|
|
||
●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●日記を書いていないときは何も考えていません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
●こんな日記を読むより、最上の日々や最尤日記や研修用資料やactive galacticの方をお勧めします。
●twitter: orekanegon
2000年 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2001年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2002年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2003年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2004年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2005年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2006年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2007年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】
2008年 【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【今月】
つまらんことを考える【ゆるくてぬるいおれカネゴン】。物理ではエネルギーとかいろんなものが保存されることになっているけれど、経済学では何が保存されるのだろう。
この言い方に習えば、色川武大は「一人の人間の運は保存される」(一生の長さで積分すればゼロになる)という信念を持っていたことになる。本人も書いていたけれど、それが誰にとっても正しいかどうかは大きな問題ではなく、彼本人が何らかの瞬時な判断(主に博打)を行うときに、なるべく状況や体調によってぐらつかない、自分自身の偏見や好みの介入を排除した判断の根拠として採用していたらしい。心に絶対者を持っている人なら、それを不動のものとして判断の根拠にできるけど、色川武大自身は無宗派だったので、自分なりにこういう心の絶対者を編み出したのだろうとカネゴン勝手に考えている。
そして晩年には「一人の人間の運には、その前の世代(先祖)からの運の蓄積もある」というふうに少し考え方が変わっていた。つまり一生の長さで積分しても運はゼロにならないし、今の自分にもたらされている運は、先祖がためた運なのかもしれないということなのだけど、この場合どちらの考え方であっても、人間が自分の意思で実行できることなどたかがしれている、つまり自分の力ではどうにもならないことの方が多いという、意外に謙虚な結論にたどりつくのが面白いところ。
プログラマの数学を書店で購入。特に理由があったわけではないのだけど、この本は店頭で買おうと決めていた【ほくほくするとはおれカネゴン】。手に取ってみると思ったより厚くなかった。内容はもちろん、どうやって噛んで含めるように説明しているのかをいろいろ調べさせてもらってます。
ゲーム専門学校の実態とその続き(from otsuneさん)を読んで震え上がる。以前もここに書いたけど、ゲームでもアニメでもおもちゃでも、基本的には子供の将来を食い物にしているということでいいのだろうか【残ったかすとはおれカネゴン】。この漫画が女性セブンあたりに載ったらひっくり返るような騒ぎになりそう。
以前日記に書いた新商売「王子と乞食」は、もしかするとしゃれになってなかったのだろうか。現実にやってくる未来の世界は、人工的な貧困を大規模にこしらえないと成り立たなかったりするのだろうか。バーチャルリアリティはそれを実現するために物凄い勢いで進歩するのだろうか。経済に詳しい人の意見求む。またしても「進歩することは終わりに近づくことだ」という真言がカネゴンの胸に迫る【騒ぎの火種はおれカネゴン】。
また日付を間違えていた。
久しぶりに玉木宏樹の言いたい放題を読む。
(中略)一般の国民はほとんど知らないだろうけどこの「敵国条項」のせいで日本は第二次大戦の敵国だった連合国側の音楽作品に対し「戦時加算」として死後50年で PD(著作権フリー)になるべき曲が、あと10年4ヶ月ほど著作権がひきのばされ、日本で国内使用すると、たいがいの国でPDとなっている曲に著作権使用料を払わねばならない。この損害は誰も言わないし、公表されないから分らないが、1曲について10年間の著作権使用料を根拠に何曲位使うかをかけると、およその数は出るかもしれないが、ひょっとしたら一兆円を越えるかも知れない。こういう実損害を誰も問題にしないのはおかしい。JASRACもジャズ喫茶や Midiをいじめるヒマがあったら、この点を改正する努力をしてほしい。
解決できないなら、いっそやけくそで「敵国呼ばわりされるのって、何だかかっこいいよね」みたいな風潮に持っていくというのはどうだろう【月月火水おれカネゴン】。
学研の科学のたまご。マスコットがかわいいのはとても大事。
1分で充電できるリチウムイオン電池。量が質を変えた瞬間。これで携帯型の光線銃を、洒落にならないレベルで製作できるようになるかもしれない。
土日ずっと出かけて帰りが深夜1:00だったので今日一日ふらふらになる【2日も風呂におれカネゴン】。
究極のプログラマは、一行もコードを書くことなく、製品を生み出すことができる人。プログラミングもだんだん剣豪ものの時代小説みたいになってきたかもしれない【嘘で固めたおれカネゴン】。老境の塚原ト伝が鍋の蓋で武蔵の剣を受け止めたみたいに、そのうち80才を超えた達人プログラマーが何か奇想天外な伝説を残してくれたりする日がくるだろうか。
画期的なMIDIコントローラ。この棒をこのままうんと長くしたらぐっとよくなるのではないかという予感。
PLAYNOTEの「わからなさ」。
