2005-01-27 時はとまらない
Sudan accused of bombing civilians in Darfur
http://www.cbc.ca/story/world/national/2005/01/26/darfur050126.html
アフリカンユニオンによれば、ダフール[以下初稿アップ翌日ダルフールに統一]南部で、市民に爆撃を行ったとスーダン政府が責められている模様。で、現状、アメリカとUN安保理がダルフール地区での戦争犯罪容疑を裁くための法廷を設置したらどうだろう、いやだよ、で揉めている;よく知られたハーグの国際刑事裁判所は昨年からジェノサイド、人権侵害にあたる個人を裁くための刑事裁判所を常設しようとしている;が、アメリカはこれだと自分んちの海外にいる兵隊さん(だけじゃないだろうな)に問題が起こるであろうと身をそらしたまんま、ヨーロッパ人たちは、同じ目的で別の法廷なんて駄目だわ、と言い張っている、と記事は手短かにまとめている。
昨日のGlobe and Mailでは、カナダの国連関係者の意見として、国連改革とかいろいろ言うけど、国連ってのをアメリカの単独主義(unilateralism)を牽制するための役割にするってのは間違いよ、もちろん、共和党に代表されるアメリカの、国連は機能してないじゃないかってのも駄目、彼等は国連のスタッフが機能している部分をちゃんと見てないわ、と書いていた。
両方ダメってじゃあどうするんだ、なのだが、この話は、そういうことじゃなくて、国際協調主義(multilateralism)の方が自国の安全保障にも効果的なのよって説得しないとならないのよ、と続けていた。
カナダの正面とでもいうべきアイデアかもしれない。反米じゃないけど、イラクに行きませんってのとちょっと似てて、カナダが主体的に何かを決定するという場合にはこれでいいのだが、ではその一方でサダムが狂人/独裁者であるが故に困ってる人々がいたらそれを見逃すってのはダメでしょ、になって、結局国連の機能を強化しないとならないよな、に落ち着く。
UN should reform to be more effective, Canadian official says
そういうことになる。もっと効果的に改革すべきだ、と。で、現在はダルフールなどの問題を見逃せないんだから、揉めてる場合じゃないということになるし、それはそれで全く正論なのだが、もしその正論を押し進めようとしたらどうしたらいいんでしょう、で手づまりになる。
理論的な帰結としては、国連に即応できるフォースを持たせるってことになる、かな、でもあるんだろうが、ともあれ、ここでは、国連改革案の一つとして、昨年出ていた元タイ首相アナンド・パニヤラチュン氏をはじめとした委員会が提出した報告書に言及している。テロリズムの定義をはっきりさせて、紛争における国連の介入のガイドラインになるものを作り、核、生物化学兵器の拡散を取り締まる安保理の能力を高めよ、というもので、さらに安保理内に「平和構築委員会」なるものを作って、国家公開の危険性のある国々を特定して、IMF、世銀と一緒に反転のためのアシストを提供しろ、とも勧告していた。
この報告書の評価がどうなったのか私は知らないのだが、まぁとにかく、予防戦争具体版みたいではあった。
そういう報告書がだからどうなっているのかもよくわからないのだが、なんせこの記事では、ここからの数カ月間に対応できなかったら国連が死に体になるというだけでなく、平和と安全に関する大事な問題に取り組む能力を失っていってたよりなくなっていく危険性があるんだ、とこの国連関係者が言っている。
これもまた関係あるのかないのかはわからんが、ここにきて、uniとmultiは、単独と国際協調という意味を強調した字面ほどには乖離していない事態になってきていることをどう理解したものか、あるいは議論に吸収させるのか、あるいは、見過ごすのか、も問題といえば問題かも。uniの大将も、multiの信望者も両方が、自由を広げること、または自由と民主主義は大事だ、という大義は一緒だ、いやもともと一緒だったがさらにそうなったではあるんだが。
皮肉なことを書いているわけではないのだが、まとめようとするとどこかに陰謀論への反論を取り込まないと書けないみたいな、なんとなく難しいテーマだ。私の能力が足らないからではあるんだが。
■ 国籍条項と私
「哀れな国」痛烈に批判 原告の鄭さん
