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セカンド・カップ はてな店 - ちょっとしたこと(2)
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2005-11-27 ちょっとしたこと(2)

レガノミクス、あるいは新自由主義インストールによってアメリカは所得格差が拡大した、貧富の格差が大きくなったという説に対して、私は、それってなんか違くないですか、とおととい書いた。多分そうだろうと思いつつ特に調べてもいなかったのだが、はたと土曜日のお昼時のテレビで(テレビばっかり見てるみたいだが、実際この頃TVOというチャンネルにはまってる。テレビオンタリオという教育テレビ)、夏頃にあったレクチャーを流していた。グローバリズムの好意的な面を見ているエコノミストと、真反対に、この傾向はいかん、という労組の代表のようなアメリカ人のどっかの大学先生なのかな、というプロフィールのおじさんの対論だった。


その中で、その先生おじさんが、何度も「ドットコム・ブーム以降」という言葉を言っていて、なんか懐かしい気がするなと思った。で、そう、所得格差がどうもならんほどに広がったと人々が騒いでいるのは、昔がどうのというより、なんつってもこのドットコムの時だったよなと思い出した。そう、クリントン時代。


で、まぁ、新しいテクノロジーが出てきて古い産業は人を必要としなくなってきてあっちでもこっちでも雇用が切られてる、こんなのってないじゃないか、3つも4つもいつ切られるかわからない仕事を持って生きる、自分の時間がない、こんなのってなんだ。そもそ仕事ってなんだ、仕事とはポジションだ、その仕事をしていけば自分なりの慎ましやかで豊かな人間的な幸せな(以下任意に)生活ができる、こういうのを追求すべきなのだ、と労組おじさんはいい、エコノミスト氏は、新しいテクノロジーが新しい仕事を作り出しているじゃないかと反論。

しかし労組氏がいうには、78年だったかそこらからで800万人、2000年からで300万人(この数字は聞き間違いかもしれないし、そもそもどういう統計なのか不明な言い方だったので、大きいという以上の意味はないと思って読むしかない)が切られてる、それに対してドットコムが生み出したのは300万の雇用にすぎない。全然あってない、と。


多分そうなんだろうなと思うし、それ以上にアメリカなんかだとよく知られているようにドットコムはモバイルOKなのでインド仕事を持っていったりしている。さらには、そんなこというなら、アメリカ雇用じゃなくたっていいんですよね、とカナダに持ってきている仕事も大量にあるはず。


ある意味で、カナダアメリカ人雇用を奪っているし、それをイケイケドンドンで太鼓叩いているカナダ人はこの意味をどう捉えるつもりなのだ、ではあるんだがそこへの突っ込みはなし。


などなどこんな話を聞いていて思うのは、新自由主義問題、あるいは民営化がどうしたという問題って、一国内の部分的な問題だけでは解決できない問題だということ。国境を開けて人とモノの流れを煽っていて、その上で国内に制限を加えるというのは、できない相談ではないがリスクがあるということか。


たとえば、このレクチャーは夏のもので、この時点では、人々の生活がいくらかでも安心できるようなものになるための健康保険というのは大事で、だけどそれをアメリカプライベート保険だけでやろうと思うとそこが高騰した時に企業にしわ寄せがいって企業負担が大きすぎることにもなる。それに対してカナダcitizenshipベース医療保険年金を持っているからとカナダ人は誇りアメリカ人はそれは絶対に正しいと言う、と。(citizenshipベースではなくて実際には永住権保持者相当ベース)。


が、しかし、まさにそれにもかかわらずということがここ数日起こっていた(だからこのレクチャーを今ごろ流したのかもしれない)。GMが不調だ、というその話の中にはGMがまもり通したある種理想的(とまでなのかどうか知らないが)、手厚い医療保険年金に関する費用が大きすぎるというのが出ていた。


それに対してカナダではそれについてはアメリカとの比較では良好であったはずだった。が、そのGMカナダの工場が雇用カット


ということは、カナダ人が言っていたそれは、企業がともあれ好調であることが前提で、その上でカナダ側に企業があることのベネフィットはこれこれですというのにすぎず、企業経済が悪化した場合にはどれだけ社会基礎があろうとも、関係なく最悪の事態は起こりえる、と。



さらにいうなら、このへんは私は結構冷たく書きたくなるものがあるが、そもそもカナダの企業じゃない企業を頼りに国内の雇用をカウントするというこの仕組みの弱さはどうしたものか、ではある。はっきりいえば、主要な要因はこの何十年間カナダドルは米ドルに比べて20〜30%程度安い時期がとても長かったことではないか。だから、どうやってもお得だからアメリカ企業は来るはずだ、と思ってなかったか? 思ってたと思うなぁ。そうでなかったら、あそこまでもここまでも、「反米」トーンを野放しにはできなかっただろう。


ちなみにこういう体制を、「オーストラリア式」とか言うらしい。強い経済のあるところではそこよりなんでも5%安くしておけ、そうすれば、この場合はドイツの企業が、必ず進出してくる、ということらしい。


一国内での社会施策がどうのというのは大事な問題なのだが、しかしその国の経済がどういう基礎で成り立っているのかはもっと根本的だし、もしそこが国境を開けておくことによってベネフィットを得ているのなら、反対の側の事情も考えないとなんないんじゃまいか、などとも思う。