昔のことはよくわからないけど、お笑い番組が発達したおかげか何かで、わかりにくいもの、難解なもの、高尚そうなものに対して皆が「わからない」「無内容だ」と言い切ることの抵抗は、昔に比べるとはるかに低くなったかもしれない。たぶんそのせいで、難解なことや高尚そうなことを無反省に気分よく書き連ねる人は、少なくともWeb周りではかなり減ったと思う。もしかするとそういう人が減ったのは見かけ上だけで、実はある程度の割合で必ずいて、そういうことを書きにくくなったから物分りがよさそうにしているけど、心の底ではそういう人を寄せ付けないような高尚そうなことを存分に書きたくて仕方がない人が結構な数いたりするだろうか。よく考えれば、高尚さと面白さは独立した事象のはずなので、難解だろうと高尚だろうと面白くてたまらない文章はきっとどこかにあるという気がしてくる。面倒なのでカネゴンは探していないけど。カネゴンは昔の反省から、あからさまなまでに意図がわかりやすくて何の余韻も残らないような文章を常々書こうとしているつもりなのだけど、どうもまだできていない。
↑伴奏がずれてて気持ちが悪い【だったら張るなとおれカネゴン】。
昨日の頭音の曲名をうっかり「Asia」と書いてしまった【驚きゃせぬわおれカネゴン】。失礼しました。
昨日の「アンディ・ウォホールを撃った女」の続き。
カネゴンが尊敬して止まない色川武大だけど、阿佐田哲也名義で結成した麻雀新撰組はカネゴンとしては長い目で見て良い企画ではなかったと思っている。それはそれで劇画のネタになったり、いろいろと話題を提供したりしたと思うのだけど、何より本人が途中から後悔し始めていた。というのも、麻雀新撰組にあこがれたあげく人生を棒に振る若者が続出したからで、色川武大の家にも新撰組志望の若者が無遠慮に押しかけてきたりしても、自分の撒いた種である以上断りにくく、いろいろと煩悶していたらしい。カネゴンの麻雀は最弱につき、たとえその時代に思春期を迎えていたとしてもそういう野望を持ちようがなかっただろうけど【果たしてどうだかおれカネゴン】。
それでも、色川武大の場合、まだカリスマごっこに対する後ろめたさと罪の意識があっただけよかったと思う。アンディ・ウォホールは、撃たれた後恐怖のあまりファクトリーとやらを閉鎖したらしいけど、果たしてその種の後悔に囚われただろうか。何も調べてないのでわからないけど、たぶんそうではなかっただろうと想像している。
野崎昭弘先生の「トランプ―ひとり遊び88選」。
どこかにただでこき使えるプログラマーはいないだろうか【それは野望かおれカネゴン】。
「エターナル・サンシャイン」ちょっと見てみたい【ネタバレ我慢のおれカネゴン】。
wikipediaのインデックスを検索するwikiwax。ajaxっぽいものが物凄い勢いで増えているような気がする。そのうち直子の代筆みたいなものまでajax化するかもしれない。
日本語版ポリティカルコンパス。カネゴンは保守・リベラル度-0.42、(経済的な)右・左度-0.91でほぼど真ん中。そのうち、こうやって答えたら内部でさまざまな行列演算がガラガラポンと実行され、その結果当選者が決まるという政策指向の新型選挙ができたりするだろうか【壺を振るとはおれカネゴン】。
タバコと縁の切れないカネゴンも15年ほど前に半年禁煙できたことがあったのを思い出した。そのときは確か大きなへまをして、自分を罰したくて仕方がない衝動をつい禁煙に向けたような気がする【それでも足りぬおれカネゴン】。実はニコチンパッチなどを使うより何も使わずに禁煙する方が成功率が高いというデータもある。カネゴンの乏しい経験からすると、激しく落ち込んだときに始める禁煙は成功しやすいような気がするので、今度立ち直れないほどのへまをすることがあったら禁煙してみようかと思っている【社会にダメージおれカネゴン】。
メモ: プロトタイプベース・オブジェクト指向。そう言えば最近エージェント指向はどうなっているのだろう。
一言半 甘辛書店時評。まだ少ししか読んでいないけど、最近の新しい本屋の店員が一様にどんよりしている理由がわかりそうな気がする。
メモ: 組み込み型全文検索エンジンsenna。とりあえずrubyで使えるらしい。
メンデルの法則を覆す実験結果。こういう記事を待ってました。
Shiroさんの日記によると、Paul Graham, Trevor Blackwell, Robert Morris他数人が、スタートアップ向けの投資プログラムを開始するとのこと。
メモ: 日本語ライティング。
ところで、アットマークITは文章もWebデザインの読みやすさも水準が高いと常々思う。どんな人が編集校正しているのか知らないけど、カネゴン畏れすら感じてしまう【こうべを垂れよおれカネゴン】。
アンディ・ウォーホルを撃った女を読んで複雑な気持ちになる。まったくもってカネゴン勝手なことを言っているのだけど、アンディ・ウォホールが撃たれたのは、右も左もわからない若者たちをファクトリーに集めていいように利用していたことに対する当然の対価を身体で払ったのではないかという気がしてくる【昔に何がおれカネゴン】。カリスマごっこはどちらにとっても高く付くと思いたいけど、そういう因果応報や勧善懲悪みたいな劇画的な展開は現実にはなかなかなかったりする。
主人公はロシアの科学者で、科学史に名を残すほどの大物(イケメンで科学者らしからぬ筋肉質)。有能だが正直すぎて非常に口が悪い。ライバルは凡庸だが悪知恵の回る科学者(イケメンで細身)。主人公は重要な研究に取り組んでいるときにライバルに陥れられ、政治犯としてシベリアに流刑の身となり、食事もろくに与えられず毎日過酷な洗脳を受け、顔に醜い傷を作る。同じく政治犯として隣の牢屋に投獄された謎の美女(案の定西側のスパイ)に助けられて脱出する。厳寒のシベリアで危うく凍死寸前のところでロマノフ皇帝の遺産を偶然発見するが、引き換えに女は死ぬ。莫大な財宝を手にし復讐の鬼と化した主人公は名前を変え、祖国に戻ってマフィアの幹部にまでのし上がり、持てる科学の力をすべて復讐のために存分に行使する。みたいなことを書いたら通るのだろうか【これを読んだかおれカネゴン】。復讐譚につき、ついモンテ・クリスト伯みたいになってしまう。
