第37話
午後一時。
都心へ向かう電車の窓から、暴力的な日差しが差し込んでいた。
「……暑い」
俺は吊り革に掴まりながら、小さく呻いた。
冷房が効いているはずの車内だが、満員電車の圧迫感と湿気が、不快指数を跳ね上げている。
つい数時間前まで、ゲームの中とはいえ宇宙空間で活動していた身には、この日本の夏の湿度は拷問に近い。
ガタンゴトン、と電車が揺れる。
周囲を見渡す。
疲れ切った顔のサラリーマン、スマートフォンに夢中な学生、大声で話す若者たち。
当然だが、彼らの頭上にHUDのステータス表示はない。
誰の懐からも、銃口が覗くことはない。
予測線も、警告音もない。
あまりにも無防備で、平和な光景。
「……平和だなぁ」
俺は自嘲気味にため息をついた。
ギャラクティックフロンティアの世界でのヒリつくような緊張感と、この緩慢な日常。
どちらが現実で、どちらが虚構なのか。
時折、その境界線が曖昧になるような感覚を覚えながら、俺は目的の駅で電車を降りた。
***
駅から徒歩十分。
ビジネス街の一等地にそびえ立つ、ガラス張りの近未来的なビル。
そこが、今回の目的地だった。
大手Eスポーツイベントの運営や、有名配信者のマネジメントを行う企業のスタジオだ。
入り口にはセキュリティゲートがあり、警備員が鋭い視線を配っている。
「……ちょっと場違いだったかな」
俺は自分の服装を見下ろした。
Tシャツにジーンズ、少し汚れたスニーカー。
どこにでもいる、冴えない高校生の格好だ。
案の定、受付に向かうと、警備員が怪訝そうな顔で立ちはだかった。
「君、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ」
「あ、いえ。招待されて来ました」
俺はスマートフォンの画面を提示した。
レオンから送られてきた、ゲストパスのQRコードだ。
警備員は端末でコードをスキャンすると、パッと表情を変えた。
「失礼しました。『チーム・レオン』のゲスト様ですね。どうぞ、奥のエレベーターへ」
態度の変わりように苦笑しつつ、俺はゲートを抜けた。
どうやら、あの「アホのレオン」の名前は、しっかりと効力があるらしい。
***
案内されたフロアは、静寂に包まれていた。
廊下の壁には防音材が貼られ、間接照明がお洒落な雰囲気を演出している。
突き当たりの扉に、『控室C:チーム・レオン様』というプレートが掛かっていた。
俺は深呼吸を一つして、ノックもそこそこにドアを開けた。
「よお。遅くなったな」
涼しい風が頬を撫でる。
中は広々とした個室だった。
壁掛けの大型モニター、最新鋭のゲーミングPCが三台、そして高級そうな革張りのソファ。
特徴的なのは壁際に置かれた最新式のVRチェアだ。
快適な空調が効いた、まさにVIP待遇の空間。
そのソファから、一人の男が立ち上がった。
「よう、アキト! 久しぶりだな!」
金髪を遊ばせ、流行りのストリートファッションを着こなした長身の青年。
整った顔立ちに、屈託のない笑顔。
いかにも「陽キャ」のオーラを全身から放つ男、レオンだ。
「久しぶりだな、レオン。……にしても、こんなスタジオ借り切るなんて、いくらかかってんだよ」
「ハハッ、世知辛いこと聞くなよ。運営持ちだからタダだ」
レオンは笑いながら歩み寄り、軽く拳を突き出してきた。
俺はため息交じりに、自分の拳を軽くぶつけた。
かつてFPSのクランで共に戦った、戦友としての挨拶。
「急なお願いを聞いてくれてサンキュな。お前なら来てくれると信じてたぜ」
「暇だっただけだ。……で?」
俺は部屋の中を見渡した。
「メールに書いてあった『可愛い女の子』はどこだ? まさか、遅刻か?」
