第77話:ヤマトナデシコ、ドイツに降臨
3部リーグ優勝の熱狂の試合から、日が経つ。
暦は替わり6月になっていた。
ドイツサッカーリーグは今、1ヶ月間のシーズンオフに突入している。
「行ってきます!」
オレは相変わらずの自主練習の日々を過ごしていた。
だが、そんな二年目のドイツ生活で大きく変化したことがある。
「あっ、待って、お兄ちゃん。葵も一緒に行く!」
「コーちゃん、葵。気を付けてね」
「うん、分かった。お母さん」
それは妹と母親も、先月からドイツに来ていたことである。
父親が会社で借りている家に、一緒に住みはじめたのだ。
「葵も、お兄ちゃんみたいにドリブルでいく!」
「この先は石畳がデコボコだから、気をつけてね、葵」
「任せて、お兄ちゃん!」
葵と一緒に街の裏路地をドリブルで移動していく。
「でも、葵は日本の友だちと離れて、大丈夫なの?」
「お兄ちゃんと離れ離れは嫌だから、ドイツに来てよかったよ!」
今年の三月で、葵は日本の小学校を卒業していた。
その後は地元の中学校に進学せずに、母親と一緒にドイツに引っ越してきたのである。
中学校はオレと同じように、この街の中等部の学校に通っていた。
『おはよう、コータ! あら、今朝も妹さんと一緒なのね?』
『パン屋のおばさん、おはようございます! いつも兄がお世話になっています』
途中で近所のパン屋のおばちゃんに挨拶される。
葵はドイツ語で挨拶を返す。けっこう上手いドイツ語である。
「それにしても葵、いつの間にドイツ語を勉強していたんだ?」
「それは去年の1月からだよ。お兄ちゃんがドイツ行きを決めた時から、勉強していたんだよ!」
そうか、そういうことか。
葵は日本で小学6年生しながら、必死でドイツ語の教室に通っていた。それ以外にもネットでドイツ映画を鑑賞して勉強していたという。
「難しい文章を読むのは難しいけど、会話はばっちりだよ!」
「そうか。葵も頑張っていたんだね、日本で」
「えへへ……お兄ちゃんと一緒に暮らすために、頑張ったんだ」
照れくさそうにしているが、葵は本当に頑張ったと思う。
何しろ葵は勉強がそれほど出来る方ではない。
それなのに学校の成績を下げずに、リベリーロ弘前のキャプテンとして全国優勝。更にドイツ語の勉強までしていたのだ。
葵のそんな頑張るパワーには、本当に頭が下がる。
「お母さんより葵の方が、ドイツ語は上手いよ」
「そうか。でも、お母さんは主婦だから、そんなに必要ないかもね」
子どもの方が外国語の物覚えはいいのであろう。
だが母親は基本的にドイツでも専業主婦である。
それなら学校に通うオレや葵と違って、買い物などの日常会話が出来れば十分。安心して家族4人で暮らしていける。
「そういえば葵は中等部の方は大丈夫? 勉強にはちゃんと付いていけている?」
「ドイツの中等部は楽しいよ! ドイツの子たちも仲良くしてくれるし。でも勉強は……うーん、微妙かも」
やっぱりそうか。
葵は勉強よりも、身体を動かすのが好きな方である。だからドイツ語はマスターしても、中等部の勉強は集中していないであろう。
「勉強もちゃんとしないとダメだよ。近代のサッカーでは理解力が大事だし、葵もプロサッカー選手になれないよ?」
「プロ選手? うーん、葵はプロサッカー選手になれなくてもいいかな? サッカーはけっこう好きだけど、3番目くらいかな? もちろん一番はお兄ちゃんだけど……エヘヘヘ」
妹は不思議な子である。サッカーの才能があるのに、それほど執着していないのだ。
(はっきり言ってサッカーの才能は半端ない。これはもったいないよな……)
何しろ去年の全国少年サッカー大会で、葵は優勝チームのキャプテンであり、尚且つ得点王で大会MVPである。
しかも聞いたところによると、その年の小学生のナショナルトレセンに招集されて、更にベスト選手に選ばれていたのだ。
簡単に言うと彼女より上手いサッカー選手は、同年代で誰もいなかった。女版の澤村ヒョウマといった状況だった。
この結果にはさすがのオレでも、実の妹の才能を認めないといけない。
そういえばヒョウマ君は、葵がまだ小学三年生の時、その才能を既に見抜いていた。そう考えるとヒョウマ君の先見の眼は凄かったのであろう。