で、改めてその寺田寅彦「科学者とあたま」を読んで、全然関係ないことを考えてしまう。人は頭が悪いのと運が悪いのとどちらがましかと聞かれたら、間違いなく前者を指してこちらがましだと言うと思う。そして頭のよしあしは重要ではあるけれど、思ったほど勝負を決定付けなかったりする【運が頼りのおれカネゴン】。誰しも人生のパラメータを1個に絞って思考を節約したいという誘惑に勝てないことを痛感。
カネゴンがかつてこの日記でメモしておいた電子校正手法「真鵺道の名前を先日度忘れし、Googleで自分の日記をさんざん検索しても引っ掛けられなかったことがあった【私物化するとはおれカネゴン】。最終的にひょんなことから思い出せたのでよかったのだけど、この日記はデータベースとしてはあまりに未熟であることを痛感【もずのはやにえおれカネゴン】。
ボビー・フィッシャーという名前をやっと思い出した【老化の進むおれカネゴン】。
Programming Languages: 仮想的な株式。この調子で、近い将来子供たち一人一人に対して株が発行され、成績や素行に応じて乱高下するようになったりするだろうか。うまくいったらそれで奨学金を賄え、下がりまくったら記者会見を開いて申し開きを執り行ったりするだろうか。
イプシロン・デルタは奇怪にして無内容。お金の使い道に困っているところがあったら、羽良多平吉か川崎和男あたりに数学記号をのびのびとデザインしてもらうというのをやってみて欲しい【当たって砕けるおれカネゴン】。
「大学受験に失敗して専門学校に行くヤツはクズです」。ドラゴン桜と同様、説教ができる人には限りがあることを実感【打ちのめされたおれカネゴン】。
知識の泉_Haru's_トリビアの内容が、いちいち紹介しきれないほど面白かった。
今更ながら「rubyのイテレータについて」。たまたま読んでいたruby本でのイテレータの説明が舌足らずで、かえって混乱してしまった。
これまた近所で安く売っていた「アタメ 私をしばって」を見て、内容が実にすげこまであることに驚く。すげこまと違うのはSFの代わりに「おしゃれ」で埋めつくされているところ。これと同じことを日本でやると文芸臭がいやおうなしにつきまとってしまいそうで、おしゃれ消毒のデオドラントパワーを目の当たりにした思い。もしかしたら泥棒でもクズでも許してもらって生きていけるかもしれないとつい錯覚してしまいそうになる【もしや今でもおれカネゴン】。見たことはないけど、きっとコレクター(古い方)もこんな感じなのだろうかと想像する。
その直後、ビシッと音がしてテレビの赤ビームが完全に死に【わしらの仕業よおれカネゴン】、人間の肌がゾンビみたいな色合いになってしまったので、しまい込んでいた別の小さいテレビに置き換える。今までも赤ビームが不調だったので、まともな色合いがこんなにも素晴らしいのかと感動【モノクロ人生おれカネゴン】。
田崎晴明さんの書評ページを発見(最初「晴彦」とタイプミスしていたのを修正)。早速ベイズ統計と統計物理をチェック【三歩歩くとおれカネゴン】。
最上教授の日記を読んでいて、漫画を描く前に机の設計から始める平田弘史も劇症のクヌース病であることに気付く。
Subversion を Windows で GUI 中心に使う。あまりにあっさり導入できたので拍子抜け。ファイルシステムと一体化したバージョン管理システムは思った以上に便利かもしれない。ゴミ箱を右クリックしたときにまでバージョン管理のコンテキストメニューが表示されたのには笑ってしまった。
昼近く、家人の実家から電話をもらい、九州で大きな地震とのこと。すったもんだの末、家族全員無事であることを確認【わしらが守ったおれカネゴン】。被害は今のところグラス2個。力抜ける。
さっきNHKでショスタコービッチの「革命」が流れていて、怪獣映画、それも自衛隊が出動するシーンでかかったらどんぴしゃりで似合うだろうと思わせた【毒されとるとはおれカネゴン】。なお白鳥の湖は「カイジ」によく似合う。
エニアグラム適職診断。別のサイトにあったエニアグラムの背景説明は小池原作並にハッタリが効いていてかなり香ばしい。
データベースの現状と課題。データベース(正確にはRDBMS)にしておけば何とかなる/言い訳が立つという動機で導入されているケースも多々ありそう。
listen.co.jpでフリクションを視聴してみたら、想像以上にドラムが下手だった。他に、カネゴンの中二病が最も重症だった頃の音楽を見つけていくつか聴くうちにフィジカルに気分が悪くなってしまい、自分の趣味が変わり果ててしまったことに驚いてしまう。
クローンは神への挑戦か。神への挑戦というより、クローンのことで誰も責任を取りたくないというのが本音だったらどうしよう。
日帝時代の朝鮮半島の成長率は4.1%。朝鮮半島がらみになると俄然饒舌になる日記やブログが多いのだけど、カネゴンも何か書いた方がいいのでしょうか【滅せらるべしおれカネゴン】。
メモ: rubyのHTMLテンプレート。
ワルに学ぶ「実戦心理術」と悪の対話術。悪というより、たぶんこれがアプリケーションレベルの大人プロトコルなのだと思う。これらプロトコルでやりとりできることをもって大人の定義とすることもできそう。カネゴンは、くすぐられても笑わないのが大人なのだとばかり思ってました【我慢の効かぬおれカネゴン】。
色川武大は【またまたそれかおれカネゴン】この辺のことについて、「他人を利用するなら、他人にも上手に利用されろ」「他人に利用されたくないなら他人を利用するな」ということを書いていて、今から思えばまさにプロトコルマッチングの話だった。
プロトコルが合う人間同士が固まって互いに独立した社会を構成する。プロトコルが異なる社会は、そこに属さない人からは直接見えなくなってしまう。
「半端に才能がある人が生き残る方法」という本がそのうち出るかもしれない。たいていの人が自分のことだと思ってくれる見込み大。
たとえば高校の数学の教科書で、「大学ではこんなことをやります」ということをさわりだけ紹介しておいてくれたらありがたいと思う【過去しか見ないおれカネゴン】。微分方程式は解けないことの方が多いとか。
葬式で流したい曲ベスト10。カネゴンのときは、誰でも参加できるように「パーカッションであれば何をやってもいい」という縛りでお願いします【チャカポコするとはおれカネゴン】。
