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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
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2007年 【今月】
もろミシェル・ルグラン風のピエールとカトリーヌは、どうやらスネークマンショーらしい。
やせるデスクトップ壁紙。効かなくても誰からも苦情は出なさそうなあたりが究極のソリューションかもしれない。
「数学は一点の曇りもないところが好き」。カネゴンは問題を解くより起こす方が得意です。
メモ: 希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く。もういくつ寝たら真っ二つに分かれて最終戦争するだろう。
既にそうなのかもしれないけど、会社または組織は「情報の隔壁」以外の存在意義がゆっくりと背中の方から薄れつつあるのかも。後10年もしたら、情報隔壁を死守するためならいかなる犠牲も厭わなくなり、そもそも何がしたかったのか思い出せなくなったりするのかも。
これらの理論は、曲の分析や理解には役立ちますが、それを音楽の普遍的法則と頼って盲信することには疑問を持たざるを得ません。
身近な例で言えば、作曲初心者が「コード理論」の本を手にする時でしょう。最初のうちは、そこに書かれている様々な前提や法則といった知識体系を、無理に理解しようとしないことです。体系的な理解というものは、ある程度の時間をかけた後に経験の連関として生まれてくるでしょう。
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関係ないけど、伊福部昭「管弦楽法」は作曲とかしない人が読んでも相当面白い。旧仮名遣いのエッセイ集にしては値段が破格なのでおいそれとは買えないのだけど。手元にないのだけど、確か「管弦楽を志す人は、最初は打楽器をふんだんに使用する傾向がある。私も『日本狂詩曲』の頃はそうだった。その次は金管楽器をふんだんに使うようになり、その次は木管楽器をふんだんに使うようになる。そして最後には、やはり弦楽器が最上のものであることに気付くようになる」みたいなことが書いてあった。
昨日の続き。カネゴンは金髪女性に惹かれることがほとんどなかったのだけど【和物専門おれカネゴン】、昨日の「ワイルドパーティ」に出てくる女性たちは珍しくカネゴンの前立腺を刺激してくる。にもかかわらず、画面に妙な品格があって、迷走するストーリーや洒落にならないバイオレンスをうまく言いくるめることになぜか成功している。この辺が、単なるお洒落映画以上になれない一昨日の「カジノロワイヤル」と違うところなのかも。小池一夫が池上遼一に「劇画に登場する女性は美しくなければだめだ。女性が美しければ、どんなにインモラルなことをやっても、どんなめちゃくちゃをやっても許される」みたいなことを言ったらしいのだけど、それを無自覚に実践しているのかもしれない。時代からして、小池一夫の方がこの映画から影響を受けた可能性の方が高そうだけど。いずれにしろ、学校で教わっても作れるようにはならない映画だと思う。
四十八手サイドメニューは絵があっさりしているので助かる。
数年ぶりに屋外で身体を動かしてみた【三年寝太郎おれカネゴン】。積年の運動不足の解消というより、身体を動かさないと考えつかないことというのがあるのではないかということを確認してみたかったと自分に言い訳。実際、少し動くだけでかなり身体が温かくなり、上着を脱がずにいられなかった。逆に普段は身体を動かさない分、相当寒がりだったかもしれない。昔の人は今と比べると日常生活の運動量が遥かに多かったと推測できるので、涼しげな日本家屋でも現代の人が考えるほど寒くはなかったのかもしれない。
便利なインターネット上のサービスを教えて下さい。知っていそうで知らないものが結構あった【一知半解おれカネゴン】。
家人が借りてきた下妻物語と、近所で900円で売っていたワイルドパーティを立て続けに見る【今日もこうしておれカネゴン】。
下妻物語は、カネゴンの中でぐっすりと眠りこけていた足軽の血が呼び覚まされるような良い映画。監督がCM出身だそうで、画面のテンポがとても速い。誰しも心の片隅にひっそりと、または大っぴらに足軽の血を飼っているとカネゴン信じているのだけど、やはり時々こうやって解放してあげないといけないことを痛感。終わりの方でちょっと泣きそうになってしまう。西原理恵子の「ぼくんち」を映画にするならこういう感じでお願いします。
ワイルドパーティの方は、まだ小池一夫の若作りが通用していた頃の劇画みたいな感じで、これも映像のテンポが速い。DVDでリマスタリングしたのか、フィルムの経年変化を感じさせない美しさ。エンディングの教訓とハッピーエンドが取って付けたような感じで笑ってしまった。全編で鳴りっぱなしの音楽が大変かっこよく、しかも聴いたことない曲ばかり。それよりもこの映画の妙ちきりんな構造がどうやって成立しているのかが気になってしまう。よくはわからないけど、小池一夫と同じく、たいていの登場人物が気が狂っていて、すぐ服を脱ぐところから考えて、ストーリー以外の要素で支えられていると推測。感想はそのうち。
また漫画喫茶に泊まる【風呂も入らずおれカネゴン】。いきばた主夫ランブルを見つけたので即読み。
アレゲなネットラジオ。出演者の声が見事に裏返ってます【同じ類とはおれカネゴン】。
「ぶっかけ」は英語になっていた。カネゴンがその意味でのぶっかけという言葉を最初に見かけたのはクリームという雑誌だった。
直観に見事に反した答えが快感の三囚人問題と、それと等価なモンティ・ホール問題、そしてベイズの定理。
CMソングサーチエンジン(登録必要)。
クリエイティブになる10の方法。カネゴンの偏見だと思うのだけど【ずばりそうとはおれカネゴン】、西洋文化はこういうのを作るのが好きで仕方ないような気がするのは、やはり旧約聖書がそうであるように、やらなければいけないこと/してはいけないことを全部リストアップしないと気が済まないからなのだろうか。
以前の職場のお得意さんで、世に知られていないおいしい店をたくさん知っている人がいて、何かと懇意にさせてもらったことがある。それらの店はすべてその人が自力で見つけたもので、ガイドブックやネット情報はまったく当てにしていなかった。仕事もプライベート(女遊び)も大変忙しい人で、どうやってそんなにおいしい店をたくさん見つけるのかとカネゴンがたずねると、「おいしくなかった店は紹介してないだけですよ」との由。今から思えば、カネゴンの日記の方針にいつの間にか影響を与えていたのはこの一言だったのかもしれない。
