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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
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落ち込むと日記の量が減るらしい【年々ひどくおれカネゴン】。
書き言葉 (ビジネス文書や広告など) で最近めっきり使わなくなったのは「〜のです」「〜なのです」という語尾。普通に丁寧な文章の語尾を全部これにするとかなりコミカルになってしまうのです。
英語の shall も特に米国ではめっきり使われなくなっていて、知的な女性が 『Shall I open the window?』と聞くときぐらいしか使われないそうなのだけど、「〜なのです」もきっとこういう感じですたれていったのかもしれない。
カネゴンは他人の忠告にまるっきり耳を貸していなかったことに今頃気付く【反省してもおれカネゴン】。しかもなぜそうだったのか自分でもわからない。
適応障害。この種の文を見るとつい自分のことのように思ってしまうカネゴンだけど【暗示に弱いおれカネゴン】、『コミュニケーションのまずさや、自己表現の稚拙さ等から起きるとされています。』は心臓を射抜かれたよう【逃げも隠れもおれカネゴン】。探したくもない自分を見つけてしまった。うう。
「自己の存在証明を他者に求めず、自分で存在を作り出すことです」もこたえる。最近どこかで見たような。カネゴンのように自分の判断もセンスもまったく信用ならない場合はどうすればよいか。やはりI am who Amな方に委ねる方がよいのかもしれない【世話をかけるなおれカネゴン】。
少し持ち直しました。ありがとうございます。
ここ1か月ほど「始末書の書き方」「お礼状の書き方」「領収書の書き方」で検索してここに来る方が極めて多く、さぞ落胆させてしまっているかと思うと申し訳ない【書いたら余計におれカネゴン】。ということはこれを本当にコンテンツにしたら相当アクセス数が増えると思われる。カネゴンはやりませんのでどなたかどうぞ。
いろいろあって会社で日記を書くのを必死で我慢するようになってから、仕事の能率がめっきり落ちる。借力さんの言う通り公私混同こそエネルギーの源であることを痛感。知的産業に従事しているかどうかについては自信がなく、むしろ頭脳奴隷に近かったりする。
NHKで最近やっている動物番組にずっぽりはまる。カメラの切り替えが早くて少々疲れるけど、それでも動物のかわゆさがたまらない。以前タモリがナレーションをやっていたウォッチング以来の内なる動物ブーム。地球上のどこに行っても服装が同じ妙なおじさんが出演していて、よく見るとアッテンボローだった。名前はてっきりリチャードだと思ったのだけどそっちは別人だった。
きちんと調べたことはないですが、映画や小説や聖書で見かける呪いは、ほぼ例外なく呪いの代償を何らかの形で要求される。キャッシュバックや旅行が当たったりかわいいコップがもらえる呪いというのは見たことがない。おそらく、代償を要求されないと呪う人も読者も納得できないからだと思う。行動心理学の実験か何かで、相手が不正を働いて自分の取り分が減らされたとき、それに従うと若干利益が残るが、それにクレームをつけると自分の利益も相手の利益もゼロになるという状況で、ほとんどの人が後者を選択したとかいうのを見たことがある。自分が損をしてでも自分に不利益をもたらす相手をへこませたいという気持ちの方が心のあり方として安定していることを知り、妙に納得してしまった。
ピザに食道がん予防効果(エレ舞嬢より)。日本人でごはんを食べない人がいても驚かないのに、イタリア人でピザを食べない人がいると聞くと驚いてしまうカネゴンでした。
