慢心
槍や矢の石器の部分は全て鉄器に換装した。
換装してから、暫くの間、感覚を確かめるため、練習した。石器の時より扱いやすく、修繕の頻度も激減した。
鉄の鏃に変えた矢の練習を一通り終えたので、実際の狩りで試すことにした。
朝、狩りの身支度を整え、山に入る。山は、そろそろ葉が落ちる季節になり、見通しが良くなってきた。
しばらく歩くと、視界の隅に動くものがあった。向きを変え少し近づいてみると、イノシシがいた。
大きい。150センチ位はあるか。いや、もっと大きいかもしれない。大物だ。
あまりこちらを気にしている様子がない。そこで、20メートル程まで近づいた。
弓を構え、脇腹を狙って矢を放った。逸れた。矢は太腿に刺さった。
急いで二の矢を番え、再び矢を射た。また。逸れた。今度は肩に刺さった。
イノシシは自分に気づき、向かってきた。
慌てて、三の矢を番えようとしたが、間に合わない。
体を捻り、イノシシの突進から逃れようとした。
体を捻った後、一瞬遅れて、乳房に体が引っ張られた。体の重心がズレ、バランスを崩した。
右の脇腹に鋭い衝撃が来た。イノシシの牙で振り回され、地面に突き飛ばされた。
地面に倒れてから、強烈な痛みが襲って来た。
血が流れていく感覚が分かる。
視界から色が無くなる。
意識が途絶えた。
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目が覚めた。
右脇腹が痛い。
なんとか、身を起こす。
右側に血溜まりがある。かなりの量だ。
右脇腹を見ると、血は止まっているようだ。ナノマシンが働いたのかもしれない。
立ち上がろうとすると、視界が暗くなる。貧血だ。だいぶ血を失ったに違いない。
辺りはそろそろ夕暮れになろうとしている。
弓が左手の側にあった。弓を杖代わりに、ゆっくり、休み休み、山を下りる。
小屋に辿り着いた時、辺りは既に深い闇に覆われていた。
寝台の毛皮の中に潜り込み、意識を手放した。
朝、目が覚めると、まだ、右脇腹が痛い。
身を起こすと、昨夜よりは幾分ましな状態だ。
右脇腹を中心に血がこびり付いて固まっている。壺の水で洗って見ると、傷には既に薄皮が出来ていた。
ナノマシンは優秀な働きをしてくれている。
朝なのに、陰茎は勃起しておらず、縮こまったままだ。流石に、血が足りなくては、勃起どころではないだろう。
取り敢えず、朝飯を食わねば。いくら、ナノマシンが優秀でも、原材料なしで、血を作れるとは思えない。
火を起こし、ハマグリのスープを作り、鹿肉の燻製と一緒に食べる。ファイアピストンがあって良かったとしみじみ思う。
体力が元の状態に戻るまで7日かかった。右脇腹は7日で痕も残らないまでに回復した。ナノマシンは優秀だった。
回復するまでの間、考えた。
イノシシの牙が少しずれていれば、いくら優秀なナノマシンでも、自分の命を助けることは出来なかっただろう。
自分は慢心していた。
自分は、紐を作り、土器を作り、弓を作り、鉄を作った。
こういった知識だけで全て解決できると思っていた。
だが、それは間違いだった。
イノシシに襲われて大怪我をしたことは、知識では全てを解決すことはできないということだ。
いや、知識だけでは解決できない。
まず、自分には自分の体に関する知識が欠けていた。
自分の体がどのような場合にどのように動くかについての知識が欠けていた。
自分は男性の体を持っていた時の知識を、そのまま今の自分の体に当て嵌めていたのだ。
女の乳房や、女の腰や尻を持っていることを無視していた。
これは改めなければならない。
次に、この体の動きとその影響を完全に把握したうえで、全ての所作が自然に淀み無くできるように、この体を鍛えなければならない。
もう一つ反省しなければならないことがある。
矢の問題だ。
イノシシを射た時、二度も的を外してしまった。
何故か。
矢の個性を全く考慮しなかったためだ。
現代の厳密な規格に従った量産品を扱う感覚で矢を射ていたのだ。
現代の規格に沿って作られた物の誤差はミリ単位、いや、ミクロン単位に過ぎない。これだったら、漫然と矢を射ても問題ない。
しかし、自分の矢は、ここで採取した材料で作った。
ヤダケには、2つとして同じものは存在しない。
反りがあったり、曲がりがあったり、節の位置も、太さもバラバラだ。
羽も同じものは一つもない。
一つ一つの矢は、異なる軌道で異なる回転をする。
それを無視して漫然と矢を射たから、反れたのだ。
これも改めなければならない。
一つ一つの矢の個性を把握して、それに合致した方法で射る訓練をしなければならない。
体が回復したら、鍛錬あるのみだ。
体が回復したのは、浜辺で目覚めてから159日目、たぶん、11月1日のはずだ。
そろそろ、6回目の排卵が始まる。