007カジノロワイヤルをDVDで見る。前回見たのは10年以上前だけど、ほとんどストーリーを覚えていなかったことに気付く。たぶん次回見るときにも覚えていないかもしれない。今回見直してもやっぱり編集がものすごく変なのだけど、個々のシーンと音楽はやはり力強い。映画学校の入学試験として、この映画を編集させるというのがあってもいいかもしれない。うまく編集したらプリズナーNo.6みたいになるかも【大して変わらぬおれカネゴン】。ウッディ・アレンの「頭がかわいそうな人」の演技が大変気に入ってしまった。
最近、mixiで(カネゴンにとっての)有名人を見つけては「お気に入り」に登録することに夢中になっている自分を発見。
アラン・ケイ「科学とは、新しいアイデアを学ぶためのもの」。
生物学五輪に初の高校生派遣へ。知識を競うにあたって、手探りゲーム方式で全神経を指先に集中して袋に入った生物を当てるというのはどうだろう【蠍毒蜘蛛おれカネゴン】
幻の楽器Mellophoniumについてこれ以上ないぐらい詳しく書かれたページを発見。メロフォニウムセクションの写真を初めて見た。
塩野七生のサイレント・マイノリティをとりあえず読み終わる。一見かなり身も蓋もない書き方をしているようでいて【うっすら無礼なおれカネゴン】、実は同性からの嫉妬を集めないことに最も(そしてさりげなく)心を砕いていることに興味を持った。うろ覚えだけど、「女性は、美しくて才能もありお金も時間もある女性に対して絶対に寛容でない。しかし、そういう羨ましい女性が決して手に入れられないもの(たいていは子供とか他の種類の幸せ)を自分たちが手にしているとわかると、途端に寛容になる」と物凄く的確な女心のリバースエンジニアリングを行っていて、作者が愛してやまない(文字通りの)ソーシャルエンジニアリングの元祖マキアヴェリからちゃんと学んでいることに感じ入る。やはり嫉妬を集めないことこそ長生きの秘訣であることを痛感【きっとどこかでおれカネゴン】。カネゴンは読まないけど、きっと芸能人は風姿花伝と並んでマキアヴェリを読んだ方がよいと思う。本書は頭のよい人を恥じ入らせる「なんちゃって歴史家」のノリで書かれているので、千夜千冊の選者はプライドが邪魔してきっとこういう本を収録しないのだろうけど、非常にもったいないことだと思う。
本書で長々と引用されていた、何とかとか言うイタリアの役人が書いた「真の保守派とは」という文章が極めつけに面白かった。もうここに全文書きたいぐらいで、元が引用だからさらに引用しても問題ないかと思ったけど不明なのでやめておく【もしもやったらおれカネゴン】。なお、ここで言われている「真の保守派」という言葉は「真のハッカー」に置き換えてもたぶん差し支えない。これまた引用されていた花田清輝の文章もめちゃくちゃ面白かった。まさに引用の天才というか、むしろ町山さんを喧嘩腰でなくしたような編集のセンスを感じる。
メモ: 分散オブジェクト入門。
うまく嫌われるための心理学【うまくはないがおれカネゴン】。
「談話室 滝沢」閉店。カネゴンが以前いた会社は手狭だったため、年に一度の人事面談をここでやっていた。実は「喫茶マイアミ」には一度も入ったことがない。
ナタデココで薄型ディスプレーの基板を製作。今度はふぐの薄作りでお願いします。
専用LSIによるハードウェアWebサーバー。去年のニュースです。
グループウェア、ダメダメ。かようにグループウェアはハッカーの心の琴線に触れないらしい。他にどんなものが触れないかチェックしてみるのもいいかも。
ナード度テスト。カネゴンのは:
- Overall, you scored as follows:
8% scored higher (more nerdy), and
92% scored lower (less nerdy).
What does this mean? Your nerdiness is:
Supreme Nerd. Apply for a professorship at MIT now!!!.
最後の一文は「吉本行け」みたいな響き【来るならこっちにおれカネゴン】。
Perl, Python, Ruby の比較。一つ試すごとに記憶を失えればもっと正確にテストできるだろうか。
メモ: フリーのC/C++開発環境BCC。他にこれも。
やまけんの出張食い倒れ日記は食欲を直撃する。
wikiの効果的な荒らし方。もしかするとこんな感じなのだろうか。
文章をつまらなくする禁じ手一覧。最初実名が飛び交っているかと思ったけどそうではなかった。
関係ないけど、大学で古典和声(フランス式)の授業を取ったときに一番面白かったのが、禁則がものすごく多いことだった。たとえば5度の平行移動(ドとソを鳴らし、次にレとラを鳴らすなど)は最もいけないこととされていて、当時は大変窮屈に感じたのだけど、今から思えばちゃんと意味があった。古典和声は主に人声のハーモニーや弦楽四重奏などが念頭に置かれており、こういう音楽では基本的に3度(ドとミなど)と6度(ドとラなど)を使用するのだけど、ここに5度の平行移動が混じると、ちょうどつげ義春日記で陰気な独白が延々と続いた後に突然「なーんちゃって」と書いてあったのと同じぐらい目立ってしまう。でもこの禁則は破ったら死刑になるようなものではなく(でないとすべてのロックが死罪になってしまう)、物つくりの基本として、いったん古典和声風のトーンにすると決めたら他の要素を混ぜないということなのだと随分後になって気が付いた。基本は基本なので、そこから先は守るも自由、破るも自由なのだけど、いろんな人のやってきたことや証言を見ると、何もないまま知らずに破るより、基本を確立してから確信犯で破る方が不思議に自由度が高そうに見える。そういう意味で勉強が大事なのかと気付いたときにはもう遅い【死んでも花実はおれカネゴン】。
CATVでどこかの未開の地の裸族(アフリカなのかニューギニアなのかすらわからず)を特集した番組を見ていて、こういう未開の地にはやくざ/マフィアの類はいないのだろうかとふと疑問に思う。古今東西の歴史を、やくざがいる/いないで塗り分けた地図があったらぜひ見てみたいのだけど、たぶんどこにもなさそう。
カネゴンは初期(ムックだった頃)の映画秘宝を、一字一句そらんじるまで繰り返し読んでいたことがあり【山にこもっておれカネゴン】、自動的に切通理作の文章をそこでたくさん目にした。というより映画秘宝と映画宝島以外で読んだことないのだけど。氏が愛するさまざまな映画/TVドラマを熱く、しかもひどく真面目な文体で語り倒すところにとても惹かれた。当時のカネゴンは、自分がどうしようもなくいい加減な人間だということにこれっぽちも気付いておらず、それどころか、どこをどう間違ったのか自分をひどく真面目な人間だと内心こっそり思っていたために、そこで勘違いゆえのシンパシーが生まれていたのかもしれない【不憫な者とはおれカネゴン】。その一方でデルモンテ平山の素っ頓狂な文体も大好きだったけど。
こだわりアカデミー新作「道具学から見た日本文化」。