xemacsのフォントを設定しようとして半日をつぶす。以前からフォントが気に入らなかったにもかかわらず相当時間を使いそうな気がしていてずっとほったらかしにしていたのだけど、やはり予想どおり激しい徒労感。何となく東風(kochi)フォントになったらしいのでとりあえずこれでいきます。X のフォントのややこしさ、ビットマップとTrueTypeでの設定の違い、debian特有のフォント設定方法(defomaなんて初めて知った)、debianがバージョンアップしたことで方法が変更されたこと、.Xresource、.xemacs/init.elなどなどと一度に取り組んで徒労。テキストしか扱わないと決めているので【金がないからおれカネゴン】、X回りのフォントの設定は3歩歩くと忘れてしまう。
休みの度に限って終日頭痛。痛い場所は毎週違い原因もわからず。症状の名前がわからないので検索もできず。
それでも検索すると、週末頭痛という言葉があることを初めて知る。確かに仕事のある日は痛くなかった。うう。
何で見たのか忘れたけど、極めて新鮮ないかそうめんを食べたら口の中でイカの精包(精子の入った鞘)が爆発し、口内に破片が突き刺さってえらい目に遭った人がいたらしい。それにしてもイカの交尾(交接というらしい)は何とも礼儀正しいというか神秘的。どういう衝動にかられてそのようにするのか見当もつかない。
使っているmozillaがいつの間にか1.4に。早速MathMLの定番サイトを見に行くとページがいつの間にか更新されていた。MathMLもヘッダが更新されたらしくエラーがほとんど出なくなった代わりに、記号フォントがスケーラブルでなくなってしまっていてルート記号の中身が外にはみ出す有りさま。おそらくフォントの設定をどうにかしないといけないのだと思うのだけど、当分フォントをいじる気になれず。
あけてくれ Music Review。このサイトはまったく身に覚えはないですが、選曲の好みが結構近くて楽しい。
魔女 魔女 魔女魔女
あたしは魔女だ
意地悪大好き 意地悪しよう
みんなが困れば あたしゃうれしいよ
だけど あいつらにゃ あたしは弱い
あいつら 元気な魔法組
魔女 魔女 魔女魔女
けっけっけーのけ
昨日は終日頭痛に悩まされる。徹夜明けだったせいかもしれない【いい年こいておれカネゴン】と思ったら、ニコチンパッチを二日間つけたままだった。
平均寿命が文化のサイクルを上回ってしまったために、二代目を襲名するという習慣が薄れていくような気がする。二代目藤子・F・不二雄とか二代目横山やすしとか二代目リチャード・ストールマンとか。
カネゴンが愛読する借力の著者がこれまた師と仰ぐ衛藤先生のエッセイは出色の出来。決して甘いことだけを書かず、かつ読む人の希望を失わせない。何というか本物の大人を感じさせるとともにおのれのミクロさ加減をも痛感【わしらの代わりにおれカネゴン】。読んでいて時々ぐさっと突き刺さりますが、結城さんにも通じる気配りに満ちているのでおそらく心配無用。時々読むのが吉【仕事はまだかおれカネゴン】。
これに良く似た形式の文章をしきりに学校で書かせたり読ませたりするけれど、実はこういう内容の文章が一番難しいし、真似しない方がいいような気がしてならない。
deborphanというツールの存在を今ごろ知り、実行したら未使用パッケージが55も出てきたので【ディスクを肥やすおれカネゴン】、apt-get --purge remove `deborphan` で速攻削除。なぜか一度で削除されず、数回繰り返す必要があった。積年の宿便が取れたかのような爽快さ【あんたはそうでもおれカネゴン】。lib5を使用するプログラムが完全になくなっていた。
それにしてもdeborphan、まるで「デブのみなしご」のような響き。貧しいおかま。
仕事終りました。
「陰陽師」の岡野玲子が壊れてしまったという噂を聞く。
仕事遅々として進まず。禁煙を一時解除。
この忙しいのに、仮装大賞の「ピンポン」に腰を抜かす。今後の舞台演劇のありかたに大きく影響すること疑いなし。