Moonlight Fantasiaが久々に更新された: 海外で使われるアニメ用語/日本語スラング。Wapaneseという言葉を初めて見た。
工場萌えな日々はカネゴン個人にとって大傑作につき巡回決定。カネゴンは工場地帯で育ったわけでもないのに、胸の奥の方からわけもなく強烈なノスタルジーがこみ上げてくる。帰ってきたウルトラマンの記憶がそうさせるのかもしれない【無生物主語おれカネゴン】。
世界で一番速いドラムを叩くBuddy Richとフライングドラム(リンク元はリンク切れでした)。後年ヴァンヘイレンも同じギミック(ただし前後に回転)をやってたような覚えが。もしこれがマッハGoGoGoのイントロにしか聞こえない場合は、こちらのマペットバトルを見る方が、速すぎてカメラに映らない超人的なスティックワークの凄さと芸人魂が感じられるかもしれない。
掲載元のdrummerworld.comには多くの名ドラマーの膨大なビデオや音声が収録されていて、当分楽しめそう【よそ見をするとはおれカネゴン】。
お告げに従い、キリヤ化学の色と化学についてのQ&A;を掲載。この手加減なしの内容を、宿題をGoogleで済まそうとする猪口才な小学生が引っ掛けて欲しい【貴様のページをおれカネゴン】。
女性がベッドで言われてみたいフレーズ・ベスト30。今度は「ベッドで言われて一番意表を衝かれたフレーズ」を希望。
狩撫麻礼の劇画には、手を変え品を変え必ずホームレス(またはそれ同然の人物)が登場する。それも、話を作りやすくするためのテクニックとかではなく、どうあっても出さずにいられないという異様に切迫した何かを感じさせてしまう。またしてもカネゴンの記憶からですが、以下2例:
(ハード&ルーズ)銀座に、長髪の若い男のホームレスがときおり姿を見せる。近くの会社に勤めるOLたちが、キリストのようでちょっとかっこいいとそのホームレスに注目しはじめ、それとなく調べて欲しいと探偵(主人公)に依頼する。探偵は何となく嫌な予感を感じる。その後、OLの一人が路上でそのホームレスと偶然会い、かねてから用意していたバレンタインのチョコレートをホームレスに渡す。男は喜ぶかと思いきや、始めひどくとまどい、それから苦痛に顔を歪め始める。そして、引っ張っていたリヤカーから金づちを取り出すと、OLの頭に力いっぱい振り下ろし、辺り一面に血が飛び散る。探偵はそのことを後から新聞で知り、他人と関わりあうことを心底恐れてホームレスとなった男にひっそりとシンパシーを感じる。
(これもハード&ルーズ)実はボクシング狂の探偵は、あるとき片足が異常に細い無口なボクサーを後楽園で見かけてファンになり、通いつめる。サインをもらうタイミングを見計らおうとしているうちに、そのボクサーに別の男が話しかけるのを目撃し、2人の後をつけて喫茶店に入る。話しかけてきた男はフリーのライターで、そのボクサーが小児麻痺を克服したことをどこからか聞きつけていたらしく、そのことを本にしたいと持ちかける。ライターは彼の努力を賞賛し、涙まで浮かべながら熱っぽく語りかけるが、そのときボクサーが初めて口を開く。「殺すぞ...」意外な反応にライターがとまどう。数分後、裏通りに連れ込まれて殴り飛ばされたライターを前に、ボクサーが堰を切ったように喋りだす。お前は自分の本を売り出すために俺を利用しようとしている。俺は確かに小児麻痺で細くなった左足を常人の三倍も努力してやっと人並みに使えるようになったが、それはお前を儲けさせるためなんかじゃない。俺はこのことを誰にも言うつもりはない。俺から手を引け。探偵は一部始終を目撃した後こっそりと引き上げ、飲み屋で一杯引っ掛けながら、暗闇でボクサーが片足でスクワットを繰り返す姿を想像し、憂鬱になる。
こう書いてわかるとおり、非常に暗く、後味が悪い【暗さに酔ってたおれカネゴン】。当時これを読んだカネゴンもご多分に漏れずショックを受けたけど、後に60年代から70年代のテレビドラマにこうした暗さを爆発させた作品が多いことを初期の映画秘宝で知り、狩撫麻礼を始めとするこの年代の原作者も、もしかするとこういうドラマの直撃を受けたのかもしれないと勝手に思っている。今のカネゴンは彼の見解を支持するわけではないけれど、そちら側からの視線はどうしても気になってしまう。
ふと思ったのだけど、文章力が低下したとよく言われるということは、昔は文章力が平均して高かったという前提があることになる。実際に昔はそんなに文章力が高かったのだろうか【裏付けないとはおれカネゴン】。何となくだけど、昔に比べてはるかに多くの人が仕事の上で文章を書くことが不可欠になったため、分母が大きくなって全体として文章力の低い人が目に付きやすくなったということはないだろうか。いずれにしろ、今後さまざまな努力が実を結んだら、文章を正しく書けるということの値打ちが、最近の液晶テレビのように将来値崩れする日がくることがあるだろうか。
かつて小田原ドラゴンが見事に形容した、いじめられっ子や秋葉住民が発する独特の「沼のような臭気」は、実はこれと同様の、植物がフィトンチットをばら撒いて他の植物を撃退するような一種の免疫反応だったりすることはないだろうか。昨今の人間社会ではむしろ相手の攻撃性を惹起してしまっているのだけど。
植物を愛してやまない岡崎二郎の「緑の黙示録」という漫画によると、北極のイヌイットが緑の豊かな土地を訪れたときに謎の中毒症状を起こし、その原因がフィトンチットであったことが判明したとあった。イヌイットは植物がまったくない世界に住んでいるためにフィトンチットに対する耐性を持っていなかったのだという。おとなしそうに見える植物もタイマン張る気まんまんであることを痛感。そしてたぶん関係ないけど、たまにいいことを言う小松左京が、「なぜ哺乳類だけが毒を持たず、その他のほぼすべての種が毒を持っているのか」という疑問を「毒蛇」という小説で発していたことがあった。
目をつむった方がピアノがうまく弾けるでしょうか。確か矢野顕子が、子供の頃に「もし目が見えなくなったらどうしよう」と思い、目をつむって弾く練習をしたら譜面が読めなくなってしまったと語っていた。カネゴンの場合、実は目をつむると雑念が爆発して逆に集中できなくなってしまう。周りの景色をきょろきょろ見ることで、自分の中からわらわらと湧き出てくる雑念をやっとこさ押さえつけられるような気がする【挙動は不審のおれカネゴン】。
