第89話 挑発なんて!
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「サビーナ」
「はいっ」
マティアスが去って行った後、セヴェリは凍てついた大地に向けるような目で、サビーナを見つめている。
恐らくこれは……いや、確実に怒っている。とても静かではあるが、こんな怖いセヴェリをサビーナは未だかつて見たことがない。
「…………」
セヴェリはサビーナの名前を呼んでおきながら、なにも言わずにずっとこちらを見ている。サビーナもなにを話していいのかわからず、セヴェリの方から何か言ってくれるのを待つしかなかった。
酸素が足りてないのではないかと思うほどの息苦しい空気が、部屋の中を支配している。しばらくすると、硬く結ばれていたセヴェリの口が、ようやく開かれた。
「……好きになったのですか」
「え?」
「マティアスの、ことが」
「はい、まぁ……でも、友達としてです」
そう答えると、セヴェリは大きな息を吐いている。
「その先を考えてはいなかった?」
「それは……例え考えたところで、実現しないことですから」
ほんの少しだけ想像してしまっていたことを隠し、サビーナは自嘲気味に口の端を上げた。
現実から目を背け、恋愛などという夢を見てしまった己の滑稽さに対して。
「あまり心配をさせないでください。あなたは無防備過ぎる」
「そんなこと、ない……と思うんですが」
否定されたことに呆れたのか、はたまた腹を立てたのか。セヴェリは耐えきれないといったように次の言葉を口にした。
「どれだけ私が我慢していると思っているんですか。あんな薄いカーテン一枚で……あなたがなにをしているか、こちらには丸わかりですよ」
溜め息を吐くようにそう言われて、サビーナの顔はカァっと熱くなってしまう。
クスタビ村の家では、ベッドとベッドの間にカーテンを作って仕切っているのだが、サビーナがカーテンを閉めている間にしていることといえば、主に着替えと小説を読むことだった。
サビーナは小説を読む姿を見られるのが嫌でいつもカーテンを閉めているのだが、最近はただ読んでいるだけではなかったのだ。
夏頃から耐えきれなくなったサビーナは、カーテンで仕切りをした後衣服を脱ぎ、汗が収まるまでその状態で本を読んでいた。どうしようもない、裸族の性である。少しの時間くらい気付かれないだろうと楽観していたが、セヴェリはどうやらサビーナが裸で過ごしている事実を知っていたらしい。
「ど、どうして……」
「ランプの置き場所を考えた方がいいですよ。あなたの影が、カーテンに映る」
サビーナの顔がさらに上気する。早く言ってくれれば良かったのに、と思うも、彼も言い出しにくかったのかもしれない。社会の窓が開いている男性に注意を促さず、見て見ぬふりをする感覚に近いだろうか。
「うう……大変お見苦しいものを……これからは気をつけます」
頭を上げると、セヴェリはなぜか余計に難しい顔をした。
「そういう考えがおかしいのですよ。あなたはどれだけ男を挑発しているかわかっているのですか?」
「挑発なんて!」
「無自覚な分、余計にタチが悪い」
どうしてだか、セヴェリの怒りは中々収まってくれない。そんなに怒らせるようなことをしてしまっていただろうかと萎縮する。
「あの……申し訳ありませんでした。もう裸で過ごすようなことはしませんから……」
「あそこはあなたの家ですし、文句を言うつもりはありませんよ。ただ、私も自制がきかなくなることがある。それだけ自覚しておいてほしいのです」
「あ……はい」
ようやくセヴェリの言わんとすることがなんとなくわかったサビーナは、こくりと頷いた。
これで安心してくれるかと思いきや、セヴェリはまだ笑顔は見せてくれず、どこか怒ったままだ。
「警告は、しましたよ」
「……え?」
「以前、あなたが欲しいと言った言葉は嘘ではありません。サビーナの心が私に向いた時には……と思っていましたが」
