昼飯はソバ。ゴマ味噌だれ。
材料:
味噌: 大匙1
白醤油: 適量
ゴマペースト: 大匙1
いりこ出汁: カップ2
葱: みじん切り適当
砂糖: 少々
全部混ぜて、一度軽く沸かして味を馴染ませる。
みりんも酒も切れやがって苦戦したわりには、味はまあまあ。買わないと>みりんと酒。
材料:
牛タンブロック: 500gぐらい?
タマネギ: 1個
ニンジン: 1本
セロリ: 2本
赤パプリカ: 1個
マッシュルーム: 2パック
赤ワイン: 1本
塩、コショウ、ナツメグ、ローリエ: 適量
牛タンブロックは1口サイズに切って、血を洗い流したあと冷水にさらしてさらに血抜き。マッシュルーム1パックは具として別にどけておく。他の野菜はすべてアシェ(みじん切り)にして、油で透明になるまで炒める。そこに牛タンを投入したら、水を加えてしばらく沸かしてアクを取る。アクを取ったら圧力鍋に。
ワイン1本は鍋で1/3量ぐらいまで煮詰めて圧力鍋に。塩、コショウ、ナツメグ、ローリエを加えて、圧力鍋で30-40分ぐらい煮る。
煮あがったら肉は別に取り出しておいて、残りを鍋にいれ、ハンドミキサーで野菜を粉砕、適当な濃度まで煮詰めつつ味の微調整。具用のマッシュルーム1パックも投入。
鍋に肉を戻して、ソースと馴染む程度に軽く煮たらできあがり。
関越・中央方面はUターンラッシュに巻き込まれそうだったので、アルツ磐梯へ。以下、雑感。
コンディションが良い時に未圧雪エリアのパウダー期待で朝早く来て滑って夕方前にはあがるっていうのが正しい場所かな、ここは。
ツレと二人、DIESELのセールに行って散財。あと、ニンテンドーDS本体とマリオカートDS。
ちょっと育児サポートしてやったぐらいで、せっせと子作り始めちゃうような奴は、頭の軽いヤンキーぐらいだろってネタ?
欲望の装置としての資本主義。そこまで話が広がるか。ミシェル・フーコーとか読んだの、もう大昔だから忘れてしまったなあ。しかし、リンク先の記事とか読んでも、そう資本主義から脱しようとしているようにも思えない。暴騰した恋愛を見限って、値段の安い萌えに消費の重点をシフトしよう、というのは資本主義の枠内の話だろう。……と、いい加減ひとりでググって考えているのも飽きてきたので、いい加減 このへんでも買って読んでみることにする。
あ、ところでここの「イタリア料理屋に行って、生のポルチーニと乾燥ポルチーニの味わいの違いについて話す」って、生ポルチーニと乾燥ポルチーニは生シイタケと干しシイタケぐらい違うモノなので、ヲタだろうと食えば速攻で分かる。分からないとしたら、まず味覚障害とか疑った方がいい。そんなんで「私ってグルメだからヲタ男とはつきあえないのよ」とか思ってる女はスルーしてOKだわ。
なるほど、アレはそういうことだったのか。そりゃ、3割引はデカいよなー。
23mm萌え。しかし、23mm以外は微妙なスペック。
うわー、絵に描いたようなヲカルト祭りだー。
四捨五入したら40歳の人間からすると、服装がダサいぐらいで他人からバカにしてもらえるのは10代のうちぐらいなので、どうせ暇なんだし、せっぱつまってもいないはずだから、マネキン買いとかしないで、マジメに正面からファッションと向き合っとけ、と思う。泥にまみれろよ。
hard で loxse な日々から。「ノークレーム・ノーリターン」は「クレームがなければリターンなし」って意味なんじゃないの?とゆー話だけど。
「ノークレーム」とか「ノーリターン」が英語としてどうなのよってのはおいとくと、"No refunds, no warranty" とか英語でもフツーに言うと思うぞ、と。
そして "No woman no cry" はパトワ語だから。2つ目のnoは"don't"だから。「ダメ、女泣くダメ」みたいな感じ?
とりあえず第一章あたりでの主要な主張である「恋愛資本主義」。バブル期に広告代理店やらマスコミやらにあおられて、女とパフパフするためには男が贅沢品を貢がなきゃならなくなった、という観察。昔、『カノッサの屈辱』でホイチョイもそんなようなことを言っていた気がするが。それって本当に本当なのかね?
