マクベス夫人役
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「マクベス (ヴェルディ)」の記事における「マクベス夫人役」の解説
オペラにおけるマクベス夫人役は、題名役マクベスと同等、あるいはそれ以上の重要な地位を占めている。作曲者ヴェルディがこの夫人役をどのように考えていたかを知るには以下の著名なエピソードがある。 オペラ初演から2年後の1849年春、ナポリ・サン・カルロ劇場では『マクベス』の上演を計画しており、ヴェルディは同劇場の上演監督サルヴァトーレ・カンマラーノ(後に『イル・トロヴァトーレ』の台本を作成したことでも有名)に対して演出上の様々な助言を行っていた。この時、当時の著名なソプラノ、エウジェーニア・タドリーニがマクベス夫人を演じると知ってヴェルディは「タドリーニが美貌で知られていること、天使のように清冽で完璧なその歌唱で有名なこと」に対して懸念を表明し、夫人役に必要なのはむしろ醜い悪魔的な印象、そして「とげとげしい、押さえつけられた、低い(こもった)声」(una voce aspra, soffocata, cupa)であるとカンマラーノに述べている(1848年11月23日の書簡による)。美しい声と技巧(そして美しい容姿)が求められた19世紀前半のソプラノ歌手とは対極のものをヴェルディが要求していたことがわかる。実際、初演のソプラノ、マリアンナ・バルビエーリ=ニーニは容姿が醜いためドニゼッティ『ルクレツィア・ボルジア』の題名役を仮面をつけて歌った、という伝説の持主だった。 1954年に過激なダイエットを行う前のマリア・カラスはこの「醜い容姿、とげとげしい声」の点で、ある意味理想のマクベス夫人であり、彼女の1952年・スカラ座でのライブ盤(デ・サバタ指揮)は名録音の一つに数えられている。これに対して、カラスの同時代におけるライヴァル、(美貌とは言えないが)その滑らかな美声で知られたレナータ・テバルディは生涯を通じてマクベス夫人を歌わなかったことは象徴的である。 また初演版第2幕でのアリア「勝利!」(Trionfai!)が、1865年改訂版でほぼメゾソプラノ的な低いテッシトゥーラ(音域)のアリア「光は萎えて」(La luce langue)に書き改められたことも手伝って、マクベス夫人役は高音域に伸びのあるメゾソプラノ、例えばフィオレンツァ・コッソット、シャーリー・ヴァーレット あるいはアグネス・バルツァなども挑戦する役となっている。 加えて同役はドイツ・北欧系のソプラノの名録音、例えばマルタ・メードル、アストリッド・ヴァルナイ、レオニー・リザネクあるいはビルギット・ニルソンなどが目立つ点も、ヴェルディのオペラとしては極めて異色といえる。これは上記「ヴェルディ・ルネッサンス」の影響からか、ドイツでの上演が現在でも比較的多いことに起因するのだろう。
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