そう言えば、水木しげるや楳図かずおの漫画を読んでいて怖いと思ったことがなかった(「おろち」の光る目の小僧はさすがに気持ち悪かったけど)。古賀新一の「妖虫」はあんなに怖かったのに。
カネゴンにとって妖虫で一番怖かったのが、異常に勉強熱心な中学生が妖虫に取り憑かれてしまったエピソード。勉強中に「おかしい、ここ最近学校で習ったことを全部忘れてしまっているみたいだ。代数もさっぱりわからない!」と苦悶し、一週間後見る見るうちに老人になって死んだ。しかも死後解剖したら内臓が全部昆虫のそれになっていたというおまけ付きで。アルジャーノンよりも前に、夜中に自分が背中の方から少しずつ馬鹿になっていく恐怖を味わったのだけど、その後その恐怖を今日になっても味わい続けるとまでは予想できなかった【単なる焦りのおれカネゴン】。
漫画家は体力勝負です。手塚治虫も石ノ森章太郎もあすなひろしも享年60。藤子・F・不二雄は享年62。青木雄二は享年58。谷岡ヤスジは享年56(この辺参照)。何となく、60は漫画家にとって一つの大きな壁なのかもしれない。編集者の平均年齢はこれとどのぐらい違うのだろう【もうすぐこっちにおれカネゴン】。
ちょっと気が遠くなる。
美人の値打ちが下がる。エンジニアの値段も着々とそうなっていたらどうしよう。
数当てゲーム「Petals Around the Rose」。今のところカネゴン解けていない。ヒントにあるように、もしかすると意表を衝くほどしょうもないアルゴリズムなのかもしれない。
新山さんの「姓と名が同じ音でできている名前」。一作ごとに作風がころころ変わっていたのはよしもとよしとも。
World Wind 1.2は、衛星写真にさまざまなデータを重ねて表示することのできるNASAのソフトウェア(from What is going on?)。まだ動かしてないけど、スクリーンショットを見たら、これだけでアニメーション作品が作れてしまうのではないかと思ってしまう。
同じページで紹介されていたFutureshockのプロモーションビデオはイナズマンのオープニングテーマそっくりの雄叫びが聴ける。
香港の空手漫画雑誌の表紙コレクションは半端でなく血まみれ。逆井五郎みたいな絵から松久由宇みたいな劇画調へと進化する様子が手に取るようにわかる【隅から隅までおれカネゴン】。
ねずみ男駅。そのうち豚小屋駅とか犬小屋駅ができてしまったりしたらどうしよう。
つまらんことを考える。どちらがいいというわけではなく、若いということは無駄な動きが多いということで、老いるということは無駄な動きがなくなってしまうということなのではないかしら。ヒポクラテスが書き残した「老人は最も絶食に強い。幼児ほど絶食に耐えられない」とか、上達すると脳が節約モードになるというのは、見ようによってはそういうことだったのかも。桜井章一みたいに麻雀中にまったく無駄な動きをしない人は、若いときから考え方が相当老けていたりするだろうか。昔なら年とともに技術を磨き無駄な動きを整理して洗練させることで生存を有利にできたのが、ハイテクが普及するに連れて、特定の技術に過剰適応することが逆に生存に不利になりつつあるとしたら、今後は皆揃って相当いい年までなるべくじたばたと無駄な動きをし続けるように進化したりするだろうか。
塩野七生の本を偶然読んでみた。文章は何だか読みにくいけど【人のことだとおれカネゴン】、未邦訳の文献をイタリアで読みまくっているらしく、元ネタはかなり面白かった。それだけに参考文献が記されておらず出典もぼやかされているのはかなり残念。
昨日家人と見に行ったフランスのアニメ「ベルヴィル・ランデブー」はかなりの拾い物で、思わずCDまで買ってしまった(今時CCCDなのが残念)。深読みの必要のないストーリー、パンフで大友克洋が絶賛していて、内心はかなり悔しいのではないかとカネゴンが邪推するほど凝りまくった映像。いい意味でフォーマットを微妙に外したジャズがめちゃくちゃかっこいい。カーチェイスのようなそうでないようなシーンの音楽は5/4拍子で、スタン・ケントンのブラスをストリングスとフルートに置き換えたようなプログレ魂炸裂。冒頭まもなくいきなりグレン・グールドの、背中がぞくぞくするようなバッハがかかったのにびっくり。
フランスでは100万人動員したとパンフにあり、これがフランス人が考える「子供が見ていいアニメ」なのかもしれないと思ったりした。昔っぽい酒場の悪徳やアパートの廊下で商売する娼婦など出てくるけど、フランス人はきっとそういうのは気にしないのだろう。きっと「クレヨンしんちゃん」とかの方が目障りだと思っているかもしれない。
気のせいかもしれないけど、ヨーロッパのアニメはセリフがなくてもわかるように作らなければいけないという暗黙の了解でもあるのだろうか。
今から始めるGreteful Deadは、初めてGrateful Deadにはまった作者がRPGのごとく情報を集めまくるドキュメンタリー。関係ないけど、今夜間に合う勃起酒というコピーを思い出した。
今月のScientific Americanの記事:
胃潰瘍や胃がんの原因であるヘリコバクター・ピロリ菌を除去すると、確かに胃の幽門部(出口)がんや胃潰瘍にかかる確率が下がる代わりに、今度は胃酸の酸度が強くなりすぎて(ピロリ菌は自衛のためにアルカリを放出して胃酸を中和する)、胃の噴門部(入口)の炎症やがんの確率がぐんとアップしてしまうらしい。なお、ピロリ菌の保菌率は発展途上国で高く、先進国ほど低くなっているとのこと。
ふと思ったのだけど、諸星大二郎の漫画は中国文化圏ではどんなふうに受け止められているのだろう。案外珍しくもないものとしてスルーされていたりして。
結城さんによるSubversionの基礎練習。
Subversionを使ってPukiWikiのアップデートを自動化する。Pukiwiki文書のではなくPukiwikiそのもののアップデートの自動化。
こんなこと書いたら非難ごうごうかもしれないけど【邪道の化身のおれカネゴン】、グレン・グールドのバッハは、CDとかで真正面からみっちりとお腹いっぱいになるまで聴くより、一番おいしい部分をちらりと聴く方がずっといいような気がする。たぶん思った以上にCM音楽に向いていると思うし、サンプリング/リコンストラクションしがいがある素材だと思う。
mixiである方の日記から拾った、あるミュージシャン(作曲家/ギタリスト/アレンジャー)の言葉:
(突如アレンジを猛勉強したことについて)
勉強しないと自由になれないってことに、気づく時期が来たんですよ。
カネゴンはハッカーでも研究者でもないので他人事として書いてしまうけど、研究者と教育者と論文執筆者と発表者(プレゼンター)とプロデューサー(資金集め担当)がそれぞれ独立したプロフェッショナルとして役割分担するようになったら、皆諸手を上げて喜ぶだろうか。それとも五倍の人件費を大学や研究機関が支えきれなくなったりするだろうか。それともプロデューサーが資金を持ち逃げするのが先だろうか。