平成12年度国勢調査速報の「配偶関係」の章の図2-1「25〜39歳における男女別未婚率の推移」。これ、『萌える男』の第1章図表-1で引用されているのと同じデータだと思うのだが、これを見ると未婚率の上昇はバブル期よりも前、1970年代初頭オイルショック期から既に始まっているように見える。特に25-29歳の男子においては未婚率の上昇が一番急速だったのは、1970年代後半である。ちなみに田中康夫が『なんとなくクリスタル』で文藝賞を受賞したのが1981年(昭和56年)。経済的には1986-1991年の期間がバブル期とされることを考えると、事件はバブルよりも前に起きていることが想像される。
もう少し前からの傾向とか知りたいんだが、ぐぐって見つかった資料としてはたとえばこれ。「結婚率・初婚年齢の推移:70年まで結婚率は緩やかな上昇、70年代以降急速に低下・・恋愛結婚主流へ」ということで、やはり70年初頭前後に転機がありそうだ。その少し上の「1、結婚形態の変化」のところの記述からも、1950年代までは見合い結婚が主流で、60年代に恋愛結婚が増加し、恋愛結婚が主流になったのは70年代以降であることがうかがえる。
ここからすると、バブル期にマスメディア・巨大資本によって恋愛が商品として市場経済に取り込まれて恋愛資本主義の悪夢の世界が訪れたという、それ以前には資本の論理に毒されていない純愛があったかのような論調は、おそらく的外れであって、江戸時代以前のことを無視すると、60年代に初めて(結婚を前提とした)恋愛が一般化、ヒッピー、学生運動、ウーマン・リブなどを経た70年前になって初めて「自由恋愛」が主流になり、『アンアン』『ノンノ』がこの頃に創刊、70年代後半には『ポパイ』『メンズノンノ』が創刊され、80年代頭にはすでに『なんとなくクリスタル』。近代・現代日本において資本主義とは無縁の恋愛なんてものが主流だったことは一度もないか、あったとしても非常に短期間、おそらく四畳半フォークと共に生まれ、共に滅んだぐらいのものでしかなかったと思われる。
じゃ、バブルのことは置いておいて、戦後から70年代末までの間にいったい何が起きたのか?すぐに思いつくのは敗戦・占領・民主化による価値観の変化と、戦後復興期〜高度成長期における産業構造・社会構造の変化。国勢調査のデータに戻ると昭和25(1955)には就業者のほぼ半数を占めていた第1次産業従事者は、25年後の昭和50(1980)年にはそのほぼ1/4、十数%まで減少している(これの図2)。そして70年以降のデータしかないが、おそらくそれ以前から雇用労働者の割合も増加している(表4-1)。要するに戦後教育がどうこうとか、男女同権運動がどうこうとか以前に、子孫に受け継げるような資産を持った「家」がないので「家のための結婚」をする理由がない人々が増加した、ということだ。もちろん都市の雇用労働者にとっては守るべきムラも共同体もない。労働形態の変化だけじゃなくて、福祉・行政サービスの充実や、社会情勢・経済の安定なんてのも、そこには一役買っているだろう。そういう背景があって、初めて「自由恋愛」という概念が一般化したのだろうと想像する。
家・ムラの存続のための結婚・子育てという社会的な要請はなくなった。一方、女性全体としての労働力率が微増傾向にあるにも関わらず、出産後と思しき30代において女子の労働力率が減少し、なおかつ都市部ほど女子の労働力率は低い(これ)、つまり結婚・出産後の女子が雇用労働者であり続けることは困難で、結婚・出産にともない女子の労働による収入は著しく減少し、それまでの貯えを食いつぶしつつ夫の収入でなんとかやっていくのが典型的なパターンということになる(ここの「(9)生涯設計」)。そいや開成高校生殺人事件に象徴される、受験戦争・(子による)家庭内暴力なんて話があったのも70年代後半で、子育てのコストの高さってのもこの頃から問題になってきてたんだろうなあ、という気が。
つまり、切込隊長の言っている通り、結婚・出産によるデメリットは想定できても、実質的なメリットはほとんどないか、あったとしても男子にとっては「維持費の安い家政婦兼売春婦」、女子にとっては「永久就職」でしかない(女性の労働力参加率は出生率と負の相関、仕事と家庭の両立度の高さは出生率と正の相関があるとするこんな研究結果もある)。それでも恋愛・結婚するのは、言ってしまえば個人的な「趣味」だ。倫理的・精神的な安心感ってのも人によってはあるだろうが、まあ、それも「趣味」の範疇だ。
趣味ならワガママも言うし、贅沢も言うし、流行の影響も受けるだろう。世の中の大半の人間はなんだかんだいって陳腐な趣味しか持ってないのだから、世の中の恋愛が陳腐なのも当然。そういった恋愛・結婚の趣味化が、戦後〜70年代末にかけて進行して、80年代には完全に定着したってことなんじゃないのというのが、ここ何日かでデッチ上げてみた、「恋愛資本主義仮説」に対する対抗仮説。