仕事半分終る。
つまらんことを考える【半分残しておれカネゴン】。恐竜はあの体重を支え切れたはずがないとか何とかいう説を見かけたことがある。まっつぐ単純に考えて、昔は重力が弱かったのかもしれない。どうして弱かったのか、もしかすると昔の地球は今よりもかなり大きくて密度が低かったりして。大陸移動はその大変化のほんのおまけに過ぎなくて、長い時間をかけて地球が縮み続けているとしたらと思うと居ても立ってもいられない。地球の大きさが今も昔も変わらないとは誰も言っていないと思うのだけど、さまざまな計算では無意識に前提とされている。大きさが縮むとすれば、角運動量がどうしたこうしたで、自転の速度はだんだん速くなっていることになる。一方、大昔は一日が14時間ぐらいだったとか何とか誰かが言っていたような気もするので、もしかすると逆なのかもしれない。リニアに縮んでいるとも限らないし、膨らんだり縮んだりしていたかもしれない。カネゴンとしては年々大きくなっていて欲しいと願う。表面積がちっとでも広がってくれれば争いの種が減るかもしれないので。天変地異の種にもなってあいこかもしれないけど。誰かそこのところをもっともらしく説明していたりしないだろうか【してても言わんおれカネゴン】。
もう少しで自分がおれカネゴンだということを忘れてしまうところでした【どこへ逃げてもおれカネゴン】。
禁煙したせいか、突然派手に夢を見るようになる【昨晩吸ったろおれカネゴン】。カネゴンが夢を見るのは極めて珍しいので書いておく:
帰り道にSARSの予防注射をやっているのを見かけ、面白そうなのでその病院に冷やかしで入る。説明会でカネゴンはよそ見をした上部屋の外をうろうろし、肝心な注意を聞きそびれてしまう。何かすごく大事なことを説明していたらしい。しかも戻ってきたらカネゴン一人を残すばかり。スタッフはこれから昼食を取らないといけないにもかかわらず、いやな顔一つせずに注射を打ってくれ、極めて申し訳ない気持ちに。注射は一風変わっていて、極太の針の反対側には巨大で透明なバケツがついていて、そこに大量の薬剤を放り込んでバケツをぐるぐる回転させ、一気に流し込む。しかも注射を打たれたのは首の後ろで、脊髄が傷つきそうでカネゴン一瞬恐怖するも、痛みがまったくないのですぐ安心する。冷んやりした薬剤が物凄い音をたててカネゴンの中空の体内を伝い、足の方から充満する感覚が忘れられない。その後、薬が効くまで医者やスタッフがカネゴンに人形劇を上演してくれたところで目が醒める。夢慣れしていないせいか、ついうっかり「今日は風呂に入れないな」と起きてからもしばらく信じ込んでいた【聞きとうないわおれカネゴン】。
ドンキホーテを読んで泣きそうになる。善人の数だけ悪人が必要なように、謙虚な人の数だけ思い上がった人が必要になるように、奴隷の数だけ主人が必要になるように、賢い人の数だけ馬鹿が必要なのだろうか。何だかカネゴンは生きることを許してもらったような心持ち【引き寄せるでないおれカネゴン】。
かつて、馬鹿はどれだけ物を知っていようと「物を知っている馬鹿」にしかなれず、どれだけ智力を鍛え上げても「考える馬鹿」にしかなれないことを知り、カネゴンはのたうち回りました【嘆くがよいぞおれカネゴン】。馬鹿はおじいさんのコブでもなければプロパティやクラス変数のようなものでもなく、DNAや魂同様、決して馬鹿のエキスを抽出できないことを思い知る。その一方で、常日頃馬鹿に悩まされるとこぼす賢い人達は、世の馬鹿が一人残らず賢くなったら果してうれしいと思うのかどうかを一度聞いてみたい気もする。
ナルコレプシーの症状。「あだ名」に声を上げて笑ってしまった。
治療の章はこの種の文としてはかなり現実的。カネゴンは駄々っ子だったことを思い知らされました。今後は脇目もふらずにあきらめる特訓を積み重ねます。高校の必須教科に「あきらめ方」があればよかった【未練がましいおれカネゴン】。あきらめ上手は生き上手。