広告抜きで歌詞を検索したい人のためのLyricsWiki(英語のみ)。
コルトレーンの難曲「Giant Steps」のFlash(from sociologbook)。見ようによっては夜10時の民放ニュースのオープニングみたい。
カネゴンもかつて頭から信じ込んでいたことがあるので大目に見て欲しいのだけど【裏切り者とはおれカネゴン】、ジャズが数学に例えられることがとても多い一方、テクノとかの方がよほど幾何学的なイメージを与えそうな割にはさっぱりそういうふうに例えられないのはなぜなのだろう。
英語版「魁!クロマティー高校」は心底快挙だと思う。
「デジタルときわ荘」。築年数が相当経ってデジタルスラムになった頃に成果が現れそうな予感。
中森明夫「おたくの研究」をめぐって。カネゴンはおたくと呼ばれたくないために結果的に必要以上に努力していたのだけど【皆はとっくにおれカネゴン】、最終的に頂戴したエイリアスは「のび太」だった【魔太郎よりはおれカネゴン】。うう。
カネゴンの最大の弱点の一つは、体重移動が極めて下手糞なことであることを改めて思い出す【弱点どっさりおれカネゴン】。一時は小脳にクラックでも入っているのかと真剣に悩んだことがあるのだけど、現在の仕事はまったく体重移動と関係ないのでまだ救われている。体重移動が致命的な事故につながるような職業(鳶職とか)には今後も決して就くまいと再び決心。
スーザン・ソンタグを読んでみたいと思いつつ20余年、未だに読んでいない。ぼやぼやしていたら亡くなってしまっていた。それより気になるのは、なぜソンタグではなくソンダクと書かれることがやたらと多いのかということ。どんたくと山笠もよく間違えられるらしいけど、たぶん関係ない【ダジャレうずうずおれカネゴン】。
誰がケインズを殺したかをこっそり読み進める。最近の本では珍しい、豪快なまでの直訳で、よじれまくった係り結びをたどるのに四苦八苦。
やはり宇宙食には昆虫が最適としか思えない。
宮藤官九郎の初監督映画「真夜中の弥次さん喜多さん」(原作:しりあがり寿)が物凄い怪作に仕上がったらしいとの情報を出演者の方から聞く。
ルイス・キャロルはロリコンではなかった。今からでも遅くないので神社を建立して霊をとことん慰める必要がある【わしらは後かおれカネゴン】。近年におけるその方面のさまざまな事件も、実はキャロルの怨霊のしわざであるとしたらどうしよう。昔は事件として扱われていなかったものが、単に近年の報道害によって(レイプと区別されずに)事件として扱われるようになったために、濡れ衣を着せられたキャロルが凶悪極まる怨霊と化して荒れ狂っているのだとしたらどうしよう。
ロリータ男爵+エッヘ Wブッキング公演「ひみつガール/秘密がある」を家人に誘われて見る。最初はどうなるかと思ったけど、実に盛りだくさんかつ充実した内容で、あっという間に2時間が経ってしまう。カネゴンの勝手な想像だけど、竹熊健太郎がこの芝居を見たらきっと泣いて喜ぶと思う。コント集団エッヘと互角にギャグ勝負を繰り広げる猫ひろしという芸人さんが、栞と紙魚子に登場する猫のボリスが人間に変身したときの姿にそっくりで、ちょうど単行本を持っていたカネゴンはそのことがとても気になってしまった。この芝居は月曜までやってます。
平田弘史のお父さん物語を読んで、この人は骨の髄までものづくりの人である一方、発する言葉はまったく普通であることにやっと気付く。しかもいかめしいイメージとは裏腹に、この年代の人にはかなり珍しい現代っ子な性格であることも。
「確率的発想法」を読んでいるうちに、社会設計学という学問がそろそろ成立してもいいのではないかという気がしてきた。社会設計学という学問はまだないみたいだけど、もしできたときのためにカネゴンがマニフェストを書いておきます【コルトが背中をおれカネゴン】。
- 私たち社会設計学者は、不幸な人々を可能な限り減らすことを最終的な目標の一つに置きます。
- 私たち社会設計学者は、社会システムの構築をカリスマに依存しないよう厳重に注意します。
- 私たち社会設計学者は、どんな人間も例外なく欲望に基づいて動いていることを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、社会を構成する個々の人間が欲をかけばかくほどシステムがうまく機能するように、システムを設計します。
- 私たち社会設計学者は、一定の割合で悪い人間(=システムの裏をかこうとする人間)が必ずいることを前提に置いて研究し、セキュリティホールをつぶして回ります。
- 私たち社会設計学者は、人間はどんな形であれ、仕返しをする(またはそれを見る)ときに一番スカッとすることを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、公費を着服する公務員のような存在は、さまざまな愉快な罰を加える(三角帽子を被らせる、おでこに焼印を押すなど)ことで、効果的な見せしめとして最大限活用することも研究します。
- 私たち社会設計学者は、男と女では求めているものが相当違っていることを念頭に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、人間が求めるものが地域と文化によって異なることを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、信仰をシステムに組み込まず、同時に信仰を排除しないよう厳重に注意します。
- 私たち社会設計学者は、若者の反抗期や若気の至りも必要不可欠な要素としてシステムに組み込みます。
- 私たち社会設計学者は、老人ほど現状維持に執着することも忘れずシステムに組み込みます。
