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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticの方をお勧めします。
●twitter: orekanegon
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今日は西洋なまはげの日。
慣れない作業でついいらいらしてしまい反省。人間が日々小さくなっているのがわかる【ナノミリメートルおれカネゴン】。
ついふらふらと論理トレーニング101題を購入。論理が衰弱しまくったカネゴンにとって素晴らしくよい本。それを差し引いてもやはりよい内容で、いつぞやお騒がせしてしまった理想の教科書に近い【またぞろ悪さをおれカネゴン】。文章自体がうまいのもありがたい。
今更ながら、カネゴンの日記には接続詞が少なく、センテンスごとに改行してもいいぐらい一つ一つのセンテンスのつながりに極めて乏しい。何かをごまかそう/隠そうとしていることが本書で裏付けられてしまった。
そのうち携帯電話に六法全書が収録され、あらゆる違法行為を知らん振りできなくなってしまったりするだろうか。法律が急遽改訂されるとhotfixをダウンロードするとか、パッチを当て損なってすごいことになってしまったり。明治憲法から始まる六法のCVSツリー希望。こういうのを公共サービスと言うのかなと思ってました。
イスラエルのベンチャーが8兆演算/秒の光プロセッサーを製品化。イスラエルだけに、今頃世界中で「あの」ダジャレが飛び交っているところを空想【桐壺源氏のおれカネゴン】。いずれにしろ終末にまた一歩近づいた。
wataru's memoで紹介されていたFloppy ドライブで製作したロボット。
テーマ別マニフェストインデックスは、あのアットマークITを思わせる見やすいレイアウト。
近頃利用しているKQ線は山道を遠慮なく疾走するため横揺れがひどく、本を読んでいると気持ち悪くなるほど。宿酔のときには泣きそうになった。
「コンピューターに「常識」教える」に続けてこちらを読むと感慨深い。
「何でも自己決定」の限界(from 圏外さん)。
あらゆる決定事項をぎりぎりまで先延ばしにするカネゴンなので申し訳ないのだけど【迷惑千万おれカネゴン】、海の向こうではカネゴンが想像している以上に「自己決定」はどこか神聖視されているように思えてしまう。何と言うか「自己決定=主人の楽しみ/少々面倒な義務」「自己決定できない=奴隷」という感じで。法の華っぽく言えば「自己決定せんで何が人間か」というところだろうか。
出エジプト記やマトリックスの主題である「主体性の獲得」は、日本での奴隷暮らしにすっかり慣れきってしまったカネゴンからはなかなかその切実さが想像しにくい。奴隷でいれば食うには困らないにもかかわらず、あえて大集団で荒れ野に出てまで主体性を求めるその切実さが、自己決定を神聖なものにしているような気がしている。自分たちに縁のある実際の自己決定は「日本酒にするかビールにするか」程度だけど、あちらでの自己決定は最終的には「他人を生かすか殺すかを決定する」(今なら「あいつはこういう奴だ」と一刀両断に評価を定める)だったりする。昨今は奴隷のこき使い方も抽象性と並列性が高まっているため一個人がまるまる24時間奴隷ということがなくなっていて、皆さまざまな奴隷のマスターでありさまざまな主人のスレーブでもあるので自分が奴隷であることをどうも自覚しにくい【こ奴に鎖をおれカネゴン】。
某数学エッセイを読んでて何だかおかしいと思っていたら、カネゴンは必要条件と十分条件を取り違えたまま覚えていたことが判明。うう。これまた某論理学の説明によると:
必要条件と十分条件という言葉は, どうやらアリストテレス伝来の言葉らしいが, どうも評判が悪い。 日本人だけでなく, 世界中の人が混同するので, あなたが慣れなくてどっちがどっちだか分からないとしても, 悲観する必要はまったくない。