要約:ムラが都市に取って代わられたように、家の存続のための結婚が得体のしれない「資本主義経済」とやらを存続させるための恋愛に取って代わられたのは、セクロスも人の営みである以上は社会構造を反映するというだけのことであって、国際巨大資本や電通やマガジンハウスの陰謀で恋愛が貶められてしまったわけではない。至高の純愛なんてのは昔から御伽噺であって、それを実際に手にするのはごく一部の幸運な人間だけ。あなたが淋しいのは都市生活者の孤独であって、非モテ・キモヲタはその一側面に過ぎない。萌える男がその孤独から逃れられるのだとしたら、それはどこまでも個人的な一方通行の妄想に過ぎない萌えキャラに対する愛情そのものによってではなく、同じ境遇の他人とのルーズな連帯感によるものなんじゃないの?ミもフタもない言い方をすれば「同病相憐れむ」ってだけのことなんだが、地縁・血縁ではなく心の波長の近しいもの同士の連帯による「共同体」の再構築だ!とか言ってみると、ちょっとカッコいいかもな。
つーわけで、続き読んで寝るか。
ファッションとか料理とか、女子の趣味に関しては「一部のヲタを除いて興味なんかあるわけない、踊らされてるだけ」みたいな論調なんですが、それはそのへんの事柄に関する女子のヲタ度の高さに対する過小評価なんでないの。男子のヲタ趣味、萌えヲタや車ヲタと比べて、奴らのヲタ趣味は物心ついた時から社会公認で大手を振って修練してきた、筋金入りのヲタなんですよ。せっせと同人活動してる萌え絵師さんの絵描き装備と同じかそれ以上の化粧道具を、世の女子の大半が装備して使いこなしているわけですよ。走り屋にあこがれてるくせにハチロクとハチゴー間違えて買っちゃういつきくんよりも、ファッション・ブランドとその製品については詳しいわけですよ。『トラ!トラ!トラ!』の「ゼロ戦」を一目みて、「なんだ、テキサンじゃん」って白けてる航空ヲタと同じレベルのヲタ。
ストーカー話。一時期なんちゃってカウンセラーとかやってて、臨床心理士とか取らされそうになった人間として言わせてもらうと、短い間に嫌になるほどストーカーの相手はしたが、「恋愛しなければならないという強迫観念」でストーカー行為に走るストーカーなんてのは全く記憶にない。あまりに女に免疫がないので、ちょっとしたキッカケで見境なく惚れちゃって、『101回目のプロポーズ』の武田鉄也みたいな状態になってるだけってのが一般的だ(言っとくけど、アレ(武田鉄也)、現実だったらフツーにヤバいからね)。
とりあえず、ここまでのところはそれぐらいかしらん。
最後まで読んだ。全部読んでみると、実際のところ昨日書いたデッチアゲ仮説と根本は変わらないような気がする。恋愛は精神的な結びつきをともなわなきゃいけない、女と萌えない男どもはセクロスと金にしか興味がない、ってな感じのバイアスがかかってるだけのことで。
3章?4章?以降のエロゲの作品解説に関しては、べつに作品解説それ自体とか、「癒し」とか「救済」とかはいいんだけれども、そう言ったものを現実の人間関係に求められてもな、と思うことしきり。それを現実の女に求めたら、そりゃいないだろ。「車は最低ベンツのSクラス、年収x千万以上で……」とかってのとそう変わらない要求な気がしてしまう。そういう男じゃないとつきあう価値がないというのと、現実の女はつきあう価値がないから萌えヒロインを崇めるのだというのと、何が違うのか?当人のニーズが経済的な救済にあるか、精神的な救済にあるかでしかないんでないの?
">http://www.banana-fish.com/~piro/20051229.html#p05
マジで別世界。これくらいはたいしたことないとかマジで認識論的転回!コペルニクス三巡くらいしてる!顔面硫酸!顔面硫酸!
ほい、さんきゅ。まさにそういうツッコミを待ってました。ボケてみたのにツッコミがないので、「いいよ、どうせオレの日記なんか誰も読んでないよ」とちょっといじけてたところだったw。ようやく話の続きができる。
……と、思ったんだけど22歳かあ。若いじゃん。で、東大数学科の4年。単純にまわりに女子がいないってだけで、コペルニクス三巡も違うとは思えないなあ。駒場時代、あるいはそれ以前は周囲に女子はいたのかもしれないが、それぐらいの年齢で恋愛するのはかえって歳食ってからより難しいもんですよ。まだ夢見るお年頃だもの。
オレが大学の4年だった時は(23歳だったが)、研究室で実験やってるかプログラム組んでるか、家でプログラム組んでるか、雀荘で麻雀打ってるかしかない生活だった気がするなあ。自分の母親ぐらいの歳の雀荘のおばちゃんとかを女っ気に含めていいなら、まあ、研究室にも女子は多少いたし、女っ気がまるっきりなかったわけじゃないが。遊びはひたすら麻雀とシューティング。人生で一番女っ気がなかった時期だったかもしれないけど、麻雀打ってプログラム組めればそれで楽しかった。
大学院進むなら、アレですよ。そのうち非常勤で女子大の講師とかやるようになると、嫌でも女子に縁ができるから。「女子大で講師やればどんな奴でもファンが一人はつく」とオレの研究室の先輩が言ってた。それまで研究がんばって自分に自信つけてりゃいいのよ。
[非モテ]非モテ界で語られる「モテ」は、世間一般のそれとは違いますので。非モテクオリティの基準でいけば、ぴろさんは充分モテかと。