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050127k0000m040077000c.html
前にもさんざん書いたのでまたかという気持ちで見た。
国籍条項が必要な職種はあるのだし、それによって職業上の制限を受けるのを「差別」とは呼ばない、と言うべきだというのが私の考え。
で、思うのは、誰か彼女にとって重要で親密な人が、そういう仕事につきたいのなら国籍を取ったらどうだろうと言わなかったのだろうかということ。
でもって、国と国民と民族の関係が適度に理解された後に、それを大枠として、地方やら都市やらが独自の原理原則を考えてその土地やら地方、人口配分やらに応じた、特定の意味の「在日」ではなくて広い意味での在日外国人とプロパーな国民との間の差異を条件に応じて外す、ってのがここから世界が向かうトレンドっつーもんだろうと思う。
が、いつまでもそれに乗り出せない。なぜなら、その根本的な関係を了解しあわないことを是とするかのような人々が、よりによって大メディアのような影響力の強いところにいるからだ。壁になってんだよ、あんたら、だな。
私はここで永住権を持つ文字通りのガイジンなのだが、自分でその立場になってこうした日本の問題を見てしみじみ思うのは、一体誰なのあおってるのは、ってことにつきる。まず、この立場であることを抜け出す道が提供されていて(つまり市民権取得の道がある)、それにもかかわらずそれが嫌で、その上でカナダなんか大嫌いで、この差別大国を見返してやろうと意図して、さらにこの差別は人道上問題だとここの裁判所に訴訟をかけようとしたら、私に付く弁護士はいるんだろうか? あなたのしたいことがわかりません、と言う以外に誰も持つべき言葉がないと思うんだが。また、「哀れな」カナダ、と原告の川上さんが泣いている図を新聞が1面に持ってくるのか? 想像できない。
ってか、泣いてる私を見た人の多くは、市民権、またはnaturalize帰化を選択したのに落ちた、その手続きに差別があるのか、それは大変だ、よし応援するぞといった展開になるじゃないかと思う。そこで、いいえ、私はこの国が大嫌いだからそんなものはいらないの、とか言ったら…。う〜ん、どうかなぁ。I know....だけどね、仕方ないよね、仕事上の優先権は市民権のある人にあるからね、私だって悩んだんだよ、でもね子供もいるし、両親にもっと広い部屋をと思ったら私に残された道はこれしかなかったのよ、みたいな話を延々繰り返され、しまいにはここではしばしば起こるのだが、故国が一体どんだけ大変、ひどい、危険、貧乏、不潔、戦争ばっかり云々だったかをもうお願い勘弁して、またこの次の機会に…というまで聞かされるはめになる。ま、そんなところになることが予想される。
で、多分ここにいるS.Korea、つまり韓国人も同じだろうと思うんだな、この件について。もちろん、でも日本だけは違うと言い立てる人がいるかもしれないが、それも、なんつーか、私とその人のマンツーマン、あるいは対日本人だけ、という状況なら言えるだろうが、そこにカナダ人でもアメリカ人でも、インド人でもアフガニスタン人でもイラク人でもイラン人でもポーランド人でもがいた場合、その韓国人のクレームが了解されることってないと思う。
そのうちきっと、南のコリアあたりの人から、日本人はコリアンを馬鹿にしているのか、コリアンは国家を理解し運営できない人々だとでも思っているのかといったクレームが付くんじゃないのか。宛先は毎日、朝日と教えておこう。
非常に理解しやすかったのは、この方のエントリー。
法的にどういう手順または論理でさばかれたのかをわかりやすく解説されていた。
予習! 在日韓国人が公務管理職就任を拒否された事件
http://miso.txt-nifty.com/tsumami/2005/01/post_1.html
[翌日追記]
これだけ一般人を起こらせる会見ってのも珍しいんじゃないのかな。今まで、まあいろいろあるし、と静かに見ようと思っていた人まで怒ってる気がする。これが狙いなのか、こうやって怒らせることがと別の筋を考えたくなる。ともあれ、gooには、「哀れな国」で検索した結果なるページが立っていた。
■ 「世界中に言いたい」なら言ってみて
goriさんのところに会見の写真がテレビのテロップ付きで出ていた。ようやく現状に追い付く私。怒るよなぁやっぱ。ってかさ、
もうあきれはててここまでひどいとは思いませんでした
人間として扱われない