はてなブックマークとdel.icio.usを試してみた。両者ともだいたい使い方は同じ。ただ、カネゴンが真面目にタグをつければつけるほどタグスパムになってしまいそうで(特に自分の日記)、やむなく外す【意気地がないとはおれカネゴン】。
カネゴン勘違い判明。これらのブックマークは、どちらかというとサイト/ページ単位ではなく、記事単位で登録することを念頭に置いているらしい。カネゴンは、ついアンテナみたいに考えていた。うう。だとすると、記事を登録するたびにどのぐらいまめにタグを付けられるかが勝負なのかもしれない。
昨日書いた受付の極意のルートに移動すると、「fringe.jp - 小劇場演劇の制作者を支援するサイト」であることを家人から教えてもらった。[ナレッジ]をクリックすると、演劇関係者以外(プロジェクト・マネージャなど)もも思わず考えさせられる豊富なノウハウや心得が惜しげもなく紹介されている。あけてくれ主宰M1号の地上名を見かけ、びっくり。
最近ハワイに行った人の話によると、書店に「Graphic Novels」とかいう名前(←出版のブランド名だったかもしれない)で日本の漫画が物凄い勢いで増えているらしい。「どうしてこんな漫画が」というマイナーなものまで次々に翻訳されているとか。
2001年7/31の日記にも書いたけど、やっぱりカネゴンはおしゃべりなのだということを痛感【語って終わるおれカネゴン】。姓名判断の結果を聞いたとき、「え、でも私は喋るのはとても下手です」と言ったら「いや、喋るのが下手なのか猫をかぶっているだけなのかは知らないが、あんたは間違いなく、本質的におしゃべりだ」とずんばらりと断定されてしまった【皆はとっくにおれカネゴン】。
「どんなに踏まれても蹴られても立ち直る力がある」とも言われたのだけど、それ以前に踏まれたり蹴られたりしない人生の方がずっとよかったと思うのはカネゴン贅沢なのでしょうか【それが定めのおれカネゴン】。
家人が買ってきたナポレオン・ダイナマイト(前のリンクはネタバレだったため変更しました)のDVDを2人で鑑賞。聞き取りのだめなカネゴンはDVDの英語字幕機能のありがたみを痛感。ヤンマガに時たま掲載される、奇跡のようによくできたギャグ短編みたいでよかった。登場人物がみな演技がうまく、カネゴンの身体の動きをいつキャプチャしたのかと思わず疑ったほど。色川武大が生きていたらきっと激賞したと思う【聞いておこうかおれカネゴン】。
ボビー・マクファーリンのDon't worry, Be happy。
ジミー・スミス逝去。カネゴンはジミー・スミスは「The Cats」しか持ってないけど、明らかにジミー・スミスの影響を受けたと思しきキース・エマーソンは大好きだったので、間接的に聴いていたようなものだったかもしれない。
Rosegardenはunixベースの音楽制作ツール。
民俗学。このあたりはPlaynoteニュースクリップから。
諸星大二郎がいつの間にか小説「キョウコのキョウは恐怖の恐」を出版していたことをmixiで知る。小説は読まないと決心して長いカネゴンだけど、思わず禁を破ってしまいそうに【鍋は底抜けおれカネゴン】。
新聞・テレビを殺します。いっそ「新聞・テレビを(ウルトラ兄弟のように)十字架にかけます」と言ったらもっと騒ぎになっただろうか【大逆事件とおれカネゴン】。
映画「テルミン」にもちゃっかり出演していたモーグ博士のドキュメンタリー映画「モーグ」があることをmixiで知る。ドキュメンタリーというからには、放送大学と同じノリでミニムーグの回路説明や、博士の秋葉少年時代の再現などを延々とやってほしい【他人のことなどおれカネゴン】。
エバーグリーンな企画「プログラマー的替え歌」。
食べ過ぎて苦しい【不惑間近のおれカネゴン】。
頭音という言葉はカネゴンが勝手に作った言葉なのだけど【日本語汚すおれカネゴン】、実際の頭音の中には深刻なものやわけわからないけど凄いものもあるらしい。真面目なところではスプーナリズム(頭音変換)というものもあった。
ドラゴン桜(カネゴン家ではドラザと略)がますますもって目が離せない。カネゴンの期待どおり、修行シーンをあまさず描いていてうれしい限り。
この漫画の真のよさは、絵でもストーリーでもなく、ましてや受験ノウハウでもなく、近年まれに見るほど「説教がうまい」ことだと気付く。あまり気付かれていないかもしれないけど、説教には歴然と才能の差が現れる。説教だけなら誰でもできるし、説教を織り交ぜた漫画やWeb日記は数多いけど、この作者が放つ、心に沁みる説教のうまさは別格で、一見べたべたな説明画や、鳩が豆鉄砲食らったような顔の登場人物も、この説教を実に効果的に支援している。というわけで、ノウハウ漫画としては珍しくデザインパターンに頼らないこの漫画を真似することは実はかなり難しいと思う。このキングオブプリーチャーの力量たるや、その気になればエジプトに乗り込んで60万人ほど引き連れて脱出させることができるかもしれないと思わせるほど【思うでないわおれカネゴン】。もっともっとカネゴンに説教して欲しい。
Tiny C コンパイラ。創刊当時のアスキーに掲載されていたTiny Basicは、16進数のダンプリストが2ページから4ページ程度だった。
「サザエさん」の視聴率が高い時期は株価が下落し、逆に低い時期には株価が上昇する傾向がある。株価が太陽黒点の数と相関しているという珍説をどこかで聞いたような。
コンピュータと人間で作るアーキテクチャ Folksonomy(フォークソノミー)。こうして日々着々と、トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウスのようにあらゆる情報がタグ化されていることを痛感。
小論文自動採点システムの開発。この日記の一部をかけてみたら、「出題と答えの関連性が薄いようです」とずばり指摘されてしまった。うう。
それより先に、誰でも使える、本来の意味でのスタイルガイド(日本語用)がGPLで配布されていたりしないのだろうか。今なら自動翻訳や文章解析、自動校正機能にも配慮する必要もありそう。こういうのやこういうのではなく、文章の表現にまで立ち入ったものが欲しい。もちろん業界や出版社によってスタイルの違いがあるのは当然なので、それらのベースクラスになるようなもの。どういうわけか、スタイルガイドは門外不出の扱いを受けることが多いので。
新潮社の凄腕校正部と電車男での校正。突然沼正三の名前が出てきて面食らった。
タイトルを忘れたけど、倉坂鬼一郎のエッセイで、長年校正の仕事に携わっていたときの恨みつらみを面白おかしく告白していたのを読んだことがあった。氏曰く、校正に携わる人はどこか世間からずれている人が多いとのことで、自分を含めてさまざまな校正奇人が紹介されていた。中でも「カレンダーの校正」のような単調な作業に従事する集中力は本当に並でないと思わせた。本人も最後にぶち切れて劇的に退社した後、本格的に小説家になった由。しかし彼らは間違いなく達人でもあるわけで、道を究めることの凄まじさをちょっとだけ感じた【見上げるだけのおれカネゴン】。
