少女の夢 ~馬車の魔女の異変~
「む、ここは目的の場所じゃな――」
異変に気がついたシャミィの声と思考は、魔女の悲鳴によって遮られた。
「あああ!!! ぐうう!!! うわあああああ!!!!!!!!!!」
馬車の魔女ギベリィが喉の奥底から声を振り絞って、体中から黒い煙を噴き出しながら御者台から転がり落ちた。手足をばたつかせて、地面をのたうち回り、煙を消そうと躍起になっている。
「なんだ……?」
怪訝な顔でシャミィが言った。
不安に駆られたエルエッタがシャミィの裾をつかんで、そっと身を寄せる。
ギベリィはよろけながら立ち上がると、濡れた外套を毟るようにつかんで脱ぎ捨て、怨みのこもった目でエルエッタとシャミィを睨みつけた。
「あたしの中で好き放題しやがって……! このくそ魔族が!」
魔族。それは、人々が魔の者を軽んじるときに用いる言葉だ。時と場合によっては、魔物と呼ばれることもある。それらの言葉に多少の差異はあれど、発する者の意図に違いはない。排他と嫌悪。拒絶こそが、これらの本質なのだ。
シャミィは、ギベリィの罵声を気にも留めずにエルエッタを抱き寄せると、魔女に言った。
「のぞき見をしていたのか? 悪趣味なやつだ。私たちの関係が目に毒と言うなら、貴様のそれを潰してやろう」
「シャミィ! 気をつけて! 様子が変よ!」
ギベリィはシャミィの挑発を鼻で笑うと、エルエッタを指して言った。
「ふん! やってみろよ! おい、エルエッタ! お前、あたしの馬になれ! 死ぬまでこき使って、それから肉を焼いて、食って、骨を飾りに使ってやる!」
馬車の魔女は、口から吐息の代わりに黒煙を吐くと、内に秘めた歪みをむき出しにして、薄気味悪く笑った。
エルエッタの胃から恐怖がせり上がってきた。
こいつは、本気でそう思っている。こいつは、以前にそれをしたことがある。やっぱり、こいつは恐ろしい、魔女なんだ――!
見た目がただの子どもだから、感覚が麻痺してしまうのだろう。彼女たち魔女は、定命の者の宿命から逸脱し、捩くれた運命に身を投じた理不尽の権化なのだ。
魔女は、全ての生ある者に対する冒涜者である。
震えるエルエッタをきつく抱きしめて、シャミィは力強く宣言した。
「それはさせないよ。ギベリィ。君の、そのただ事じゃない状態には同情しよう。だから、もう黙れ」
ギベリィは押し黙った。……が、それはシャミィの忠告で引き下がったからではない。馬車の魔女は芯を持った明確な怒りをその身に蓄えていた。
「……」
シャミィが魔女の出方を待つ。嫌な、予感がした。
彼女たちを取り巻く空気が徐々に険しくなっていく。息の詰まりそうな雰囲気に怯えた馬たちがけたたましく鳴き、魔女が放つ異様な圧に、エルエッタは冷えた脂汗を垂らした。
ギベリィとシャミィが睨み合う。肌が痛むような錯覚を覚えるほどの重く刺々しい沈黙が場を支配している。
……愛。
先に口を開いたのは、ギベリィだった。
「愛だ。お前たちが、あたしの中で実現したのは愛だ」
――愛。
それは、毒だ。それは、刃だ! それは、悪だ!! それは、糞だ!!!
徐々に語気を荒げていき、ギベリィは激情に呑まれてまくし立てる。
「愛! ああ、あいつの顔が思い浮かびやがる! 奪われたはずの心が痛みやがる! グックルガム! あのくそが、あたしの心を穢しやがったんだ! くそ! くそ! あたしの頭が――ぐちゃぐちゃになる!!! 全部、お前たちのせいだ!!!」
半ば悲鳴じみた怒声を彼女たちに浴びせると、ギベリィはふたりに襲いかかる。
手に持った鞭を振るうと、魔女の背後の虚空から、空間を突き破るように、漆黒の炎を身にまとった五頭の巨大な軍馬があらわれた。
「距離の精霊よ、我に従え」
冷静にシャミィがつぶやくと、エルエッタは突然、めまいに襲われた。目の前の景色が一瞬だけ大きく膨らむように歪んだかと思うと、親友と魔女の姿が豆粒のように小さくなってしまった――?
……違う! これは、私が平野の彼方に、魔法で移動させられたのだ!
「シャミィィィィ!!!!!」
エルエッタが親友の名を叫ぶ。シャミィは、一人で魔女を相手取るつもりだ。