- 私たち社会設計学者は、人間は財産でも才能でも何でも、それらを最初から持っている場合はちっともありがたがらず、後から手に入れたものはそれがどんなにささいなことでも幸せに感じることを念頭に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、人間が最も求めているものが「今日よりも明日がよいと『思える』こと」であることを念頭に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、人間はシステムを新たに作ることをこの上なく楽しいと思うにもかかわらず、誰かが作ったシステムを維持するのは退屈に思えて仕方がないことを念頭に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、金を払ってでも奴隷になりたい人がいることを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、まったく働きたくない人間がいることを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、その一方でほとんどの人間は何もしないことに耐えられないことを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、人間は祭り(馬鹿騒ぎ)が大好きであり、祭りをまったくやらないと発狂してしまうことを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、人間の身体は使うと鍛えられ、使わないと衰え、使いすぎると壊れることを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、なぜどんな社会にもヤクザがいるのかを真剣に研究し、システムに取り入れます。
- 私たち社会設計学者は、システムをぶっ壊して一からやり直すようなことをせず、一歩一歩ステップを踏んで社会を作り直すことを前提に置いて研究します。
- 私たち社会設計学者は、頭のいい人たちだけがこの成果を独占するのではなく、この成果がすべての人の間で当たり前のように普及し、最終的に自分たち社会設計学者の存在意義がまったくなくなることを目的として研究を進めます。
- 私たち社会設計学者は、老人がどうしようもないほど増えすぎてしまった場合の根本的な対応策を真剣に研究します。
- 私たち社会設計学者は、昆虫を食料とすることも視野に入れます。
- 私たち社会設計学者は、理想の社会が達成された途端に石油がなくなったという間抜けな事態を避けることに注意し、人類が一日も早く外宇宙に進出することを念頭に置いて研究を進め、人類がその地に最適化された理想社会を、いつでもプレハブのように迅速に組み立てられることを目指します。
自分にないから安心して書けるのだけど、思想で不幸になった人はどえらい数にのぼる一方で、思想で幸せになった人ってどのぐらいいるのだろう。なぜ誰も、思想が実は第一種危険物取扱指定であると言ってくれないのだろう。
これについては、色川武大も手を変え品を変え何度も書いていた【またまたそれかおれカネゴン】。例によって記憶で書いているのであやふやです。
「韓国は、今日本に続いてアジアの経済第二位の座につけているけど、このままこのポジションを保てるとよいですね。一番手は何かと風当たりが強いし、後続の目標にされやすい。二番手の方がしのぎやすいですから。韓国の為政者はきっとそう考えていると思います。しかし勢いというやつはそう簡単に加減できないものですから、何とか二番手でいようとしても、国の勢いが勝りすぎてつい日本を追い越してしまうかもしれない。そうなってからが勝負の分かれ目でしょうね。(80年代に書かれた文)」
「何の障害もなく人気が急上昇するというのは、むしろ不吉な傾向を表すことがあるんじゃないでしょうか。引き合いに出して悪いけど、たとえば向田邦子さん。書くもの書くものすべて大当たり。脚本家としてこれ以上ないくらいの大成功を収め、向かうところ敵なしの状態。そして油ののったその真っ盛りに飛行機事故。不運と言えばそれまでなのですが、そこにはエラーもあったのではないかという気もします。」
「あるとき私は呑みの席で友人たちと賭けをして、今年これから死ぬ有名人を当てるということをしてみたことがある。12月になったばかりで、正月まであと一月もない年の瀬である。私は少し考えてから、『力道山』と答えた。人気の上昇があまりに急すぎ、あまりに順調すぎるからというのが根拠だった。その後間もなくして、本当に力道山が酒場でチンピラに刺された傷がもとで死んでしまった。私は賭けに勝ってうれしいより先に薄気味が悪く、賭け金も結局もらったかどうか覚えていない。」
これとは少し違うけど、JN師匠もかつて、「会社の設立は、セスナのようになってはだめだ。簡単に離陸するセスナは簡単に墜落するよ。ジェット機のように、なかなか離陸しない飛行機はなかなか落ちないよ。」と大山倍達のように語っていた。ブログでも何でも、人気が急上昇するというのはそれほど恐ろしいことであるらしい【本気でびびるおれカネゴン】。
カネゴンはこれまでこの日記にいくつ間違いを書いたでしょうか【十中八九おれカネゴン】。
書庫(物置)で危険なまでに積み重ねられた漫画を一気に整理したら、生まれ変わったような心持ち【1年がかりのおれカネゴン】。
劇場としてのコンピュータ。短いけど、よくあるアカデミックなお題目ではないところが重要。仮想空間だからできることもよかった。
94年の大渇水をきっかけに琵琶湖が浄化された。一発喝を入れただけでこれだけ違うとは【ぬしにも一発おれカネゴン】。
メモ: iTunesでPDFを管理できる。
小学生から2chをやるとどうなるか(from Otsuneさんの某所日記)。あまり考えたくないけど、ネットがそのうち免許制になったりして。
何で見たのか忘れたけど、平田オリザは幼少時から、欲しいものがあったら父親に企画書を書くように躾けられ、それが通らないと絶対にものを買ってもらえなかったとのこと。
小学生女子が作ったソフトウェア。これを喜ばしいと思うか、自分の領域を侵されたような気がするかで人間の器が量られているとしたらどうしよう。
たけくま日記で吾妻ひでおの「失踪日記」が上梓されることを知る。
