若獅子 二
数日後の昼下がり。
ザルツブルク市内の大司教宮殿内、ヨハン二世の私室にハンスは立ち入った。
鉛格子にはめられた透明硝子が、室内に陽光を多く採り入れている。
壁際には暖炉があり、火が入っていた。
石床の上に羊毛敷物。中世靴の靴底はあまり固くないので、その柔らかさを感じる。
ヨハン二世・フォン・ライスベルクは、金糸の法衣をまとい、個人用の祈祷台に祈りを捧げていた。
彼は、祈りの手を止めると、ハンスを振り返った。
「……終わったか」
「へい」
司教は椅子にもたれ、ハンスの顔を見つめた。
「汝の剣は、神のはかりを正すために用いられた。恐れることはない」
若者は頭を垂れた。
ザルツブルク大司教は領邦君主でもあるので、原理的には私闘を行う事は可能なはずである。
しかし教会としては何度も私闘抑制を訴えてきた立場がある。
また、ローマ王ジギスムントが出した私掠許可状には「何人もこの捜索に協力せねばならぬ」と明記されているので、公的にはヴィレンバッハらを排除する理屈が通らなかった。
その為、密かに大司教従者のハンス・タルホッファーが手を下した訳だが、これは謀殺であり、大罪であった。
公の戦以外で貴族が殺害される事は、当時の感覚としてはかなり憂慮されるべき大犯罪だった。
これは、私闘が主に「敵側の物品略奪・建築物や財産への焼き討ち」を主として行われ、敵貴族の生命そのものは奪わず捕虜にして、身代金が得られれば解放していたからだ。
もちろんその過程で敵側領民はいくらでも殺害するので、現代の我々からするといびつな倫理観に見える。
だが「我らみな、時代の子」であり、それを考慮する必要はあろう。
さて、頭を垂れたハンスだが、内心思う所が無かった訳ではない。
人を殺めたのは、初めてだ。しかも、毒を用いた。不意打ちの夜襲をした。抵抗できない相手を殺害した。
現実の戦と騎士道物語の違いは飲み込んでいるつもりだが、どう言い繕っても、これは闇討ちである。
殺人斧を通して感じた、断末魔にあえぐ肉体の震え。それがまだ、掌に残っている。
若者は、顔をあげて自らの主を見た。
彼の頭頂は剃られ、茶色の癖毛が輪を描いて残っていた。
彼の顔は、銀皿に映る自らの顔と似ている。若者は、そう思っていた。
「よくやってくれた。これからも頼りにしている」
ヨハン二世の声には、落ち着いた深みがある。
「へい、お任せくだせぇ」
ハンスは、そう答えた。
ハンス・タルホッファーは、ザルツブルク近郊に小さな地所を持つヘル層の息子である。
父はいない。母からは、昔に亡くなったと聞いて育った。
親戚付き合いは少なかった。地所に大した産物はなかったが、割と裕福で、ハンスは着る物や食べる物に困った覚えがなかった。
また、常に家庭教師がいて、子供心に毎日が忙しかった。
早熟だったハンスが、自らの家庭に違和感を持ったのは十歳の頃で、それは資産状況に対する疑問からだった。
世の貴族婦人は(特にハンスが見聞きするようなヘル層では)、夫が不在であれば(時には不在でなくとも)使用人達をしつけ、従わせて、地所の経営をやりくりしている。
対して母は、リュートを弾いたり、画家を呼んで宗教画を描かせたりして日々を過ごしていた。やや夢見がちな性格だったので、余所の強面の奥方の真似はできなかったろうが、 それでもハンスの家が金子に困る様子がないのは不思議だった。
御落胤、という言葉を教えてくれたのは、村の司祭で、家族礼拝堂に弥撒をあげに来てくれた時だった。
非常に配慮した言い回しをしてくれたので、今にして思えば母に言い含められて説明役を引き受けてくれたのやもしれぬ。
私生児、という言葉を聞いたのは十二歳の時で、村の酒場でだった。
年上の少年が、卑猥な仕草をして、母を侮辱した。
その少年が、少々お頭が弱いは知っていたので、片足を抱えあげて投げ落とすだけで勘弁してやった。
当時の武術の家庭教師からは、
「相手はお前より大きく重かったかもしれん。しかし、お前には特別な才能があるのだから、弱者には手加減してやりなさい」
と、いさめられた。
ハンスはそこで、普通の人は訓練しないと受け身がとれないという事実を知ったのだ。
村での喧嘩の事があって、しばらくしてから、大聖堂の首席司祭様の従者として奉公に出る事になった。
母いわく、貴族としての礼節から、武術、自由学芸に至るまで一流の教師をつけてもらって学べるとの事だった。
そんな馬鹿な、と思ったが、ヨハン様の顔を見て、納得した。
以来、四年間。ハンス・タルホッファーは様々な才能を開花させた。
優秀な成績を修める度に、ヨハン様が喜んでくれたからだ。