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たとえ貴方が地に落ちようと - 第88話 許可がいちいち必要なんですか?
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たとえ貴方が地に落ちようと  作者: 長岡更紗


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第88話 許可がいちいち必要なんですか?

 セヴェリが絵画を習い始めてしばらくしてから、授業にも芸術の時間が組み込まれるようになった。授業の頻度は多くないが、生徒達には好評のようだ。

 そしてどうやらセヴェリは、キクレーの家でギターも習い始めたようである。音楽も授業に組み込みたいと思ったらしく、気軽に持ち運べるギターを選んでいた。ザレイがクスタビ村にピアノかオルガンを寄贈しようかと言ってくれたようだったが、置き場所がないため断ったということだった。

 セヴェリはなんにでも意欲的で、驚くほど勉強熱心だ。そういうところに人は魅せられるのだろうか。編み物や刺繍をできるようになりたいと思いつつ、思うだけで終わってしまうサビーナとはえらい違いである。


「サビーナ、開けて」

「あ、いらっしゃい」


 その日、仕事を終えて寮に着くと、いつもの声がしてサビーナは扉を開けた。


「これ、いつもの差し入れ」

「ありがとう。マティアスも食べてくよね?」

「うん、貰うよ」


 マティアスはあの日から、サビーナがブロッカにいる間は差し入れを持ってきてくれている。

 と言っても、この差し入れはクリスタからだ。彼女はサビーナにも色々と気を使ってくれているらしい。マティアスはクリスタの遣いで、自分の仕事終わりに届けてくれているに過ぎないのだが、いつも差し入れの量が多くて困るので、マティアスを誘って一緒に夕食を取るようになっていた。今ではもう、マティアスとは良い友人となっている。


「サビーナ、どう? 仕事は」

「辞めたい。すっごく辞めたい」

「相変わらずだな。そんなに嫌なら辞めればいいのに」

「うー……でも他にできる仕事もないし、頑張る」


 クリスタの差し入れの料理を口に放り込みながらそう宣言する。毎度の会話だが、こうやって心の中の言葉を溢すだけで、少し楽になるのだ。毎回同じことを聞かされるマティアスはたまったもんじゃないだろうが。それでも彼は儚げな笑顔のまま、サビーナの話を聞いてくれている。


「マティアスの方はどうなの?」

「毎日怒られてて思い出したくもない。お嬢様は無理難題ばかり言ってくるし」

「へぇ、クリスタ様が? どんなことを?」

「思い出したくないって言っただろ」

「ああ、ごめんごめん。でもクリスタ様ってそんな我儘言うような方に見えないから」

「僕にだけだよ。嫌われてるんだ、お嬢様に」


 マティアスはどこか遠い目をしながら食事を取っている。マティアスはいい青年なのに、クリスタは彼のどこが気に入らないのだろうか。


「そういえば、明日はセヴェリさんがこっちに来る日だったな」

「うん、そう。まぁお兄ちゃんは一日中キクレー家にいるだろうから、会えないんだけどね」


 最近のセヴェリは絵画や音楽の勉強のために、日曜はキクレー邸に入り浸っている。夜は貴族達のサロンに特別に招待してもらうことがあるらしく、それが終わると夜も遅いため、キクレー邸に泊まって朝早く村に帰る……というのが習慣になっていた。


