技術革新の弊害と懸念
カムチャッカから戻り、潮と鉄の匂いに満ちた苫小牧の埠頭で、翔馬は久々に深く息を吸った。
半年ぶりの帰還。だが、束の間の休息は長くは続かなかった。
未来館の通信室で、無線機が不意に唸りを上げたのだ。
「……こちら大江戸未来館、応答願います。翔馬はん?良かったー、ようやく捕まったわ。三か月かかったでー」
受話器の向こうから、懐かしい関西訛りの声が響く。岡部だった。
「岡部さんか。どうした?」
「前に話してたやろ?京都の石。灰重石っちゅうやつや。あれの化学抽出、成功したんやって。化学班が大騒ぎしとったで!」
翔馬は一瞬、言葉を失った。 …成功、したのか?
彼が教えたのは、あくまで理論の輪郭と手順の端だけだった。まだ翔馬は実践まで指示をしていない。だが、それを現実にしてしまう人間が出てきた。
あの世間話程度の話から、実際にタングステンの抽出に成功するとは。翔馬の胸は、誇らしさと同時に、底の見えない不安で締めつけられた。
「岡部さん、わかった。化学班を労っててくれ。俺は三日後には江戸に戻る。直接確認する。」 「了解や。気ぃつけてな、翔馬はん。」
無線を切ると、翔馬は窓の外を見た。 灰色の雲が流れ、海面に反射する光が、どこか不穏に揺れていた。…人は、知識を与えれば、必ず壁を破る者が出てくる。鼻たれ庄吉の窯しかり、今回の化学班の平石しかり。その先に何があるかを知らぬまま、突破してしまう。それが恐ろしいのだ。
今までは、俺の後継となりうる人材の育成に力を注いできたが、あくまで俺の手のひらの上で成長するのが前提で捉えていた。しかし、手元を離れ、俺の範疇を越えて成長するとなると、期待よりは不安が勝ってしまう。
「俺が管理できないほどの発展は望まない」
俺はあえて時代に不相応な過度な技術革新を行わないよう、自制している部分がある。
例えば石油を利用した内燃機関や、航空機の概念など、歴史の流れをこれ以上変えかねないチートを封印している。しかし、他人が勝手にやりだすとなれば、それを抑える手立ては俺にはない。
我が国だけで運用されるならまだしも、仮に海外へ技術が流出しようものなら、世界史を一変しかねない。
(…俺は、彼らの”志”をコントロールしながら導いていけるのだろうか?)
結論の出ない不安のまま、船に乗り込む。
江戸に戻ると、未来館の化学棟には白衣の研究者たちが集まり、歓声を上げて翔馬を出迎えた。中央の作業台には、銀灰色の粉末を詰めた瓶が並んでいる。タングステンの粉だ。翔馬が手に取ると、ずしりとした重みが掌を沈ませた。
「これが……灰重石からの還元物…タングステンか」
「はい。還元炉を三基稼働させ、すでに百キロを越えました」 平石が胸を張って答える。
「京都の大谷鉱山からの運搬も軌道に乗りました。大坂までの道も確保済みです」
翔馬は笑みを浮かべつつも、胸の奥が冷えた。
「平石、よくやった。しかしな…」 彼は声を落とす。
「物によっては、勝手に試してはいけないものもある。毒もそうだが、自らを滅ぼす“知識”もある。試みたいことがある時は、必ず俺に確認してくれ。まぁ今回は俺が不在だったのはどうしようもなかっただろうが…」
平石は怪訝な表情をした。
「自らを滅ぼすとは……なんのことでしょう?」
翔馬は、しばし沈黙した。
「ある。君たちはまだ、その入口にも立っていない。……知らない方がいいこともある。」
彼の脳裏には、放射性物質、特に“ウラン”という文字がよぎる。あれを知れば、科学者は喜んで研究に没頭するだろう。抽出し、濃縮する。そのプロセスの先にあるのは、「核爆弾」
ゲームチェンジャーどころの話ではない。この時代の世界は、わずか百年でぶっ壊れる。
だから、化学教本には、重い元素の頁をわざと抜いてあるのだ。
翔馬は、通信環境の改善を彼らに約束し、その場を後にした。
ーーー
翔馬はタングステンの小瓶を持ち、八平親方の工房を訪れた。炭素と混ぜたタングステン粉を型に詰め、旋盤の先端にプレス機で圧着。 それを高温で焼きつける。そのプロセスを親方に説明し、仕上がり次第俺を呼ぶようにお願いした。
翌日仕上がった刃先は、まるで夜の金属のように黒く光っていた。
「親方、この旋盤を試してみよう。」
