.html
NHK新たな抗議
NHKが報じられた内容は一方的で誤りもあるとして抗議している。
Asahi special page defends NHK story
http://www.asahi.com/english/nation/TKY200501190131.html
こっちは12日の記事について1ページに渡って自らの主張を擁護するために特別ページを設けた。
日本語版でいうこれ。
http://www.asahi.com/national/update/0118/004.html
そういうわけで、1日遅れで日本語版と同じところまでは「誠実にも」到達した、と。ということは、紙面からはどちらかがウソを付いているということになっている。
しかし、国内的にはウソでもない展開だとは言える(元ネタがウソだったとしても、展開自体は、という意味だが)。
が、この問題は、政治家が圧力をかけたか否かの問題「だけ」なのか(繰り返すが元ネタがウソでも)。
日本国内を見回せば、そうでもあり、そうでもないから人びとが騒いでいる。誰でも知っている通り、問題になっているのは安倍といえば北朝鮮の政治家だからだ。そして、本人の申し開きとしては、テレビで何度も北朝鮮について言及している。これが妥当か否かも問題だが、ともあれ本人はパブリックに大音量でそう言っている。だから日本の中の人びとは騒ぐのだ。
ところが、外から見た時にはそうは見えない。保守系の政治家が圧力をかけたという話が走り、その件で日本にはこの政治家を庇う人がいる、という話に落ちる可能性もある。
JAPAN: Abe won't testify on NHK censorship
http://www.asiamedia.ucla.edu/article.asp?parentid=19642
17日のJapan Timesの記事だが、これなどは、テレ朝に安倍が出たことまで書いてあるのに北朝鮮についての言及がない。あの番組のハイライトは北朝鮮への言及であったと言うことも可能だっただろうに。で、国内的にはあまり問題になっていない話、国会で証言するか否かに焦点が置かれている。日本にいて書いてるんでしょ、これ??
Abe made the comment on a TV Asahi program, saying that a report by the Asahi Shimbun was a "completely malicious invention" for claiming that NHK caved into political pressure from Abe to alter the content of the 2001 TV program.
そういうわけで、なんだかなぁ。内外の視点の違いがどうしたこうしたと長年言い続ける人は多いわけだが、その外の視点ってのも存外に国産かもしれない可能性は少なくともないとは言えない。
左派のものだってのは割り引いても興味深い記事の乗るイリギスのガーディアンなんか、なんだかなぁ、だ。Friday January 14, 2005の記事。続報はない。
Getting a bad reception
http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,7369,1390744,00.html
After almost 60 years in the business, Japan's public broadcaster, NHK, must have become accustomed to mixed reviews.
およそ60年続いている日本の公共放送NHKは、異なった視点からの評価に慣れなければならない、とそれはもっともなことで、まったくおっしゃる通りなのだが、こう書く時この著者が持ってるのは、NHKがestablishmentの視点だけを反映している、という前提なのだ。だからこそ、天皇ヒロヒトが有罪になった部分を落とし、性的奴隷の部分を削ったことを書いて、女性の権利団体のNishinoなる人の「NHKはジャーナリズムの魂を売った」なる発言がこの記事の中で生きるわけだ。
ところが実際には、確かに主催者にとって「大事な部分」が落ちたとはいえ、異なる視点から作ったプログラムを出したことから起こったわけで、さらにいえば問題になったプログラムに限らず、ETVは左っぽいというのはむしろ定説でもあったのじゃなかろうか(噂によれば左遷されたプロデューサーの吹きだまりになったから、という話もあるが)。
どちらかと言うなら、ないのは右だ。極端な右翼をまとめたものの方だろう。こっちも同等に出せ。もちろん、どれだけでも極端なものを表示することの結果が、多くの人はそのどちらにもいかないという結果になるのか、とてつもない変動が起こるのか、それはわからない。(私は当然前者を希望し、かつ信じているものだ) しかし、隠しておくことで、どちらかが不必要に大きく見えたり、神秘的(笑うが)なまでに大きく見えたりするよりはいい結果を生むし、人びとは自分の判断に責任を持たざるを得なくなるという意味でもいいと私は考える。
ま、テクニカルには、その時、公共放送が右翼の主張を流したとかいう英文の記事が出て、ガーディアンが軽卒なまでの早さで、軍国日本の見出しを踊らせないことと、それに即答する日本人の自称リベラル、私の個人的な判断ではただの「走りネズミ左翼」が、国際的に大変なことになっていると騒ぎ出すというクローズドなサーキットへの参加者が可能な限り少ないことを願うばかりだが。
■ 朝日新聞が週刊新潮の広告掲載拒否…NHK巡る記事で
朝日新聞はどの面下げて表現の自由を主張する?
