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《東京2025デフリンピック注目選手》過去4大会でメダル19個獲得! デフ水泳のエース・茨隆太郎の決意「音のない世界で最高の泳ぎを見せたい」
posted2025/10/24 11:00
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
Kiichi Matsumoto
11月15日、4年に一度の大舞台が始まる。「東京2025デフリンピック」だ。デフリンピックは「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」。1924年、パリで第1回が開催され、100周年にあたる今回、日本で初めて行なわれる。
記念すべき大会に、競泳の、いや競泳にとどまらない、日本選手団の柱として出場するのが茨隆太郎だ。過去4度デフリンピックに出場し金5、銀9、銅5と計19のメダルを獲得している。
押しも押されもせぬ日本のエースは、健康を願う両親の意向で幼少時にスイミングクラブで水泳を始めた。「好きでやっていたわけではなく仕方なく通っていました」。転機は小学6年生のときに訪れた。
「僕はろう学校に通っていました。学校で2005年のメルボルン大会の報告書を見せていただいて、初めてデフリンピックというものがあるのを知りました。デフ水泳の先輩が金メダルを獲っていることも知り、自分も獲りたいと目標ができました」
練習への取り組み方も気持ちも一変した。
「それまでは記録を出してもそんなに喜ばなかったのですが、自己ベストを出すことへの喜びを強く感じるようになりました」
競技者として歩み、世界屈指のスイマーに成長する中でデフアスリートとしての誇りを抱き、第一人者たる責任も自覚する。
「僕はきこえない子どもたちの親御さんからよく相談を受けます。スイミングクラブやスポーツクラブに入りたくても、コミュニケーション方法が分からないので断られてしまうという話を何回もきいています。僕が通っていた江戸川区の東京ドルフィンクラブのコーチたちは、例えば練習メニューを紙に書いて説明したり、口の形を大きく分かりやすく話したり、水泳に集中できる状況を作ってくれました。でもチャレンジすらできない状況の子たちがいる。チャレンジできる環境を作ることも使命だと思っているので、デフリンピックをより多くの人に知ってもらうために、きこえる小中高生への講演など普及活動もしてきました」
東京大会はその好機だ。
「おそらく手話を目の前で見る機会って少ないと思うんですね。でもデフリンピックは日本だけじゃなく他の国々の選手やスタッフ、応援のお客さんもたくさん集まります。そこは声のない世界というか音が少ない世界です。我々ろう者は、きこえる人たちに囲まれた環境に入ると何を話しているかなかなか分からないですが、逆にろう者が多い環境で手話によって話しているのを見て、何を話しているのかな、知りたいなと感じたり、手話に対する見方、考え方が変わる機会になるんじゃないかと思います。競泳の場合、ランプの光でスタートの合図を出します。そういう方法でやっていることをはじめ会場に足を運んで現地でしか分からないことも感じていただきたいです」
抱いていた不安も払拭されつつある。
「東京での開催が決まり、どれだけ盛り上がるかの心配が実はあって、選手の力だけではなかなか難しいなと思っていました。東京都をはじめさまざまな広報活動をして、そのおかげで少しずつデフリンピックの知名度も上がって身近に感じるようになったという声をいただきます。デフアスリート一人一人の活動も伝えてくださっているので、我々の頑張ろうというモチベーションにつながっています」
茨は東海大学に入学、水泳部で励み、現在も練習拠点とする。大学1年生のときのある言葉を忘れていない。
「ミーティングで先輩にいろいろな仕事を教えてもらいました。きこえる人はメモを取って行動に移せますが、僕はきこえないので分からないまま仕事をしてミスを繰り返していました。そのとき同級生に『お前はきこえるきこえないではなく、茨隆太郎という一人の人間として問題がある』と言われました。きこえないからしょうがないと甘えていたのに気づきましたし、分からないままでなく理解してお互いに共有する大切さを知りました。すると練習もより頑張れるようになったんです。何よりも、彼は僕をちゃんと人間として見てくれていたのだと思いました。だから人と人として通じ合えるかどうかが大事だと思っています」
まずは知ることが一歩となる。その先に理解を深め合い、ともに生きる社会を――。
「そのためにもいい泳ぎ、いい結果をみせたいです」。晴れの舞台を見据える。
東京2025デフリンピック
11月15日開幕!
観 戦 無 料
背後から接近する車、ホームのアナウンス……日常生活において、音は判断のための重要な材料だ。スポーツにおいても変わりない。例えばチーム競技なら声は連係のための重要な手段であり、柔道なら息遣いに相手の様子をうかがう。そもそもスタートの合図などの場面で音は欠かせない。では音がきこえないとしたら――。「東京2025デフリンピック」(11月15日~26日)はきこえない、きこえにくいアスリートのための4年に一度の国際大会だ。
運営上の対策を凝らして実施される21競技の基本的なルールは通常と同じ。その中で選手たちは音がないことをどう工夫して乗り越え、頂点を目指して戦うのか、そこに醍醐味の一つがある。
日本にはさまざまな競技にメダルを狙う有力チームや選手がいる。声援や拍手などではない形でどう応援の思いを彼らに伝えるのか、デフリンピックならではの文化も会場で体感しつつ、彼らの熱い戦いを見届けたい。