「葵はお兄ちゃんと一緒にいられたら、それが一番なの!」
葵はサッカーに対して、それほど執着していない。いつも気軽にプレイしている感じなのだ。
もしかしたら、そのお蔭で無駄な思考や動きがなく、真っ直ぐなプレイが出来るのかもしれない。
“無心”や“無欲の境地”という感じか? だが勉強しないと将来が心配である。
「葵の言葉は嬉しいけど、ちゃんと勉強しておかないと、日本に戻った時に、一緒の高校に進学できないかもしれないよ?」
「えっ⁉ それはマズイ! 葵、ドイツでもちゃんと勉強する! お兄ちゃんと同じ高校に行くために!」
おお、よかった。葵が勉強に対してやる気を出してくれた。
オレたちはドイツには勉強の名目で留学に来ている。
だから学生の本業である勉強は、おろそかにしたくなかった。
◇
「あっ、練習場が見えてきた」
ドリブルしながら話をしていたら、目的地に到着した。
ここはF.S.Vのサッカーパークの敷地内にある、ジュニアユース専用の練習場である。
『みんな。おはよう!』
『おはよう、コータ。先に練習していたぞ』
『おっす、コータ。今日も妹が一緒か』
F.S.VのU-15の皆と挨拶をする。
彼らは去年の誤解からの対決以降、仲良くなった地元のドイツ人の中等部の人たちだ。
今はオレが所属するF.S.Vトップチームは練習が休み。だからこうして彼らと一緒に自主練習をしていたのだ。
ちなみに葵はドイツでは、このF.S.VのU-15のチームに入団していた。
去年のオレは勘違いから、大人の二軍のテストを受けに行ってしまった。
だから妹には、ちゃんとした年齢にあったコースに入団してもらったのだ。
『みなさん、おはようございます。いつも兄がお世話なっていました』
『アオイちゃん、おはよう!』
『相変わらずの日本人形のような可愛さだね、アオイちゃん!』
『ああ、まさにヤマトナデシコだな、アオイちゃんは』
入団したばかりだというのに、葵はドイツ人のチームメイトから人気があった。
妹のサッカーの才能はもちろん、可愛らしい女の子の外見が好感を得ていたのであろう。
うん、人気があるのはよく分かる。何しろ葵は可愛い。
特に中等部の年齢になってからは、大人っぽくなってきた。
今までの子どもらしい可愛らしさに加えて、身体つきや顔つきも女性っぽくなってきたような気がする。
でも、可愛らしさが倍増した分だけ、兄としては心配である。
何しろドイツ人の中等部の連中はイケメンが多い。
ドイツにいる期間で、変な虫が付かないか、とても心配である。
皆での自主練が始まったけど、オレは目を光らせておく。
スポーツビジョンを全開にして、全員の動きを監視する。
『ねえ、みんな、もっと動いて! そんなんじゃ、お兄ちゃんのパスが生かせないから! もっとこうやって素早く切り込むの!』
見ていると自主練の最中、葵の厳しい声が飛んでいた。
動きが悪いチームメイトに、積極的に指示を出しているのだ。
去年リベリーロ弘前のキャプテンを経験してから、妹にはリーダーシップが格段に身についていている。
『くっ、厳しいな……コータも半端ないけど、妹のアオイちゃんも半端ない十三歳だよな……』
『ああ、こんなに上手い子は、ドイツでもジュニアユースでもいないぞ……』
『外見はヤマトナデシコなのに、サッカーは鬼神だな……』
『ノーロ兄妹は東洋の神秘だな……』
U-15のチームメイトは、葵に震えあがっていた。
葵は可愛い外見に反して、サッカーに関しては厳しい。特に常にオレと比べて男子を見ているのだ。
よかった。この様子なら葵に手を出す虫は、当分は出てこないであろう。
◇
「ふう……今日もサッカーが楽しいな……」
そんな感じで自主練は続いていき、休憩時間となる。
今日もサッカーが楽しい。
オレは普段は大人と一緒にプレイしている。だからこうして同年代をプレイするのが楽しいのだ。
「来月からは、またチームの練習が始まるから、今のうちに楽しんでおかないとな」
この時代のドイツサッカーの6月はシーズンオフ。
チームの練習は来月の7月からスタート。公式リーグ戦は8月が開幕となる。
