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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
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2006年 【今月】
今朝のNHKに映っていた宇崎竜童と阿木耀子が二人ともまったく老けていなかったことに驚く。
本多勝一の例の本で、文章における形式上の「紋切り型」を執拗に責めたてていたのが気になる。たった今も使ってしまったぐらいカネゴンは紋切り型の表現が大好きで、隙あらば使ってみたくて仕方がないほどだったりするのだけど、なぜそんなに紋切り型がいけないのかが逆にわからなくなってきた。新聞記事で変に独創性を発揮しなくても、競馬新聞や株式新聞みたいに事実とデータだけ掲載していれば、紋切り型どころかどんな余分な文学的表現も入る余地はないと思うのだけど、そういうことを言ってはいけなかったのだろうか【砲撃目標おれカネゴン】。
「日本語は世界で最も美しい」「いやそういう考え方は間違っている」というやりとりはサインカーブ並に周期性をもって勃発するけど、単に日本には日本語にうるさい人が多いというだけだったりしたらどうしよう。もしかするとヨーロッパみたいにいろんな言語が入り混じっているところでは、滑らかな翻訳とかそういうものをはなから諦めていて、そんなものよりテレパシーの方が欲しくて仕方なかったりして。
文書化された世界最古のプログラムは何だろう。プログラムを「段取り」と考えれば、古代における祭祀の次第だったりするのだろうか。世界初の条件分岐は「凶と出た場合は乙女をいけにえにする」だったらどうしよう【それが趣味とはおれカネゴン】。
カネゴン実は風忍の漫画を笑いながら読んだことが一度もない(小池一夫ならあります)。今でも激しく真剣に面白いと密かに思っていて、風忍がひどく真面目な性格であることにも共感を覚えるのだけど、検索するとほどんどのサイトでネタ以上の扱いを受けていないのが心苦しい。もしかするとカネゴンが間違っていたのでしょうか【皆はとっくにおれカネゴン】。
山形さんが復活させたThe Skeptic's Dictionary 日本語版。
ドラえもんデータベース。このサイトでは他にもデータベース化が進行中。
町山さんの電波喫茶思い出話。この日記でも以前引用させてもらったことがありました。電波系という言葉を使ったのは根本敬が先か渡辺和博が先かという議論があったけど、渡辺和博が使った言葉は「毒電波」だったはず(本人の考案かどうかは不明)。そのタイトルで1980年に漫画を描いていたので。根本敬のデビューは1981年。
岡崎京子による引用・言及事例集。実は岡崎京子は読んだことがなかったりする。
MASTERキートン絶版の理由。アクセスが集中しているせいか重いです。
日本を次のように4つか5つに分け、成人したらどこに属するかを自分で決められるとする。ただし後からは所属を変えられないとする(自由に変えられるようにしてもいいけど)。
そして100年ほど経過したらどこが栄え、どこが衰えるのか、ちょっと知りたい。
# 伝説のごまたん 『電波系なら村崎 百郎氏を忘れてはいけないw』
# うりかねぐん 『そうでした。師匠の青山正明が亡くなったときにかなりしょんぼりしてたという話を何かで読んで、意外な一面を見たような気がしました。』