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追放令嬢のやさしい平民生活 - 平民への第一歩
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平民への第一歩

 

 無事に王宮を脱出したリーザロッテとテオドールは、彼がよく行くという酒場兼宿屋の個室で今後のことを決めることになった。


「まずお名前を変え、生活の基盤を整えることが最優先ですね」


 そう言うテオドールの額はうっすらと赤くなっている。

 王宮を抜け出す際に遭遇してしまった騎士にからかわれたことをテオドールはだいぶ気に病んでいたのだ。部屋に着いた途端最上級の謝罪をされた。額の赤みはその名残だ。

 今後は平民として暮らすためもう会うこともないので、リーザロッテは特に気にしていない。


「名前を変える……そうね、リーザロッテじゃ、あまりにも貴族らしいものね」

「はい。ですがあまりに今までとかけ離れていますと、呼ばれたときに反応できない場合がございます。似ている名前のほうがよろしいかと」

「じゃあ、今から私は「リザ」と名乗るわ」


 姓のない、ただのリザだ。

 リーザロッテ――リザがどうだとばかりに首を傾げると、テオドールは満足そうに頷いた。


「とてもお似合いです」

「ありがとう」


 これで一歩、平民らしく生きるのに近づいた。

 しかし考えなくてはならないことはまだある。リザはこれから平民として、自分の手で生活していかなくてはならないのだ。

 そのために必要なものといえば資金である。


「さて、これから必要なのは住む場所と資金、そして資金を得るための仕事ですね。リーザロッテ……リザ様、正直に申し上げて、今まで貴族の中の貴族であった貴女がいきなり仕事を始めても上手くいかないと思われます」

「確かにそうよね。着替えもまともに出来ないのだもの……」

「……ま、まあそれは慣れですので。とにかくまず必要なのは資金でしょう。リザ様、これを」

「……これは?」


 テオドールは懐から布包みを取り出した。

 持ち上げてみると、軽い。振っても音はしない。匂いも異臭はしなかった。

 見当がつかずリザが首を傾げていると、テオドールは無言で包みを広げた。その中身に、一瞬リザは声を詰まらせる。

 金色の長い糸のようなものが紐で縛られ小さくなった状態で鎮座していた。変わり果てた状態だったが、リザには見覚えがある。


「私の髪……」

「平民の間では、こうやって自分の髪を売って金を稼ぐ者もいます。もちろん常にではありません。リザ様の髪は綺麗なので、高く売れると思い……失礼ながら回収させていただきました」


 短剣でざっくりと切り落とした髪を渡すように言われ何の疑いもなくテオドールに渡したが、そんな意図があったとは。リザは初めて知った平民の知識に衝撃を受けていた。


「換金してもらったら、当面の宿を借りましょう」

「ええ。ありがとう、テオドール。何から何まで……私一人だったら王宮を出ることすら出来なかったわ」

「お役に立てて何よりです」


 にこりと微笑んだテオドールは容姿と相まってとても幻想的で、思わずリザは顔を赤らめるのだった。


 ******


 リザの髪は理髪店で売ることになった。

 理髪店の主人は小太りで、輝いた頭の持ち主だ。眼鏡の奥の小さな目が手元の布包みとリザを行ったり来たりする。


「これは……!」


 そう呟いたきり沈黙してしまった主人に、リザは不安半分好奇心半分で拳を握った。

 貴族は髪を結うので長い髪を尊ぶ。歴史上では生涯一度も髪を切らなかった姫君がいるなど、特に令嬢は髪に気を遣うのだ。リザも一応身だしなみとして髪には気を配っていたが、それがお金になると言われてもにわかには信じがたい。彼女にとってはただの身体の一部であり、今となっては捨てるべき「貴族の象徴」でしかなかった。


 主人は髪の束を手に取って眺めたり、陽に透かしてみたり、揺らしてみたりとやりたい放題やっている。ひとしきり調べた主人は、丁寧にそれを包みなおすと、人の好い笑顔を浮かべた。