とあったので一安心【ばりばり油断のおれカネゴン】。世界中で混同されがちということは、ギリシャ語⇔アラビア語あたりでのでっかい誤訳ではないかという気がしてきた。今からでも遅くないので替えてください【十分遅いわおれカネゴン】。
PCを再起動したら昨日のPHPトラブルが解消【何だったのだおれカネゴン】。
PHS破損のため携帯(au)に買い替える。EZWebでgoogleを表示すると、縦長のみっともない画面。「あけてくれ」に至っては「表示できません」と言われてしまう。うう。
ブロードバンドルーターを購入し、やっとまともにネットワークが使えるようになる【物欲まみれのおれカネゴン】。コンパクトさ(新約聖書サイズ)と値段の安さ(3,980円)もさることながら、応答速度の速さに舌を巻く。何しろ2秒かそこらで再起動が完了するほど。
ルーターのログをメールで転送するように設定したら、早速外からポート68( Bootstrap Protocol Client)と3000台にスキャンのご挨拶が。この間接続していたWindowsが何もしていないのに突然何度も起動したのはこいつのせいなのだろうか。寝ているPCを叩き起こしてからスキャンをかけているのかも。
apt-getがずいぶんたまってしまったので一気にapt-get upgradeを実行したら、今度はphpがお隠れになり、puki-wiki画面にソースが丸ごと表示されてしまった。誰を恨めばよいのでございましょう【踊るがよいぞおれカネゴン】。
ブラウザに問題があるとの記述を見つけたのでw3mでpuki-wikiを表示すると正常だった。mozillaが1.5になったせいなのだろうか。困った。
CATVで「大霊界」をやっていたのでちょこっとだけ見る【テレビ三昧おれカネゴン】。番組表を見ていないので本当は違うかもしれないけどたぶんそう【憶測全開おれカネゴン】。オーケストラヒットがびしばしに鳴っていたので、80年代前半の製作と推測。
カネゴンは前世とかあの世をとりたてて信じていないことに見ていて突然気付く【何たることをおれカネゴン】。カネゴンの信じる先祖とはありとあらゆる「しがらみ」を違う言葉で表したものだったりするので。カネゴン引くしがらみイコールゼロ。死んだらどうなるかは考えてもしょうがないので今のところ考えてません。その代わり地獄はこの世にあると思っています【本気にされるぞおれカネゴン】。
関係あるようなないような、ずっと前に見た映画「ブレインストーム」は、西欧で考えられている「あの世」が手に取るようにわかって、そこが面白かった。「ああ、彼らが最終的に欲しいのはこれなのか」と。臨死体験は実は文化によって大きく異なることはよく知られていて、インド人の臨死体験にはやっぱり象の顔をした神様が現れたりするとか。
死ぬということにもいくつかレベルがあって、ある人が死んでも、その人を思い出してくれる人がいる限りその人は完全には死んでいない。誰も思い出してくれなくなったとき、その人は真に死ぬ。一人でもファンがいればスターはスターみたいな。なので、本を書き、それを誰かが読んでくれるというのはある種の不老不死みたいなところがあったりする。それでもあの人のように2000年も生きるというのは、よほど力強い言葉を発しない限り中々できそうにない。
嗚呼、何もっともらしいこと書いているんだろうか【懲りない奴とはおれカネゴン】。くれぐれも本気にしないでください。
片付けのBGMにゴジラをかけ、つい聞き入ってしまう【涙浮かべておれカネゴン】。
↑この伴奏でそのまま「ドカベン」が唄えます。
カネゴンは自分のことを辛抱が足りない足りないと常日頃思っていたのだけど、先日カネゴン母が「この子は我慢しすぎていた」と言っていたと聞き、意外。当時から非常に気の散りやすい子供ではあったけど、そっちにはどうにも心当たりがない【世話はかけたろおれカネゴン】。
思春期を制御する遺伝子を発見。カネゴンを苦しめた者の正体が判別した。総攻撃準備【自爆自滅のおれカネゴン】。