つーわけで話の続きはこっちで行こうと思ったんだが、あまりに間があいたのでどういうつもりでネタフリしたんだったから忘れてしまった。とりあえず今日は寝て、明日ゆっくり考える。
6日昼間、和平区南京路上で女子大生が物乞いに間違えられ逆上するという珍事が発生した。
事の発端はこの女子大生とボーイフレンドの喧嘩。デートの最中喧嘩になりボーイフレンドは女子大生を置いて一人帰ってしまった。その後女子大生が道端にしゃがみこんで悔し泣きをしていたところ、ちょうど2人の中年男性が通りかかり彼女を物乞いと思い込んで1元硬貨を2枚彼女の前に置いた。すると女子大生は腹立たしさと恥ずかしさで逆上、2元をこの男性に向かって投げつけ、さらにビンタを食らわした。一方自分はいい事をしたと思っていた男性は思いがけない出来事にあっけに取られたが、徐々に怒りがこみ上げ、女子大生を捕まえ公安に引き渡した。
その後女子大生は公安の仲裁によって冷静さを取り戻し男性に謝罪したという。
オレなんかさ、自分ちのアパートの階段で酔っ払ってうずくまってた黒コートにロングヘアのねーちゃんを、放置ゴミ袋と間違って蹴りいれたことあるもんねw。ものすごい勢いで逃げていったので、蹴ったこっちも死ぬほど驚いた。
「なんでこれぐらいのモテが大したことないのか」を書かなきゃいけないとは思っているのだが、ごめん、とてもそういう気分じゃない今日この頃。
今年になって、まだ一行もコード書いてないよ。管理職の仕事なんてテキトーにやって給料泥棒になるのは簡単なんだが、オレはすでにそれなりのポジションにいて、それなりの給料もらってるし、どうせ今の会社に長くいる気はないから、この先どうなろうと知ったこっちゃないんだが、キミらの上司としてキミらのためにバカと戦っているのだとゆーことを、部下には理解してもらいたい。理解してくれてると思ってるけどね。
マジでもはや義務感だけで仕事してる気がする。エンジニアなんだからコード書きたいなー。
とか言いつつ、今日、部下相手に話したことをメモ。
ファッションの流行というものを、生産者の都合で考えてみよう。スーパーの衣料品と違って、ブランドものの服というのはシーズン前にまとめて生産して、それで売れ残りが出たらバーゲンで在庫処分、それもブランド・イメージと価格水準の維持のためには法外な安売りはできないし、翌年また売ることもできないから、バーゲンでも売れ残ったら処分するしかない。逆に特殊な生地、特殊な仕立てをした製品は、予想以上に売れたからと言って、すぐに増産できるものではない。1シーズンしか寿命がないのだから、シーズンが始まってから予想以上に売れたからといって、それから慌てて増産しても遅いのだ。
そういう状況では生産者にとって、需要予測は非常に重要だ。そのための観測気球としてパリ・コレとかってのは存在する。実際あーゆー場で発表される商品がそのへんのお店に並ぶわけではないが、どういう傾向の商品がセレブやジャーナリストにウケるかを調査する役には立つ。そしてセレブやジャーナリストにウケれば、それによって流行が作り出されるという側面もある。つまり、需要予測と同時に需要の制御もできる。自動車メーカーがモーターショーでコンセプトモデルを出展して、その評判次第では市販モデルを出すのと同じことだ。そうやって一発勝負のバクチ的な商売において、なるべく安定的に収益を上げられるようにメーカーは努力する。
それが「今春の流行はコレ!」という奴の裏側にある経済的なメカニズム。株の仕手戦が「しょせんマネーゲーム」である程度には実がないかもしれないが、プロが真剣に市場動向について考えた上で作り出される相場であるということも理解しておくべき。
今日の夕飯。近所のスーパーで1匹1800円で売っていた。正直、可愛いというよりグロい(Googleイメージ検索結果)。一度食ってうまかったってのがなかったら、フツーは買わねーだろ。
買ったのはメス。腹かっさばいて卵巣取り出したら、卵だけでどんぶり一杯。卵抜いたら、食の細い老人が2人で食うにはちょっと多いかな、ぐらいの量。やたらとダシが出るので、猫が興味しめしまくって困り。味はフツーにうまい。大半ゼラチン質なので、魚を食うというのとはまたちょっと違った印象だけども。
卵はもてあましたので、お湯で洗って酒・ショウユ・ミリンでつけてみる。
文句つけることが自分の賢さをアピールする手段だと思ってるヒトっているよな。アカヒは特に多そうだ。いいじゃん、どうせお祭りなんだから。
MySQL用?のOLAPツール作ってるOLAP4Allからなんかポスターが届いた。X4とゆー、MySQL4,5でマテリアライズド・ビューを実現する製品を出したらしい。仕組み的にはクライアントとMySQLの間に入るSQLプリプロセッサで、参照テーブルの変更に同期して内容を更新するわけではなく、定期的にマテリアライズド・ビュー(と称しているテーブル)の内容を更新するらしい。
オレ的にはここ最近のデイリーポータルで最高のヒットだw
ぴろ日記 - HTML Generation Facility , 2ちゃんねるネット:二十歳過ぎなのに童顔 , 自宅鯖 , 萌えヲタ趣味は何も悪くはないかもしれないが、..
