元勇者2.お前もアレスについてゆけ
「 なにゆえ、わが領域に生者の魂がいる 」
「 なるほど。おまえは“夕闇星”の堕とし子か 」
「 おまえの居場所は我ら死者の領域にはない 」
「 おまえの魂は静寂や静謐と程遠い 」
「 疾く失せ、現世にて永劫の苦行に励むがよい 」
「 さらばだ 」
◇ ◇ ◇
そのとき、アレスの意識はまどろみの中にあった。
夢の中で誰かに何かを言われていた気がする。
わずかに開いた瞼の間から、光が差し込んできた。
(なんだ? オレはどうなった……?)
処刑人に首を斬られたのに。
首だけの間もしばらく意識はあったが……自分を飲み込んでゆく闇の中で、さすがのアレスも観念するしかなかった。
「いやぁー、うまくいきましたねぇー。さすがは魔王様でございますぅー、フフフフ」
「世辞はよせ。お前の死霊術あってこそよ。余だけでは魂だけを呼び寄せることは叶わぬからな」
「ははぁー、ありがたき幸せにございますぅー」
声が聞こえる。
間延びしたような、特徴的な男性の声と。
威厳に溢れる、存在の格からしてまったく違う声が。
「おやおやぁー、勇者が無事に目覚めたようでございますねぇー」
「当然だ。余が手ずから力を行使したのだぞ」
アレスの体はどうやら床に倒れこんでいるようだった。
力の入らない体を何とか動かして、よろよろと立ち上がる。
「なん、だ……? お前ら……」
アレスの眼前にそびえ立つのは、漆黒のマントに身を包んだ巨人。
かろうじて出ている頭には、額と眉間から竜のような角が生えていた。
皮膚は鱗でびっしりと埋め尽くされている。
まるで、竜と人とが融合したかのような姿をしていた。
「無礼であるぞ。余は“竜魔王”ウーシュムガル。勇者アレスよ、余の面前である。頭を垂れることを許そう」
「ぐぅ……ッ!?」
アレスの体がひとりでに動いた。
強制的に跪かされる。
魔王は、その姿を見て愉快そうに笑い。
「そなたを蘇らせたのは余だ」
ありえざる奇跡を、なんでもない些事であるかのように言ってのけた。
「余が司るのは生命。お前の魂をそこの死霊術師ゼルハーニに呼び寄せさせて転生させ、新たな肉体を与えたのだ。強靭なモンスターの肉体をな」
「な、なんだと……!?」
「面をあげよ。さあ、見るがいい」
用意されていた鏡に映ったアレスの姿は別人……というより、人間ではなくなっていた。
耳がエルフのように長く、肌は青白い。
普通のオークのように豚顔ではないが、炎のように赤かかった髪は見る影もなく禿げ上がっている。
その姿はオークの変異種、ハイオーク。
地上では単なるモンスター扱いだが、地下世界……現在の魔界においては魔族とされている。
「ふ、ふざけんな! どうしてオレをこんな姿にしやがった!」
「うーん、無礼ですねぇー。一度殺してしまいましょうかねぇー」
魔王の横にわだかまる影が不機嫌そうにつぶやいた。
その青白い肌は魔族の一種、フォモールである証左。
この者こそが死霊師団長ゼルハーニ。
魔王ウーシュムガルの切り札のひとりであった。
「構わん」
「ははぁーっ!」
魔王ウーシュムガルが手を掲げると、ゼルハーニはかしこまって下がった。
そして魔王が、アレスに向かって熱っぽく語り始める。
「アレスよ。余はそなたに興味がある。余の軍勢をことごとく退けた力。そして、残虐非道なふるまいの数々。そなたは人間にしておくにはあまりに惜しい! そなたはモンスターや魔族に近い魂を持っている。そなたが地上の連中に如何なる行為を働こうとも、余は罪に問わぬ。好きなように犯し、好きなように殺すがいい。余が許す!」
魔王ウーシュムガルの言葉を聞いて、アレスは不思議なほど心穏やかになった。
「そうか、俺は……魔族になったのか!」
アレスとて考えたことはある。
どうして自分が魔族ではなく、人間に生まれたのかと。
今までは自分が勇者だからだと思っていた。
しかし、そうではなかったのだ。
自分は魔族に生まれるべきだったのだ!
例によって短慮な思い込みだったが、アレスの中で確信に変わった。
「さあ、まずは力を示してみせよ。この武器を手に取るがよい」
アレスの目の前に大斧が現れた。
宙に浮いている大斧を手に取ると同時に、周囲に大量のゾンビが出現する。
「こやつらをすべて仕留めてみせよ」
「ハッ……なんだ、この程度の連中か」
アレスの中には魔王ウーシュムガルに斬りかかる……などという考えは露ほども浮かばなかった。
せっかく生き返ったのだ。
ここはしっかりご機嫌をとって魔王軍に取り入る。
そして、自分を否定した人間どもに復讐するのだ!