誰かカネゴンに時代劇の楽しみ方を教えてください。
この間、帰り道でスタンダードジャズを演奏しているシニアバンドがいたのでしばし見物。ビブラフォンを使用しているのはストリートではかなり珍しかった。リクエストを集めていたので、よく知られているにもかかわらずめったにリクエストされないジャズの曲を書いたら案の定演奏してもらえなかった【根性曲がりのおれカネゴン】。
CATVでまた「シャイニング」をやっていた。家人の希望でチャンネルを替えざるを得ず。
カネゴンの場合ターミナルやDOS画面やエディタの画面は、圧倒的に「白地(または明るめの色)に黒い字」だったりする。たぶんカネゴンがMac出身のせいだと思う。同じ職場でWZEditorをわざわざ「黒地に白い字」にしている人がいるけど、まだ理由を聞けないでいる。その人は明らかにDOS時代からヘビーユーザー。
長らく封印してきた物欲にちょっと点火してみようかと思う今日この頃【そこに直れいおれカネゴン】。
家庭内LAN.comは端的にまとまっていてありがたい【転がり落ちるおれカネゴン】。
新しいG4 iBookが売れそうな予感【坂の下までおれカネゴン】。
Slashdot.jpで取り上げられていたIIJネットライトニングサービス(Netliプロトコル)。
まったく関係ないのだけど、現在利用している私鉄は、快速特急は目覚しく速いのに各駅での接続が悪く、下手をすると寒空の下20分は待たされる。
この間増設した120GBのIDEハードディスクがむやみに遅い。同じ環境の人から「転送モードがPIOになっている」と指摘され、調べてみると確かにそうなっていた。BIOSを適当にいじるとやっと Ultra DMA モード 5 に切り替わり、うって変わって快適に。今までサイドブレーキを引いたまま運転していたようなものかもしれない。うう。
NHK BSで、戦後イギリスの復興と当時の経済学について特集していた。細かいところは覚えてないけど【改善求むおれカネゴン】、ケインズのライバルだった何とかという経済学者(結構大物だったと思う)が、当時躍進著しかったソ連の計画経済打倒を目指してスイスで念願の会議を開き、自由経済を守らんとするボランティア組織を作って、米軍統治下のドイツの統制経済を自由経済に切り替えさせて復興を助けるなど、いろいろ暗躍していたらしい。組織の目的は違えど、どことなく彼らの行動が「死ね死ね団」っぽくて、敵がいると何かとまとまりやすく素早く動けることを痛感。
田中宇のニュース解説にあった記述:
ロバについては、一つの話を聞いた。ガザだけでなく、西岸もイスラエルに封じ込められているため人々が貧困になり、ロバに乗って移動する人が多いが、これをアメリカ人の観光客が見て「なんて素晴らしいんだ。人々がイエス・キリストの時代のように、ロバに乗っている。やっぱりここは間違いなく聖地なんだ」と叫んだのだという。私にこの話をしてくれたパレスチナ人は「アメリカ人は、パレスチナ人の生活水準を2000年前の貧しさに引き戻し、聖書のテーマパークを作るために、イスラエルに軍事援助をしているというわけだ」と、怒りを込めて冗談を飛ばしていた。
観光客は行く先で何かしでかすのが常とは言え【どこかでおぬしもおれカネゴン】。
wataruさんの低血糖についての話。お医者さんなのだろうか。人体ハッキングの達人の物語である「ブラックジャック」という漫画で、インシュリンを意図的に過剰に注射して患者をあえて仮死状態にする話があったけど、今から思うと相当度胸が要るというか間違いなく訴えられる。
二十世紀に初版が出版された書籍の中で、数世紀後にも風化せずに残る、油そばのように脳の消化に悪く腹持ちのいい名著と言えば何があるだろう。物を知らない悲しさで、ケインズの一般理論とかSICPとかぐらいしかとりあえず思いつかない。きっとそのうちこういう著作権の切れた名著がまるごと携帯に収録されてオフラインで読めるようになると思うので、そうしたら携帯買います【いい年こいておれカネゴン】。通信料が十分に下がるのとどっちが早いだろう。たぶん本屋さんからは苦情は出ないと思います。