部屋にいるのは、俺とレオン。
そして、部屋の隅にあるデスクで、背中を丸めてコンビニ弁当を食べている人物だけだ。
くたびれたジャージ姿。
ボサボサの髪に、無精髭。
小太りの中年男性。
どう見ても、休日にパチンコ屋にいそうなおじさんだ。
彼は海苔弁の白身魚フライを箸でつまみながら、pcで何かの設定を弄っている。
スタッフだろうか。
「ん? ああ、紹介するよ」
レオンがニヤニヤしながら、その男性を手で示した。
「今回の大会でチームを組む、バ美肉Vちゅーばーの『たぬき』さんだ」
「……は?」
俺の思考がフリーズした。
その時、おじさんが箸を置き、くるりと椅子を回転させた。
口元に海苔をつけたまま、愛想よく手を振ってくる。
「やあ、初めまして。君がレオンくんの言ってた助っ人だね?」
低く、少ししゃがれた中年男性の声。
「……えっと、レオン?」
俺は友人に視線を戻した。
目は笑っていない。
「俺の聞き間違いでなければ、お前は『可愛い女の子がいる』と書いたはずだが? 俺の視力がバグってなければ、そこにいるのは海苔弁を食ってるおっさんだぞ」
「失礼なこと言うなよアキト。たぬきさんは『心』が乙女なんだよ」
「詐欺だろ!!」
俺のツッコミが、防音室に虚しく響いた。
***
おじさん――たぬき氏は、悪びれる様子もなく、人の良さそうな笑顔で立ち上がった。
「ふふふ、よろしく頼むよ、アキトくん。中の人はこんなんだけど、アバターはとびっきり可愛く作ってあるからさ」
「……バ美肉、ですか」
「そうそう。バーチャル美少女受肉、略してバ美肉。最新のボイスチェンジャーとモーショントラッキングを使えば、私だってアイドルになれる。いい時代になったもんだよ」
たぬき氏は腹を揺すって笑った。
レオンが補足する。
「見かけによらず、腕は確かだぜ。昔の大会で入賞経験もあるベテランだ。反射神経は流石に落ちてるが、立ち回りのいやらしさは俺以上だ」
「いやらしさ、は余計だよレオンくん」
二人のやり取りを見る限り、気心知れた仲なのは間違いないようだ。
俺は大きなため息をつき、近くのゲーミングチェアにドカッと腰を下ろした。
「……はぁ。まあ、いいけどさ」
考えてみれば、ギャラクティックフロンティアでも似たようなものだった。
コテコテの関西弁を話す、ノア。
見た目は凶悪な重装甲機体なのに、中身は泣き虫な少年、ハル。
クールな女性だが、中身はヘビースモーカーなスナイパー、レベッカ。
中身がおっさんの美少女Vチューバーなど、可愛いものかもしれない。
「イケメンストリーマーに、ネカマのおっさん、そして陰キャ高校生か」
俺は天井を仰いだ。
「どっちの世界も、カオスなことには変わりないか」
「なんか言ったか?」
「別に。……でも、やるからには勝ちたいな」
俺は覚悟を決めた。
チームワークに不安要素しかないが、個々のスペックは高いはずだ。
たぬき氏がPCを操作し、モニターにアバターを表示させた。
ピンク髪の、猫耳が生えた可愛らしい少女が、画面の中で「おじさんの動き」に合わせてガッツポーズを取る。
「オーケー、任せてよ。若いもんには負けないからね」
ボイスチェンジャーを通した声は、脳が溶けるような萌えボイスだった。
目の前で髭面のおっさんが喋っているという視覚情報を遮断すれば、確かに美少女だ。
「よし、全員揃ったな!」
レオンが手を叩く。
「作戦会議といくか。今回の大会『オペレーション・ラビリンス』、このメンツなら優勝も狙える、それに」
レオンの目が、ギラリと光った。
「このゲーム、ただの撃ち合いだけじゃねえ。ゲーム内でいかにして戦利品を確保して持ち帰るかが肝だ。アキトはそういうの得意だろ?」
俺はニヤリと笑い返した。