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「昭和100年」「十七条の憲法」に言及した高市早苗新首相に息づくニッポン民主主義 - 産経ニュース
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「昭和100年」「十七条の憲法」に言及した高市早苗新首相に息づくニッポン民主主義

衆院本会議で就任後初めての所信表明演説をする高市首相=24日午後
衆院本会議で就任後初めての所信表明演説をする高市首相=24日午後

高市早苗首相が24日の所信表明演説をしめくくったのは聖徳太子の「十七条の憲法」の最後の一節だった。

「事独り断(さだ)む可(べ)からず。必ず衆(もろとも)と与(とも)に宜(よろ)しく論(あげつら)ふ可(べ)し」

「重大な事柄は決して独りで決めてはならない。必ず多くの人々と共に論議すべきである」という意味だ。高市氏も「わが国においては衆議が重視されてきました。政治とは独断でなく、共に語り、共に悩み、共に決める営みです」と解説していた。

戦前のわが国を否定し、まるで暗黒の独裁政権が続いていたかのように主張する人たちの中には、日本の民主主義はマッカーサーのGHQ(連合国軍最高司令部)によって与えられたと信じる人たちがいる。学校教育などでも戦後の新憲法で初めて民主主義が根付いたかのように教えられているが、日本の民主主義はそんな底の浅い歴史では語れないのである。

五箇条の御誓文も民主主義

日本初の成文法として十七条の憲法が制定されたのは604年。民主主義という考え方は紀元前5世紀の古代アテネで始まったとされるが、7世紀初頭とはいえ、中国大陸では長い戦争と混乱の果てに隋王朝が誕生したころで、西側では後にイスラム教を広めるムハンマドが神の啓示を受ける少し前くらいの時期にあたる。東洋の小さな島国で≪事独り断む可からず≫という成文法があったことは驚愕(きょうがく)すべきことではないか。

民主主義に対する考え方は明治元(1868)年、明治新政府の方針として明治天皇が発表した五箇条の御誓文にも受け継がれている。

≪広く会議を興し万機公論に決すべし≫

武士の世が長く続いたとはいえ、民主主義の価値観は約1260年間、日本国統治の基本だったことを示している。さらに明治維新から78年後、終戦翌年の昭和21(1946)年元日、昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」の冒頭で、五箇条の御誓文の全文を読み上げているのだ。

昭和天皇の思い

この御詔勅では「現御神に…非ず」とする天皇の「人間宣言」ばかりが後世に伝わっているが、昭和天皇は昭和52年、記者団の取材に「神格否定とかは二(の次)の問題でした」「当時アメリカその他外国の圧力が強く、国民が圧倒される心配があった。民主主義は明治大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものでないことを示す必要が大いにありました」と述べている。

歴史にも造詣が深い高市氏がこのような経緯を知らないはずはない。「十七条の憲法」の発言の直前には、今年が昭和100年、来年が昭和100周年に当たることに触れ、「昭和は戦争、終戦、復興、高度経済成長といった未曾有の変革を経験した時代です」とも述べている。

占領期に学んだ米国型デモクラシーを、日本人は「戦後民主主義」と呼んであがめ、国家としての意志を軽んじてきたようにも思える。高市氏の演説からは、そんな戦後政治からの脱却と、広く国民の声を聴く「日本型民主主義」復活への意志も強く感じた。(皆川豪志)

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