機先を制す
高台に茂る木々の間から見下ろすと、崖下の街道を騎馬部隊が駆け抜けていくのが見えた。
五千の兵を十に分けた、グモンス配下の奇襲部隊のひとつ。
その部隊長はぎりと奥歯を噛みしめた。
(なぜ、見過ごさねばならんのだ)
ほんの少し前、部隊が所持する連絡指示用の『信号球』に〝待機せよ〟とのパターンが送られてきた。
場所が場所なら、それもあるだろう。
本陣から遠く離れた、丘陵地帯の入り口付近の部隊であれば、むしろ最初は見過ごし、いずれ敗走してくる敵を追撃するのが本来の仕事だ。
だが彼がいる部隊は作戦域のおよそ中間。
ここで敵部隊の先陣の騎兵を弓や魔法で叩き、混乱に陥れるのが役割だった。
別動隊が後続の歩兵部隊に攻撃することで敵部隊を分断する。
さらに低地の岩場に潜んだ他の部隊複数が直接襲いかかり、為す術のない相手を蹂躙し尽くす。
先の戦いではこれが見事に嵌まった。
むろん相手が同じ手に引っかかるとは考えにくい。相手の警戒を考慮して、作戦が多少は変更されるにしても、今ここで騎馬隊どころか歩兵までも見過ごすなどあり得なかった。
「まだ攻撃命令は出ないのか!?」
苛立ちを吐き出した直後、
「きました!」
信号球の係官が応じ、すぐさま指示を飛ばそうとしたものの。
「あ、いや、これは――」
続く言葉に唖然とした。
「前方へ、進め……だと?」
今まさに崖下では、整列した歩兵たちが駆けて通り過ぎようとしていた。
何かおかしい。
仮に素通りした敵の背後を突き、本陣との挟撃に持ちこむ作戦だとしても。
(馬を持たぬ我らはここに留まるか、むしろ本陣へ近づくほうが理に適っている)
しかし命令は命令だ。
部隊長は信号球の指示に従った――。
丘陵地帯の入り口に到達すると、平原の彼方に陣営が見えた。
妙だ。敵が前夜に野営したのはここからでは見えない場所だったはず。
(増援か? いや、それなら先行部隊の後を追うはず。陣を敷く意味がない)
規模は小さく、遠目でも柵の作りが雑に思えた。
斥候を出して帰りを待つ間、またも不可解なことが起きる。
「九番隊と十番隊までやってきただと!?」
彼らは本陣のすぐそばで、討ち漏らした敵が本陣に近づく前に一掃する役割を担っている。
しかもこれで、奇襲を担当する全部隊が本陣から遠く離れた場所に集結してしまったのだ。
「ほ、報告します!」
焦りの色が声に乗り、部隊長は不振を抱く。
伝令の兵士が斥候からの報告を伝え、部隊長は愕然とした。
「敵陣は物資が放置されもぬけの殻。誰もおりません!」
陣が見えれば警戒する。確認する時間を稼ぐためだけの、急造の雑な陣。
やられた。
思ったところで、時すでに遅かった――。
遥か上空に佇むひとつの影。
ジークは手にした水晶球に魔力をこめる。信号パターンは〝待機せよ〟。しかし眼下に集まる敵奇襲部隊は街道を本陣に向け移動し始めた。
「さすがに気づいたか。けどもう遅い」
信号球は複数を接触させた状態で魔力をこめて念じると、それぞれが紐づけされる。
通常は紐づけされた信号球同士でしか信号を送り合えない。
だが隠された機能として『マスターモード』が存在した。
鍵となる術式を一定レベル以上の魔力で刻むことで、付近の信号球に干渉できるのだ。
命令系統上位の信号球の信号を阻害し、ジークの側で信号を送る。
グモンスの部隊は聖王国の信号パターンとは変えていたが、その情報はこの三年の間に入手済みだった。
「便利な道具に頼りきりになると、柔軟性が失われる好例だな」
信号球のなかった三年前なら、奇襲部隊には独自判断できる大きな権限が与えられていただろう。
「さて、馬のない彼らが本陣に戻ったところで事は終わっているだろうし、疲れて戦いどころじゃないとは思うけど」
五千の兵を放置はしておけない。
遮蔽物のない街道。騙されたことに焦り、またこちらがすべて本陣へ向かったと考え奇襲をまったく警戒していない。
数は多いが、上空からの一斉射であれば――。
(いや、さすがに全滅はやりすぎか)
あとでの説明は『フェリが夜のうちに仕掛けをしておいた』くらいにするつもりだ。
自分はもちろん、彼女の戦闘力を想定以上に疑われたくはない。
ジークは片手を上に伸ばした。手のひらから光があふれ、棒状に変化する。
それを、眼下へ振り下ろした。
光の槍がうなりをあげ、街道側の斜面に突き刺さった。
大爆発が巻き起こり、斜面は抉られ大小の岩が転がり落ちる。街道を走る敵部隊の上に容赦なく降り注いだ。
怒号と悲鳴が響き渡る中、ジークは二射目、三射目を続けて放った。
街道の道幅はそこそこ広い。効率がよいとは言えないものの、
「指示に振り回される連中は、やはり不測の事態に弱いな」
部隊長クラスは右往左往。
恐怖に駆られた一般兵は我先にと、森や岩場へ逃げこんだ。
敵兵五千のうち戦闘不能にしたのは一割ほど。
しかし蜘蛛の子を散らすように逃げ出した彼らが、再びまとまって戦場に戻る時間はないだろう。
ジークは腰のポーチから別の水晶球を取り出した。魔力をこめる。
「こちらマティス・ルティウス。本隊の状況を教えてください」
『こちら本隊。丘陵地帯の出口付近に潜んでいる』
「休息は取れましたか?」
『そこそこな。歩兵たちが奇襲を恐れてややオーバーペースになっていたが、今は落ち着いている』
ジークは再び通信球に魔力をこめた。
「こちらマティス・ルティウス。強襲部隊の準備はよろしいですか?」
ハーキムの部隊は夜のうちに敵本陣の斜め後方にたどり着いて待機中だと確認している。
『ほい、ハーキムだよ。オジサンはあんまり眠れなかったけど、みんなは疲れてぐっすりだったね。いやホント、疲れたなあ』
「本当にお疲れさまでした。では僕が合図したら、敵本陣の背後を襲ってください」
『ん、りょうかーい』
ハーキムとの通信を終え、再び本隊指揮官との会話を始める。
「僕とフェリは敵奇襲部隊の撹乱に成功しました」
『背後の憂いなし、か。助かる』
「本隊は三つに分け、まずは千ほどでゆっくり進軍してください。相手が動いたら迎え撃ち、続けて第二陣が進軍、第一陣に加わります。第三陣がどう動くかは僕が指示します」
『承知した』
通信を終えてしばらくすると、森の切れ目から味方本隊が平原へ飛び出すのが見えた。
いよいよ最終局面だ。
『ご主人様』
と、頭の中に声が響く。フェリからの念話だ。
彼女は当初こそ部隊に帯同していたが、聖都を離れた直後に別行動を取った。ハーキムたちにはこの作戦に従事していると伝えたものの、その実は聖都へ舞い戻っていたのだ。
『イザベラ・シャリエルが行動を開始しました』
まさにその人物を監視するために。
「間の悪い女だな。仕方ない。こちらは手早く片付けるよ。そっちは時間を稼いでほしい」
『かしこまりました』
念話を終え、ジークは首をこきこき鳴らす。
「今日中に二人、か。忙しいことだな」
まずはグモンスを討つ。
ジークは自由落下に魔法での加速も加え、森の中に降り立った――。