泣き虫 五
翌日、御曹司レオンハルトがパウルスの道場を訪れた。
昨日と同様に、傍らにはあの少女を伴っている。
聞けば、四年前から仕えている側仕えで、
「もう、半ば家族のようなものです」
と少年は照れくさそうに言った。
名をシビラというそうだ。
灰青の粗布の作業衣に白い前掛けを締め、明るい銅色の髪を麻布の頭巾で覆っている。
のちに知ることだが、袖を肘までまくって甲斐甲斐しく主の世話を焼く娘である。
口数少なくやや不愛想なれど、時折り主人に向ける微笑は、陽光のようであった。
――なるほど、身内のようだという言葉に偽りはなさそうだ。
パウルスはそう感じた。
挨拶もそこそこに、レオンハルトは手巾に包んだ硬貨を差し出した。
「今週のお稽古代として、御受け取りください。これより毎週、月曜に持参いたします」
「あい、わかった。ありがたく頂戴する」
パウルスは中を改めもせず、そのまま手巾ごと長持に納めた。
まずは重剣を手に、柱打ちをさせてみた。
だが三分も経たぬうちに腕が上がらなくなり、掌を見れば皮がむけている。
——畑仕事も大工仕事もしたことのない、絹のような手だ。
心の嘆きを押し隠し、パウルスは仕方なく素振りに切り替えた。
右上から左下への袈裟斬り、同じ軌道をなぞって戻る斬り上げ——この往復を一つの単位とし、右上・右下・右下・右上・左上・左下・左下・左上と八往復。
のちに一世紀を経て、リヒテナウアーの流れを継ぐ剣士ヨーアヒム・マイアーが書に記したため、後世「マイアーの四方」と呼ばれるようになる素振り法である。
これに歩法を加え、汗だくになったころ、ヨハネスが顔を見せた。
父の提案で、リヒテナウアー流の型をレオンハルトに披露することとなる。
道場の板戸を閉ざし、匠の斬りと呼ばれる奥義をもって、実剣にて演ずるゆえ、パウルスも真剣勝負の緊張感で臨んだ。
演武ののち、ホーホベルク家の使用人が運んだ弁当を皆で囲み、食後はヨハネスが若き日の戦場の話を座談とした。
豊富な経験を活かして説く剣の術理は説得力に満ち、レオンハルトは眼を輝かせて聞き入る。
パウルスはあらためて、父の話術の見事さに舌を巻いた。
ヨハネスが去ったあと、パウルスはレオンハルトとの自由稽古を行った。
初日のレオンハルトは正中線をがら空きにしていた。
袈裟斬りにもいくつか打ち分け方があり、腕から動きだしてのち、踏み込む足がついてくるように打つと、相手から見ると突然斬られたように感じる。
パウルスのこの最速の袈裟斬りに何度も一本を取られ、レオンハルトは息を切らした。
だが二日目になると、レオンハルトは打ち込みの機を読んで、撃ち落としに転じた。
それならば、とパウルスは撃ち落としを剣を倒してすかし、虚を突いて一本。
これを三度続けると、今度はレオンハルトが慎重に構えて動かぬ。
そこで再び最速の袈裟斬りを放つと、反応できずに見事命中した。
もはや彼はパウルスの二択に翻弄されるばかりである。
リヒテナウアー流では、先手と後手では、先手が常に有利であると説く。
レオンハルトがこの二択を超えるには、後手にありながら先手を奪い返すいくつかの術を学ばねばならぬ。
――そろそろ教えてやるべきか。
ふとそう考え、パウルスは己に驚いた。
その術を自分が教わったのは、剣を振り始めて半年も経ってからで、すべて体得したと感じたのはさらに数年後のことだ。
それを、まだ二日目の少年に? 手のひらは柔らかく、歩法も覚束ない。
基礎も固まらぬうちに次を与えれば、かえって害になる。
だが、知らぬまま打ち据えるのも気が咎める。
本気で強くさせるなら、まずは基礎だ——単調でも退屈でも、それが最短の道。
だが父は言った。「相手を見ろ。商いを考えろ」と。
さて、明日は何をやらせるか——
パウルスは寝床で、そんなことを思案するようになっていた。
一週間が過ぎ、レオンハルトは約束どおり前と同じ稽古代を持参した。
広幅グローシェン銀貨十枚。
パウルスがそれを父に報告すると、ヨハネスはふと笑って言った。
「それはよいな」
「何が良いのです?」
「お前の働きへの報酬が五シリングほど。それが適当で良い、と言ったのさ。レオンハルト坊ちゃんは、少なくとも市井の金の重みを知っておる」
「はあ……なるほど」
パウルスは軽くうなずき、そんなものか、と思った。