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000438.html
gori氏はストレートに突っ込んでいらっしゃるが、私は笑わしてもらった。
新潮はこうやって朝日に拒否された、ってことで、広告費用タダでかつてないほど宣伝してもらってる。今ごろ増刷してる、きっと。
■ 74年の朴大統領暗殺未遂「文世光事件」
韓国、対日断行も視野 74年の朴大統領暗殺未遂「文世光事件」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050120-00000030-san-int
「文世光事件で日本と対立 断交直前に妥協」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/01/20/20050120000017.html
盧信永(ノ・シンヨン)当時外務次官は事件発生一日後の74年 8月16日、駐韓日本大使を外務部に呼び、日本の関係当局が文世光に吉井行雄名義の日本のパスポートを発給した経緯に対する日本政府の公式解明を要求する一方、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の金浩竜(キム・ホリョン)大阪生野西支部政治部長など日本国内の共犯に対する徹底的な捜査を促した。
日本側の捜査が期待に及ばず、国内の反日世論が激しくなっている中、木村・当時日本外相は8月29日、参議院で「韓国に対する北朝鮮の脅威はないと理解している」と発言、更なる国内の反発を買った。
# 道産子 『「民衆法廷」を英語でなんと言うか。
私はこういう疑問を考えもしませんでした。
とても面白い視点ですね。
法律に依拠しないと宣言しているのに、「法廷」や「裁判」という言葉を使うことにのみ疑問を持っていました。』
# Soreda 『どうも。道産子さん、寒いところの方でしょうか。そうだとうれしいなぁ。仲間が増えたみたいで(笑)。
それはともかく、英語で何と言うのか、ということでもありことでもなし、かと思います。読み手にとって「触り」のない方向で語彙をチョイスしている姑息さがただ見えるという話かと。これによって、人民裁判が持ち得る可能性に気づかずに、それとは知らずに彼らの取り組みから政治性を抜いた部分だけを注視する結果になった人もいなくはないのではなかろうかなど思うわけです。』
# serena 『こんにちは。
こちらは当事者であっても、副題’A Hearing’ですね。
http://www.brusselstribunal.org/DossierBRussellsTribunal.htm』
# Soreda 『serenaさん、こんにちは。ナイスなフォローありがとうございます。
彼らがやったことの意味、意義の第一はある事件に対しての異論を収拾して提示したということなんだと思うんです。「判決」じゃなくて。対してこの頃の「裁判」好きな人たちは有罪をあたえることであるように私には見えます。ですので、やっぱりこれは極めて普通の理解での人民裁判的な発想なんじゃないですかね。語るに落ちたというべきかと考えます。』
# 道産子 『札幌なので寒いことは寒いですが、カナダ(でしたっけ?)ほどは寒くないですよ、ご自愛下さい。
名は体を表す、というか、名は願望を表す、ですね。
日本語の「裁く」という言葉は、勿論中立的な意味もあるのですが、「悪を裁く」のように裁かれる方が「悪」という前提があるように思います。英語だとどういうニュアンスの違いがあるのでしょうか?
「裁判」「法廷」も訴えられた時点で「悪」のような気がしますね。良く考えるとおかしい事にきづくのですが。
「火の無い所に煙は立たない」といいますが「嘘も百万回言うと、真実になる」という言葉もありますね。』
# 恥辱の殿堂 『ども。Soredaさん。初めまして。ども。月刊『潮』にこんな記事がありますよ。ども。「常習的名誉毀損、人権無視、捏造疑惑……三年余で二九回も敗訴した」(http: //www.usio.co.jp/html/topics/usio_view.php?lcd=27)。このレポートは、創価系雑誌の記事を読むとひきつけを起すという人でない限り、『潮』の主張は割り引いても読んで損はないと思うんですが、Soredaさんはこの記事を読んでどのようにお感じになりますか?ども。』
# 恥辱の殿堂 『Soredaさんども。そのURLをコピペしてもエラーが出ますね。ども失礼しました。ども。
http://www.usio.co.jp/html/topics/usio_view.php?lcd=27
ちなみに『週刊新潮』に関する記事です。ども。』