復帰戦、前夜
聖都を出発したジークは、三千の兵とともに南を目指した。
二日目の夕方、平原でハーキム伯爵の部隊と合流し、すぐさま野営の準備をする。
本陣の天幕にハーキムが訪れると、テーブルの上に地図を広げて作戦会議を始めた。
「いやあ、にしても急展開だねえ。オジサン、いまだについていけてないんだけど」
「細かい状況は話しながら説明しますよ」
「ところで、フェリちゃんは来てないの?」
「途中までは一緒でしたけど、彼女は別行動です。やってほしいことがありますから」
「ならよかった。でも、やっぱりこの人数だときつくない? オジサンとこ、急な話だったから五百をかき集めるので精いっぱいだったよ。ごめんね、貧乏貴族で」
合わせても三千五百。一方で相手は二万近い。先の討伐隊との戦闘でも、ほとんど失わずに同数を撃退したのだ。
「問題ありませんよ。実際に敵が戦場へ出てくるのは五千程度ですから」
ん? とハーキムほか、帯同する貴族や騎士たちが首を捻った。
「ルティウス卿、貴公は連中がまた自領の境まで出てくると考えているのか?」
ジークはうなずき、地図の一点を指差す。
岩と森が入り組んだ緩やかな丘陵地帯だ。街道は広く整備が行き届いているものの、兵を伏せるには格好の場所だった。
グモンスが籠城すると決めてかかった聖王国軍二万はこの場所で奇襲され、壊滅的な被害を受けたのだ。
「敵は聖王国から大軍が送りこまれるのに備えているところです。前回の襲撃からさほど間を置かずに小規模な部隊が向かっていると知れば、僕たちを斥候に近い役割だと認識するでしょう」
短い間隔で襲撃されたときの対応力を測り、奇襲の細かなやり方を調べるために来た、と。
「であれば、わざわざ同じ場所で同じように奇襲はしないのでは?」
「いえ、だからこそ前回と同じ奇襲を敢行してきます」
ジークはきっぱりと言い切った。
「二度も同じ場所で奇襲を成功させられたら、警戒せざるを得ません。十万では足りない。さらに増やす必要があるかも。そうこちらに思わせたいのですよ」
「ちょっと待った。いくらなんでも十万だって彼らは勝てる見込みがない。さらに増やそうとさせるって矛盾してないかい?」
ハーキムが驚いた様子で尋ねるも、ジークは平然と返す。
「彼らが真に欲しているのは『時間』です。南方諸国連合、北のバルトルス帝国、その他もろもろと結託し、一気に聖王国の弱体化を図るつもりなのですよ」
十万規模の大軍は編成するだけでも時間がかかる。奇襲への対策やグモンスの居城を攻略する策を練りつつであれば、さらに時間を要するだろう。
「グモンスは衝動的に独立を宣言したわけではありません。この三年の間に準備を進めてきました。すでに一勝し、各国へのアピールも十分でしょう。周辺国が動くのも、それなりに早いと考えます」
一同がごくりと喉を鳴らす。
同時に多方面から侵攻されれば、大戦力を分散せざるを得ない。対応を誤れば弱体化どころか一気に滅亡へ突き進むだろう。
「貴殿が『三千で足りる』と陛下に啖呵を切ったのは、それを見越して……」
「迅速に動かねばならぬ理由はわかった。しかし、やはり三千と少しでは無理があろう」
「奇襲部隊には対処できたとしても、連戦のうえにグモンスの居城を落とすのは難しいぞ」
「いや、奇襲がどうの以前に、この兵力で城を落とすなどとても……」
不安そうな言葉ながら、期待を込めた瞳が至高の賢者へ向けられる。
「城を落とす必要はありません。要はグモンスを捕らえるか、倒してしまえばいいのです」
さらりと言ってのけるジークに、ハーキムが尋ねる。
「出てくるの? 私たちの相手をするために、彼が?」
「ええ、彼にはそうせざるを得ない事情があります」
ジークはとんとんと地図を指で叩く。
「三年の準備をしていても、聖王国に盾突く暴挙を家臣全員が納得しているとは考えにくい。彼の性格からして反対意見は力で押さえつけているのでしょう。居城で高みの見物をして、もし三千程度の部隊に大敗したら……」
「仕方なく従っている部下の誰かに、寝首を掻かれちゃうかもしれないねえ」
「彼は武勇に自信を持っています。腹心を周りに固めて武装もできる戦場のほうが安全と考えているでしょうね。実際、先の戦いでも本陣で指揮を執っていたと報告がありました」
なるほど、と一同の瞳にやる気が満ちる。
(ま、もし出てこなかったら、無理にでも連れてくればいいしね)
グモンスが自ら兵を率いてくるとの確信はあるが、体調不良など不測の事態は起こり得る。
