息を殺して
エイルは自室から顔を覗かせて、居間の様子をうかがった。
……大丈夫。誰もいない。
どうやら、黒騎士たちは外に出払っているようで、庭のほうから数名の加工された低音の声が聞こえてくる。
エイルは、ふたり分の焼死体に近づいた。柱に吊るされた死体の前に彼が立つ。少年が唇を噛みしめる。彼の心は、怒りと悲しみに駆り立てられていた。
(母さんとの思い出が欲しい……)
いずれ、母親と妹を殺した連中には報いを受けさせてやる! と少年は固く決心した。だが、その前に、彼は家族と共に生きた証を欲した。
(……あれ?)
なにかがおかしい。黒騎士に奪われてしまったのだろうか? それとも、焼けてしまったのだろうか? 母親が身に着けていた父親からの贈り物が見当たらない。ロケットペンダントが見つからないのだ。
(……黒騎士は、僕たちから、なにもかもを奪うつもりか!)
エイルは母親の形見すら見つけられないことに激しく憤った。しかし、今は理性が正常に働いているため、少年が狂気に呑まれることはなかった。
少年は足元に転がっている焼死体に触れると、それを慎重に持ち上げた。ぼろぼろと崩れ落ちる炭化した皮膚が、まるで刃のようにエイルの心を削っていく。
「リーセ……!」
エイルは涙を浮かべると、その額にそっと口づけた。
微熱で唇がすこし焼ける――。
「せめて、お前が安らかに眠れるように、僕は祈っているよ」
そう言うと、少年は、小さな焼死体をゆりかごの中に優しく寝かせた。
そのとき!
居間の窓を突き破って、なにかが家の中に投げ込まれた! 炎だ! 炎の塊が、エイルの家の中に侵入してきたのだ! ああ、黒騎士め! 彼らは、この家の全てを焼き払ってしまうつもりなのだ! だから、家の中に火を放ったのだ!
(くそ! くそ……!)
エイルは黒騎士の蛮行になにも抗えず、ただ逃げ惑うだけの己の無力さに顔を歪めた。
せめてもの抵抗を……と、エイルは外の連中に気づかれないように、こっそりと水の魔法を行使して、消火を試みた。……が。
(うわ!)
それは、魔法の炎だった。炎は、エイルが放った水を、まるで喉を潤すかのように吸収してしまうと、その勢いをますます強めた。黒騎士の魔法は、少年の手に負えなかった。
炎が勢いを増していき、ふたり分の焼死体を呑み込んでいく――。もう、それらに触れることは叶わなかった。それらとは、ここで永遠の別れとなる。
「さようなら、母さん。さようなら、リーセ」
煙を吸い込まないように口元を手で覆い、エイルは家から脱出することに決めた。
エイルは炎を避けて、裏口から抜け出すことに成功した。幸い、黒騎士たちは表に集っているようで、裏庭には誰もいなかった。
(父さんを探さないと。父さんは無事だろうか? 父さん……)
あの人が黒騎士なんかに負けるはずがない! エイルはそう信じていたが、それでも一抹の不安を抱えずにはいられなかった。
少年は父親の手がかりを求めて、今日、共に狩りをした場所に戻ろうと考えた。