オペラグラスのようなのぞき穴がついていて、そこから表示画面の見える携帯電話というのはいつになったら出るのだろう。もしあれば液晶に場所を取られずに広い視野を確保できる。もう技術的にはそれほど難しくないような気がするのだけど。このUIの問題は、画面を覗いている姿が何とも哀愁漂ってしまうのと、特に背後からの攻撃に対してかなり無防備になること。満員電車で乗客が揃いも揃って携帯の覗き穴をじいっと覗き込んでいるのがわたくしたちの未来の姿【貴様一人でおれカネゴン】。
yomoyomoさんの更新履歴経由で田崎さんのプラットホームに柵がないのが解せないを知る。魂の叫びに同意することしきり。
カネゴンも「踏み切りも階段もないバリアフリー駅」を作ることはできないだろうかと考えたことがあるけど、たとえ懸垂式モノレールみたいにレールを空中に置いて車両がその下にぶらさがるようにしたとしても、階段と踏み切りを同時になくすことはどうもできそうにない【任せちゃおけぬおれカネゴン】。
パスワード設定のホントとウソ。情報源:辺境さん。
昨日の練習のせいか少し疲れ気味【風邪はひかないおれカネゴン】。帰りに微妙に寝過ごしました。
DoS攻撃は自分がやったのではない。もしかすると「私が斬るのではない、妖刀村正が斬れと私に命令するのだ」みたいに操られていたのだろうか。Trojan Horse の訳語としての妖刀村正の定着希望【意味が合わんぞおれカネゴン】。
勇気がないので知り合いの掲示板にしか書けなかったりする【うりかねぐんとはおれカネゴン】。
高林さんのネットピープル分類学。抑制の効いたネタを書くと本当にうまい。謎めき系の記述に赤面。カネゴン一も二もなく反省します【ばっさり切り捨ておれカネゴン】。プレゼンの最後にある「貴様ら、シュッシュッ」だけ何だかよくわからないけど。
池袋で練習。
CATVで「野獣死すべし」を途中から見る。以前見たときと180度印象が違い、こんなに寒々しい映画とは思わなかった。腹ぺこで帰る家がなくて睡眠不足のときに見たらつらいだろうと思わせる。家人も指摘していたけど、北野武のバイオレンス路線(見たことないです)はここからつながっているのかもしれない。今見ると、刑事役の室田日出夫の演技の渋さがむしろ引き立ち、松田優作の一本調子さ(ひたむきとも言うけど)が目につく。喜国雅彦が四コマ漫画の端に「ドラマに出てくる犯人と実際の犯人は雰囲気が違うと子供のとき思った」と書いていたことがあったけど、まさにその現実にいそうな愛敬のないリアル犯人に見えてきた。
もしかすると松田優作は想像以上に不器用だったのかと思えてくる。何で見たのか忘れたけど、優作がハードな演技に埋没すると帰宅しても殺気が抜けず、奥さんはいつ殺されるかと気が気でなかったらしい。師匠の岸田森は気違いの役をやってもどこかに愛敬が滲み出てしまっていたのに対し、それができない松田優作は徹底的にシャレにならない路線で壊れた男の役を追求するしかなかったのだろうかと勝手に想像する【語るだけならおれカネゴン】。いずれにしろリアリズム路線はいつか行き詰まるものであることを痛感。
別のチャンネルでは倉田保昭のドラゴン映画をやっていて、一目でフィクションとわかるのんびりした作りになぜかほっとする。
仕事中にもうろうとしてきたので早々に切り上げ、ふもとの携帯ショップで物色。あまりに種類が多過ぎてどれにしたものだか。普段この種のガジェットものをまったくチェックしていないので勘が働かない【勘で買うとはおれカネゴン】。
GPS付きも面白そうだけど、辞書内蔵も欲しい。スキャナーで単語を読みとってくれるようになったら考えてもいい【いつからそんなにおれカネゴン】。カメラはあってもなくてもいい。電池が不要になったら即買うのだけど。
