朝ドラ「あんぱん」(NHK)では、嵩(北村匠海)が“のぶ”(今田美桜)とついに結ばれ、東京で新生活を送る。嵩のモデルである、やなせたかし氏の評伝を書いた青山誠さんは「妻となった小松暢さんは漫画家を目指すやなせ氏を養うと宣言するが、慎重なやなせ氏は生活の安定を求めて三越宣伝部の社員となる」という――。

※本稿は青山誠さん『やなせたかし 子どもたちを魅了する永遠のヒーローの生みの親』(角川文庫)の一部を再編集したものです。

漫画家になる夢を追いかけたいという葛藤

夢を追いかけるよりも、まずは生活を安定させること。自分も早く就職せねばならない。高等工芸学校や田辺製薬時代の知人の伝手で図案制作のアルバイトをしながら、やなせは就職口を探した。

のぶの言葉に甘えて、就職せず漫画を描くことに集中する。夢を実現するにはそれが近道かもしれないのだが、しかし、それは危険な道でもある。どこの出版社にも採用されず、暢に依存する「ヒモ」のような暮らしをつづけて、あげくに彼女に捨てられたらどうなる? そうなったらもう終わりだ。自分の脆弱な神経は耐えられないだろう。

強風に乗れば雲は速く流れるが、風の勢いで引き千切れて四散するかもしれない。それよりは、心地好いそよ風が吹いてくるのを待とう。ゆっくり運ばれて行くほうがいい。それが自分らしいやり方だ、と。

三越が宣伝部員を募集、面接官が同郷

上京してから半年以上が過ぎた頃。三越が宣伝部を拡充するために社員募集をしているのを知り、やなせはすぐこれに応募した。給与や待遇は良く、大手企業なだけに潰れる心配はまずない。ここに就職すれば、望んでいた生活の安定を手にすることができる。

入学試験や就職試験では不思議とツキに恵まれる。この時もそうだった。口頭試験の面接をした重役が、たまたま同郷の高知県出身者。仲間意識の土地柄だけに、その重役の強い推しで採用が決まった。

三越は、戦前に勤務していた田辺製薬と同じ日本橋にある。懐かしい場所だった。空襲で大きな被害をうけたと聞いていたのだが、河畔に建つ赤レンガの帝国製麻ビルと白い花崗岩で造られた日本橋の美しいコントラスト、日本橋エリアを象徴する景観は健在だった。それを眺めてほっとひと安心する。

帝国製麻ビルの先には、屋上に尖塔がそびえる三越本店が見えた。この眺めもまた変わらない。それどころか、周辺には戦後の焼け跡に建てられた粗末な木造建築が増え、ルネッサンス様式の建造物が戦前よりもいっそう巨大で立派に映る。

終戦後の三越本店
写真=共同通信社
終戦後の三越本店、1946年1月17日、東京・日本橋