ドメイン
www.banana-fish.com カテゴリ マンガ キーワード エロゲ エントリ グラビア ストーカー 詳細 2 users
追加日
2006年01月08日
紙袋を持ち歩くなってのには同意だが、論理展開にいろいろ誤りがあるので、いまから頑張って反論を書く。というか、こういう記事を見て見ぬ振りする非モテ界隈は終わってんなー
面白そうなので期待して待ってる。
ちなみに問題のこれは、「統計的差別(statistical discrimination)」の話を単純に非モテ話に持ち込んでみただけだ。(門外漢なので間違ってる可能性も大だけど)本当に統計的差別の理論で云々というのなら、それが安定状態に到達するということを含めて論じなければならないし、本当に安定状態になるのかどうかというのが統計的差別理論の妥当性をめぐる議論の中心なんだと思うのだが。
安定状態の話まで含めると、統計的差別の理論というのはこうだ:ヲタは統計的に見て恋人として非ヲタより劣っている。なので、目の前にいるある個人についての恋人能力をきっちり評価することが困難 or コストが高い場合には、女子は単純にヲタならば恋人にしないという戦略を取るのが合理的である(ここまでは元エントリで書いた話)。この場合、ヲタは個人的に恋人能力をいくら磨いたところでヲタであるがゆえに恋人にはしてもらえないので、そういった努力は無駄である。なのでヲタ的には恋人能力を磨かないのが合理的な戦略ということになり、統計的に見るとヲタの恋人能力は非ヲタより低い状態で安定するし、女子は恋人選択にあたってヲタを避け続ける。
たとえば雇用における男女差別・学歴差別?・人種差別なんてのは、感情的な差別がなかったとしても、このようにして差別が発生し、それがなかなか解消されないことはうまく説明できるように見える。現実に起きている差別が本当にそれだけで説明できるのかは別として。
あと、このテの話でよくある誤解として、統計的差別の理論は差別が「合理的な意思決定」によって生じうると言ってるだけで、その結果が倫理的に問題ないと言っているわけではないことに注意。地震は不幸な天災だが、地震が起きるメカニズムの妥当性には幸とか不幸とかってのはないのと同じことだ。
zshや最近のbash(2.0系から?)は「あー、nohup忘れちゃった」って時でも、後からdisownでnohup相当のことを後付でというか、実行中の子プロセスをinitに渡してしまうことができて便利です。1時間ぐらいで終わるつもりで動かしたプロセスが2時間経っても終わってくれなくって、あー、もう会社出ないと待ち合わせに遅れるけど、明日もう一度最初からやり直すのは悔しい時とか。
どうも今日はどこのゲレンデに行ってもコンディション悪そうだったので、代わりにスケートとかしにいってみる。さりげにスケートは人生で初めて。ローラースケートは年齢が一桁ぐらいだった頃に、一度友達の父親に連れて行ってもらった記憶がある。まだインラインじゃなくって、ちっちゃい台車みたいなのを靴の下につける時代のお話。
で、アクアリンクちば。駐車場がほぼ満車状態になるほど混んでいた。やっぱトリノ・オリンピックとかミキティとか関係あるの?
ちょっとお茶とか飲んで様子見した後、チケット買って滑ってみる。入場料1000円、靴レンタル300円、手袋購入300円。靴はともかく手袋は持っていった方がいいかも。プロテクタ類が欲しいヒトはただで借りられる。
皮ブーツの底に高さのあるブレードがついているという構造はもっとグラグラして不安定なのかと思ったけど、意外とそうでもない。ブレードの長さがスキーと比べればはるかに短いので、常にドセンターに荷重するように気をつけなければならないとか、エッジは常にかかっている状態であるとか、おまけに短いのですぐ回るとか、色々スキーとは違うところもあるけど、まあ、スキーでスケーティングするのとそう変らないなあ。すぐにヘロヘロと滑ってこれるようにはなった。でも、やっぱりスキーのハードブーツに慣れてると、フニャフニャのブーツは足が疲れる。前後方向はともかく左右方向は硬くていいと思うんだよな。スキーボード/アルペンボード用の靴みたいな特性のハードブーツ。
あと、ブレードの前端にノコギリ状になった部分があって、これがインラインのブレーキと同じ役目のものなのだと思うのだが、ちょっと前荷重にするとすぐ氷にひっかかるので、スキーヤーとしてはびっくりしてしまう。
とかなんとか思いつつ滑っていたら、帰る時にアイスホッケー用と書かれていたブーツはハードシェル+ブレーキなしで、まさにオレが考えていたものっぽいことを発見。次行くことがあったら、こっちを借りてみよう。しかし、混んでいて初心者が転倒覚悟で思い切りよく行ってみるにはあまり適さない環境なので、とりあえず近所の公園でインラインやった方がいいかもしれない。
業界用語だとダイレクトレスポンス広告とブランディング広告とか言うかな。ここで想定している「告知」はレスポンスではなく「商品認知」とか呼ばれるものかもしれないのだけど。1to1マーケティングとマス・マーケティングってのは、指してるものはほとんど一緒だけど、少しニュアンスが違うかもしれず。広告業界における実際の動向とかはこのへん読むのがてっとりばやいかしらん。
今までのマスマーケティングの前提にはお店、売り場の存在がありました。そういう意味では、顧客と企業は間接的にしかつながっていませんでした。お店に行ってくれることを期待して広告を打っているだけなので、結果が明確には分からない、ある種、一方通行のコミュニケーションだったのです。ダイレクトマーケティングはお店というプロセスを省いて、顧客と企業を直接結びつけます。
(中略)