国土地理院や人事院に入るときには「入院する」と言うのだろうか。少年院に入る時にはきっと言うだろう。
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最近呼吸が苦しいので禁煙しました。15年振り。
自宅のPCに久しぶりにapacheを立て、pukiwikiとemacs-wikiを導入。emacs-wikiのpublish結果が文字化けしてしまい、解決に2日もかかる。emacs-wiki.elを参考にinit.elをさんざん修正しても結果は変わらず。やっと最後に、publishしたhtmlをapache経由で参照すると化け、直接参照すると化けなくなっていたことに気付き、httpd.confを日本語用に修正していなかったことが最終原因であることを突き止める。誰もつまづかないところでつまづいていたとは【お約束とはおれカネゴン】。
公定歩合を操作して景気の手綱を取るという方法はいつ頃確立したのだろう。日銀の奥の部屋か何かにそういう操縦桿みたいなものが置いてあったりするのだろうか。ちょっとカネゴンに貸してみてはくれまいか【日本が危ないおれカネゴン】。客足の遠のいた遊園地のアトラクションにもぜひ。
今後「100の質問」には、「中学校のときに下敷に何を挟んでいましたか」という質問をぜひ入れていただきたい【シーズン過ぎておれカネゴン】。
「ぎゅわんぶらあ自己中心派」という漫画で「確率」をネタにしていた回があり、「スーアンコ(漢字が出ない)をあがれる確率は4960分の1だから、今あがったあなたは当分スーアンコをあがれない」と主張する相手に「あがれる確率は毎回同じなんじゃないの?」と素朴に反論するくだりを見て、カネゴンも案の定同じ勘違いをしていたことに初めて気付いた【他にもいろいろおれカネゴン】。いろいろ観察すると、これと同じ勘違いは意外に広く見かけ、しかも根強い。間違い方にもパターンがあることを痛感。
足立恒雄さんがその著書で、ライプニッツの(微積分がらみでない)著作集を読んだが何が言いたいのかさっぱりわからず本当にちんぷんかんぷんだったと書いていた。読んだためしがないのだけれど、もしかすると相当に小っ恥ずかしい内容なのかもしれない。
今になって羞恥心が芽生える。うう。日記は恥ずかしい。
借力の7/10分にうなずく。こういう悲劇は他の著者でもしばしば発生しているかもしれない。翻訳のときにネタを取りこぼした著作にしか触れられなかった不幸。カネゴンの場合「(笑)」を書いておいてもらわないと笑うところがわからなかったりする【とろさの極みのおれカネゴン】。
それにしても借力はめちゃくちゃ面白い。無駄弾が少ないのも凄い。もうカネゴンは日記をやめてここに直リンしてしまおうか。
いろいろ書いて全部ボツ。
七夕に何を願おう【一日遅いおれカネゴン】。4月に書いた「理想の教科書」が一際恥ずかしかったのと、またずらずら書いてしまいそうなので胸の内に秘めておきたい。
慌て癖が治りますように
おれカネゴン
七夕の前日、TVで「X Files」を初めて見る。いつまでたってもレクター博士が出てこないのでおかしいとは思っていたのだけど、カネゴンは「羊たちの沈黙」と混同していたことが今回判明。
アブラハムには 7人の子
1人はのっぽで あとはちび
みんななかよく暮らしてる
さあ おどりましょ
みぎて みぎて
ひだりて ひだりて
みぎあし みぎあし
ひだりあし ひだりあし
今年はきっと凶作じゃ。
「ブラックジャックによろしく」(漫画の方)でいつも感心するのが、東洋人の顔を描くのがすこぶるうまいこと。ストーリーより顔ばかり見てしまうほど。東欧人の顔の描き分けがうまい浦沢直樹と好対照。ヒロシとトオルと同じぐらい顔アップ率が高いので鑑賞しやすい。ディズニーの次回作の絵コンテはこの人か。