翔馬がスイッチを入れると、すかさず親方が声を上げる。
「翔馬さま!旋盤が削れて駄目になってしまいますぞ!ニッケル合金は違う加工法をしないと!」
かまわずニッケル合金に旋盤の刃を当てる。甲高い金属音が響き、鋼鉄の棒がまるでバターのように削れていく。
「ほぇ……こりゃ、スルスル削れる!こりゃ凄い!今までは合金を加工するのに、わざわざ熱して柔くしてから行っていたんですよ。旋盤がすぐに駄目になっちまうからね。だから、熱による歪みで精度に誤差が出るのは仕方なかった。これがあれば、完全に設計通りに加工できるようになりますぜ。」
親方へは、加工機械へのタングステンの焼き付けを指示した。
ーーー
それからすぐに将軍家宣のもとへ出向き、カムチャッカ遠征の成果と、モシリの発展状況を報告した。
家宣は興味深げに耳を傾け、やがて微笑んだ。
「北の地は順調か?」
「はい。苫小牧を中心に都市基盤が整いつつあります。が……一つ、懸念が。」 翔馬は声を落とす。
「長崎奉行所の外国人管理についてです。出島に滞在するオーランド人や蒼人の動向は、厳格に監視されていますか?」
家宣の眉が動いた。
「当然じゃ。長崎へは綱吉公の頃と同様に、最新技術を導入しないようにしている。
それに、外国人が本土へ入るのは許可されておらん。毎年の琉球の使者も廃止した。わしが代替わりした際にも謁見を認めず、国内へは一歩たりとも許しれおらぬ。 …だが、出島は通訳や商人、遊女らは往来しておるな。」
「そこです。彼らが我々の技術に触れれば、世界の均衡は崩れます。将軍がご存じの通り、私の発明は100年、200年先を行くものです。私は理解した上で、加減しながら公表していますが、彼らの手に渡ればどうでしょう?恐らく考えなしに世界を巻き込む戦乱を生みましょうぞ。」
「将軍、出島に出入りする人の管理を厳格にし、商談の場は幕府の監視員のもとで行う。そして、遊女の往来は一切禁じ、幹の通信使の来訪も対馬に限定するよう提言を望みます。」
家宣は腕を組み、うなった。
「なるほどの……確かに、知恵が洩れれば厄介じゃ。だが、厳しすぎれば逆に怪しまれる。」
「完全に鎖国する方法もありますが、我々も交易品の恩恵を受けているため、そこまでは望んでおりません。事実、鎖国の日本の意を尊重した上で自重しながら交易してくれているオーランドは、相手国としては申し分ないところです。
仮に交易を中止するとなると、好機とばかりに他の西欧諸国が接触してくるでしょう。
過度に情報を絞ると、オーランドの中でも、極秘裏に我が国を調べたい輩も出てくるでしょう。遭難を装って、内地を偵察するような者です。
そのような密偵を排除するだけの軍事力を持たねばなりません。私が国軍を提言した理由のひとつでもあります。」
「排除とは…撃沈するのか?そんな真似をすれば戦になる。南蛮の軍艦に勝てる船など……」
翔馬は静かに笑った。 「私なら可能です。見られることが我々にとって一番の痛手になります。だから、我が艦隊を見かけたら最後。実力行使しかございません。だから、外国人には、商売を続けたいなら絶対に日本を知ろうとするなと釘を刺しておくのです。」
家宣は目を細める。
「たまにお主が恐ろしくなる時がある。どちらが本当の翔馬なのか?……まぁよい、長崎には役人を増員して、尚且つお互いを監視させる。賄賂もありえるからな。そして、国軍設立の折には、お主の言う軍船の設計を一任する。ただし、帆船に偽装するなりお主ならできるのではないか?まだ岸に近づいてすらいない船を沈めるのは心が痛む。できれば武力行使せずに接近を諦めてもらいたい」
「それは判断に困る状況ですね…承知いたしました。」
その夜、翔馬は未来館の自室に籠もり、机に向かった。 二日二晩、灯を絶やさず、紙の上に構想を書き連ねた。それは、蒸気の力を利用した鉄の軍艦…世界の海を睨む、未来の艦隊の設計図だった。
見かけた者は生きては戻さん。そんな冷酷さに徹していた時はあった。
未来技術の漏洩を考えた時に、甘さは命取りになる。しかし将軍の言葉もある…
外では風が吹き荒れ、夜の海が轟いていた。翔馬は筆を止め、窓の外を見た。
この国を守るために。そして、人類を未来の争いから遠ざけるために。