第71話 『悪』以外の何物でもありません!!
彼はアンゼルード帝国に入った時のことを話し始めた。
ランディスの街はオーケルフェルトの当主が捕まり騒ぎになっているかと思っていたが、もう二ヶ月も経っているせいか落ち着いたものだったという。
新聞にも取り立ててなにかが書かれている様子もなく、まずシェルトはオーケルフェルトの屋敷を見てみることにしたそうだ。
「街の人にさ、オーケルフェルトに仕える知り合いに会いにきたから、場所を教えてくれっつったらさ、オーケルフェルトはもうないって言われた」
シェルトの言葉に、サビーナの顔は凍りつく。しかしセヴェリは覚悟していたのか、表情は少し冷たい笑みのまま変わりはしなかった。
「あったのは……シェスカル・ディノークスの屋敷。シェスカルがオーケルフェルトの土地と家をすべて買い取って、そこに仕えてた召使いや騎士達もそのまま引き継ぐ形になってた」
「そうですか。シェスカルが」
なぜかセヴェリは少し穏やかな笑みに表情を変化させ、代わりにプリシラが訝りながら小首を傾げる。
「シェスカル・ディノークスって……ディノークスは彼の曽祖父の名前で、今では社名として使われているだけよ。そんな、貴族のように……」
「貴族になってた。シェスカルってやつは」
シェルトの言葉にプリシラは声を詰まらせていた。シェスカルが、貴族に。サビーナの理解が追いつかぬうちに、シェルトは続ける。
「シェスカルって野郎は、オーケルフェルトの謀反を未然に防いだとして、その恩賞で授爵したらしい。ディノークスって性は、本人の希望だってさ」
「っぷ、クスクスクス……彼らしいですね」
そしてセヴェリはさも可笑しそうに笑い始めた。自分を貶めた張本人だというのに、この人の考えることは相変わらず理解できない。
そんな顔で見ていると、セヴェリは笑いで溜めた涙と共に、瞳をサビーナに向けてくる。それに耐え切れず、サビーナはとうとう聞いてしまった。
「なにがそんなに可笑しいのですか?」
「可笑しいというか……嬉しいのですよ」
「なにがですか」
「オーケルフェルトに仕える者が、誰も路頭に迷わずに済んだことです。さすがシェスカルと言いますか。貴族になっていることといい、すべて彼の思惑通りに進んだと言ったところでしょうね」
どこかあっけらかんとした物言いに、サビーナは思わずムッとしてしまう。
「く、悔しくないんですか、セヴェリ様! あんな手酷い裏切りを受けて、こんなところに追われる羽目になって……すべてを持っていかれて、しかも隊長は貴族にまでなっているんですよ!?」
「そうですね。でもシェスカルだって簡単にこんな結論を出したわけじゃないと思いますよ。オーケルフェルトが謀反を起こそうとした時点で、土地や屋敷は国に没収となりますし、それを買い戻すには相当のお金が必要だったはず。天下のディノークス商会と言えど、正式に継いでいるわけでもないシェスカルが親の許可なく出せる金額でもないでしょうし、彼なりに色々と駆け回っていたんでしょう」
確かに一時期、シェスカルは故郷に戻っていてオーケルフェルトの屋敷にいなかったことがあった。あの時にはもう根回しを進めていたのだろう。
気づかなかった自分が悔しくて、ギリっと奥歯を噛み締める。
「サビーナさん、私が言えた立場じゃないけれど、シェスカルは自分の利益だけを考えてこんな行動を起こしたんじゃないと思うの。信頼を得た貴族ならば、皇帝への進言も聞き入れてもらえる。シェスカルは謀反とは違う方法で、アンゼルード帝国を変えようとして……」
「そのためにセヴェリ様を裏切ったって言うんですか!? 」
プリシラのシェスカルをかばうような発言は、サビーナの逆鱗に触れた。両拳をテーブルにダンッと叩きつけて立ち上がると、目の前のプリシラに食って掛かるように吠える。
「結局隊長のやったことは、セヴェリ様を利用して売ったんです!! 国を変えるなんて体のいい言い訳をして、屋敷も土地も人もセヴェリ様から全部奪って! 貴族という地位を手に入れることまで視野に入れて裏切るなんて、隊長のしたことは『悪』以外の何物でもありません!!」
「さ、サビーナさん……」
物凄い剣幕で吠え立てるサビーナを見て、プリシラは萎縮している。彼女の隣ではシェルトが半眼でこちらを睨んでいるが、彼がなにかを言う前にセヴェリが穏やかな声を上げた。
「サビーナ、落ち着いてください。サビーナにとっては悪でも、シェスカルにとっては正義だったんですよ。それに彼はとても責任感の強い人です。私をこんな目に遭わせておいて、のんびりと貴族生活を満喫できるような男ではないのです。私の目指した国を実現するために、きっと寝る間も惜しんで奔走することでしょう。もちろん謀反は起こさずにね」
