NHK「ばけばけ」では、小泉八雲をモデルにしたヘブン(トミー・バストウ)が、実在の英語教師がモデルの錦織(吉沢亮)をなにかと振り回すシーンが描かれている。いったい2人はどういう関係だったのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などから史実に迫る――。
埼玉県深谷市出身の偉人、渋沢栄一が肖像の1万円札の発行を記念したイベントが同市内で開かれ、NHK大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢を演じた吉沢亮さんが登壇した=2024年7月14日、埼玉県深谷市
写真=時事通信フォト
埼玉県深谷市出身の偉人、渋沢栄一が肖像の1万円札の発行を記念したイベントが同市内で開かれ、NHK大河ドラマ「青天を衝け」で渋沢を演じた吉沢亮さんが登壇した=2024年7月14日、埼玉県深谷市

八雲と西田は“異常なまでに密接”だった

NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」で、キーパーソンとなっているのが錦織友一(吉沢亮)である。小泉八雲の松江時代を描くこのドラマで、錦織はなにか新たな展開を持ち込んでくる役どころ。この人物がいなければ物語が動かないと言っても過言ではない。

ドラマでは地域のエリートとして、ヘブン(トミー・バストウ)に振り回されるコミカルなキャラクターとして描かれている錦織だが、実在のモデル・西田千太郎との関係は、ドラマよりもはるかに濃密だった。

いや、濃密などという生易しい言葉では足りない。二人の関係は、現代の言葉で表現するなら「ブロマンス」と言ってしまったほうが分かりやすいかもしれない……そう言いたくなるほど、異常なまでに深い仲だったのだ。

とにかく、八雲と西田が二人で過ごす時間は長かった。妻のセツとは確かに同じ屋根の下で暮らしていた。だが、西田と過ごしている時間のほうが長かったのではないか――そう思えるほどなのだ。

松江に来た当初、八雲は横浜で知り合った真鍋晃を通訳として連れてきていた。ところが真鍋がさまざまなトラブルを起こしたことで、八雲は彼と縁を切ってしまう。こうなると、八雲が頼れるのは西田しかいない。

学校で会っているのに、八雲→西田の手紙は110通超え

いや、本当にそうだろうか?

松江でも、人数は少ないとはいえ日常会話レベルで英語を使いこなす人間は複数いた。八雲が勤務する中学校には日本人の英語教師がいたし、僅かとはいえ当時の大学を卒業したエリートたちは漏れなく英語に通じている。通訳の候補者には事欠かないはずだ。それなのに八雲が西田にこだわった理由、それは西田の信仰に近いような献身だった。

八雲と西田が出会ったのは1890年8月30日。西田の日記には「直チニ旅館冨田ニ訪フ」と記されている。そこから西田が亡くなる1897年まで、わずか7年間の付き合いだ。だがその濃度が尋常ではない。

西田の日記を開けば、八雲が松江を離れる1891年11月15日まで、週に何度も「ヘルン氏」の名前が出てくる。ほぼ毎日である。二人は同じ中学校に勤めているのだから、出勤すれば職場で顔を合わせるのは当然だ。

だが、それだけではなかった。現存する八雲から西田宛の手紙は、なんと110通を超えている。毎日顔を合わせているのに、だ。おそらく失われた手紙も相当数あるだろうし、西田から八雲への返信も同じくらいあったはずだ。

職場で会って、家に帰ってまた手紙を書く……これだけで2人の関係がいかに密だったかがよくわかる。