若獅子 三
一四二九年の秋。
ザルツブルク大司教から二騎の騎兵がニュルンベルクへ派遣された。
「友好の証」としての提供という体裁だが、実態としては、大司教の私生児ハンス・タルホッファーの遊学だった。
さらに隠された目的もあった。
というのは、ヴィルヘルムの兄弟であるハンス・フォン・ヴィレンバッハが、仇を探してザルツブルク領内をうろついていたからだ。
彼の目に留まらぬよう、ザルツブルクを離れるという意味もあった。
ニュルンベルクでは都市貴族が騎兵としての訓練を受けているが、彼らはやはり本業がある。
その為、日常の騎兵働きは、近郊のヘル層を雇い入れる事が多かった。
彼らは「市外市民」という権利も得た上で契約を結んでいたが、ハンスの場合は、単に金銭のみの雇用関係であった。
任務は近郊の街道警備や伝令で、勤務の後や非番の日は時間が余った。週ごとの支払いは滞った事がなく、本国からの御手当もある。
そして帝国でも有数の商都であれば、いくらでも遊ぶ場所はあった。
夜の酒場兼宿屋は混んでいた。
ヘル、行商人、親方、居留民(市民権を持たない職人徒弟や日雇い労働者)、どれも似たような面だった。
ハンスは、それを退屈そうに眺めた。
隣に侍らした酌婦の腰に手を回して、麦酒をあおる。
長身に精悍な面立ち、全身から放たれる気迫は、とても十六の若者とは思えぬ貫禄だった。
向かいの席には、ザルツブルクから伴ってきた部下のウルリヒ。
何やら大きな声がしたので後ろを振り返ると、何処かの田舎騎士が、宿の主人にぐだぐだ文句を言っていた。
「ですからね、市の決まりですから、刃物はお預かりする事になってるんですよ……」
「これは聖地まで行って来た先祖伝来の剣、騎士の魂ぞ。何か不手際があったら、貴様が責任をとれるのか!?」
その大仰な物言いが、ハンスのかんに障った。
「騎士の魂だぁ? へっ、たいした腕もねぇ奴に限って、そういうご大層なことぬかすんでぃ」
聞こえるように嘲ると、部下が追従の笑いをあげた。
そそくさと、酌婦が席を立つ。
顔を赤くしてこちらに歩み寄る田舎騎士の顔に、ハンスは杯を叩きつけた。
弾かれるように立ち上がり、すかさず腹を蹴り上げる。
周囲からたちまちやんやの歓声があがり、どちらが喧嘩に勝つか賭けが始まった。
翌日の夕方、軽犯罪者が収監される市塔牢獄から、ハンスが釈放された。
身元引受けにきたウルリヒに、あくびをしながら尋ねる。
「罰金、いくらだって?」
「三ポンド六〇ペニヒ。あと四日の拘禁刑ですが、こちらは嘆願で一日に減刑されました、若」
「おう。払っといてくんな」
決して安くはない金額であるが、ハンスは気にする様子もなかった。
そのハンスを小突く男がいた。
「お前は、いつまでそんな事を続ける気なんだ?」
いかにも武辺者といった面構えの男で、 エルハルト・ハレルといった。
ニュルンベルク郊外に領地を構える騎士爵で、都市貴族に親族もいる。
彼は、城下の軍勢を束ねる傭兵隊長の役目を担っていた。
荒みがちな連中を相手に、誰よりも厳しく、そして誰よりも面倒見がよい。
気性の荒いハンスに手を焼いてはいたが、それでも彼は、折あるごとに 刑の減免を願い出てくれる。
「悪かったな、すんませんよッ!」
さすがにハンスも、彼には頭が上がらなかった。
秋晴れのある日、ニュルンベルク南側、シュピタール門近く。
非番のハンスは、部下のウルリヒを連れて、街を散策していた。
茶色の縮れ毛の長髪をなびかせ、しなやかな長身が気だるげに歩く様に、行交う人々は思わず道を開ける。
そうこうしているうちに、二重の市壁の間隔が広まる土地の一部が、柵で囲われている所に出くわした。
若者たちが青空の下、柱打ちをしたり鍛錬をしていた。
どうやら武術道場らしい。
興にひかれて眺めていると、四十絡みの男が、若い衆に訓戒を垂れていた。
声は低いがよく通り、背筋の伸びた立ち姿に、ただ者でない気配がある。
若者たちは息をのんで聞き入っていた。
「若き騎士たちよ、神を愛し、婦人を尊び、名誉を高めよ。
己を誇り、全力を尽くす術を学べ。
組討ちを良くし、長剣・片手剣・槍・長包丁・殺人斧・短剣を男らしく操り、他に先駆けよ!」
男は、背が高く、筋骨たくましかった。しかし、右膝が悪い。
左に回りながら、付かず離れずしていればどうとでもなる、とハンスは考えた。
そう思ったら、衝動が抑えられない。
道場の外柵に寄りかかり、声をかけた。
「おいじじい、そんな木偶どもヨイショして、いくら巻き上げてんだ? いいご身分じゃねぇかよ、え?」
四十路男は、穏やかに微笑んだ。
「お兄さん、腕に自信がありそうだな。良かったら、中で一手ご指南頂けないかな?」
指さされた方を見やると、平屋の道場らしき建屋が見えた。
それなりに大きい木造の小屋だが、出入口は鉄枠付きの分厚そうな扉だ。窓が開放されていなくて、中が見えない。
弟子たちは、年少の者が三人、それなりに身体が出来ているのが三人。
剣のんな気配を出しているやつもいるが、なべて押し黙っている
—こいつらは、雑魚だ。
ハンスは、そう断じた。
ウルリヒを確認すると、この道場とシュピタール門から続く人の流れの中間の場所に移動して、物見高そうにこちらを見物している。
つられて、幾人かの市民たちがこちらを見始めた。
「せっかく天気もいいんだ、日ぃの下で堂々とやろうじゃねぇか、どうだい?」
「おれは、それでも構わんよ。得物は、それでいいか?」
ハンスの言葉に、四十路は顎で、柱に立てかけてある木剣を示した。
木剣は長包丁を模したもので、全長二尺ほど。
四十路の弟子のひとりが、同じ物を師に渡そうとしている。
彼我の距離は五、六間。自分から柱までは一間。
ハンスは、外柵を軽く飛び越え、一瞬背中を見せて木剣を手に取った。
その背中に、こつんと何かが当たった。
「よく見ているが、な。無頼を気取る割りには、お行儀が良すぎる」
四十路男が、くるみの実を掌の上で遊ばせながら、嘲笑った。