Deprecated: The each() function is deprecated. This message will be suppressed on further calls in /home/zhenxiangba/zhenxiangba.com/public_html/phproxy-improved-master/index.php on line 456
ボシュニャク人とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書
[go: Go Back, main page]

ボシュニャク人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 組織・団体 > 家系 > 民族 > コソボの民族 > ボシュニャク人の意味・解説 

ボシュニャク人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 10:19 UTC 版)

ユーゴスラビアの民族分布(2008年)。緑がボシュニャク人。

ボシュニャク人ボスニア語: Bošnjak/Бошњак [boʃɲǎːk](男性単数)、Bošnjakinja/Бошњакиња(女性単数)、Bošnjaci/Бошњаци(男性複数))は、15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国支配下でイスラム教に改宗した南スラヴ人の末裔である。民族の言語はボスニア語であり、セルビア・クロアチア諸語に属するため、言語学的にはクロアチア人セルビア人との間に大きな差異は見られない。かつてのユーゴスラビア社会主義連邦共和国においては、「ムスリム人(モスレム人)」と呼称されていた。日本語表記としては、他にボシュニャック人ボスニャク人ボスニアク人ボスニアック人などのバリエーションが存在する。民族名の「ボシュニャク」は、バルカン半島西部に位置するボスニア地方の名称に由来する。ボシュニャク人は、ボスニア・ヘルツェゴビナを自らの民族的故地と認識している。

他のムスリムとの区別

バルカン諸国に居住する全てのムスリムがボシュニャク人であるわけではない。ブルガリア人ムスリムであるポマク人や、アルバニア人トルコ人ロマなどの非スラヴ系のムスリムも存在する。

イスラム化の歴史的背景

ボシュニャク人の概念は、ボスニア・ヘルツェゴビナにおけるイスラム化の歴史と深く関連している。この地域のイスラム化は、オスマン帝国の支配が確立した1480年代頃に始まったとされる。それ以前のボスニア・ヘルツェゴビナでは、ローマ・カトリックを中心とするキリスト教が信仰されていた。しかし、カトリックでありながら典礼ラテン語ではなくスラヴ語を用いる、土着信仰に基づいた「二元論」を採用するなど、その教義は独自の変容を遂げ、「異端」と見なされるようになった。その結果、「ボスニア教会」と呼ばれる独自の教会を設立するに至った。この背景には、カトリックが一部の支配階級の信仰に留まり、大多数の民衆が土着信仰(キリスト教からすれば異端思想)を重視したという事情があった。「ボスニア教会」は体系的な教義を確立するに至らず、修道院などで信仰されるのみで広範な布教活動も行われなかったため、民衆レベルへの浸透は限定的であった。このような状況下で、ボスニア・ヘルツェゴビナがオスマン帝国の支配下に入ると、民衆は比較的容易にイスラム教へと改宗していった。

また、地主富農といった階層は、新たな支配者であるオスマン帝国に既得権益を保証してもらうために、積極的にイスラム教に改宗した。その結果、オスマン帝国統治時代には、少数のイスラム教徒の地主が多数のセルビア人クロアチア人小作農を支配するという社会構造が形成された。

参考文献

  • 坂本勉『トルコ民族主義』講談社〈講談社現代新書〉、1996年。ISBN 4061493272 

関連項目

外部リンク


ボシュニャク人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 16:40 UTC 版)

サンジャク (地名)」の記事における「ボシュニャク人」の解説

詳細は「en:sniaks of Serbia and Montenegro」を参照 サンジャクに住むボシュニャク人の3分の2は、古くからのモンテネグロ本国起源持っており、1687年オスマン帝国コトル戦い敗れた後、モンテネグロ脱出しサンジャク移ったモンテネグロでのイスラム改宗者対す根絶により、イスラム教徒サンジャクへの脱出その後続いた。これに、1687年以降、および1740年以降の2波におよんで、サンジャク正教徒セルビアおよびハプスブルクヴォイヴォディナ移動したことによる正教徒人口減が加わったことが、サンジャクイスラム人口比率増加拍車をかけた。1858年からベルリン条約モンテネグロ独立認められ1878年にかけて、モンテネグロでの人口急増背景に、多くモンテネグロ人国外へ移住起こった1878年以降、わずか20家族のボシュニャク人がニクシッチNikšić)に留まりコラシンKolašin)、スプジ(Spuž)、グラホヴォ(Grahovo)などではボシュニャク人の人口失われた。さらにバルカン戦争によってサンジャクおよびメトヒヤMetohija)の一部モンテネグロオスマン帝国から獲得した1912年には、氏族構成モンテネグロの軍が南サンジャクおとびメトヒヤに住む12000人のボシュニャク人およびアルバニア人正教会へと改宗させた。しかしながら国際的な圧力によって信仰の自由公的にアナウンスされると、正教会への改宗者のほぼ全部すくなくとも確実に2家族1913年にはイスラムに再び改宗した最後大きな民族間の事件1924年にシャホヴィチ(Šahovići、現在のビイェロ・ポリェ自治体属する)で起こったモンテネグロ人民衆によって数百人にのぼるボシュニャク人が殺害される集団殺戮であった。これは、ボシュニャク人の犯罪者地元モンテネグロ人英雄殺害したとする主張のもと起こったが、この主張一説によれば完全に誤りであった。 ボシュニャク人のうち二十パーセントは、モンテネグロに近い北アルバニアカトリック教徒氏族起源持っている。彼らの多くオスマン帝国統治下の18世紀初頭にマレシア・シュコドラ地方アルバニア語:Malësia e Shkodrës、セルビア語:Skadarska Malesija)から移住した一部には正教徒サンジャク脱出し希薄になった人口補充する目的があった。19世紀の末には、これらのアルバニア人はほぼすべてイスラム改宗しモンテネグロ本国から脱出してきたボシュニャク人に同化ていった。しかし、彼らの多く多くアルバニア人伝統受け継ぎ、特にサンジャク西部顕著である。アルバニア人起源を持つボシュニャク人の老人には、現在でも流暢なアルバニア語をしゃべる者もいる。 その他のサンジャクのボシュニャク人は、複数他の場所からサンジャクにたどり着いている。地元トルコ人支配者軍人との混血自然に恒常的に起こっていた。幾らかのボシュニャク人は、オスマン帝国サヴァ川以北土地オーストリアトルコ戦争全て失った1687年以降に、スラヴォニア地方から移り住んだ。さらに多く1976年セルビア人によってオーストリア=ハンガリー帝国およびイスラム教徒住民に対して起こされヘルツェゴビナの反乱以降サンジャク移っている。さらに、ベルリン会議によってボスニアおよびヘルツェゴビナオーストリア=ハンガリー帝国支配下となって以降、これらの地域からも移住があった。最後大規模な移住は、1908年に公式にオーストリア=ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴビナ併合したときで、現地のボシュニャク人と、かれらの守護者であるオスマン帝国当局の間の結びつき切れたことによる

※この「ボシュニャク人」の解説は、「サンジャク (地名)」の解説の一部です。
「ボシュニャク人」を含む「サンジャク (地名)」の記事については、「サンジャク (地名)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ボシュニャク人」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳

英語⇒日本語日本語⇒英語

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ボシュニャク人」の関連用語

ボシュニャク人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ボシュニャク人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのボシュニャク人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのサンジャク (地名) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2026 GRAS Group, Inc.RSS