最上先生の「日本発の科学のテーマは非常に少ない」。ここのエッセイは毎回楽しみです。
考えるに創造的であるためには内部で密度高くコミュニケーションが行われる小さなコミュニティーが必要なのだと思う。(コミュニティーが小さい事以外に大事なのは、自分の作品を他人の価値観で判断しない事だと思う。)
結成前のヒカシューのメンバーは、練馬のアパートで共同生活をずっと続けていて、いみじくもそこを洗濯船と呼んでいた。本人たちいわく「巻上君の友達の自称心理学者やら何やらいろいろ転がり込んできて、もうぐっちょんぐっちょんの生活が展開されたわけ」で、他の住民は恐れをなして皆逃げてしまったとか。
ずっと前に何かの雑誌で桑田佳佑のインタビューを読んで意外だったのは、桑田は青学の音楽サークルではまったく相手にされず、あまつさえ当時付き合っていた女の子までサークルのメンバーに寝取られてしまったため、サークルから離れてしょぼしょぼと活動するしかなかったという告白だった。もしかすると狭いところで適応しすぎないことも重要なのかもしれないと思えてしまう。
奇しくもサザンとヒカシューは一時期同じ事務所だったことがあるのだけど、詩人としての力量も互いにいい勝負だったと個人的に思う。ただそのベクトルはまったく逆で、桑田の詞がエッチな方向に強みを発揮するのに対し、巻上公一の詞はそれと正反対の、男と女の盛り上がりに水を差すような詞で、それがまたよかった【素直でないとはおれカネゴン】。
昨日書いたことを訂正。フレドリック・ブラウンの小説が読書嫌いにそんなに効いてしまうということは、見方を変えれば相当な劇薬でもあるということで、用法には注意が必要。副作用として原理主義的なSFファンになってしまうなどがありうるので。
冬将軍ウオッチブログ。カネゴン家では同じ天気予報のかわいい雪だるまが圧倒的に人気です。
大評判の理系・文系に代わるカテゴリ。現在「体育会系」となっている不適切な分類も合わせて解決したいところ。これが最終形ではないだろうから、これを叩き台にカテゴリを煮詰めてみるといいのかもしれない【後から来といておれカネゴン】。
カテゴリがもし4つになれば、ちょうどまきびしのような形に立体成型でき、なおかつ4つのうち3つの分野にもまたがったベクトルもすぐ理解できるので、初めからボーダーレスになって縄張り争いを未然に防げたりしないだろうか。成分表示も楽々だし、平面で東西南北に表示すると逆に東と西が対に見えてしまってよくないかも。
そしてどのカテゴリの人も幸せになれるように、カテゴリの名前付けには慎重にも慎重を期したい。あえて名が体を表さなくても、たとえば四天王のような感じで。あるいは、そのジャンルを最も極端に表す人名を使ってもいいのかも。
カネゴンが例外的にフレドリック・ブラウンを勧めてしまうのは、内容どうこうではなく、この人の本がどういうわけか「読書嫌い」または「ろくすっぽ本を読んだことがない人」に異常なまでによく効いてしまうからだったりする。百戦錬磨の読書好きには今更な内容なのだろうけど、ここまでよく効いてしまうのは今のところ他には成りあがりぐらいしか知らない。
一人でなくなりました。
きわめて慎重に風呂に入り、物凄い勢いで身体を乾かす。
The Round Table(from 読書記録Changelog)はマジックのみならず、芸事全般についてびしびし厳しいことが書いてあって読ませ、このまま入試問題に使ってもいいぐらい文章がうまい。風姿花伝のどこかにも同じようなことが書いてあったような気がする。
ここではマジックを見せることができなくなったマジシャンにちょっとしたアドバイスをしますが、マジックをやらなくてもよいのでしたら無理にする必要などありません。マジックは大変パラドキシカルな芸です。マジックなどやらなくても十分魅力のある人がやってこそ光る芸です。
本人がどれだけ自分の芸がすばらしいもの、価値のあるものと思っていても、相手がそれを受け入れなければ二束三文です。他人に、この値打ちを理解しろと言ってもそれは無理です。第一、この世に絶対的な価値のあるものなど何もありません。「私の気に入っているものは、あなたも気に入らなければならない」というのは、明らかに「非論理的な思いこみ」(irrational belief)です。
子供のために本を選ぶ前に読み返したい。
10年以上も前の年末に、紅白の前に恒例として放映されていたNHKのマジック番組で、一度度肝を抜かれたことがあったのを思い出した。
舞台の上で大勢の観客を前に、マジシャンが手品を披露しているところを、ステージの後ろから固定カメラが様子を中継している。マジックは、低い台に置いた西洋棺桶から人を出すというもの。マジシャンは棺桶を開けて客に見せ、中身が空であることを示し、再び棺桶を閉じる。とそのとき、棺桶の裏側で、観客から見えないステージの床が開き、男(サクラ)がこっそりと這い出してくる。棺桶の裏は案の定蓋が開くようになっていて、男はこっそりその蓋を開けて棺桶の中に忍び込む。この様子は固定カメラで手に取るようにわかるが、客はまったく気付かない。そしてマジシャンが棺桶に布をかけて呪文を唱え、ドラムロールの鳴り響く中、おもむろに棺桶を開くと、派手な音楽とともに中からセクシーダイナマイトな水着女性が華やかに登場。種明かしだとばかり思っていたカネゴンは、あまりのことに一瞬取り乱してしまった。今から思えば、マジシャンに嫌われがちなTVカメラを見事取り込んだ、天晴れとしか言いようのない仕掛けだった。
また日付間違ってました。
辛いラーメンを食べたら一転して鼻水が出始める。
今夜、一人でなくなります。
参加者が会員制のデビルマン イラスト集は水準が高い(from 借力さん)。もしかすると浮世絵の「富士山」のように「デビルマン」というジャンルができつつあるのかもしれない。この人たちが総出でミケランジェロみたいに寺院に壮大なデビルマンフレスコ画をものする日が来ることを期待します。
以前から提案はあったかもしれないけど、一時的かつ絶対安全に記憶を喪失することができる装置ができたら、かなり需要があったりしないだろうか。自分が作り出したものを客観視してみたいすべての人にとって【したら落ち込むおれカネゴン】。最大の問題は、スイッチを切ることを思い出せるかどうかだったりして。
万一カネゴンが記憶喪失になった場合、この日記を読み込んだらカネゴンは復旧するだろうか【廃棄処分のおれカネゴン】。
たぶん以前にも書いたけど、最近のお話作りではとんと「記憶喪失もの」を見かけなくなった(もしかしたら火サスとかでは健在かも)。お話作りにも流行り廃りがあることを痛感。TV版「人造人間キカイダー」で、光明寺博士が記憶を失ってホームレス同然に日本全国をさ迷い歩き、しまいにはハカイダーに脳を奪われて脳質を取られてしまう姿は、元が博士だけに子供心にもつらかった。