涙も出ない、笑いが先に来る哀れな国だ
言ってもらえばいいんじゃないのか。世界中の人に。
でもって、世界中の個人にとって日本で働こうとする意図をこのおばさんのために遮られる必要性はまったくないんだが、そういう個人は個人の判断で動くものだといったコンセンサスが彼女には感じられない。そういう意味で痛いほど全体主義的で、しかも他力本願的。他力本願全体主義ってなんでしょう? 百万人が行くとも我行かん、みたいな決意はないんだなというのも哀れな感じがする。
あと、「日本は哀れだ」と断定するなら、日本でないところでの経験なりを根拠にしないと根拠がない。日本はAAAとBBBの点について比較した場合間違いだ、ダメだ、なんてこった、という批判なら喜んで受け入れなければならないけど、そういう経験ないんでしょ? だったら、こういう断定に根拠はないんです。ですのでこの作文法にも問題があるし、それは朝日以下の新聞も同じ。比較形式が適切でないのに「日本はAAA」といった表現を使うことに躊躇がなさすぎ。
つか、こういう発言が正面に掲げられる日本が私には哀れでならない。
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/000449.html
■ 国籍条項と私、それこそ私
どうなっているだろうと2チェンネルをのぞいたら案の定すごい早さでスレが動いていた。
その中で、私にとって国家の主権、選挙権の問題とはそうこの感じだなというのを発見。金美齢氏の記事。
「外国人参政権法案に私も一言」
http://www.kin-birei.jp/suggest/sankei/20001119.html
「日本と台湾の間で、もし戦争が起きるようであれば、私は台湾人として行動するから、日本の公務員になることも、統治にかかわる参政権を求める気もない」
日本で生まれた2人の子どもは、一人前の大人になった時点で、彼らの自由意志によって日本国籍を選択し、これを取得した。
彼らが名実ともに日本人に、それも立派な日本人になることを私は願っている。
だから、参政権を求めないことが、主権国家日本に対する礼儀であり、敬意の表しかただと思う。
私にとってこれは倫理の問題である。
戦争というのは文字通りの軍隊の戦争にかかわらず、経済でも情報でも戦争だと言い得る。普通の状況では単なるビジネスだわで通していいことだけだろうしその複合的な結果が日本国民の損になったとしても私にはそこまでの責任は取れない。これは日本国内にすむ日本人だって同じだ。
しかし、どれだけ両者のために善かれと思ったとしても、どういう成り行きでか、明らかにどちらかの国を利する可能性が高い状況に遭遇することはあるかもしれない。望むと望まざるとにかかわらず。その時、私はどこからどう考えてもまよわず日本を選択する。だから、私が日本国籍を堅持しそう宣言してもいることは、相手にはそういう最終決断を折り込んでくれというつもりだとも言える。その結果私はどこかで不利益を被るし、現にカナダ国籍ではないからとやんわりと断られたビジネスの案件もある(つっても弱小な話だけどね)。しかし私はそうすることが他者に対する礼儀でもあるし、私自身に対するそれでもあると思っている。
# 道産子 『最後のリンクも毎日新聞になっていますよ。』
# Soreda 『ご指摘ありがとうございました。速攻で直しました。どうもどうも。』
# ちょっと 『疑問に思ったのですが”Darfur”は日本では”ダルフール”と表記されますがSoredaさんはダフール、ダーファーと書かれていますね。海外では発音的にそういう風に言うのでしょうか?』
# Soreda 『こんにちは。ダルフールが統一表記のようだと気付いてはいたので直したつもりでしたが直ってないですね。失礼しました。darUfurUと読めばダーファーは無茶に見えますが、darfurを英語圏にいて見る/言うとこれをダルフールとは咄嗟には思いつかない…、ダーファーとかダファー、少なくともそうとしか聞こえずうっかりものの私はそう書いてしまう傾向があるということかと思います。日本語内での表記は外語処理の規則に乗っ取りダルフールで正しい感じはしますので異議を唱えるつもりはないです。』
# mus 『いろいろ巡回してたらこんなサイトもありました。ご参考までに。
http://korean3rd.seesaa.net/
http://d.hatena.ne.jp/lovekorea/』