第42撃:《決して退かぬ決意》
「さあ、逃げろ。」
ヴァルドランの低く重い声が、戦場の喧噪を切り裂いた。
だが、その言葉を受けても、紫音も柚葉も頷けなかった。
胸の奥で、何かが鉛のように沈む。
彼らの頭に浮かぶのは、血に塗れた仲間たちの顔――すでに倒れ、二度と戻らない友の姿。
そして、まだ洗脳の鎖に囚われたままの者たち。
紫音が、唇を噛みしめながら口を開く。
「……ごめん。オレたち、逃げられない。
もう、多くの友達がやられた……でも、だからこそ……残ってる奴らを、見捨てられない。」
その声は震えていたが、迷いはなかった。
柚葉も、目を潤ませながら言葉を重ねる。
「……そのセレフィーネって魔族を倒せば、洗脳は解けるんですよね? なら――」
だが、ヴァルドランは即座に首を横に振った。
その瞳には、長年の戦いをくぐり抜けた者特有の、冷徹な現実が宿っている。
「君たちでは奴は倒せん。
グラウザーンがあの女を側近に据えたのは、洗脳の力ゆえだけではない。
その強さ、奴は本物だ。」
言葉が重く落ちる。
紫音と柚葉は、悔しさに拳を握り締めた。指先が白くなるほどに。
「それでも……戻るというのかね? エルサリオンへ。」
ヴァルドランの問いに、二人は迷いなく頷いた。
その頑なさに、男は深くため息をつく。
「……ならば忠告だ。エルサリオンで出されるものは、口にするな。
セレフィーネの秘薬を盛られれば、洗脳は免れないだろう。」
二人は沈黙したまま、互いに視線を交わす。
逃げることは簡単だ。だが、それで守れるものは何もない。
ふと、柚葉が思い出したように言った。
「……そういえば、魔王さんなら、この戦いを止められるんじゃ?」
「……今、魔王様――アリステリア様は不在だ。
グラウザーンに呼び出され、奴の居城へと向かわれている。」
紫音は思わず声を荒げる。
「魔王なのに呼び出されるって……無視すればいいだろ!
このタイミングで……明らかに狙ってるじゃないか!」
しかし、ヴァルドランは苦い表情を浮かべた。
「そうもいかないのだよ。
グラウザーンは先代魔王レイゼル様の兄――アリステリア様にとって伯父にあたる。
しかも、その力は歴代最強と謳われる。無下にはできん。」
二人は、言葉を失った。
どうにもならない壁が、目の前にそびえ立っているようだった。
「……時間をかけすぎた。戻るぞ。
君たちは戦うふりをして、エルサリオンの兵の目を欺け。
その上で、これ以上被害が広がらぬよう立ち回る。」
重い現実を飲み込み、二人は必死に気持ちを切り替える。
紫音が言った。
「……分かりました。オレは天城紫音。こっちは千歳柚葉。あんたは?」
「私はアリステリア様に仕えるヴァルドラン。……行くぞ。」
三人は戦場へと戻り、あえて派手な動きで敵味方の視線を集め、煙や土埃を巻き上げた。
その隙に、命の危機に瀕している者たちを陰から救い出す。
時に剣を交え、時に盾となり、混乱を作り出す。
その中で紫音と柚葉は、ヴァルドランの本当の戦いぶりを見て、息を呑んだ。
先ほど自分たちと戦った時とは比べものにならない速さと鋭さ――
それは匠の技とも呼べる、研ぎ澄まされた動きだった。
だが、それでも犠牲はゼロにはできなかった。
魔王軍側にも、勇者側にも、命は失われていった。
クラスメイトは、もう十名ほどしか残っていない。
(……いつまで続くんだ、こんなの……)
紫音の胸に、どうしようもない虚しさが広がる。
その時、エルサリオンの兵が声を張り上げた。
「勇者諸君! 本日はこれまでだ! 撤退せよ!」
その一声で、この無益な戦いはようやく幕を閉じた。
紫音、柚葉、そして残った十名は転移陣へと向かい、戦場を離れていく。
彼らを追う穏健派の兵士は、一人もいなかった。
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