カネゴンがためつすがめつ読み返してしまう「私の旧約聖書」(色川武大)に、「文学とは、人間が(人智では越えられない原理原則に立ち向かい、そして)負けるプロセスを描くものだ」という一文があり、カネゴンはこれを越える文学の定義を知らない。カネゴン自身は文学への興味はこれといってないのだけど、この切り取り方は恐い。
ゲームでもアニメでもフィギュアでもかわいいおもちゃでも携帯でもコンピュータでも何でもいいのだけど、子供の興味関心を強烈に惹き付けるべく発展してきた商品は、実は「子供の将来」をお金に替えているのではないかという気がしてきた。それらの完成度が高ければ高いほど子供は長期間それに夢中になり、機会費用をじゃぶじゃぶ使い果たすことによって未来に負債を着々と蓄積しているのではないかと【それに溺れたおれカネゴン】。何もないところからお金が出てくるわけではないというか、自分のしっぽは食べやすくておいしいというか。
とっくに指摘されていると思うのだけど、Deep Purpleは現在のビジュアル系バンドに至るまで物凄い数の子孫をもうけたにもかかわらず、それと同時代だったLed Zeppelinはなぜか、せいぜいQueenを除いて後世にほとんど影響を与えていない。もともとキメラみたいな音楽だったせいか、子孫を作る力は弱かったのかもしれない。生物学的にはDeep Purpleの方が成功したということでいいのだろうか【もう寝る時間のおれカネゴン】。
Zeppelinが極め付けに変なのは、4人のリズム感(リズム観)がまったく一致していないのにアンサンブルになっているところで、おかげでアマチュアがコピーしても何故かさまにならず、メンバーが一人欠けても成立しなくなってしまうぐらい危うい。なまじ一人一人の演奏力が高いので、リズム観の根本的な不一致がカネゴンにはなかなかわからなかった。いまいましいネットワークバグのようなこの再現性のなさが子孫を作る上で障害になったのかもしれない【信じちゃいけないおれカネゴン】。そう思えば、クラフトワークは極めて優秀な種だったことになる。
苦しい。
PHSが突然死(バッテリーらしい)。アドレス帳を手書きでエクスポートしていて助かった。新しいのを買います【4年も使えばおれカネゴン】。
戦前や戦後の映画/ニュースなど(日本の)を見ると、どのアナウンサーも何ともいえない独特の甲高い声でしゃべるのが以前からずっと気になっていた。玉音放送とか。見劣りしまくる音響機器を補うために、その機材に最も合う音響特性を探るうちにああいう声が選ばれたのだろうか。今のアナウンサーも甲高いけど、甲高さの種類が明らかに違う。それとも全員同一人物なのだろうか。
後、昔の映画(喜劇とか)の一部をTVで放送するとき、どう見てもフィルムの早回しのようにしか見えないのだけど、あれはああいうふうにしか再生できないのでしょうか。本当は実速度で、当時の喜劇俳優はあのぐらい俊敏にアクションをこなしていて、戦後その技量が世界的に落ち込んだために今は見られなくなってしまったのか。古い映画でやっているラグタイムピアノの演奏など、今の目から見たら殺人的なスピード。あんなふうに弾ける人が当時はごろごろしていたのでしょうか。TVのスピードに目が慣らされて、今は誰もああいう風に動けなくなってしまったのでしょうか。教えて、おじいさん。
「無法松の一生」が宝塚で舞台化されていたらしい。最初「ロングラン」と書きましたが事実無根でした。失礼しました。
TVで「この番組の提供は、キル・ビルです」と言っていた。最近こういうのが流行りなのだろうか。
スターウォーズな結婚式。敵キャラの占有率が圧倒的に高いのは最早宿命。
週刊世界の天気予報のメール、うちにも来た。うう。
この連休に両親が上京し、それとともに多数の先祖霊も迎え、応対におおわらわ【世話になったなおれカネゴン】。そのおかげかどうか、昨日はひどい風雨だったにもかかわらず、なぜか行く先々で一度も雨に濡れずに済み、あまつさえ日本で一番高いビルの展望台に上がった途端晴れ上がる【貴様のためではおれカネゴン】。
