第70話 少し、ここにいてもらっただけ
のんびりと二人だけで過ごす新年を終えると、また元の生活である。
サビーナは街で働き、五日目の夕方に戻ってくるという日が続く。そしてシェルトが村を出ていってから、一ヶ月半が過ぎたこの日、サビーナは職場に暫く休む旨を伝えてから村に戻ってきた。
家に帰ると夕食の準備を終えて、セヴェリの授業が終わる直前にサビーナは出掛ける。セヴェリが不思議そうにこちらを見ていたようだったが、授業中だったためなにも言われることはなかった。
向かう先は、プリシラの家である。軽くノックをすると返事があり、扉を開けると、中ではプリシラが医術の本をペラペラと捲っていた。
「あら、サビーナさん。どうかしました?」
「はい。少しセヴェリ様の体調が優れないようなので、診て頂きたいんです」
「わかりました、すぐに伺います」
言葉通りプリシラは往診用の鞄を持ち出すと、すぐにサビーナと共に家を出てくれた。
「いつから、どんな症状ですか?」
プリシラの問診に、サビーナは答えなかった。答えられるわけもない。セヴェリは元気に授業をしていたのだから。
誤魔化しながら家に着くとすでに子ども達の姿はなく、青空授業は終了しているようだ。
プリシラを家に招き入れたそこには、セヴェリが生徒たちのノートをチェックしている姿があった。当然ながら、彼の顔色は健康そのものである。
「サビーナ? どこに行ったのかと思っていたら、プリシラを呼びに行っていたのですか?」
「あら、セヴェリ様は体調が優れなかったのでは……」
二人が目を見合わせて丸くしている間に、サビーナは鍵を閉めて剣を腰に装備した。その姿を見て、二人は眉を寄せている。
「食事の準備はできていますので、どうぞ召し上がって下さい」
そんな訝る二人の前に料理を運ぶも、プリシラは座ろうとはしてくれなかった。なんの説明もしていないので当然だろう。
「これは、どういうことかしら」
「すみませんが、シェルトが帰ってくるまであなたをここで監禁します。許してください」
「なんですって?」
プリシラの懐疑の視線がサビーナを突き刺すように鋭く射抜く。サビーナは、己のしていることが正しいとは思っていない。けれど、セヴェリを守るためには必要なことだ。
「シェルトがここを立ってから、すでに一ヶ月半が経ちましたが、帰ってきません。最悪の事態を想定してこうします」
「最悪の事態……シェルトが、セヴェリ様を売ったと思っているの?」
「かもしれませんし、騎士のうちの誰かに勘付かれて拘束されたのかもしれません。オーケルフェルトの騎士には、有能な眼鏡騎士がいますし……ね、セヴェリ様」
同意を求めると、セヴェリは息を吐きながら「そうですね」と答えてくれる。
「シェルトは頭の良い子です。気付かれるような真似はしないわ」
「それ以上に優れた人物が騎士にはいるんです。もしかしたら捕まってしまって、セヴェリ様がこの村に住んでいることを吐いてしまっているかもしれません。そうなると、騎士隊がここに来るのは時間の問題……そうなった時、あなたを人質に逃亡できるよう、ここにいてもらいます」
「私に人質の価値はないわよ?」
「ありますよ。シェルトにとっても、あなたを知るオーケルフェルトの騎士にとっても……なによりこの村の人々が、尊敬する医師の命を危険に晒すような真似はさせないはずです。強行突破しようとする騎士がいれば、必ず止めてくれるはず」
サビーナが凍てつくような冷たい目を送ると、プリシラは少しだけ怒りの表情を見せてくる。
「もし監禁されている間に病人が出たらどうするの?」
「私もプリシラ先生に同行します」
「では、せめてうちの家に張り紙をさせて。セヴェリ夫婦のところにしばらく泊まるから、急ぎの人はそちらに来てほしいって」
「わかりました。でもなにがあっても逃げようとはしないで下さいね。プリシラ先生を傷付けたくはありませんから」
「逃げる必要なんてないわ。あの子は必ず情報を掴んで帰ってきますから」
そう言う凛とした立ち姿が美しい。
プリシラは、素朴な顔立ちであっても義を貫く人間であるためか、とても魅力ある女性だ。きっとこんなところにシェルトもシェスカルも惹かれたのだろうと思う。
サビーナだって、本当はプリシラのことが好きだ。人質にしたり、ましてや傷付けたいわけではない。
しかし誰に嫌われようと、セヴェリだけは危険に晒すわけにいかなかった。人を疑うことは気分のいいものではないが、それができるのはサビーナしかいないのだ。
そう考えると、なぜだかリカルドがとても懐かしく思えた。彼もセヴェリのことを考えては逐一心配し、そしてすべてを疑って掛かっていた人物である。
その役割というのは決して生易しいものではなかっただろう。同じ立場になった今、ようやくわかった。リカルドの眼鏡の下の冷たい瞳が苦手だったが、今のサビーナは彼と同じ目をしているに違いない。
サビーナはプリシラを連れてもう一度戻り、張り紙を張らせた後でまた家に帰ってきた。
さすがに彼女を拘束する真似はしなかったが、夜はサビーナのベッドで眠らせて、サビーナ自身は床に座り剣を抱えて眠った。
翌朝、プリシラはセヴェリと一緒に幼児達と一緒に遊び、昼からはセヴェリの生徒達に応急処置や心肺蘇生等の方法を教えていた。こんな時じゃないと中々教えられなかったと言って、プリシラは満足そうだ。
サビーナはプリシラから目を離さず、ずっと見ているだけであったが。
この日もシェルトは帰って来ず、次の日もまた同じように過ごした。
その夜のことである。三人で夕食を終え、サビーナは片付けを、セヴェリとプリシラは今日の授業について話をしていた、その時。
コンコンと扉からノックが溢れるように鳴った。サビーナは素早く剣を取り、扉の前まで行くと声を上げる。
「どちら様ですか?」
「俺。シェルト」
その言葉にプリシラがカタンと椅子から立ち上がる。サビーナはそれを目で制し、扉に向かって話し掛けた。
「一人?」
「そうだよ。騎士なんか連れて来てねぇから、開けてくれ。プリシラ先生ここにいんだろ? 先に家に帰ったら、そう張り紙されてたからな。先生が無事かどうか確認させてくれ」
「なにもしてないから。少し、ここにいてもらっただけ」
そう言いながらほんの少しだけ扉を開け、周りに誰もいないことを確認してからシェルトを招き入れた。
「先生……無事だったか」
「大丈夫よ。あなたも無事でよかったわ」
師弟は互いにホッと息を漏らし、プリシラは長い旅を終えたシェルトを労っていた。サビーナは後ろ手で鍵を掛け、セヴェリの様子を確認する。彼は若干、緊張の面持ちをしていた。
「調べてきたぜ。あんたらの国のこと」
シェルトは疲れたようにセヴェリの対角の椅子に座り、プリシラはそんな彼の隣に、サビーナはセヴェリの隣に促されて座った。
まずはシェルトが裏切らず帰ってきてくれたことにほっとする。
「なにから聞きたい?」
「すべて聞くのですから、話しやすい順で構いませんよ」
「じゃあ俺がアンゼルード帝国に行ったところから、なにがあったかを順に話すよ」
「ええ、お願いします」
そうしてシェルトは、帝国であったことを話し始めた。