「いくぜいくぜいくぜぇーッ!!」
アレスがゾンビの群れに飛び込んで真正面から斬りかかる。
大斧の振り下ろしでゾンビの一体が真っ二つになった。
さらに大斧を振るえば振るうだけ、ゾンビたちが面白いように斃れていく。
そう、最初は調子が良かったのだ。
「グエッ!?」
背後から一撃を食らってよろめくアレス。
瞬時に魔王の顔色が曇った。
「チィッ、希少種か? さすがは魔王の近衛って感じだな!」
アレスは、あきらかに周囲への注意がおろそかなまま、目の前の敵とだけ戦っている。
これまでは仲間による援護があったため背後を気にせず戦えていたが……それが今になって明確な弱点として露呈した。
その後もやられはしないものの、醜態を晒し続けるアレス。
魔王が眉根を寄せて、足元の配下に問いかけた。
「……どういうことだ、ゼルハーニ。奴は勇者のはず。何故、ゾンビごときに苦戦する。どうしてあんなにも弱いのだ?」
もちろん、既に勇者ではないからである。
今のアレスは正真正銘、無職なのだ。
「は、はて、間違いなく勇者アレスの魂を呼び寄せたはず……こんなはずはありませんが……」
そうとは知らぬゼルハーニは困惑していた。
なにを隠そう、勇者に興味を抱いていた魔王ウーシュムガルに勇者アレスを勧誘するよう進言したのはゼルハーニである。
勇者がその所業により処刑されるという話を聞いて、ここぞとばかりに魂を魔王城に召喚し、魔王に転生の儀を執り行なってもらったのだ。
アレスが勇者の力を剥奪されるという情報をデマと決めつけてアレスの《魂鑑定》を怠った、ゼルハーニの大失態であった。
ちなみにアレスは希少種だの近衛だのと言っているが、とんでもない。
このゾンビたちはゼルハーニにしてみれば適当に集めた有象無象のゴミに過ぎなかった。
それこそ、いくら使い捨てても痛くない最弱のアンデッドである。
この茶番はアレスに試練を与えるという体で本人をいい気分にさせて恭順させるための、いわば接待だ。
アレスの魂は自己愛が強すぎて洗脳できない。
だから本人の意志で魔王に従ってもらう必要があったのだ。
とはいえ他の幹部たちに元勇者であるアレスを認めさせるために上位のゾンビとも戦ってもらわねばならなかったが……これでは、とても……。
「もうよい!」
魔王が不機嫌そうに叫ぶと同時に、すべてのゾンビが内側から一斉にはじけ飛んだ。
「あん? いいところだったのに……」
「アレスよ。そなたには早速だが役目を与える。オークの攻撃隊を指揮してハイドラ山脈を抜け、セイウット王国の王都を攻撃せよ!」
「王都か……なるほど、いいぜ! 乗った!!」
人間への復讐しか頭にないアレスの決断は、秒だった。
「オークを指揮するのに、人間どもの言葉しか話せぬのでは不便であろう。そなたの頭に魔族の言語を上書きしてやる」
魔王が人差し指をアレスに向け、先端から光線を発射する。
アレスの額に命中するが、痛みはない。
しばらく魔王は何事か書き込むように指を動かし、その作業はすぐ終わった。
「え、何か変わったのか?」
「魔族語になっているな……よし」
ウーシュムガルが満足げに頷く。
この瞬間からアレスは交易共通語を話せなくなったのだが、本人は気づいていない。
「ゼルハーニ。お前もアレスについてゆけ」
「ぼ、僕もですかぁー!?」
これっぽっちの覚悟もなかったゼルハーニは仰天した。
しかしギロリと魔王ウーシュムガルに睨まれて硬直する。
「そうだ。アレスを補佐せよ。わかっているな? アレスがもし、このままであるようなら……」
「は!! ははぁー!! かしこまりましてございますぅー!! かならず! かならずや勇者アレスを完全な形にてぇー!!」
上司の無茶振りに、ひれ伏すしかないゼルハーニ。
どうしてこんなことにと内心で嘆くが、もう遅い。
魔王ウーシュムガルはアレスを元の強さに戻せというが、残念ながらアレスは今の状態で完全体なのだ。
これでも人間だった頃よりハイオークの種族補正で強くなっている。
こうして魔王城にある転送陣で地上の前線に飛ばされたアレスとゼルハーニは、セイウッド王国北部……ハイドラ山脈へと向かうことになるのだった。