カネゴンもご多分に漏れず吾妻ひでおは大好きなのだけど、失踪からアルコールへの耽溺に至るまでの本人の苦悩を考えると何とも言えない複雑な気持ちになる。ファンは無責任に「もっと凄いのを描いて欲しい」とか言うけど、カネゴンとしてはそんなに無理しなくてもいいからもっと安楽に生きて欲しいと思ってしまう【貴様はいかんおれカネゴン】。彼の生活を支えるためにも寄進します【結局買うとはおれカネゴン】。
誰が好きこのんでホームレスになるだろう。誰が好きこのんで不毛な苦しい道を選ぶだろう。ものつくりにひたすら打ち込んだ見返りとして、必然的にそれ以外の生き方ができなくなり、はっと気付けば後戻りなど不可能になっている。カネゴン読んでもいないうちから書くのもどうかと思うけど、おそらくそれが恐ろしくて現状からの脱出を試みたのではないかと。それでも今までどおり描かなければ一歩も先に進めない。天才であろうとそうでなかろうと、この法則だけは必ずついて回り、決して逃れられないことを嫌でも思い知られてしまう。
以前も書いたけど、コメディ「ダーマ&グレッグ」を見たとき、話の組み立てや下ネタなギャグのセンスが実に吾妻ひでおで驚いたことがあった。これは似ているとかパクリとかいう問題ではなく、吾妻ひでおは最初から日本人離れした感覚を備えた一級のシットコム作者だということなのだと思う。漫画よりワープロの方が楽なので、無理しない程度にぜひ一度シットコムのシナリオを書いてみて欲しい。焼き直しでもよいです。
昔の(ムックの頃の)映画秘宝を読み返すと、当時さんざん読んだはずなのに、まだ読んだことがない記事が必ず見つかる。ゴールデン・ラッキーという漫画でも同じ現象が起きたことがあり、何度読み返しても覚えのない4コマを見つけてしまう。カネゴンは読むのは速いのだけど、理解に自信がなくて何度も何度も読み返してしまうため、結果的には読み取りはかなり遅いことになる【時間の無駄のおれカネゴン】。
その読み返した映画秘宝で、中野貴雄監督が未来惑星ザルドスについて書いていたのを発見。そのとき突然、諸星大二郎がてすさびで描いたものすごく適当な4コマ漫画に「わては、サルどす」とつぶやきながら猿蟹合戦のおにぎりを全部食べてしまう巨大な顔の石像が登場していたことを思い出す。当時は何のことだかさっぱりわからなかったけど、どうやらザルドスのつもりだったらしい【何が何だかおれカネゴン】。自分の漫画がいつもSFに分類されてばかりいて腹に据えかねたのだろうか。
本橋信義「新しい論理序説」の冒頭に、「実は、論理とは何なのかということが専門家の間ですらよく理解されていないことが、論理を学生に教えることの難しさの最大の原因だ」と物凄く本当のことが書かれていて、膝を打つ【毎度打ってもおれカネゴン】。なおこの本は論理学の本ではなく論理を教育するための本です。
考えてみたら、巷で見かける自称「論理的な文章」のほとんどは、単に話題が逸れていないというだけの文章だったりする【逸れて帰れぬおれカネゴン】。論理に沿っただけの文章の最大の弱点は、それだけでは意表を衝いた面白い結論にならないということなのかもしれない。パラドックスがあれほど喜ばれるのは、それが直観を裏切るからで、順当なだけの結論はまず省みられない。順当に論理の手順をたどって愉快な結論(または残酷な結論)にたどりついてこそ論理の力が生きるのだけど、カネゴンは面倒のあまりついつい手順を省略してしまいます【羊頭狗肉のおれカネゴン】。
メモ: ruby関連プロジェクト。
坂本龍一の幻のアルバムCD化。この「ディスアポイントメント/ハテルマ」のことは、大昔の「宝島」誌で初めて知った。紹介はぞんざいで、「自主制作:ドラムとのデュオ」としか書かれておらず相手を務めたパーカッショニスト土取利行にはまったく触れていなかった。カネゴンも聴いたことはないけど、たぶん土取氏のプロフィールから想像するとおりの音だと思う。
後年、サウンドストリートでさりげなく土取の「サヌカイト」からの曲をかけていたけど、昔の付き合いについてはこれまた触れず。サヌカイトについては販売店のページで。
穴守稲荷神社の鳥居と祟り。これからこの近くに行ってきます【よおく言うとくおれカネゴン】。
劇団野鳩の「お花畑でつかまえて‥」を家人と見に行く。一時間ほどの短い芝居なのだけど、これはかなり拾い物。役者の技巧をまったく当てにしておらず(本当は違うのかもしれないけど、少なくともそのように見える)、ストーリーと演出の技量で客を引き込み、笑わせる。カネゴンちょっと最後に泣きそうになってしまう。途中、まるでカネゴンのご先祖をビジュアライズしたかのようなシーンがあり、個人的に心の中で小躍りする【わしらはあれかおれカネゴン】。明日もやってます。
演劇にデザインパターンというものがあるとしたら、まさにこれかもしれない。「父帰る」に代わる、中学校の演劇のスタンダードになってもいいかもしれないとすら思う。暗転が必要なので体育館では難しいかもしれないけど。
カネゴンの理解が間違っていなければ、デザインパターンは、もっと言えば広い意味での理論は「誰がやってもそこそこのものが作れる」ことを最大の目的にしているのだと思う。理論は普通の人のためにこそあるということに書きながら初めて気付いた【そして忘れるおれカネゴン】。
試しに自分のPCのapache for WindowsにtDiary2.0をインストールしてみる。「malformed header from script. Bad header」エラーがどうしても止まらず、さんざん調べるとrubyのバージョンが1.6.3ではだめだということがわかる【書いてあるのにおれカネゴン】。rubyを1.8にアップグレードして解決。tDiary2.0のデフォルトのデータはテキスト形式なので、がんばればこの日記をコンバートできる見通しがつきそう。ただ、この日記はいまどきhtml手書きなので、スクリプトによる処理を拒まれそうな予感【間違いだらけのおれカネゴン】。
夜眠れなくなって、岩明均の「ヒストリエ」と「ヘウーレカ」を読み返す。大友克洋がその画力を結集して老人を執念深く描くように、この人は持てる画力を総動員してまでひたすら死体を嬉々として描き続けていて、一種のすがすがしさすら感じてしまう。それも、苦しんで死ぬ姿よりは、ついさっきまで生きていたのに今そこに物体として冷たく転がっている死体を禁欲的に描く方が作者の好みなのかも知れないと勝手な想像をする【やがておぬしもおれカネゴン】。それが証拠に、どう見ても死体より生きている人間の方が明らかに絵に気合が入っていない。今死体を描かせたら世界でも三本の指に入ることは確実で、奇想もストーリーもこれすべて死体を効果的に描くためだけにあるのではないかとすら思えてくる。その割りにフェチっぽさを感じないし。