だから今のうちに、オレは同年代との交流を楽しんでいたのだ。
「今日も本当に楽しそうに、サッカーしているのね、コータ?」
「あっ、エレナ。おはよう」
休憩中にエレナがやってきた。今日もフリフリのお嬢様の恰好である。
あれ? でも手には分厚い資料を持っていた。
「エレナはクラブの仕事の最中?」
「そうね。八月からはリーグ戦も始まるから、運営陣でミーティングよ」
彼女はまだ十三歳な同級生だけど、F.S.Vの特別アドバイザーに就任している。
かなり頭が良くて、大人でも難しい数々のサッカーの経営の資格を習得していた。
まさに本物のお嬢様であり、才色兼備の金髪スーパー美少女なのだ。
「ねえ、お兄ちゃんってば! あっ……エレナさん……」
「あら? コータの妹のアオイさん。こんにちは」
「こんにちは、エレナさん……」
そんな中で妹の葵がやってきた。面識のある二人は挨拶をかわす。
でも何か微妙な雰囲気である。特に葵の方がよそよそしい。
「じゃあ、またね、コータ。今度、リーグ戦の相談があるから、話を聞いてよね」
「うん、分かった。エレナもミーティングを頑張ってね!」
次に会う約束をしてから、エレナは行ってしまう。彼女とは週に一回のペースで、秘密の会議を開催していた。
会議といっても互いのプライベート話や、クラブの問題点の愚痴を聞き合いっこする“おしゃべり会”なんだけど。
「アオイ、あの人、なんか苦手……」
「えっ、エレナのことを?」
「うん。F.S.Vの人としては凄いと思うけど、お兄ちゃんと一緒にいるのを見ると、なんか胸がチクチクする。だからあの人は苦手……」
葵がこんなことを言うのは珍しい。
妹はたしかにハッキリと、自分の意見を口に出すタイプである。例え相手が歳上であろうが、大人であろうがバシッと言ってしまう。
でも、こうして誰かのことを、苦手と言うのを初めて聞く。いったいどうしたのであろうか?
エレナはたしかにツンツンしている部分もある。でも中等部でもクラスメートの女子とは仲良くしている。
性格でいったら、エレナと葵は似ているような気がするんだけど。
出来れば間に立つオレとしては、二人は仲良くして欲しい。
「お兄が困るのは嫌……お兄ちゃんが、そう言うのなら、あの人と仲良くなるように努力してみる」
おお、良かった。葵はオレの想いを感じ取ってくれた。
「葵、頭を冷やすために、ちょっと走ってくる!」
先ほどのエレナに対する言葉を、自分で反省したのだろう。
葵は練習場の外周をダッシュしに行く。
(それにしても八月からのリーグ戦の準備か……本当に今から楽しみだな……)
エレナとの会話を思い出しながら、感慨にふける。
F.S.Vは一ヶ月前の最終戦で、3部リーグ優勝をしていた。
そのため自動的に八月からは、上の2部リーグに参戦することになる。
「2部リーグ……それにF.S.Vの新体制か……本当に楽しみだな……」
2部リーグで戦い抜くために、F.S.Vは生まれ変わろうとしていた。
海外やドイツ国内から、強力な新戦力を獲得するという噂もある。
さらにF.S.Vの二軍との交流戦で、二軍から昇格する若手の選手もいるという。
「オレも一軍に残れるように頑張らないとな!」
自分は前シーズンの一軍で、全試合に出場していた。
年齢の体力的に後半限定とはいえ、これは一軍選手の中でも異例とも言える。
だからといって次のシーズンも、一軍に定着できるとは断言できない。
何しろドイツの二部リーグのレベルは、世界でも有数である。
相手チームにも世界各国の現役の代表クラスが、顔を揃えているのだ。
レベルでいったら日本のJ1リーグと同等、いやそれを上回ると言われていた。
「だからこそ……ワクワクするな。よし、オレも頑張ってレベルアップしよう!」
二部リーグのことを考えていたら、身体が熱くなってきた。
休憩を終えて自主練を再開しよう。
『よーし、みんないくよ!』
◇
それから月日が経ち、ドイツに八月がやってくる。
ドイツサッカーの中で一番熱い日……開幕戦が始まろうとしていた。
そんな中、オレは一軍のレギュラー選手に無事に選ばれたのであった。