読売新聞[風刺漫画騒動]「『表現の自由』には責任が伴う」
2/11付け読売社説
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060210ig91.htm
風刺漫画という表現方法で、権力者や社会事象などを皮肉るのも、
報道の範疇(はんちゅう)だろう。だが、それによって、敬虔(けいけん)な
信仰心を傷つける権利までは、表現の自由にはない。
欧米の一部メディアが勘違いしているのは報道の自由を無条件の権利
と勘違いしている点と言える事でしょう。勿論、我が日本の一部メディアも。
特にイスラム教は世界3大宗教の1つで有り、その信仰は尊重されるべき
ものであります。さもなくばキリスト教が否定されるといった本末転倒な事
に成りかねないからです > 欧米社会
ムハンマドの風刺漫画が、偶像崇拝を禁じるイスラム教世界でどれほどの
怒りを買うか――。想定もせず掲載したとしたら、ユランズ・ポステン紙は
「無理解」「無責任」のそしりを免れまい。
風刺漫画を転載した仏、独など欧州のメディアにも、共感できない。
イスラム社会の反発を拡大する結果となった。
報道の自由と称して、他国の宗教観であるとか表現を否定するのは
余りにも傲慢なのではないか。尤も、こういった傲慢な表現に対し、
テロ行為を行うのは論外ですが、逆に言えばこういった驕り高ぶった心
がアルカイダなどのテロ集団を援助し、テロ行為への動機付けを助長
するものでは無いかと。はたしてテロ集団を挑発するのが正常な報道
だと言えるのか?自由と放漫を履き違えているのではないか?
私めは一部メディアの心得違いを大いに懸念するものであります(__;)
今回、英国と米国の有力紙は、漫画の転載を控えている。
米英の有力紙の判断は正しいと私めは考えます。
何故ならば、イスラム教徒の抗議は決して間違いでは無く、もし、掲載すれば
イスラム社会内のテロリストが「ムスリムの大義」を得たとして言論機関などに
テロ行為を助長するのは目に見えているからです。奴等にテロ行為を正当化
させてどうするのですかと(ー_ーメ) > 風刺画を掲載した各国マスゴミ
ブッシュ米大統領は「他者を思いやる責任」という言葉を使った。
山内昌之・東大教授は、本紙への寄稿で「日本人なら『たしなみ』という
言葉を使うにちがいない」と述べた。文明社会のマナーと言うことも
できるだろう。
どれも、表現の自由と、他者の権利、価値観との調整に必要なものである。
権力介入や自己「検閲」とは全く違う。
「他者を思いやる心」は報道機関に限らず私たち自身にも必要なことです。
「たしなみ」はそれこそ文明社会的な心得で有り、暴力に決して屈しない為
に何らかの大義を得るのに必要な知恵でもあります。万が一、暴力を行使
するにしても大義があるのと無いのとでは味方に出来る人数が断然違います。
そういうしたたかさも必要でありましょう。あと、権力介入とか自己「検閲」を
朝日新聞の周辺は勘違いしているのが目立ちますね。先のエントリーで
触れた今日の朝日新聞社説は典型的な悪しき一例でしょう。政府自民党を
敵視する余り、報道機関の存在価値を失いつつある事をも示しています。
いたずらに他者を傷つけることだけが目的のような無責任ジャーナリズムは、
私たちの周辺にも数多く存在する。記事などが問題化すると、決まって
「表現の自由」を持ち出して言い逃れしようとする。自ら「表現の自由」の
価値と意義をおとしめてはいないだろうか。
こういったセリフを何故昨日産経新聞社説子は言えなかったのか。
尤も朝日新聞は論外ですが。文藝春秋でさへ「言論の自由」「表現の自由」
を持ち出して言い逃れする悪しき風潮が目立ちます。況や他雑誌や多くの
新聞社は。勿論、読売、産経両紙と言えども、ここんところは自己批判と
自己反省が必要なのは言うまでも無いことでしょう。
私たち読者やブロッガーも表現に対する責任を心得るべきでしょう。
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