実際に記憶喪失になった人の体験。ついでに記憶喪失に効く漢方薬も発見。
おそらく「ルポ・精神病棟」という本やレインボーマンのせいもあって「電気ショック療法」に思い切り負のイメージがつきまとってしまったけれど、どうやら実際にはそういう怖いものではないらしい。術式の前にはきちんと麻酔をするので痛みはまったくなく、通電時のけいれん(筋弛緩剤で止められる)や軽い記憶障害(2、3日で元に戻る)以外副作用のない、むしろ治療法として優れたものらしい。特に難治性うつ病に劇的に効く(意外にも統合失調症にはそれほどは効かない)らしいとのこと。懲罰に使われた歴史もあったらしいので仕方がないとは言え、やはり「電気ショック」とか「電気けいれん」という刺激的な言葉の選びがまずかったと思うので、「電圧印加療法」とかに替えてみたらとも思う。カネゴンなら、先生が最初に目の前でやってくれたらやってあげてもいいです【腰が逃げてるおれカネゴン】。昨今は磁気刺激療法というさらにマイルドなものもあるみたい。
草津温泉のお湯から特殊な布でレアメタルを採取。「国家備蓄の対象」という言葉を初めて知った。
今まで読んだ本の中で、あなたが「紹介したい!」と思うのはなんですか?。
かつてカネゴンは仕方なくこのあたりで紹介されていた本から手をつけたのだけど、当時のカネゴンは転校続きのためか、カネゴンに「そんな本なんか読むもんじゃないよ」と厳しく助言してくれるような賢いお兄さんや先輩に恵まれなかった【悔やんでおるとはおれカネゴン】。
今なら、ベルリンの壁の存在期間を算出する方法を参考に「1000年後にもその本が残っているかどうか」を基準にして勧めるかもしれない。とすると必然的に古典ということになってしまう。そして古典で誤っていたり不明瞭な部分を補完するために最新のものも紹介しないといけない。本だけではなく、映画や演劇や音楽やTV番組や漫画や美術も同様の基準で選出する。それが多すぎてうんざりするようでは意味がないので、相当絞り込まないといけない。そのためにも、そこから知識を得る云々より、他の本を読むきっかけになるような特殊な魅力のある本であることも重要な基準。そして何よりカネゴンの偏った好みを極力排除しないといけない。小説は止めないけど勧めません(フレドリック・ブラウンを除く)。そして、たとえどんなに出来がよくて評価が定まっていても、精神的に不健康な作品は中学生には紹介しない(小学生と高校生ならいいです)。人の趣味は明らかに中学生の頃に定まるし、趣味は自分一人で洗練させることは不可能なので、この時期に近所にそういうお兄さんや先輩がいる人は本当に幸せです。
かといって、それを絶対視してしまったりしてもきっとおかしなことになる。誰が飲んでも大丈夫な薬がないように、本当は子供の性格に合わせて処方するべきなのかもしれない。人類はとっくにそのためのデータベースを構築していると思っていたのですが、そうでもないのでしょうか。嗚呼カネゴンも読書をコンサルティングして欲しい【まずは生活おれカネゴン】。もししてもらったら「これとこれとこれとこれとこれは控えてください」と言われてしまいそうだけど。
初めて薬を飲んだせいか、以前かかって自力で治したときよりは経過が少しいい。その代わりかなり腹が下る。
米国の個人破産の半数は高額な医療費が原因。米国の医者は揃いも揃ってブラックジャック並の報酬でも受け取っているのかも。そのうち医療関係の特許を全部ご破算にせざるを得なくなったりして。
次の世代のPCベースのコンピュータ アーキテクチャはこんな感じであって欲しい。OS だけの問題ではないので大変だとは思いますが【いけずうずうしきおれカネゴン】。
せっかく新しいCPUができたのだから、ついでにやってくれると助かります【願って叶わぬおれカネゴン】。このアーキテクチャはたぶんゲームには不向きかもしれないですが。
寝込んでいたために、北の主席が究極兵器の所有を宣言して急に強気になったことを知らなかった。こういう場合誰に頼めばよいのでしょう。マスターキートンか勇午かドラえもんか。はたまた陸奥宗光か杉原千畝か【ゴルゴ13おれカネゴン】。
エリコの戦いにあったように、攻める側が角笛を吹いて城壁の外をひたすら練り歩いたら、攻められた方にとっては意図が読めず、相当不気味だっただろうと想像できる。意図不明なことをしているときには、必ずその裏に意図があるというか、みえみえの待ちには誰も振り込んでくれないことを痛感。
Wikipediaで中東戦争の項を読むまで、実は中東戦争がどういうものか今ひとつわかっていなかった。ちょうど今ヨシュア記にさしかかっているところなので、そのつもりでなくても何だか符合しているように見えてしまう。
別件で、東大と中央大が争う中東戦争というのもあったらしい。
宇宙の「隠れた」物質を発見(from ニュージーランド)。隠れた物質と暗黒物質が別々のものであることを今頃知った。今までてっきり同じものだとばかり。
祟徳上皇の因縁。平安時代の人なのに、明治時代になっても密かに「祟徳院怨霊!」とつぶやく人が大勢いたために、明治政府が慌てて祭ったらしい。平将門といい、怨霊になると死後いろいろ役得がありそうで、恨みを呑んで死ぬのも悪くないような気がしてくる【こっちでやるなとおれカネゴン】。
FirefoxでMathMLを使えるようにする追加設定。気付くのが遅れました。
日付を間違いまくっていた。
朝から突然高熱を発し、筋肉痛と頭痛【10年ぶりとはおれカネゴン】。しんどくてものが考えられないため早退。うう。即寝ます。
病院でインフルエンザの検査のために鼻の奥に長い長い綿棒を挿入され、もだえ苦しむ【脳下垂体おれカネゴン】。先生は「ずいぶん狭いですなあ」と。カネゴン実は積年の鼻づまりのくせに口で呼吸することを避けており、わずかな隙間をいとおしむように慎重に呼吸している【酸素足りないおれカネゴン】。
一人は意外にさみしいことに気が付く【かつては違ったおれカネゴン】。
メモ: 真鵺道。調べるうちに、結城さんの情報ページでとっくに紹介されていたことに気が付く。
うそをかいているわけではない。毎日虚構を創作するほどには、普通の人間には体力も知力もないのである。でも言葉で自分を確定しているうちに、現実の自分との間になんらかの微妙な差異が生まれる。自分の中のほんの小さなことを四捨五入されることで生まれる差異。その差異がいつしかフィードバックされてくるのだ。
実はこの日記を書いてきたことで、まさにこの現象に直面している。言われるまで気付かなかったのだけど、有言不実行のカネゴンは主観的には冗談めかしたビッグマウスなことばかり書いているつもりだったのが、ともすると他の人の受け取り方が違っていることがだんだんわかってきた【化けの皮着るおれカネゴン】。どうかここに書いてあることを本気にしないでください。