 労働需給とヨーロッパ 19:42 このエントリーを含むブックマーク


どこまでいってもまとめはないのだが、ヨーロッパ的なものとアメリカ的なものの比較をする場合の基礎的なものの考え方として記憶しておく必要があると思う(反対するかどうかはその後の課題として)。


これも国際会議のときに議論があったのですが、ヨーロッパの人たちが、アメリカは失業者は少ないが、それでも所得格差が拡大しているからアメリカみたいになりたくないと言うのに対して、アメリカの人が、チープレーバーでも雇用がつくられるということはどこが悪いのか、今まで失業していた人が所得にありつけるということを考えれば、むしろ労働需給は改善し所得格差が縮小したと考えるべきではないかということを言うわけです。やはり観察の範囲をどのように考えるかによって結論が違ってくると思います。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no150/houkoku3.htm


ググッて偶然読ませていただいた大学先生のお話の一部。まとまっているので便利にお借りします。

上の労組おじさんが人間性について非常に懸念されることも非常に非常によくわかるのだけど、アメリカモデルはしかしながら、回転すること。とにかく職はある、なぜなら一人の人が何があろうともoccpationとして、文字通り、occupyしないから。(ちなみに、what's your occupation、で、仕事は何か、という意味になる)


対してヨーロッパ、殊にフランスドイツ雇用したら最後なかなかやめさせたりはできないという社会で、それはそれでoccupyしたひとにとっては結構な話で、もし全員がある程度希望のところを占有できるならそれは結構なことだがそうもいかないことが現実だ。


非常に極端に言うのなら、社会仕事を求めてヒステリー風になるのがいいのか、閉塞するのがいいのかみたいな感じか。


蛇足ながら、フランスの暴動の時に、カナダアメリカ新聞が普通に書いていた主要な議論は、イスラムでもなんでもなくて、真っ先にそして最後まで、失業問題と、そして、この、雇用が固定すること。カナダアメリカという移民の本場の感じとしては、occupy型は経験値的にあんまりいいことではないと思っているのではないのか、などとも見える。(そういう固定した環境で溢れたから人が出てきてるんだから)。


だからこの問題は、アメリカカナダからすると、ヨーロッパ人ってさぁ・・・という点もあったと思う。義憤にかられて怒ったりはしないけど、ディナーの話題になっていたかもしれない。そうやって食えない人、職がない人がいたら、よっしゃアメリカに行け、と出してきたのがヨーロッパ歴史で俺たちそうやって来たんだものな、ということ。ポジションを得たら最後離さない人が多かったら、そして離すべきではないと人々が言い張るから、そうしたらそうやって「溢れる」人もいるよな、と。でもって、今もそれはないわけではない。


そしてこの今もないわけではないという点で、もしかしたらフランス系は「出先」との流通が、イギリス系との比較で足らなかったりして?などと疑ってみるのもおもしろかもしれない。アフリカカリブ海中東からイギリスに一旦移民して、その後、仕事がなかったかうまくいかなかったか理由はそれぞれだろうが、あらためてカナダに、アメリカ移民してくる人はかなりいっぱいいると言っていいと思う。この10年はどうなのかわからないけど、わりと年を取っている、中年の人なんかで話を聞いているとそういう人によく合う。


参考

GM北米で約13%の雇用カットをすることになったことでカナダで3800人が職を失う。

自動車産業は関連企業が多い産業なのでこれによって、万のオーダーで職を失う人が発生するのではないかと懸念されている。

General Motors' Canada ops to see 3,880 jobs

http://ca.today.reuters.com/news/NewsArticle.aspx?type=topNews&storyID=2005-11-21T162346Z_01_KNE159006_RTRIDST_0_NEWS-AUTOS-GM-CANADA-COL.XML



finalventさんが「フランス暴動、あれから思ったこと」でニューズウィークの記事を引かれていた。


こうした要因が相まって、ヨーロッパに新しいエリート層が形成されつつある。「雇用のある人たち」という階層である。「雇用のない人たち」を尻目に、この人たちは、過保護労働法制によりますます恩恵を受ける。


まさにこれなわけで、上の労組のおじさんは、全員がエリート層になれる社会を目指すべきだと、そういうことになるのだろうが、その間にも時間が流れるわけで、その間にも、いくつもの賃仕事をかけもちしないと生きてはいけない人は発生するだろう。


個人的な話だが、私は多分日本にずっといたらこのおじさんの言葉を、まったりと、まさにその通りと聞いていたかもしれないなと思う。そしてそういう台詞を聞きたくもあっただろう。しかし、異国の地に来て思うように仕事が見つけられないという体験を遅まきながら、じっくりと身を以て体験して、人はそうも言っていられない時間を持つのだとよくわかった。理解しないですむならその方が幸せだった部類の体験かもしれない。


そのことから考えて、極めて単純にこのおじさんなどは、ずっとニューヨークに住んでる、そういう意味で、自分はどうやっても「良い仕事」にありつける人だったのかもな、などとも思うし、自分が歩きはじめたキャリアを悔しくとも無駄にしたことがあまりないのかもしれないななどとも思う。


もし自分が18歳でたいした考えもなしについた仕事を変えたいと思った時、職の流動性がなかったら、その個人はずっと後悔しつつその人生を終わるしかない。

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