33.玲の焦り
いつの間にか、寝ていたらしい。
目を覚ますと身体は思っていた以上にすっきりとしていて、とても軽い。
部屋の中には既に、竜牙はいなかった。
外を覗くと空は白んでいて、どうやら朝のようだ。
「んん……!!」
日和は体を伸ばし、制服に着替える。
スマートフォンで時刻を確認すると、まだ4時半だった。
朝食にはあまりにも早すぎる。
しかし昨日華月が準備してくれていたらしい夕ご飯が、テーブルの上にラップをされて置かれていた。
「……いただきます」
日和はテーブルの前に座ると器から一つずつラップを外し、手を合わせた。
体調がよくない日和に合わせてうどんだったらしい。
いつでも食べれる様に麺と出汁が分けられている。
日和はつけ麺の要領で、出汁に麺をつけて啜って食べた。
ひんやりと喉を通って行く感覚が体調不良から落ち着いた身体に沁みる。
全てあっという間に食べきり、食器を持って下へ降りる。
まだ5時前だと言うのに、もう、人が居た。
「日和様、お体はもう大丈夫なんですか?」
「はい、おかげさまで…ありがとうございました」
「…食事は足りました?よかったら追加で温かい物でも準備しますよ?」
おっとりとした初老程の女中と渋みのあるがたいの良い料理人が並んで、日和を心配する。
時間もあるし、まだ食べられそうだ。
「じゃあ…お願いしても、いいですか?」
日和のお願いに二人はにこりと笑い、準備を始めた。
個人用の食事部屋に通され、静かに待っていると暫くして女中が盆の上に食事を乗せて運んできた。
こんがり焼いた食パンに、コンソメベースの野菜が細かく刻まれた野菜スープは美味しそうに湯気を立てている。
噛めばサクサク、と音の立つパン、食感が残らない程柔らかく煮込まれた野菜スープは優しい味だ。
温かい気持ちになって、少しだけほっとする。
「私には分かりませんが、力を使ったり消費した後は、お腹が空くんだそうです。佐艮様もですが、坊ちゃんもたまに朝食を2度摂られたりするんですよ」
女中はにこにこと嬉しそうにしているのを見て、竜牙が世話焼きが多いと言っていた。
正也は今食べられない状況だが、こうやって頼られるのは嬉しいのかもしれない。
「そう、なんですか…。あの、美味しいです」
「うふふ、日和さんの好みを教えて頂ければ、すぐにお作りするように致しますよ?」
「あ…えっと…すみません、何でも食べられるので……」
日和には、未だに好みは無い。
どうしようか悩んでいて手元に視線が行った。
「あ――このスープ、また食べたいです。良いですか?」
「これで…良いんですか?ふふ、もちろんですよ」
女中が目を丸くして、すぐににこりと微笑んだ。
「あの…おかわりが欲しいです…いいですか…?」
「畏まりました、少しお待ちくださいね」
嬉しそうに女中は皿を受け取り、調理場の方へ去っていく。
「…日和?」
入れ違いに女中を追いかけた視線が日和に向き、竜牙が入ってきた。
ここを使っている人物が日和なのが意外に思ったのか、目を丸くしている。
「竜牙、おはようございます」
「あ、ああ…。体はもう良いのか?」
「はい。その…すみません、またお世話になってしまって…」
「いや、楽になったのなら、良い。…学校には、行けそうか?」
「大丈夫みたいです。ありがとうございました」
頭を下げる日和に、竜牙は頷き、短く「よかった」と答える。
しかし、日和の表情は少し心ここに非ずといった感じでどこか遠くを見ている。
「――」
「――日和さん、お待たせしまし…あら、竜牙様、おはようございます」
「あ、ああ…」
竜牙が聞こうとした所で先ほどおかわりを準備していた女中が帰ってきた。
「すみません、ありがとうございます。…いただきます」
日和はスープを受け取り、心なしか嬉しそうに飲み始め、女中はそのまま自分の仕事へ戻っていった。
それから学校へ向かうまで、日和の表情は一切曇らなかった。
学校へ行く為に家を出て、日和の抱える不安の理由が判明する。
「――日和ちゃん!」
門の前で待っていたように男子高生が立っていた。
その表情はいつもの笑顔ではなく、酷く狼狽している。
「兄、さん…?」
「ごめん、昨日出掛けたのに気付かなくて…!余計な事は言われてない!?変な事はされてない!?大丈夫!?」
「えっ、あ、の…」
日和の両肩をがっしりと掴み動揺した玲は、いつもより声も強く心痛の面持ちだ。
「――玲、落ち着け。どうした?」
「…あ、ご、ごめん、突然…」
気圧されて、日和は何も言えなくなり代わりに竜牙が玲の肩を軽く叩き、止める。
我に返ったように玲は日和から手を離すと、深くため息をつき気持ちを落ち着かせた。
「一体どうしたんだ…?」
「その…昨日、祖父が日和ちゃんに会いに行ったって聞いて…。へ、変な事…言われなかった?」
玲の表情は分かりやすいほど辟易している。
しかし日和は首を横に振って、口を開いた。
「いえ…特に何も。兄さんが今まで私を守っていた仕事は祖父が頼んでいた、とか…兄さんと結婚して欲しいって言われた、くらいで…」
けろりと無表情で答える日和に、玲と竜牙はぴしりと固まった。
玲はわなわなと震え始め、表情がみるみる青くなっていく。
「え…っと…それって」
「兄さんは見合いよりも身近な力のある人と結婚した方が良いって…だから、兄さんを私の結婚相手にどうですか?と…」
「…日和、それが玲の言う、『変な事』や『余計な事』だと思う、ぞ…」
「そう…なんですか?」
流石の竜牙も青い顔で答えるが、日和は首を傾げて不思議そうにしている。
「ひ、日和ちゃんは…なんて答えたの…?」
「兄さんと相談しますって答えて……あ、返事は今度家に来てって言われてるけど、どうしよう…」
「いやいやいや、しなくていいから!祖父が勝手に言い出しただけだから!」
「日和、結婚を簡単に見過ぎだ。すぐさま答えを出そうとするな」
「え、ええ…?でも、ちゃんと答えださないといけませんよね…?」
玲は分かりやすく頭を抱え、深くため息をついた。
これには内容が内容なだけに、竜牙も頭痛がしそうな気がした。
特に、一切気にも留めていない日和が一番質が悪い。
「えーっと…日和ちゃん、今日の放課後大丈夫?ちょっと屋上で話をしたいんだけど」
「放課後ですか?分かりました…」
「…私は居た方が良いのか?」
「僕だけじゃ絶対無理だから、お願いするよ…」
確かに、この日和を理解させるのは骨が折れそうだ、と竜牙は感じた。