先祖が酔って話したところによると、ある先祖の一人は巡業相撲に入れあげるあまり巡業のプロモーターを買って出たにもかかわらず、酔っ払っては売上金(家が買えるぐらいの額)を何度も落っことし、ついには一度だけ紛失してしまったとか。カネゴン他人事ではない【大目に見ろやおれカネゴン】。うう。
カネゴンが幼虫の頃の話を聞いた。当時から目に付いた本(大半は漫画)を怒涛のように読んでいたのはともかくとして、読んだ内容を常に誰かれ構わずしゃべらずにはいられない子供だったとのこと。行動様式のあまりの変わり映えのしなさに赤面しまくり、人の性格というものがいかに初期値に影響されるかを痛感。嗚呼。
圏外さんが紹介していたデジタル証券システムによるコンテンツ流通に膝を叩く【仕事はまだかおれカネゴン】。ヒデキ指数=99。紹介文もわかりやすくてありがたいです。まずはこのアイディア自体に2000万へえぐらい押したい。ネットで頓知を集める効果は想像以上に大きいのかもしれないと血湧き肉踊る。これで公会堂に出向いて投票などというじれったい活動をせずに日本の将来を左右できるようになるだろうか【貴様にさせぬおれカネゴン】。
スミルノフ教授のありがたいページで紹介されていた日本語の若者ことばの英訳語彙集は歴史に残したい業績になるかもしれない。死に絶えた数々の流行語も合わせて掲載希望。
もしかすると「萌える数学本」が出てしまうのではないかとの考えがよぎり、慌てて打ち消す。
マニュアルや論文を記述するためのあいまいさのない完全な人工言語をつい夢想してしまうのだけど【足元注意のおれカネゴン】、ふと気が付くと、そのようなものが仮にできてしまうと、説明のためにその中であいまいな文自体を表現すること自体ができなくなってしまい、結局コメントアウトして表現せざるを得なくなってしまうことに気付き、がっくりくる【見通し甘いおれカネゴン】。不完全性定理ってこういう感じなのでしょうか【ますます違うおれカネゴン】。
我が身を振り返れば、同じ本を何度も何度も繰り返し読んでしまうカネゴンは、機会費用がかさむ一方だったりする。問題は、失った時間が果たして損失だったのかということで、カネゴンの場合その時間を使って余計なことをしてまた何か壊してしまったりするより本を読んでいるほうがまだましだったりしたらどうしよう【エントロピーがおれカネゴン】。ところで聖書の効用関数はいかほどだろうか。
Eric Raymond のSun去りし後を今頃読む。カネゴンは Sun OS も Solaris もろくにいじり倒す機会を得られないままだったけど、いつの間にかここまで悪化していたとは。
同じような記事を前にも見たような気がしないでもないけど、Apple が Intel を採用しなかったのはミスだったに思わず脱力。
昨日の奇数ゼータの成果を、今朝出がけにmupadに突っ込む。
*1/7) *(ln(PI) - 1/2 - (sum(zeta(2*n),n=1..INFINITY)/(n * (n + 1) * (2^(2*n)))));
続きはまた今度。
年金は4割強の確率で崩壊。カネゴン近辺でも熱い話題。blog経由で世界中のトンチを集めて囃しても、年金制度の崩壊を免れることは不可能なのだろうか【わしらの頃にはおれカネゴン】。カネゴンも少し考えてみます。ふと思って「年金」を英和辞書で引くと pension とあった。
さしあたってリスク管理はこの辺から始めたい。
*1:2*(PI^2
セーターに着替えたらくしゃみが止まらない。
DTMの普及でプロのレコーディングスタジオが苦境に。かつてシンセサイザーが数百万、ミキサーが数千万したなんてもう誰も信じてくれないかもしれない。10年ぐらい前まではスタジオ付のレコーディングエンジニアは長い間ほぼ100%コネ入社で、年収数千万が当たり前(労働時間も極限に達するけど)だったそうだけど、とっくに破綻していそう。高い機材が既得権を守っている業界は足元に注意。
今日は創立記念日。平日に休みはこれっきりです【また来年のおれカネゴン】。