そのときは多少の無茶をするつもりだった。
「というわけで、ハーキム卿はご自身の兵を率いて出発してください」
「へ? オジサンが?」
「敵は丘陵地帯を抜けたこの平原に本陣を構えるはずです。ですから、ここをぐるっと回って――」
ジークは地図を指し示しながら告げる。
「僕の合図で、背後から奇襲してください」
奇襲を目論む相手に、奇襲をもって勝利する。
それがジークの描いたシナリオだ。
「簡単に言ってくれるけど、ここ馬じゃ通れないよ?」
「がんばってください、としか。そして残りの本隊は基本、敵の本陣まで戦闘は行いません」
「え? 奇襲されても我慢しろってこと?」
「敵の奇襲部隊を撹乱するのは僕と、ここにはいませんがフェリが準備を進めています。本隊はただひたすらに、敵本陣へ向けて走り続けてください」
「たった二人で撹乱するの?」
ジークは足元に置いた袋を持ち上げ、中から手のひらサイズの水晶球をふたつ、取り出した。
「それって……『信号球』だよね? 君が開発したやつ」
古代の秘術、通信魔法の術式を元に作られた連絡用の魔法具だ。
声や映像で遠方とやり取りできたとされる通信魔法には及ばないが、光の明滅パターンを送ることができる。
あらかじめ明滅パターンに意味を持たせ、複数の指示が飛ばせる運用を行っていた。
近年の戦術をがらりと変えた大発明のひとつだった。
「だが、信号球は今や諸外国にも広く普及した一般的な魔法具だ。我々はもちろん、グモンスだって持っている。部隊を複数に分けての奇襲となれば活用して当然の代物だぞ?」
「ええ、そうですね。でもアレはハーキム卿の言ったように、僕が開発した魔法具です。実は公にしていない機能が組み込んであるので、それを活用します。何かはまだ内緒ですけど」
悪戯っぽく笑うジークは続ける。
「そしてコレは信号球ではありません。ハーキム卿、ひとつを持って天幕の外に出てもらえますか?」
「もったいぶるなあ。ちょっとワクワクしてきたよ」
ハーキムはひとつの水晶球を持って外へ出た。
「聞こえますか? ハーキム卿」
ジークが呼びかけると、水晶球がほんのり光を帯びて、
『わっ!? 声だ! え、ホントに?』
「こちらも聞こえていますよ。とまあこのように、声を双方向に伝達できる魔法具を開発してみました。『通信球』とでも呼びましょうか」
わっと、天幕の中で歓声が上がった。
「信号球では大雑把な指示しか出せないが、これなら!」
「作戦行動中に展開した部隊間で、状況に応じた作戦が立てられるぞ」
「戦がまた変わるな!」
至高の賢者の遺産を元に、ジークが完成させた通信魔法。さらなる飛躍を進めているが、今はこれでも十分すぎる戦力だった。
「各部隊にこれをお渡ししますので、作戦行動中は僕の指示に従ってください」
ジークは簡単に使い方を伝え、
「実際に皆さんが相手をするのは本陣の二千ほど。数ではこちらが勝っています。正面からの部隊は敵の攻撃を押しとどめるのに専念してください。そしてハーキム卿は敵本陣の背後を突き、グモンスを捕縛、あるいは撃破してください」
『責任重大だねえ。いや、弱音は吐いていられないか。任されましたよ』
ジークはうなずき、天幕の外へ出た。
「ハーキム卿、貴方にだけ伝えたいことがあります」
「君のその秘密主義なとこ、変わってないねえ」
飄々とした彼の表情が、次なる言葉で一変する。
「敵の総数はおよそ一万。本陣にはその半数が陣取っているはずです」
「……ぇ? そこに本隊が突っこむの? 想定を超える数がいたら、みんなビビっちゃうよ」
「丘陵地帯を抜けると一段低くなっていますから、敵本陣を見上げる形になってぱっと見で数は把握できません。士気には影響しませんよ」
「……にしても、実際の数が、ねえ?」
倍近くの数を相手に、不利な坂下から、行軍の疲れを引きずったまま接敵する。
勝てる見込みの薄い状況ではあるが、
「ま、至高の賢者の策だ。上手くいかないはずはない、ってね」
にっと笑うハーキムに、ジークは小さくうなずいて応えた。
ハーキムの部隊を見送り、天を仰ぐ。
陽は山に隠れ、空には星々がちらほら姿を現していた。
(あいつなら、この状況でどんな策を打っただろうか)
考えても答えは出ない。
(けっきょく俺は紛い物。偽りの賢者でしかない)
だから搦め手禁じ手なんでもありで、それらを隠して妙計奇策と思わせる。
敵を騙し、味方をも欺く。
そうしてこの戦いに勝利し、グモンスを処断して。
至高の賢者に衰えなし、と。
国内外に知らしめるのだ――。