18.ケーキ配達人
コンコンッ
三人とも、ハッとその音に顔を上げた
ノック音は玄関ドアから聞こえてきたようだった。杏実たちと一緒に玄関を見ていたフミが、思いついたように二人を振り返り言う
「ケーキを頼んだんだったよ。忘れてた」
そういって杏実を見て、にっこりほほ笑む
その笑みに―――何か含んでいるような気がした
嫌な予感…(正確には、またなにか振り回されそうな予感)
しかし、ハッと思い直す
フミは真剣に心配して、この部屋に来るように言ってくれていたのだ
きっと落ち込んでいた杏実に、わざわざケーキを……と思ってくれたに違いない
先ほどのやり取りも忘れて少し嬉しくなった
フミさんの部屋に行くと、かなりの確率でケーキが出てくる
どうやらそれは”誰か”が届けてくれていたものらしい
「入っといで~!」
フミは玄関に向かって大きな声で叫ぶ
しばらくするとドアが開いて、大きなケーキの箱と茶色の革のカバンが入ってきた。ドアの隙間から、紺色のスーツが見える。その人物は一度荷物を持ち上げ、窮屈そうにドアを開けながらゆっくりと部屋に入ってきた
なんとなしにその動作に目を奪われていた杏実は、入ってきた人物の顔を見て目を大きく見開いた
あ―――――朝倉さん!!!!
「来たね」
「来たね…じゃね~よ。こんな時間にケーキ買ってこいとか何考えてんだよ」
「結局来れたじゃないか」
「無理して仕事抜けてきたに決まってるだろ!」
「ああ……そうかい」
「……ったく、人使いが荒いんだよ」
そう文句を言いながら、朝倉はフミの座るソファーのほうに歩いてきて、めんどくさそうにケーキの箱をテーブルに置く
「颯人くん。いらっしゃい」
圭が朝倉に向かって、にこやかに微笑みながら話しかけている
朝倉はその声に顔を上げ、圭をみると表情を整えた
「あ……圭さん。いつも祖母がお世話になってます」
「颯人くん。いつもケーキありがとうね?」
圭が悪びれもなく笑顔でそうゆうと、朝倉は一瞬あきれたような表情を見せ、短くため息をついた
「ったく……圭さんはかなわないな。いいですよ。たまには…」
「当たり前だよ。いつも孝行したらいいんだよ、つべこべ言わずに」
「うるせえな!」
どうやら……圭も朝倉とは初対面ではないらしい。いや……敬称から見ても、かなり親しいのかもしれない
どういうこと? なんで朝倉さんが? ………フミさんに??
混乱するなか三人のやり取りを呆然と見ていた杏実に、フミが気が付き、ポンと向かいに座る杏実の背中をたたいた
その衝撃にハッと我に返る
「颯人」
そう呼ばれて朝倉がフミのほうを見る
そしていまさらながら、フミの向かいに座る杏実に気が付き……視線を向けた
一瞬、朝倉の瞳が大きく見開かれた
え?
朝倉はじっと杏実のほうを見つめてきた
その黒い瞳は―――何らかの記憶をさぐっているように…
「杏実ちゃんだよ」
フミがその朝倉の行動に気が付いたかはわからないが、そういって杏実のことを説明する
しばらく呆然と杏実のほうを見ていた朝倉が、その視線を逸らさずに呟いた
「杏実?」
「圭ちゃんの孫娘さんさ。以前話しただろ?」
その言葉に我に返ったのか、ハッと圭のほうに視線を向けた
そしてフミと圭を交互に見て、なにかに気が付いたのか、目を細め不機嫌そうな様子になる
そして再び杏実に視線を戻した
その表情は嫌悪感に満ちていた
たちまちあの時のことが脳裏に浮かんできて、ドクンッと心臓がはねる
まさか……気づかれた?
あの日の杏実は、本人とわからないように濃い化粧をして、派手なウイッグのつけていた
通常なら気づくはずはない……しかし…たとえば嫌悪感を強く持った相手なら、印象に残っていて、かすかにある”杏実の面影”に気が付くこともあるのでは…
しかし、すぐにそんなわけがないと思い返す
あの時杏実は「千歳」と名乗ってしまっていた。先ほどのフミの紹介だけで、「千歳」と、今の杏実とが結びつくとは思えない
でもそうだとしても………
この嫌悪感に満ちた視線を送られる意味は?
はじめの奇妙な表情は?