金曜日に頭痛でふらふらになりながら本屋で衝動買いしてしまった重力と力学的世界(山本義隆)読了。「初版1981年」とはつゆ知らず。ヒデキ指数=93。今気付いたのだけど、この間出たのはこっちだったのですね。
本来の内容もさることながら、物理学の偉い人たちが凄い業績を残す一方で、実にどうでもいいような思想に因われて業績がふいになったりあやうくふいになったりしそうな話が盛沢山。思想の辻褄を合わせようとするあまり理論が何度も迂回したりねじ曲げられたりしていたらしい。思想は危険物であることを痛感。以前7/26の日記に書いた「力とは何かがニュートン力学で定義されていない」という問題がこの本で既にびしばし議論されていた。要は力と言ってもいろんな力があり、F=maを力の定義とするといろんな混乱を呼ぶということみたい。しかもニュートンもそのことには気付いていて(ただしプリンキピアには書かず)、後々何かと問題になっていたことも知る。
男泣きを誘うのは、19世紀にイギリス物理学の最高権威だったケルビン卿(トムソン)が、満員の聴衆を前にした引退演説で「私の科学者人生には失敗しかなかった。新しいものを何一つ作れなかった」と漏らすくだり。数学と金儲けの才能に恵まれ、実業家としても大成功していて国中で知らない人はいないほどであったにもかかわらず。今では頑迷な古典物理学者として「20世紀物理学の引立て役」とまで言われているらしいけど、いろんなアイディアに飛びついては何十年もこだわり、最後には挫折しつつも、それぞれ失敗をすっぱり認めていて、他の学者の足を引っ張ったりしていないところは、まるで古風なやくざを映画で見たような思い。先輩のファラデーが数学が苦手なので冗長な説明を聞かされるたびにいらいらしてたりはしたらしいけど。いずれにしろカネゴン頭脳は17世紀のまま止まっていることを改めて痛感【お猿の次はおれカネゴン】。
CATVで「シャイニング」をやってたのでつい見てしまう。以前見たのは繭(小学生)の頃で、途中に出てきた素っ裸の女幽霊につけられていたぼかしに戸惑ってしまったことを思い出した。今見ると、おしゃれな舞台(ホテル)とジャックニコルソンのトゥーマッチな演技のギャップが凄く、明らかに竹中直人に影響を与えている。そう言えば漫画でもさんざんパロディにされていたし。あそこまで思う存分オーバーアクション(ギターソロ2時間分に匹敵)をやれたら役者冥利に尽きるのでしょうか。大騒ぎした割には犠牲者は2人で済んだのは登場人物がえらく少ないからか。サントラにバルトークの弦チェレが使われていたことを今回初めて知る。やはり現代音楽はホラー映画にのみ大きく貢献していると確信。
ご多分に洩れず、カネゴンは本屋とか図書館に行くとトイレが近くなるのだけど、キューブリックの映画を見ているとジャンルを問わずいつも図書館のようにひんやりした感じがつきまとって、同じ意味でトイレに行きたくなる。キューブリック映画を今後「図書館映画」と呼ぶことにします【迷惑千万おれカネゴン】。
トリビアの泉Unix版。番組の方は未見。
妙に体調が優れない。身体が夏モードから冬モードへ音を立ててトランスフォーム中なのかもしれない【既にガタピシおれカネゴン】。
CPUの創り方が我が家にも到着。でかでかとメイドのお姉さまが印刷された表紙が何ともまぶしい【目のやり場にはおれカネゴン】。記述の大半が制作以前の内容(テスターとは何かとかデジタル回路の基礎とか)で占められていて、苦労の跡が偲ばれる。次は「歯車」または「レゴ」バージョンを希望。
昨日買った映画秘宝があまりにおかしく、20回ほど笑い転げてしまう【電車で読むとはおれカネゴン】。特に闇部隊ブラックの話(大槻ケンヂの対談)があまりに現実離れしていて、もう五臓六腑が引きちぎれるかと思うほど。最早ネタの完成度としては早鼻行類に完璧に勝利するほどに昇華されている。しかもロマンがある【そんなロマンはおれカネゴン】。必見。