以前にもこの日記に書いたけど、「寄生獣」を初めて読んだときは願望充足的なストーリー展開がつらすぎて、なかなか読む気になれなかった。一時期藤子F不二雄の漫画がつらくて読めなくなったことがあったけど、あれと同質の願望充足的な暗さを感じてしまったせいだと思う【弱点見たりおれカネゴン】。そのせいかどうかわからないけど、カネゴンは幼虫(小学校)初期を除いてはドラえもんのポケットとかミギーみたいなものを欲しいと思えなかったし、レインボーマンがどんなに好きでもインドに行こうと思ったことがなかった【こっちに来るならおれカネゴン】。
「子供の科学」にも読者の写真投稿ページがあったのだけど、当時も今もカネゴンには美的センスが欠けているせいか、写真がどのような基準で選ばれるのかとんと見当が付かず、かなり考え込んだことがあった。一発ギャグみたいな写真ならカネゴンにもわかりやすいのだけど。以来ビジュアルっぽいものには手を出さないことにしている。
理想の彼氏・彼女占い。Firefoxでは動かなかった。
自殺遺言データベース。いざというときに遺言がピタリと決まることはそうそうないと思われるので、普段から鼻血が出るくらい修練を積んでおく必要がありそう。「ハズした遺言データベース」も希望。
カネゴンが繭(高校)の頃、美術の教科書の裏表紙に見開きで掲載されていたゴッホの絵を見かけて突如金縛りのような感動に包まれたことがあった。ビジュアル音痴のカネゴンになぜそんなことが起きたのか未だに謎。その絵のタイトルは確か「木のある夕暮れとオーヴェールの畑」みたいなタイトルだったのだけど、どういうわけか検索しても出てこない。ゴッホの他のどの絵よりもこの絵がよかったのに。
存在しないwww.m-02-07-300.comというドメインから頻々とアクセスが来る【攻撃目標おれカネゴン】。
今月の日経サイエンスの特集は「前向き思考で成功できるか」。詳しくは本誌で見て欲しいのだけど、特に米国で根深く信じられているのとは逆に、たとえば生徒の自尊心を高めても成績が上がることはなく、むしろ自尊心の高さは粗暴で無遠慮な行動につながっている可能性があるらしい。自尊心の効用は、せいぜい行動がやや積極的になることだったり、幸福感が多少増す程度。自尊心は自己申告以外に測定の手段がないので、改めて研究し直すにあたって自尊心自体によるノイズ(自尊心の高い人は自分の能力や容姿を過大評価する傾向にあるとか、無理して自尊心の高いふりをしている人など)を除去するのがかなり大変だったとも。ある意味胸が痛くなるのは、「自分にはトラブルシューティングの能力があり何事にも積極的で他人に率直に自分を打ち明ける」と高く自己を評価した人について、周りの人間の評価と比較すると、ほとんど相関がなかったということが精密なアンケートによって判明したということ。根拠がなくても自信が持てることを今更のように痛感【あってもなくてもおれカネゴン】。どちらかというと、挫けたときに最終的に立ち直れることの方が重要だったりして。
気が遠くなってきたのでこれまで。
最近暗算能力が劇的に衰えていることに気付く【なくても元気なおれカネゴン】。もともと2桁しか暗算できなかったのですが。
池上遼一と叶精作はある点において実に好対照をなしているように思える【他にやることおれカネゴン】。叶精作は女性の下着を大変な執念で名前の通り精密に描くにもかかわらず、なぜかいつも入墨はただの絵にしか見えない。池上遼一は入墨を描くのが殊のほかうまいにもかかわらず、女性の下着をめったに描かず、むしろ極めて巧妙に、女性の下着を描くことを避けている可能性がある。単に好みが正反対と言えばそれまでですが。たぶん原作者もそれに合わせた原作を書いているに違いない。カネゴンの悪い癖で、そこにあるものよりそこにないものの方が気になってしまいます。
聞き流してくれて構わないのだけど、統計を取るにあたり、何らかの厳粛な儀式を行った方がいいのではないだろうか。統計の神を祭る神棚を誂え、心ばかりのお供えをし(生き血がベスト)、統計のツールや資料を丁寧に掃き清め、統計に主観が混じることのないよう畏みて御祓いを執り行うというのは。やってみたら案外結果が有意に異なってきたりしないだろうか。祈りは人間のために行うものだとカネゴン信じてます【わしらを祭らぬおれカネゴン】。
理系/文系に代わるカテゴリとして「ものを作る人」「ものを売る人」「問題を解決する人」に分けたらだめだろうか。
メモ; インサイド.NET Framework。
プラスチックスのDVD。そういえばカネゴンこの人たちが動いているところを見たことがない。
メモ: SystemRescueCd。
スターリングエンジンの仕組み。ずっと前から、スターリングエンジンには相当改良の余地があるというか、ちょっとした工夫がものすごく有効ではないかという気がしてならない。案外マイクロマシンで実装したらすごくよかったりしないだろうか。もしかしたら史上初の板状エンジンとかになったりして【空しく響くおれカネゴン】。たぶんもっと石油がなくならないとみんな真剣に研究してくれないような気がする。
実は関心空間の使い方が長いことわからなかったのだけど、mixiで増井俊之さんの真似をして、少しでも関心のあるコミュにどしどし加入しているうちに、こうやって使うのかと突然わかった次第【2年もかかるおれカネゴン】。両者の機能が同時に使えたらとないものねだりをしてみる。
何らかのブログツールを導入すべきかどうかを実は検討中。手入力なのでしょっちゅう日付を間違えるのと、過去の自分の日記を引用するときにタグがなくて困っているため。このついでにサイトを引越すべきか、他のコンテンツをどうすべきか迷う。カネゴンは保守的なのでレイアウトとかはなるべく変えたくなかったりする【保守は保守でもおれカネゴン】。
幸せについてチンコ出して考えてみたは余裕で谷川俊太郎クラスの完成度を誇る。