「セヴェリさんに会えなくて、寂しいんだろ?」

「そんなブラコンじゃないよ。どっちにしろ、私が休みにならないと会えないんだから、いつものこと」


 とは言っても、折角同じ街にいるというのに会えないのはやっぱり悲しい。けれどわざわざキクレー邸に会いに行って、クリスタ達に気を使うのも面倒だ。

 それに二人の仲の進展のためには、余計な邪魔者はいない方がいいだろう。

 そんな風に考えていると、マティアスに気安く頭をポンと触られた。


「ん? なに??」

「いや……じゃあ、また明日」

「え? 明日は日曜だから、マティアスは仕事休みだよね」

「来るよ、差し入れ持って。じゃあね」


 そう言って、マティアスは儚げでどこか悲しい笑みを浮かべたまま、サビーナを一人残して出て行った。

 余程暇人なのだろうか。それとも日曜も差し入れしろというクリスタのお達しなのか。


「マティアスも大変そうだなぁ」


 サビーナはそんな感想を持っただけだった。


 翌日、彼は宣言通りサビーナの部屋へとやってきた。

 思った通り制服姿ではなく、私服姿ではあったが。


「あれ? いつもと入れ物違うね」

「ああ、僕が家で作ってきたから」

「ええ? わざわざ? なんで? 」

「なんでって……駄目だった?」

「いや、駄目ではないけど……」


 いつもはキクレー邸の料理人が作ってくれているが、今日はなぜかマティアスが作ってくれたようだ。

 そこまでして差し入れをしなくていいのにと思いつつ、マティアスの手作り料理を口に運ぶ。すると彼は、少し不安そうに視線を寄越してきた。


「……どう」

「うん、まぁ別になんてことない味かな」

「身も蓋もない言い方するなよ」


 マティアスは不安そうだった顔を半眼に変え、サビーナを見据えながら息を吐き出している。そんな彼を見て、サビーナはクスクスと笑った。拗ねるような物言いが可愛らしい。


「作ってきてくれたってだけで嬉しいよ」

「料理なんて滅多にしないからな。まぁ食べられるもんができただけで良しとして」

「十分だよ、ありがとう」


 サビーナも料理が得意なわけではないので、文句は言えない。こうして差し入れしてもらうことでその分のお金は浮いてくるし、とても有難いのだから。


「ご馳走様でした! まさか、マティアスの料理が食べられるとは思わなかったよ」

「僕も料理を作ることになるとは思わなかった」


 そう言いながら片し始めるマティアス。いつもは片した後はすぐに帰るというのに、この日は中々腰を上げようとはしなかった。


「どうしたの、マティアス。なんかあった?」

「まだこんな時間か……ちょっとここにいていいか?」

「うん、別に構わないけど?」


 マティアスは自身の懐中時計を仕舞うと、窓を開けて空を仰ぎ見ている。

 すでに暑い夏の季節は終わり、研ぎ澄まされつつある秋の風が入り込んでくる。


「もうちょっとで満月だな」


 その言葉に、サビーナも一緒になって窓から空を見上げた。


「あ、本当だ。満月いつかなぁ」

「二、三日後ってところじゃないか。多分」

「ここでは、満月の日のお祭りはないの?」

「満月のお祭り? 聞いたことないな」

「なんだ、そっか。残念」


 もうすぐ満月ということは、あの月光祭の日から一年が経つということだ。今頃ランディスの街は、祭りの準備で盛り上がっているに違いない。


「お父さんとお母さん、元気かな……」


 ぽつりと漏れた独り言に、ハッとして口を塞ぐ。月光祭を最後に別れてしまった両親を、つい思い出してしまった。

 そんなサビーナの頭を、なにかが優しく触れているのに気付く。


「……マティアス?」

「サビーナも綺麗な髪をしてるな」


 さらさらと髪を流されて、仰ぐ相手を月からマティアスに変更すと、目の前に彼の顔があった。

 同じ窓から身を乗り出していたので、いつの間にか思った以上に接近してしまっていたのだ。サビーナの心臓がバックンと鳴って慌てて身を引く。


「っわ、ごめんっ!」

「ちょ、危ないって」


 距離を取ろうとして窓枠からはみ出そうになるサビーナを、マティアスにグンと引き寄せられた。そのまま密着し、彼の胸元に頬をつけてしまう。

 再び離れようとすると、サビーナの頭はマティアスの大きな手に押さえつけられるように彼の胸の中へとすっぽり入ってしまった。深緑の髪をマティアスの手が往復している。


「マ、マティアス……?」

「しばらく、このまま」


 そう言われて、サビーナは体を弛緩させた。

 いつも儚げな男に、こんな強引さがあるとは知らなかった。もしかしたら道沿いから誰かに見られているかもしれないとは思ったが、彼を振り払える気はしなかった。


 やっぱりなんかあったのかな、マティアス……


 抱き寄せられても不思議と不快感はなく、安心して体を預けられる。

 もしもだが、恋愛するならマティアスみたいな人がいい……と、そう思った。

 同じ一般市民で、騎士という命を張るような仕事でもない。仕事の愚痴も言い合えて、背伸びせずに付き合えそうだ。

 普通の女子は、こういう男性と恋に落ちて幸せな家庭を築いて行くのかもしれない。

 そう思うと、束の間の抱擁だとわかっていながら、サビーナは彼の腰に手を回した。ほんの少しだけ、普通であることに夢を抱いて。


「サビーナ?」

「しばらくこのまま、でしょ」


 先ほどのマティアスの言葉を繰り返し、そのまま胸に顔を埋める。刹那的な感情でこんなことをするのはどうかとも思ったが、マティアスの方からこうしてきたのだからと理由付けて、抱き締めた──と、その時。


「サビーナ!!」


 大きな声と同時に、部屋の扉がバンッと開けられる。驚いて見ると、そこには怒りの気を纏わせたセヴェリが立っていた。サビーナがマティアスから離れる間も無く、セヴェリが怒りの言葉を発し始める。