ブランド広告のように1万人に「いい商品(広告)だね」と言ってもらうのを目的とするのではなく、ダイレクトレスポンス広告では1万人のうちの100人の見込み客だけを見て、その人たちを行動に駆り立てることに専念します
とあるように、ダイレクトレスポンス広告の目的は「収穫」することで、それは従来「お店」が担っていた機能だ。個人的にはインターネット広告にダイレクトレスポンスを期待する傾向は、むしろネットバブルの頃の方が顕著だったように思う。ネットの普及率が低かった当時は「結果が明確に分かる」というのがネットの最大の売りだったからだ。しかし、当時はネットの「お店」は貧弱だった。
その後、ネットバブルの崩壊と大手サイトによる寡占化、一方でネット人口の増加が進む過程で、ネットがマスマーケティングにも使えるという認識が広がった。
ネットバブルの頃から、サーチワード連動広告のパフォーマンスがいいことは知られていて、広告商品としてそれなりに人気もあったけれど、当時ネットで買い物をしたりする人々は少なかった。ネットで買い物をする、買いたいものを検索エンジンで探すというのが一般的になったことで、サーチワード連動広告が重要な広告メディアとなる素地ができて、個人事業主レベルでも簡単に広告が打てる仕組みをovertureが整えた。レコメンデーション、collaborative filteringというアイディアも昔からあったが、ネットバブル当時はamazonは数あるネット書店の一つでしかなかった(有力な一つではあったが)。そして、それらは大昔から気の利いた店員が常連客に対して行なってきた「マーケティング活動」を電子化・自動化しただけのことだとも言える。
逆に言うと、マス媒体から個人事業主規模の小売まで全てがネットの上に乗っかることで、電子化された「店員」はマス(の中の一人一人)に対して語りかけることが可能になり、「デンパク」のビジネス規模から見ても意味のある経済的な影響力を持つにいたったという、そこが本当のイノヴェーションなのかな、と。それはGoogleの手柄じゃない。
ついでに言うとGoogleは技術的には充分イノヴェイティヴだと思うんだけど、その技術力を持ってして他の誰かが見つけた市場をかっさらっていくのがGoogleの常套手段で、ビジネス的にはあんまりイノヴェイティヴじゃないなあ、と思ったり。サーチワード広告にしても多くの犠牲の上に築かれた市場でovertureが見つけたビジネスに、洗練された技術を投入しただけのことだ。まあ、だからこそきっちりビジネス的にも成功できたということなのかもしれないけど。
モスクワの北隣、ヤロスラブリ州では、サーカスのゾウ3頭にウオツカを飲ませ暖めている
今の家の前の前の家に引っ越した最初の冬、とゆーのはオレがまだ20代前半だった頃の話だけど、部屋にコンロぐらいしか暖房器具がなくって、しかたがないのでウォッカ飲んでごまかしながら卒論書いてたら、見事に風邪ひいて危うく卒業できなくなるところだった。
なのでウォッカで身体を温めるというのは本質的にはあんまり役に立たない気がする。
あーあ、どっかに2流のプログラマとして働かせてくれる職場ないかなあ。多少給料安くっても3流の管理職やってるよりはマシだ。
地吹雪体験ツアーなんてのがあるのかー。ちょっと面白げ。
今週は舞子後楽園。参加メンバー3人だったので、朝ウチに来てもらってウチの車1台でGo。関越方面いくのは久しぶり。あまりに久しぶりだったので、間違えて美女木Jctで直進しちまったw。
センター試験と関係あるのかないのか(「滑る」とか気にする奴はいそうだからな)、思ったよりも混雑せず、さいたま以降はさほど雪もなく、さくっと昼前にゲレンデ到着。ゲレンデも初心者コース以外はそう混んでない。
最初のウチ、なんか足がむくんでたせいか、足がブーツにきっちり入ってなくって、あちこちアタって痛くて、いまいち気が散っちゃってたのだが、午後に一休みして履きなおしたら復活。やっぱ、アレかな、今回のブーツはサーモ成型してあるから、成型した時の位置に足がちゃんと入ってないと、かえってフツーのインナーよりアタりまくるのかね。
夕方、なんとなく暇つぶしにオーリーとかやってみる。ちょっとまだタイミングあってないけど、それなりに浮く。このまま3ぐらい回せると楽しそうだなあ。次回からちょっとマジメに練習してみよう。
なんか妙に腹筋だけ筋肉痛なのは、昨日最後の方ずっとオーリーの練習というか、テールマニュアルしてたせいか?
オレの板だけルーフボックスじゃなくて、キャリアに剥き出しで積んでいるせいなのか、それともTrouble Makerのエッジ材質の問題なのか、なんかしらんがやたらとエッジに錆が出る。ルーフボックスに入れてる以外は同じ扱いをされているはずの、ツレのスノボが全然錆びないのにTroubleは一瞬でサビる。塩カル含んだ水飛沫とか浴びながら帰るせいなのかしらん。
つーわけで、2年ぶりぐらいにエッジ砥ぎとかしてみる。ついでにチャリンコ用のサビ止めオイルとか薄く塗ってみたり。これでまた錆びたら2chの代用品スレであった、エッジを油性マジックで塗るってのを試してみるか……
面白い。
n個の直方体があった時、直方体の向きが3種類まで考えられるから最大3n個の頂点を持つグラフを考えることができて、「同じ直方体の向きが違う奴同士ではなくて、なおかつ大きい奴から小さい奴には遷移することができる」というルールで辺を作って、ダイクストラ法に「同じ直方体を2度通らない」という制約を加えたアルゴリズムで、任意の二直方体間の最長経路を求めていけば、多項式時間では解ける気がする。O(n^4)ぐらい?ダイクストラ法がO(n^2)だってこと考えるとO(n)は無理な気がするな。
(こっちに追記あり)。
去年買った『Goodbye to your ski movies』が結構面白かったので、今年もまた買ってみた。やっぱ面白い。去年の奴も引っ張り出してまた見ようかな。
