若獅子 五
ここで、ヴィレンバッハ一族について若干の説明が必要になる。
ヴィルヘルム及びハンス・フォン・ヴィレンバッハはアウクスブルク司教に仕える騎士の一族である。
支流の分家が、帝国自由都市(自治権を参事会が保有する都市)としてのアウクスブルク市やウルム市の都市貴族でもあった。
一方で、アウクスブルク市やウルム市への私闘を繰り返すなど、非常に好戦的な一族だった。
(余談だが、市側も傭兵を使ってヴィレンバッハ側の城を破壊するなど、こちらも負けていない。そういう時代だった事はご承知置かれたい。この物語ではヴィレンバッハは悪役としての立ち位置なので、盗賊騎士的な描写をしがちである。彼らの名誉の為に付記する)
そんな彼ら及び、他数名の騎士に「ヴェネツィアとの交易を禁令に反して行う者を取り押さえ、その財を没収する権限を与えた」のはジギスムント王で、一四二七年四月の事である。
当時ジギスムント王はヴェネツィアと対立しており、交易禁止令を出していたが、ニュルンベルク商人ヤコブ・アウアーおよびハンス・ジークヴァインなどがこれを守らなかった為である。
一四一八年および一四二〇年と、複数回に渡り罰金刑に処されてなお、交易を続けていたというから、すごい。
かくして一四二六年、ヴェネツィアから運ばれてきた積荷を載せた九台の荷馬車がランツベルク近郊で押収された。
この行為の実行者は、ハンス・フォン・ヴィレンバッハおよびコンラート・フォン・マゲンブーフの両騎士である。
荷はそのまま、ヴィレンバッハの管理する城に運び込まれた。
ここで注意して欲しいのは、私掠許可を与えた年と、押収事件が前後している事である。
実はジギスムント王とヴェネツィアも戦争状態と和平を繰り返しており、その度に貿易禁止令も発令と取り消しを繰り返している。
直近の禁止令の実効開始日は一四二七年二月であり、一四二六年の隊商は合法だった。
アウアーとジークヴァインはこの事を主張し、それは複数の裁判所――最終的には王の法廷においても認められ、ヴィレンバッハ家は押収した荷馬車と商品を返還せざるを得なくなっている。
これを時系列で整理すると以下のようになる。
1417年10月1日
ジギスムント王、ヴェネツィアに対し経済的ボイコットを命令。
1418年7月2日
ボイコット再発令。
1421年
戦況が落ち着き、ブレスラウ・ニュルンベルク商人に限り交易再開を許可。
1426年10月7日
ヴェネツィアとの戦争が再燃。ボイコット再発令。実効開始日は1427年2月
1426年頃(前後の記述あり)
9台の荷馬車がランツベルク近郊でヴィレンバッハ家により押収され、リヒテンベルク城へ運ばれる。
1427年4月30日
王、ハンス・フォン・ヴィレンバッハらに「ヴェネツィアとの禁輸違反商人を取り押さえる権限」を与える。
1429年1~7月
ラウフェン市に、ヴィレンバッハ兄弟らの名で「荷車隊を拘束せよ」との命令。
1429年7月(物語冒頭)
ヴィルヘルム・フォン・ヴィレンバッハが殺害される。
1429年9月24日
王、ニュルンベルク商人に対し交易再開を正式に許可。
→ リヒテンブルク城に押収された荷物は(発布前だとして)返還命令。ヴィレンバッハ家は敗訴。
非常に込み入った話だが、今後の物語の展開に関わりがある為、御容赦頂きたい。
さて、ハンス・フォン・ヴィレンバッハである。タルホッファーと同名で紛らわしいので、今後、たんにヴィレンバッハと記載した場合は、このハンスの事とさせて頂く。
彼はザルツブルク領内での調査の結果、どうやらタルホッファーを兄殺しの下手人として確信したようである。
ヴィレンバッハはアウクスブルク司教領の臣下、タルホッファーはザルツブルク司教領の臣下である。
こうした複数の領邦にまたがる問題は、両領邦が「領邦平和同盟」を結んでいる場合は、両者が合同で開催する「領邦平和裁判所」で裁かれる。そして平和同盟を結んでいなければ、訴えられる側(この場合はザルツブルク)の領主の裁判所で裁かれるのが慣例であった。
この当時、アウクスブルクとザルツブルクは平和同盟を結んでいたのだが、これが及ぶ権限を「略奪・火付け・不法なフェーデ・(身代金目的での)身柄拘束」に限定していた。
つまりヴィルヘルム謀殺事件は、ザルツブルク司教に訴える事になる。
ヴィレンバッハもそうしたのであるが、ザルツブルク司教側としてはこれを受け付ける事に何の益もない。当然のように、証拠不十分として訴えを退け、裁判を開かなかった。
そこで、ヴィレンバッハが考えた手立てが二つである。
ひとつは、自らがタルホッファーに誘拐・監禁されたと虚偽の申し立てをする事である。
身柄拘束であれば領邦平和裁判所の管轄になる。
思惑通り、この訴えは受け付けられ、裁判が開かれる事になった。
もうひとつは、ドイツの中西部、ヴェストファーレン地方の秘密裁判所に訴える事である。
秘密裁判の成り立ちと変容の歴史については、割愛する。
とりあえず今の所は、特殊な領邦平和裁判所と思って頂くのが適当かもしれない。
異なるのが、強力な皇帝の権限が付与されており、帝国内すべての地域にその管轄が及ぶ点である。
その事を利用して、ヴィレンバッハは、兄ヴィルヘルム殺害の実行犯としてタルホッファーを、そして、それを指示したとしてザルツブルク大司教を訴えた。
今後、この話は二つの裁判を追って行く事になる。
しかし秘密裁判は遠方での開催という事もあり進行が遅く、アウクスブルクとザルツブルクの領邦平和裁判の方が早く決着する。
その為、後者から先に顛末が語られる。
また、前者では裁判の弁論の様子、後者では司法決闘の仔細が描かれる。