そこまで言って、いつもは優しい目尻をきつく尖らせた。
「今度挑発されるようなことがあれば、もう我慢はしませんから。ちゃんと覚えておきなさい」
そのきつくも真剣な眼差しに、サビーナは身を縮めながらコクコクと頷く。そうすると、ようやくセヴェリはほんの少し柔らかな表情に戻ってくれた。
「……脅すように言ってしまいましたね。ですが、あなたがあまりにもわかってくれないものですから」
「すみません、すぐに理解ができなくて……イライラさせてしまいましたよね。お許しください」
「私にはいいんですよ。他の男の前では気を付けてほしいだけです」
セヴェリの手がサビーナの頬に優しく触れた。思わずドキリとしてしまい、それを隠すようにサビーナは一歩後退って口を開いた。
「そ、そういえば、どうして今日はこちらに?」
サビーナに触れられなくなった彼の手は、残念そうに下ろされる。
「先方の都合でサロンが取りやめになりまして。時間ができたので、あなたのところに来たのですよ」
「クリスタ様は私のところに来るのをご存知なんですか?」
「ええ、彼女が様子を見てきては、と言ってくれたので。もう少しの間ここで過ごしてから、キクレー邸に戻りますけど」
どうやらクリスタがサビーナのことを気にしてくれていたようだ。差し入れを考えてくれたのも彼女だし、色々と気遣いしてもらっているらしい。
「お優しい方ですね、クリスタ様は」
「そうですね。けれど、女性というのはなにを考えているのかよくわかりませんよ。あなたを含め、ですけどね」
どうも今日のセヴェリは苛立ちモードから中々戻れないようだ。先ほど彼を避けるように後退ってしまったのが悪かったのかもしれない。
怒らせたくないんだけどな……
そうは思ったが、こちらから手を取るのも違う。
たった今、挑発はするなと言われたばかりだ。迂闊な真似をしてはいけないのだと自重する。
どうしようかと考えあぐねていると、セヴェリに背を向けられた。
「セヴェリ様? もう行かれるんですか?」
「ええ、しばらく一緒にいるつもりでしたが……少し頭を冷やすために戻ります。このままだと、あなたの意に沿わぬことをしてしまいそうですから」
そう言われては止めることもできずに、彼を見送った。部屋に残されたサビーナは、なんだかどっと疲れが押し寄せてきて大きな息を吐く。
セヴェリの気持ちは、嫉妬だろうか。
そうとも言えるし、しかしそうでないとも言える。
サビーナを心配してくれているには違いないが、どちらかというと独占欲に近いような気がした。
リックバルドに、サビーナを連れていかれるのではと心配していた時と同じように。一人になることが、セヴェリには怖いだけだ。
だからどこにも行けないよう、監視するように捕まえておきたいのだろう。
早くセヴェリに家族を持たせてあげたい。そうすれば彼は、サビーナに依存することなく幸せになれる。こんな歪んだ独占欲など抱いていては、彼のためにはならない。
そんなことを考えながら、サビーナは空に浮かぶ月を見ていた。
次にセヴェリに会ったのは、仕事が終わってクスタビ村に帰った時だった。
丁度六歳から十五歳の授業が始まろうとしていたところで、サビーナもそれに参加した。今日はどうやら、音楽の授業のようだ。セヴェリがギターを抱えて座っている。
「では今日は初めての音楽の授業なので、誰もが知っている曲を皆で歌ってみましょうか」
そう言いながら、セヴェリがギターを弾き始める。耳慣れない前奏が始まり、子ども達が一斉に歌い始めた。サビーナはその様子を口を閉じたまま見ているだけだ。
今、彼らが歌っているのは知らない曲だ。アンゼルードの歌を歌うわけにはいかないので、当然と言えば当然だったが。
仕方がないのでサビーナは聞き役に回る。セヴェリはギターを弾きながら自身も歌っているようだったが、子ども達の歌声に消されて、その声を聞くことはできなかった。