年とともにはっきりわかってきたのだけど、いろんな意味でカネゴンのセンスにはどうしようもなくダサい何かが生まれつき深々と突き刺さっている【皆はとっくにおれカネゴン】。今はだいぶかさぶたもできたとは言え、自分の趣味の悪さに真剣に頭を抱えた時期もあった。この日記を書いているうちにいろいろと好みは変わってきたけど、それもすべてその範囲内だったりする。日記ではおそらく無意識のうちにそういう部分には極力触れないようにしていたために上のような現象が起きてしまったのかもしれない。うう。
文化結合症候群。そういえば三浦先生の本に、心理テストの結果が国によって違うことを確かめた話があったし、大使閣下の料理人でも、違う言語で話すと性格が変わる気弱な女性が登場したことがあった。もしかするとそのうち心理療法として外国語を習得するということが行われたりするかもしれない。
ウェザー・リポートを聞かせてもらったときに一番不思議だったのが、キーボードのジョー・ザヴィヌルの演奏がこれっぽっちもジャズっぽくないことだった。ちゃんとうまいのに、一歩間違えれば「頭がかわいそうな人」と思われてしまってもおかしくない、シンコペーション感覚の欠落したへろへろのシンセしか弾かない。「俺はこんなにうまいんだ」というところを見せ付けようという意識の見当たらない、自閉症みたいなミュージシャン。サックスも、意味があるんだかないんだかわからないようなフレーズばかり吹く(単に困ってただけかもしれない)。ただリズム隊がめちゃくちゃ強力なので、相当アホなことをやっても成立している。とりあえず若手のプロレスラーなどによくある「うますぎて面白くない」という事態には間違ってもならなさそうだった。書いていて思ったのだけど、この「強力なリズムの上にへなへなの上物を乗せる」という方法論は、今から思えば初期のロキシー・ミュージック(ドラムとベースがスタジオミュージシャン)やセックス・ピストルズ(ドラムとギターがスタジオミュージシャン)に思い切り通じるものがある。今でも通用するかどうか知らないけど。この逆(へなへなのリズム隊に激うまの上物)では駄目なところがミソ。
ウェザー・リポートのいびつさは、ある意味では、驚異的なテクニックを持ちながらその80%をかわいい女の子ではなく「老人を執拗に描く」ことに嬉々として費やす漫画家にも通じたりしないだろうか。しないか【もう寝る時間のおれカネゴン】。本人にしてみれば老人の方が皺が多くて描いていて楽しいのかも。
気のせいかもしれないけど、あるジャンルを創設するほどのパイオニアには、必ずこういういびつな部分があるように思える。それまでの常識を壊そうとしているのではなく、どうやっても壊してしまう。そういういびつさ加減は、身近な人にとってはたぶんはた迷惑だったりするのかもしれないけど。
事情があって、土曜日まで一人暮らし。
殊能さんによるシャノンによる英語の近似とその応用の紹介。もしかするとhiraxさんがいつぞや紹介していた単語リストから「それっぽい新単語」を作るも同じ原理なのかもしれない。
隕石は元に戻さず、科学研究のために持ち去られた。科学者が野暮天の極みに見える瞬間。
カネゴンたちは70年代に「地球が寒冷化する」とか「恐怖の大王」とかいろいろと情報操作された記憶がどうしてもつきまとってしまうので【傀儡の人生おれカネゴン】、今度こそそうなのかどうか考え込んでしまう。律法の昔に戻ることができない以上、やはり石油が枯渇しないうちに何としても火星に移住するか、希薄な大気と放射線に耐えられるように人体改造するかぐらいしか思いつかない【突然パニックおれカネゴン】。
だんだん腹が立ってくる採点作業。うう、申し訳ありません。
寺田寅彦のような人物が次世代に増えていったら、日本はステキな国になるんじゃないか。カネゴンも寺田寅彦は大好物だけど、あのような物静かな大人物が続々誕生したらいったいどんなことになるのだろう。考え始めたら怖くなってきたのでやめておきます。
カネゴンのエネルギーの80%は、カネゴンが滅ぼされないために使用されます。
侵入生物データベース【ここに載ってるおれカネゴン】。
知人が海外転勤のため見送り会に出席。その後カネゴンの同級生で、大人の色気むんむんの人妻の家に家人とともに泊めてもらう。漫画喫茶の世話にならずに済んで助かりました。朝シャワーを借りたときに、どれが液体石鹸だかよくわからなくて適当にスーパーモイストと書いてあったボトルで顔を洗ったら、後でリンスだったと判明。うう。なぜかお肌がすこぶるつるつるになったからいいけど【結果オーライおれカネゴン】。
メモ: xyzzy lisp プログラミング。xyzzyのlispはどうしてこんなに高速なのだろう。
むかしのぷろぐらまの苦労話と写真で見る歴史的なコンピュータ【昔に生きるおれカネゴン】。
昔のアニメでは、コンピュータから出力された紙テープを研究所員が読み取って顔色を変えるみたいなシーンが当たり前のようにあったけど、今から思うと紙テープに穿孔されたバイナリデータを直に読むというのは、レコードの溝を読むのに匹敵する凄い技だったと思う。
また日付間違えてました。
ジーン・スタフォードの短編「動物園で」(In the Zoo)に「The way to Hell is paved with good intentions.」ということわざがあり、どこかで見たことがあると思ったら、宮崎学の「地獄への道はアホな正義で埋まっとる」だった。元ネタは聖書かと思ったらレーニンらしい。
(景気のいいイントロ)
あなたのために 守り通した 女の操
今さら人に 捧げられないわ
あなたの 決してお邪魔はしないから
おそばに 置いて欲しいのよ
お別れするより 死にたいわ
女だから
カネゴンが幼虫(小学生)の頃、学校のクラスに「みさお」という名前の女の子がいたのだけど【内輪な話のおれカネゴン】、そのせいで上の歌詞の「女の操」の部分を「みさおは女の子なんだから当たり前じゃん」と非常にくだらない勘違いをしていた。
このナレーションのセリフが、一部、聞き取れないのです(下の方)。カネゴンも、当時この「名を問うなかれ」と言っている部分の意味が取れなかった。イントネーションが絶妙に変だったのかも。
前にも書いたような気がするけど、スイッチ一つで透明になったり不透明になったりするガラス。
ギャル用語に対する大人の態度が軟化している。言うことを聞かない者たちをモーゼのように「律法の昔に戻れ」と問答無用で叱り飛ばしたり数千人単位で殺戮して回る大人は絶滅の危機に瀕していたりするのかも。
iPodを自粛できない社員たち。上に立つ者としては、モーゼのように数千人単位で殺して回りたいところかもしれない【しつこい奴とはおれカネゴン】。
同じ松下で頭を抱えている人たちが。もしかすると、自分が座っている木の枝を切ってしまったのかも。
NT版UNIX-like toolsはcygwinよりお気楽なのがありがたい。
手書きのスペースインベーダ(from Weekly Teinou 蜂 Woman)。後30年もしたらこういう手書き味わいのあるターミナルでないと扱う気になれなくなったりするのだろうか【今日も老けゆくおれカネゴン】。