セヴェリの言い分に、それでも顔を顰める。すると彼は困ったように続けた。
「前に言ったでしょう? シェスカルは本当の本当は真面目な人なんです。傍目にはそうは見えませんが……私は今でも彼を信用していますよ。きっと貴族となったシェスカルならば、アンゼルード帝国をいい方に導いてくれるとね」
「セヴェリ様……」
自分を裏切った相手を信用するとは、どういう精神構造をしているのだろうか。
まったく理解はできないが、そこまで言われてしまうとサビーナには言い返す言葉もない。
「話……進めていいか?」
「すみません、続けて下さい」
呆れたような視線を送られて、サビーナはゆっくりと腰を下ろした。そしてサビーナも「どうぞ」と小声で先を促すと、それを確認したシェルトは頷く。
「ディノークスの屋敷の前であんまりウロチョロできねぇから、家を確認しただけでとりあえず戻った。次は図書館に行って当時の新聞に目を通すことにした。まずはあんたの父親のマウリッツだけど……」
皆に緊張が走る。サビーナにとってもプリシラにとっても、かつて仕えていた屋敷の当主で、セヴェリにとっては父親だ。
「謀反を企てた罪で、牢獄に幽閉。シェスカルの嘆願で処刑は免れたが、一生牢から出られることはないらしい」
シェルトの言葉が一旦途絶え、サビーナはそっとセヴェリを確認する。その視線を受けたセヴェリは、「仕方ありませんね」と苦しそうに呟いていた。
「それと、あんたにも追手が掛かってる。謀反を企てた危険因子として放っておけないって。多分、逃げちまった分、温情は受けられねぇと思うよ。捕まったら……処刑だ」
「そうですか」
処刑という言葉に、サビーナの体はカタカタと震える。まるで極寒の海に裸で放り込まれたようだ。体中の血が止まったかと思うほど、体が凍てつくように一気に冷えた。
「ビビんないの?」
「まぁ、覚悟はしていますから」
あくまで大らかに答えているセヴェリを見て、体を縮こまらせる。
もしもサビーナがセヴェリを連れ出さなければ、彼は牢獄と言えど生きられたのだ。だというのに、助け出してしまったせいで死という恐怖がついて回ることとなってしまった。
正しいと思って行動したことだったが、こうなると本当にこれで良かったのかどうかわからなくなってくる。
「じゃあ次に、デニスって奴のことだ」
ピクンと、意図せず体が勝手に動いた。なんとなく視線を集めてしまった気がして、そのまま身を硬直させる。
一番知りたい情報であり、一番知りたくない情報でもあった。サビーナは膝の上で拳をギュッと握り締める。
デニスさん……っ
サビーナは、祈るようにシェルトの次の言葉を待った。
シェルトは少し間をおいて、息を吐き出すように言葉を繋ぐ。
「……デニスって奴は、あんたらを逃がすためにシェスカルと対立。セヴェリを逃した罪とシェスカルに刃を向けた罪で、二年の懲役刑が課せられた」
「懲役刑……ということは、デニスは生きているんですね?」
「ああ、シェスカルに数カ所斬られたって話だが、大事に至ることなく取り押さえられたらしいぜ」
「そうですか。良かった……」
セヴェリがそう息を吐くのと同時に、サビーナも緊張で凝り固まった肩を脱力させる。
デニスが、生きている。
それだけで安堵した。全身の力が、煙となって出ていくかのように抜けていく。
良かった……本当に良かった!
生きててくれた……っ!
「……サビーナ」
ふと気付くと、セヴェリがハンカチを差し出してくれている。なぜだろうと顔を上げると、いつの間にかサビーナの瞳から大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。
「あ……す、すみませんっ」
「いえ。……良かったですね、デニスが無事で」
「はい……っ」
借りたハンカチで涙を拭う。これがわかっただけでも、シェルトに調査に行ってもらって良かった。
二年もの間、刑に服さなければならないのは胸が痛むが、彼がこの世にいてくれるだけでこの上ない幸せだった。
もう二度と会えなくても、それでも。
デニスのことを考えるだけで、胸は苦しくなれども幸せな気持ちになれる。
サビーナは無意識に胸に手をやった。胸のポケットにしまってある二つの懐中時計のうちのひとつが、カチコチと優しく秒針を刻んでいる。
彼の鼓動の音に思えて、サビーナはそっと微笑んでいた。