「マネー・ゲームはよくない。お金というのは地道に汗を流して働いて得るものだ」みたいな話を、ここんとこよく目にするのだが、地道に汗を流して働いたからってお金が儲かるとは限らないところを、チート技でほぼ確実に儲かるようにしたという点が、ホリエモンのいけないところであって、地道に汗は流してたと思うんだけどな。オレはとてもあんな風にお金儲けに一生懸命になれない。
つか、ブレーカー飛ばした。なにやらtdiaryの.tdrファイルが今月、先月分ぐらい壊れた模様。他になんか壊れてないだろうな。
amazonでもう予約注文できる。この値段なら1個買ってみようかなー。
mixiとかなんとなく嫌で関わってないので元ネタ読めないんだけど、「うちは Javaで飯食ってるので、そういう低レベルな言語を得意げに話されても困ります」って、「低レベル」ってところはさておくと、運送会社に面接にいってA級ライセンスもってる(けど大型持ってない)のを得意げに話しちゃってる状況かなーと想像しちゃうと、まあ、そう言われるのも分からなくはない。逆の立場でオレも採用側としてそういう状況に置かれたら、募集要項読んでねーのかよ、空気嫁よ、と思うに違いない。エンジニアとしての能力以前に、空気読めない奴は採用したくないなあ。
ヨソの業界をあまり知らないのだが、エンジニアになる前、アカデミックな研究やってた時は、基礎ラーと応用屋、理論屋と実験屋、工学屋と生理屋は心の中でお互いをバカにし合っているのがフツーだったので、ソフトウェア業界もそう変わらんかなという気がしなくもない。一方で大型免許とA級ライセンスがお互いをバカにしあってる状況ってのは、イマイチ想像しにくい。
理論屋と実験屋の対立は、お互い自分の仕事の方が科学の進歩のためにはより重要な仕事だと思っているところにあるわけだけど、Perl屋とJava屋の対立とか、会社の中における管理部門と生産・開発部門と営業部門の対立とかってのも、同じ構図な気がする。
アメリカの自販機ってオツリ出たっけ?おつりの出る自販機なんて日本ぐらいだって気がする。ドイツのタバコ自販機は何を買う時でも4ユーロで、それも2ユーロ2枚か2ユーロ1枚+1ユーロ2枚か、1ユーロ4枚のどれかじゃなきゃいけなくて、4ユーロで20本じゃない場合には本数が増減するのは記事の通り。昔、通貨がマルクだった時に、Roter Handってのが1箱23本ぐらい詰め込んでもまだ4マルクにならないので、パッケージの中に5ペニヒだか50ペニヒだかが入ってたのは覚えてるな。アレがオレがドイツで初めて買ったタバコだった。
ドイツはタバコの自販機が道端に時々あるが、道端にある自販機はタバコの自販機だけだ。イタリアでは一度だけ、建物の壁に埋め込まれたタバコ自販機を見たことがあるが、他に道端の自販機を見たことがない。アメリカでもないし、フランスでも記憶にないなあ。駅とかホテルとか会社とか、要するに構内で瓶や紙コップの飲み物自販機、あるいは日本でもSAとかで見かけるようなパンとか菓子とかの自販機を見かけることはある。そいやプリペイド携帯のSIMカードの自販機なんつーのも、海外では駅とかで見かけますね。最近のドイツのおっそろしくUser Unfriendlyな電車の切符販売機とか、ボロっちい癖にクレジット・カードが使えるパリの地下鉄の切符販売機なんつーのもあるなあ。
ま、いずれにしても日本みたいな自販機天国は他の国ではちょっと見かけない気がする。その代わり日本ではタバコ屋って商売は絶滅しかかってるよな。
MySQLにアドインできる高速全文検索エンジンの話題。面白げ。
これ、テレビのニュースでも見て、社長の「正直」な発言も聞いたんだけどさ。「あきれた発言」というマスコミの論調には、あんまり同意できない。
単純にわざわざコストかけて改造した方が経営的にメリットがあるほどの負担が発生している、ということでしょ。それだけの無駄があればどうにかしようと思うのは、経営者として当然だわな。身障者の住みやすい社会とか実現しようとすることは別にいいんだけどさ、そのためのコスト負担が受益者でもない特定の人間に偏っているんだとしたら、それは法/行政に問題があるんじゃないのか?この社長を叩いてそれで終わらせていい話なのか?
誤った教科書を学んだ受験生が、センター試験で不利を被る。公平な扱いを受けるべき受験で、英語リスニングテストでの機器不具合や監督者のミスなどに続き、あってはならないことが起きた。
(中略)
大人たちの不手際のツケを受験生たちに負わせた形になった。将来を左右するセンター試験で、こんな理不尽なことが許されるわけがない。【長尾真輔】
いや、べつにそんなのフツーにあることだし、世の中もっと理不尽なことはいくらでもある。そんなことぐらいで将来が左右されるとか思ってるのがおかしいし、本当に取り返しがつかないんだったら、そういうシステムの方がおかしいだろ。
なんか個人的に「Aクン」にはすごく好感が持てる。オレも若かった頃に似たようなことやらかしたことあるやw
こないだから、get.nuとかのリファラが落ちてるなーと思ってたんだが、いつのまにやらオレの日記がコピペ化しつつあったのか。
どうもエロ規制の文脈で貼られてることが多いみたいなので、一言書いておくと、オレはエロ規制にはどっちかというと反対の立場なのでよろしく。個人の趣味の範囲で何が好きで、何が嫌いだろうと勝手じゃん。エロゲ好きのヲタも、エロゲヲタ嫌いの良識人もどっちも存在して結構。でも、どっちの趣味にもアプリオリに与えられた権利なんつーものが存在するとは思わない。自由や権利は「公共の福祉に反しない限り」認められるってのは、要するに社会の多数派に気に入られない自由や権利は認められないってことだろ?ていうか、それ以外にどんな形で自由や権利が本当に保障されうるのだ?