最近はてなダイアリーで面白い日記を見かけることが多くなる。こうなってくると欲が出てくるもので、たとえば石仏さんのように日記ごとになるべく個性的な(できれば目に優しい)スタイルシートを当ててもらえると、一目で「ああ〇〇さんの日記だ」とわかり、非常にありがたい。デフォルトのスタイルのままだと、誰の日記だかわかりにくくなるので【お願いするだけおれカネゴン】。標準化と逆のありかたでユーザビリティが向上する例。
そのうち、目に優しい推奨カラーコーディネートを自動的に選んでくれるCGIとか誰か作るかも(既にあるかもしれない)。黄緑を中心にした目に突き刺さるいやなカラーリングとか、深く静かに潜行する地味なカラーリングを選んでくれるCGIも同時制作するかも。
まだ帰れない。いつものことですが。
今年は凶作じゃ。
神というものの本質を問うことはできないのですね。神については信じるか信じないか、その二つの態度しかどうやらありえないのです(中略)日本に普通に暮らしていると、人と神との契約というものの厳しさをなかなか実感しにくいところがあるのですが(中略)だから、「ここはひとつお願いしますよ」と近所のご隠居や大工に頼み事をするようなするような調子ではいかんのでしょう。(色川武大「私の旧約聖書」--うろ覚え)
この「ひとつお願いしますよ」という口調が何ともすっとぼけていて、不遜とも僭越ともつかないおかしみがある。こうして書いている今もにやけてしまう【疲れておるなおれカネゴン】。
「無生物主語は日本語にはない」とあちこちの教科書で教えられているのだけど、果してそうだろうか。具体例は思い出せないのだけど、ここ100年余りの怒涛のような直訳の嵐のせいか、特にCMのコピーなどで無生物主語としか思えない表現をちょくちょく見かける。それも最近の話ではなく。昭和2年の流行語「何が彼女をそうさせたのか」からして翻訳口調【化石化進むおれカネゴン】。「無生物主語は日本語では滑らかになりにくいことが多い」ぐらいが現状に合っているような気もする。
FlowerLoungeさんの「現代社会(に生きる若者)は、ただ生きるだけで昔の哲学者の何倍も複雑な問題解決を要請されている」。
そして今後もますます複雑になると予想される。今後は保険金や年金を受け取るにもハンコや印鑑証明のかわりに何か一つ問題を解決することを要求されたらどうしよう。スフィンクスに問題を出されたとき以上に皆必死で問題を解決してくれること請け合い。今や奴隷の主要な仕事は「問題解決」。上流階級は「他人に問題を丸投げ解決してもらえる」が条件となる。問題を発生させてばかりのカネゴンは奴隷候補どころか畑の肥料にされるのだろうか【お土に還ろうおれカネゴン】。嗚呼。
私がはじめて読んだマンガ(少し下の方)。池上遼一の「星雲児」だったところがカネゴンのハートに直撃。ストーリーにはタッチしない池上遼一の唯一渾身のオリジナル原作はあまりに「地球へ..」のようだった。
この日記、読み進めるほどに何だかカネゴンの日記(特に最初の頃)と雰囲気が近いような気が。扱っている話題も気味悪いほど似ている。違うのはガンダムを熱烈に愛していることと、旅が好きらしいことと、フォントを大きくしたり色を変えたりしていることぐらいか。口調も違う。書いた覚えのない自分の日記を読んでいるような気持ちにさせられる。この世とあの世とを繋ぐ回廊を経由して互いに妄想をバルク転送していたのだろうか【同じ本読みゃおれカネゴン】【同じ音聞きゃおれカネゴン】。
帰りが遅くなる一方【どこまで持つかおれカネゴン】。
役者のようなヤクザvsヤクザのような役者。
常日頃帰依する相手がいないか探し続けている。ねずみの嫁入りの如く、この世で最も完全なものに出会うことができたら、カネゴンはその場で全身の体毛を剃り清め心身共にそのものの奴隷となる覚悟であるにもかかわらず未だそのようなものに出会えていない。どなたかご存知の方がいらっしゃったらこっそり教えてください。探しているものがこんなに身近にあったとはは「なし」です【早う寝らんかおれカネゴン】。