「昔の電脳は楽しい」は実に貴重な資料。大昔の8インチハードディスクの写真など胸の奥が熱くなる。聞いた話では、昔は200bps程度のモデムが80万円もしたらしい。
第5公理とカルト教団【貴様の仲間かおれカネゴン】。
たまにこの日記を読み返してみると、どうしてそんなことを書いたのか自分でも理解に苦しむ記述多数。
ニューラルネットワークの研究が有意義であるために満たさなくてはならない条件について。
線形加算と非線形演算の組み合わせは計算論的に完全であり、どんな事でもできるのは最初から分かっている。
うう、そうだったのですね。
一部のニューラルネットの研究はメカについての無知から来ていて既知のメカニズムの再発見をして喜んでいる。実現法が既知でない事を目指すならニューラルネットをやめて普通にメカの研究でいい。だからニューラルネットの研究として意味があるのは生体特有の拘束を乗り越える問題のみである。しかし生体特有の拘束は意味のある研究ではあるけど情報処理の本質とは関係ないので、知能の本質とは繋がっていない。
もしかしてニューラルネットワークの研究の大半に引導が渡されたのだろうか。カネゴンの知らないうちに、情報処理と知能の本質の間のギャップは埋められてしまったのだろうか【一人さみしくおれカネゴン】。
2層カーボンナノチューブを高純度生成し紙状に成型して大量生産。確かちょっと前までは、カーボンナノチューブはガスか何かを燃やした炭からちまちま拾い上げるぐらいしか生産方法がなかった(ので単価が物凄く高かった)ような覚えがあるのだけど、いつの間にこんなに進歩していたのだろう。そのうち放熱の必要もないぐらい熱に強くて丈夫なLSIとかができてしまうのだろうか。
意味がよくわからないのにやったほうがいい、ということの意味について。
カンフー映画の修行シーンなどで、師匠が弟子に一見意図が不明な動作の繰り返しを弟子に強要し、弟子がそれに口答えするというシーンは既におなじみのものだったりするけれど、しぶしぶそれを繰り返すうちにある日突然その意図に自分で気が付き、隅々まで理解できる瞬間がある。具体的には書かないけど、カネゴンが実際にそういうことを経験した限りでは、それは本当に他の何物にも代えがたい快感だった。いや本当に、漫画や映画の中の出来事ではなく、こういう神秘のような体験は本当にあることを身をもって知った。ただ悲しいことに、一度会得してしまったことは必然的に神秘ではなくなってしまうので【会得しとらんおれカネゴン】、その快感を求めて次から次にジャンルを変えて修行しまくる修行ジャンキーになってしまう危険性もないとは言えない【飽きっぽいとはおれカネゴン】。
ちゃんとした文章を書くのは本当に難しいことを痛感【横に逸れるはおれカネゴン】。
神。いわゆるゴッド(from yomoyomoさん)。
マンションの電気系統のメンテナンスの巻き添えを食って、インターネット接続が一日不能に。ついさっき復旧。
メモ:xyzzyからjammingを使う。sdicなんかより遥かに使いやすくて非常にありがたいのだけど、これを実行したときjammingのウィンドウがアクティブになってしまうのを何とかしたい。これを参考にスクリプトを若干修正したのだけど、jammingが対応していないらしく、効かない。うう。
今日は主にPLAYNOTEニュースクリップから。
大昔に読んだ心理学の本か何かにあった話。あるところに小さな子供がおりまして、日めくりカレンダーに興味を示し、面白がって次々にカレンダーをめくり続け、最後の一枚をおもむろにめくるとそこに何も書かれておらず、子供は突如とてつもない恐怖を感じてブリキの太鼓のような叫び声を上げる。両親や先生がどんなに説明しても子供は納得せず、その恐怖に打ちのめされたまま泣きじゃくっていたとか。
人に言えない恥ずかしい癖2。その手があったか【ポンと膝打つおれカネゴン】。
相姦図。かつてカネゴンがズリネタにしていた高校の保健体育の資料集に【不精極まるおれカネゴン】、梅毒にかかった16才の少女からどのようにして感染が広がっていったかを追跡した結果を表した壮大なツリーグラフが掲載されていた。この調査はケネディ大統領の特別命令で実施されたとも書いてあったけど、どうやらこれのことらしい。ついでに見つけたのが米国における人体実験と政策。
昨日は何だか小っ恥ずかしいことを書いてしまった【止めてもらえぬおれカネゴン】。
かつてsvnseedsらと来る日も来る日もシンコペーションの練習をしていた頃があったけど、シンコペーションが背徳的だとはついに気付きませんでした。ただカネゴンは留年中につき音楽をやっていることを実家には極秘にしていた【知られておるかもおれカネゴン】。
AVにAVらしいタイトルのつけ方があるように、やはり演劇には演劇らしいタイトルのつけ方というのがあるらしいということがだんだんわかってきた。法則さえ掴めれば、そういうタイトルを続々と自動生成するスクリプトとか書けたりするかも。
関係ないけど、例のデュシャンが当時非難ごうごうだった理由の一つに「絵の中に矢印を描いたこと」というのがあったらしい。今となっては理解しがたいけど、絵の中に矢印を描くというのは、当時としてはとんでもなく非絵画的な行為であり、言語道断なものだったらしい。それを最初に言ってくれればとデュシャンも思ったに違いない。
とはいえ、この種の「明文化されていない禁じ手」は、その禁じ手が実際に登場するまで誰も気付かないのだから、登場する前に明文化しようもなかったりする。たとえが古いけど、学校の校則に「ヘリコプターで通学しないこと」と書かれていないのも同じ理由からだろう。unixのプログラム名でも雑誌のタイトルでも2chのスレタイでも何でもそうだけど、この種の暗黙のルールが歴然とあって、カネゴンはよくそれを見逃してはつまづいてしまう【空気読まぬはおれカネゴン】。機械翻訳とか人工知能の実現の一番の障害は、実はこれだったりして。
インタラクティヴ読書ノートを見て、山形浩生勝手に広報部が店じまいしていたことを知る。掲示板がかろうじて残っているので気付かなかった。
今月のAmerican Scientist誌で、NQR(Nuclear Quadrupole Resonance)というMRIに似た技術を使用して地雷を非接触で検出するという特集があった。原子の磁気を検出するMRIと違って原子の電荷の偏りを利用するもので、爆発物やイリーガルドラッグに豊富に含まれている窒素14の検出が得意らしい(MRIは水素原子つまり水の検出がお得意)。当然ながら米軍によって強力に開発がバックアップされているらしい。地雷検出だけではなく、各種化学検査や非破壊検査にも応用できるとか。ただしある程度の分量がないと正確な検出は難しく、火薬の少ない対人地雷の検出にはもう少しかかりそう。近い将来空港はおろか職場や学校でいやというほどお世話になるかもしれないので今のうちにご挨拶【きっと鳴らすはおれカネゴン】。