ついでに「さよならジュピター」DVD発売に合わせて小松左京のインタビューが掲載されていて、思ったより元気なことが確認できた。一時期小松左京が激痩せしていて、何か重大な病気だったとしか思えなかったので。受け答えからすると、「ジュピター」が秘宝でさんざんネタにされていたことはご存知ない様子。
午後に頭痛がどんどんひどくなり、耐え切れず早退。
また日付間違えてました。
そう言えば小学校ぐらいの頃、procedureの読み方がわからず適当に「プロセダー」と覚えてしまい、プロシージャと読むことを知ったのはえらく後だったりした【冷汗人生おれカネゴン】。同じくsisterを誤ってsysterと覚えてしまい、訂正に苦労したことも。検索してみると間違いなのか確信犯なのかよくわからないぐらい大量に出てきたけどプロセダーはさすがになかった。
で、その「人に見せない用日記」をつい読み返してみて後悔。いい年してこんな青臭いことを書いていたのかと【こっちの日記もおれカネゴン】。恨み事とか呪文とかそういうのがなかっただけましだけど。封印。
青臭いと言えば、英語だとこの種のニュアンスはことごとくgreenで表されるのが面白い。顔面蒼白もgreenだし、野菜の青臭さや若気の至りにもgreenが使える。さすがに青空を green とは言わないだろうけど。いずれにしろ演算で変換できそうにない関係。
この間合宿で聞いた話:米国西海岸のとある空港で現地人と待ち合わせ、「オレンジ色の車が目印だから」と聞いてたはずなのにそんな車は一向に現れない。すったもんだの末やっと連絡がつき相手に会ってみると、問題の自動車はどう見てもオレンジというよりは茶色にしか見えない。
あと、米国ではピンクは基本色に分類されているのだそうだ。あの色使いに初めて納得がいった。この事件も旗をピンクにしておけば気付かれなかったかもしれない。
aketekureとは何か。この日本語自学自習掲示板のその他のやりとりも何だか面白い【参加したいかおれカネゴン】。
あとラテンの言葉はわからないけどこんなのも。Open up!というよりLet me out!の方が切迫感がありそうな気がする。
とっくに誰か言っているかもしれないけど【後が怖いかおれカネゴン】、チームによるソフトウェア開発は、ある意味銀行強盗になぞらえる方が実態に近いのかもしれないとふと思う。優れた空き巣なら1人で稼いだ方が生産性(?)が高いし、リスク管理(?)も自分についてだけ配慮すればいい。それほどのスキルがない泥棒ならチームを組んで銀行を狙うことになるけど、1人増やせばその分稼ぎが増えるわけではなく、人数を増やすほど見張りと戦闘力が充実する代わりに潜在的に本番で足手まといになる可能性も高まるので、優れた空き巣は他人と組みたがらない。本番でのデスマーチ(銃撃戦)や負傷したメンバーの救出、儲けの分配(誰が貢献したか)など、対応付けると面白い【他人事ならばおれカネゴン】。
ということは、泥棒の仕事を客観的に評価する方法があるのならば、ソフトウェアの品質の評価も可能ということになる(つまり「ない」)。ルパン三世もスペックや金額で勝負しているわけではないように、冗長なコードを100行書くより数行のスマートで効率の良いコードの方がよいことはわかってはいても、それを客観的に評価しようもないのかもしれない【収拾つかないおれカネゴン】。
仕事がまた増えた【楽にはさせぬぞおれカネゴン】。
悪い癖で、仕事に追い詰められるとてきめんにイライラしてしまい、呼吸をするのも忘れてしまうことがある。毎度後で己の器の小ささを痛感してしまう【小さじに一杯おれカネゴン】。
最初の年のこの日記をふと読み返すと、当時は「人に見せない用日記」を別につけていたと書いてあった。そう言えばそんなものがあった。ここに書いている日記は実は日記という気がしなくて、人に見せない方の日記が自分的には本当の日記のような気がしていたのだけど、そちらが続かなかったということはやはりカネゴンは三日坊主(もう少しは続いていたけど)だったのかもしれない。