―――なにか違う意味があるのだろうか?
無言のやり取りにしびれを切らしたのか、フミは再び杏実の背をたたいてきた
目配せで「自己紹介しろ」と言っている
朝倉はまだ杏実を見ていたが、その表情は厳しい
「は……はじめまして……千歳 杏実です」
初めまして……じゃないけど
気づいてるの? いやそんなわけない!
……そんな迷いの中で、精一杯の言葉だった
しかし控えめに自己紹介した杏実に、無情にもさらに鋭い視線が向けられる
「……千歳?」
そうして杏実をじっと見て、思案するように再度名前をつぶやいている
記憶の糸を手繰り寄せ……一つの答えが疑惑から確信に変わっていく。……そんな様を見ているようだった
気づかないでほしい
あの時のような言葉を再び聞きたくない
さりげなく視線を逸らして身体を固くする
背中に嫌な汗が流れた
しかしすでに無駄だった
「………おまえっ…あの時の!」
杏実は目をギュッと閉じた
「なんだい颯人? 知り合いだったのかい?」
しかし問い詰めようと身を乗り出した朝倉に、横からフミが話しかける
朝倉はその問いかけに一瞬答えようと口を開きかけるが、ハッとして口をつぐんだ
そして乗り出した身体を元に戻し、穏やかな口調で答える
「いや……初対面です。ちょっと知り合いに似た名前の人がいて……勘違いだったみたいだ」
勘違い?
気が付かなかったってこと?……と思わず目を開ける
しかしすぐにその希望は打ち砕かれた
口調は穏やか………でも再び杏実に向けられた視線は鋭い
「余計なことはいうな!」と瞳が言っていた
朝倉は杏実と知り合いだとフミたちに知られたくないらしい
疑問に思ったが、ここはおとなしく従うしかない
とりあえずこの場では、問い詰められることはないらしいという事だけはわかったのだから
「そうかい?」
「そうです」
納得のいかない表情のフミに、間髪をいれずに答えている
その確固たる態度に……仕方ないとフミもあきらめたようだった
「ところで颯人。今週末の旅行忘れてないだろうね」
「あ? 忘れてね~よ…温泉だろ? 運転するよ」
「あらそうかい。………言い忘れてたけど、圭ちゃんと杏実ちゃんも一緒だからね」
『は?』
杏実と朝倉の言葉がシンクロする
今なんて……?
「本当にいいのかしら? ありがとう、颯人くん」
圭が笑顔で颯人の手を取る
朝倉はポカンと口をあけ、圭の成すがままだ
手をほどいた後も、呆然としている
その様子から颯人も初耳だったに違いない
「どうせ颯人も暇なんだから、圭ちゃんは気にしないでいいんだよ」
「そう? でも……颯人くん、こんなイケメンなんだからデートとか…」
「そんなのどうでもいいんだよ~こっちのほうが優先さ!ああ……今から待ち遠しいね~」
『ね~!』
杏実や朝倉のことなどまるで無視で、二人のやり取りが再び進んでいく
一瞬抗議しようと口を開いた朝倉だが、やがて何を言っても無駄だと悟ったかのように長いため息をはいて顔を覆ってしまった
その様子をみて杏実は、ハッと我に返る
あわてて二人に割って入る
「ちょっと! 私もって、どういうことよ……そんなの聞いてな…」
「だめなの?」
抗議しようとした杏実の言葉を遮り、真剣な圭の瞳がぶつけられた
「杏実……あんたがいないと………私ひとりじゃ到底旅行なんて無理なのよぅ……ダメなの?」
そう言って手で目頭を押さえる
うっ…
………なんとなく”変”だ
何かといわれるとわからないが―――そう感じる
しかし、圭のこんな弱い様子を見るのは初めてだった
圭の悲しそうな表情を見ていると……胸が痛んだ
「杏実……行くって言ってちょうだいな」
「え……?え…??」
「杏実ちゃん。私からも頼むよ。圭ちゃんと旅行がしたいんだよ…」
フミからも悲しそうな瞳を投げかけられる
なんか……私が悪いみたいじゃない!?
「杏実…」
「杏実ちゃん…」
うう…
「………わかったよ」
『やった~!!!!』
杏実がそうゆうと、先ほどの表情が嘘だったかのように、満面の笑顔で二人は手を打ちあっている
軽快な音が部屋に響く
その様子にあっけを取られていると、横から朝倉の先ほどよりも長い溜息が聞こえてきたのだった