今日は乗鞍高原温泉スキー場とかに出撃してみた。
結構いいじゃん、このスキー場。白馬あたりのスキー場と遜色ないぐらいの広さはあって、それなりのパークもあるし、それなりに滑り応えのある斜面もあるし、リフト券安くて空いている。都内からの日帰りにはちょっと遠いかもしれないというのと、松本IC降りた後の下道が今日は乾いてたからいいけど、狭くて曲がりくねってて、圧雪だったり凍結路面だったりすると泣けるだろうなあってところが、マイナス・ポイント?
白骨温泉が近いので、そのへんの温泉宿に泊まって1泊ぐらいで行くのによさげかな。
それらしい説明がみつかランよ。
二重否定をよく使うってのは聞いたことあるけど。
んーと、それらしい文章作ってググるか、lyrics系のサイトでジャマイカンな曲の歌詞とか見れば一杯見つかると思うんですが、"don't"の代わりに"no"を使うのはパトワの特徴の一つです。標準英語の"I don't know"が"me no know" になったり、"I don't care" が"me no care"になったり。
コメントもらったので、昨日のエントリに補足。
http://www.banana-fish.com/~piro/20060129.html#p01
(snip)
自分の考えとだいたい同じ。多数派による支持のない、少数意見には「実効力」がない。でも、「少数意見の尊重」を、多数派に認めさせることは可能とは思う。
ある具体的な意見xを尊重するべきかどうかという話とは別に、任意の少数意見Xを尊重するべきかどうかというメタな話があって、要するに「表現の自由」「思想の自由」という奴なわけだけど、何がなんでも多数派が正しいのだ!という人以外は、Xのところに自分が肯定的に評価することのできる少数派の意見というものを入れて想像してみることができるので、社会の支持を得ることは容易だと思うし、実際「表現の自由」「思想の自由」を真っ向から否定する人って、あんまり見たことない。
しかし、具体的な意見xが与えられてしまうと、具体的な快・不快、支持・不支持、そして利害関係の評価が可能になるので、それらと「少数意見の尊重」というメタルールによる評価を天秤にかけてみて、メタルールによる評価が却下されてしまえば「尊重しない」ということになるだろう。メタルールが上位の規則として常に優先するわけではない。それが「公共の福祉の範囲内で」という但し書きの意味だと思う。「少数意見を尊重する」というのは、あくまでデフォルト・ルールだ。
kiya2014さんからははてブで「これが一般人の考え方だ!」みたいなコメントをいただいているが、もちろんそうですとも。だって、自分の心情として「社会がどうあるべきか」について述べてるんじゃないんだもん。社会に対するオレの関心は、いま目の前にある社会をどうハックしたら自分が効率的に生き延びることができるのかなので、敵がどう動くかを把握したいだけだし、その場合に一番多い敵=多数派がどう動くかはどうしたって重要。
当方の「公共の福祉の範囲内で」という但し書きの読み方、及びコメントのつけ方が良くなかったかな?
や、良くなくはないです。
ただ、オイラが本気で「勝ちたい」時は、自分が少数派だろうと弱者だろうと意地でも勝ちたい、公共の福祉に反しても勝ちたい、負けても勝ちたいかもなーと思うので、そういうシチュに置かれちゃった少数派の人間にとっては「意見を尊重」してもらっただけじゃ気休めにしかなんないのかな、と思っただけっす。
しかし、そういう領域に入り込めば入り込むほど、どんどん当人にしか分からない価値観の中の世界に入り込んでいって、実際どの程度深刻なのかを「潰そうとした時の抵抗の強さ」でしか客観的に測れなくなってしまうのが難しいところ。
Re: Block Tower。 同じ直方体を2度通らないという制約が、簡単そうに見えてなかなか厄介に思えます
さらに考えてみた。向きの違う直方体を別物と考えてしまえば、閉路は含まないはずなので、始点が与えられればDAGの最長経路問題に帰着できる。DAGなのでダイクストラじゃなくトポロジカル・ソート&動的計画法使ってO(n)。始点の数だけ繰り返して最悪O(n^2)。
このやり方を拡張して、同じ直方体を2度通るルートの排除を付け加えることはできるか?ある直方体(a, b, c) (a≥b≥c) を考えた時、同じ直方体を2度通ることができるのはa > b > cの時に (a,b)の上に(b,c)が乗るパターンだけ。高さは(b,c)がaで、高さcの(a,b)よりもデカいので、...→(a,b)→...→(b,c)というパターンが出現した時には、経路から(a,b)を抜いて(b,c)を足すことにしても、a-c>0で経路の長さが長くなることが保証されるので、最長経路の計算に支障はきたさない(ダイクストラじゃないのでa-c<0でも困らないか)。このチェックがn回発生して、チェックのコストは最悪O(n)なので、最悪O(n^3)で解けるはず?入辺のない頂点がn個の時には、トポロジカル・ソートのコストが1でチェックのコストも1になるはずなので、実はO(n)?あ、あとDAGを作るコストがあるか。
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