「これは素晴らしい。とても美しい御髪です。そちらのお嬢さん、もしやどこかのお貴族様では?」

「え、ええと……」

「はは、失礼。お客様の素性を掘り下げるのはマナー違反ですな。ではこちらの御髪ですが……」


 主人はカウンターの下でごそごそやったかと思うと、小さな革袋を取り出してリザたちの前に置いた。ジャリンッと金属のこすれる音がする。

 テオドールに目で促され、リザは革袋の口を開いた。中には鈍い金色の硬貨が2枚と銀色の硬貨が5枚入っている。

 リザの傍から中を覗き込んだテオドールの目がぎょっとしたように大きく見開かれた。その顔にはありえない、と書かれている。


「なっ……金貨!?」

「この御髪にはそれだけの価値があります」


 絶句するテオドールに自信たっぷり言い切る主人。ひとりリザは理解が追い付かずただきょとんとするばかりだ。

 カンテベリー王国で流通しているのは金貨、銀貨、大銅貨、小銅貨の4種類で、それぞれの硬貨10枚ずつで1つ上の硬貨と交換可能になる。ちなみに一般的に平民が1日働いて得られる賃金は銀貨4枚程度だ。

 テオドールとしては銀貨5枚になれば御の字だと思っていた。それがまさか2倍以上になるとは夢にも思っていなかったのだ。

 信じられない気持ちでテオドールはリザを見下ろし、やがて何かを諦めたような表情で首を振った。

 そして丁寧に革袋の紐を締めたテオドールはそれをリザの掌に乗せる。


「これは貴女のお金です」

「私の?」

「ええ。貴女自身の力で稼いだものではありませんが、それでも貴女がいたから、貴女のおかげで得られたお金です。なのでそれは貴女が持っていてください」

「私の、おかげ……」


 リザの心臓が高揚感でことりと鳴った。

 初めて自分の使えるお金が手に入ったことよりも、「リザのおかげで」と言われたことのほうが嬉しかった。

「お前のせいで」と糾弾されたこともある。どちらも自分がいたことで生まれた言葉なのに、「おかげ」と言われると心の奥底からふわふわした何かが体中を包み込んでスキップしたくなる。「お前のせいで」と言われたときには指先が冷たくなるだけだったのに。

 言葉ひとつだというのに不思議だった。が、悪い気はしない。


 緩みそうになる頬を引き締めるのに随分時間がかかった。

 いそいそと袋を仕舞い、理髪店を出る。来たときは朝日が眩しいくらいだったのに、すっかり日が昇って通りを行き交う人も多くなっていた。


「とりあえずそれだけあればしばらく寝る場所には困らないでしょう。ではこれから……」


 先程の宿を借りに行きましょうか、というテオドールの言葉は遮られた。

 腹の底まで響くような鐘の音が鳴り響く。その音に彼はハッとしたように王宮のある方角に顔を向けた。

 朝の鐘。テオドールたち騎士にとっては訓練の始まりを告げる音である。


「テオドール?」

「申し訳ありません、リザ様。私はもう行かなくては……!」

「ええっ!?」


 いきなりの別れにリザは慌てる。

 リザだけでは宿の取り方も分からないし、なによりリザはまだテオドールに礼をしていない。

 今後平民として生きるリザと、王子の近衛隊として勤めるテオドールでは、きっともう出会うことはない。礼をする機会も手段も絶たれてしまう。


「ど、どうしましょう……私、まだ貴方にお礼出来てないのに」

「……リザ様」


 静かに呼びかけられる。リザが見上げると、テオドールは自分の髪を括っていたリボンを解いてそれを彼女の手に握らせた。

 星の瞬く夜空の色。テオドールの瞳と同じ深い藍色だ。

 彼の一部が自分の手にあると思うと、リザの心臓が大きく音を立てた。


「こんなもので申し訳ありませんが、約束の証です。また会いましょう、そのときにお礼は受け取らせていただきます」

「約束……本当に、会える?」

「はい。必ず」


 真っすぐリザの目を見つめてテオドールは頷く。

 不思議なものだ。婚約という大きな約束を反故にされたばかりだというのに、テオドールとの約束は信じられた。

 最後に顔を見合わせて笑いあい、テオドールは雑踏に消えていった。


 彼の銀髪が見えなくなってもリザはそこに立ち尽くしていた。動いてしまえば、彼がいた事実が消えてしまうというように。

 ……故に、彼女は気づくことが出来なかった。いや、考えが至らなかったというべきか。

 気づいたときには、遅かった。


「――なあ、姉ちゃん?」

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