「なにをやっているんですか、あなた達は!!」


 こんなにも大きな声が出せたのかと思うほど、部屋中に彼の声が響き渡った。

 なぜセヴェリがここにいるというのか。今日はずっとキクレー邸でいるはずではなかったのか。


「マティアス!」


 セヴェリがギロリと彼の方を睨むも、マティアスは動じた様子もなく淡々としている。


「状況を見てください、セヴェリ様。抱き締めているのは僕の方じゃなく、彼女の方ですが」


 そう言われて慌ててサビーナは彼から手を離すも、すでに見られてしまった後だ。言い訳るべきなのかどうすべきかで、頭が混乱する。


「えっと、これは……」

「マティアス、妹はまだ未成年だ。誘惑するのはやめていただきたいですね」

「ですから、僕からではなく、彼女の方から抱きついてきたんです」

「サビーナがそんなことをするはずがないでしょう。このことはキクレー卿に報告させてもらいますよ。大事な妹を傷物にされては敵いませんからね」


 セヴェリの言葉にマティアスは押し黙っている。

 サビーナがマティアスを抱き締めていたのは事実で、彼だけが批難されることではないはずだ。これが原因でキクレー邸でのマティアスの立場を悪くするわけにはいかない。


「セ……お兄ちゃん、マティアスはなにも悪くありません! 」

「用もないのに独身女性の部屋に居座る時点で、マティアスに非があるんですよ」

「そんな……! ただ彼は、友人として私を心配して話を聞いてくれていただけで……」

「なにを言っているんですか? その男はサビーナのことなど、これっぽっちも考えてはいませんよ」


 キッパリと言い切ったセヴェリに、サビーナは思わずムッとする。今までのマティアスとの遣り取りを知らないセヴェリにそんな風に言われては、さすがに正したくなる。


「どうしてそんなことを言うんですか! マティアスは、私のここでの大切な友人なんです。そんな風に言わないでください!」

「サビーナ、あなたはもっと危機感を持ちなさい。気を許した相手を信用し過ぎですよ。サイラスの時がいい例でしょう」


 どこかイライラと言い放つセヴェリに、サビーナは「うっ」と言葉を詰まらせる。そういう過去があっただけに、否定はできない。まぁあれはすべてサイラスの計算だったわけだが。

 しかしだからと言って誰も彼も疑っていては、友人などできないではないか。


「で、でも……私だって、友達が欲しいです。リタとは疎遠になっちゃったし……お兄ちゃんにはジェレイさんや村の人やキクレー卿や……仲のいい人はたくさんいますけど、私には誰もいませんから」

「なら他の友人を作りなさい。とにかく、その男は駄目です。絶対に許しません」


 セヴェリは友人を作れと当然のように言ってくれるが、そう簡単に気の合う人間と出会えるわけがない。ようやくできたマティアスという友人を、簡単に手離したくはなかった。


「友達を作るのに、お兄ちゃんの許可がいちいち必要なんですか? 私だって普通に友達と遊びたいし語らいたいし、馬鹿騒ぎだってしたいですっ!」

「そういうのは女友達とすればいいんですよ」


 冷たく言い放ったセヴェリに、今度はサビーナの方が苛立ちを覚える。兄役というのは、どうしてこうも人を横暴にさせるのか。


「男の人と親しくなってはいけないんですか!?」

「簡単に男を信用するものではないと言っているんです」

「じゃあお兄ちゃんもそのうちの一人ですね」


 ついイラッとしてそう返したのだが、直後に後悔してしまった。セヴェリの顔つきが明らかにムッとしている。

 火に油を注いでしまったその行為を反省しながら、恐る恐るセヴェリを見上げた。しかしセヴェリは怒りを発しながらも、怒鳴るような真似はしなかった。


「……そうですね。私も信用するべきじゃないでしょう。ですが私はそこにいる男よりもサビーナのことを考えている。それだけはわかっていてほしい」


 その真っ直ぐな言葉に、サビーナは少し戸惑い……しかしやがて頷きだけで応えた。こんな言い争いをしてはしまったが、セヴェリが自分のことを心配しての言動だということくらいはわかっている。

 サビーナの態度を確認したセヴェリは、ずっと黙って聞いていたマティアスの方に視線を移した。


「出て行け、マティアス。今後は差し入れなど不要だと、クリスタに伝えなさい」

「わかりました」


 びっくりするほどきつい口調のセヴェリの要求を、いとも簡単にマティアスは聞き入れ、部屋を出ていこうとする。

 その姿を見て、サビーナは茫然とした。彼と自分は友人ではなかったのか。もうここで会うことはないのだろうか。どうしてなにもセヴェリに抗議しないのだろうか。


「マティアス……」


 呟くように呼ぶと、彼は部屋を出て行く直前、ゆっくりと首だけで振り返った。


「セヴェリ様、あまり妹に干渉するのはやめた方がいいんじゃないですか。これじゃあおちおち恋愛もできやしない。ねえ、サビーナ?」


 マティアスはそんな捨て台詞を残し、セヴェリを激怒状態にして去っていったのだった。

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