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ラリー・シーツとは? わかりやすく解説

ラリー・シーツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/15 07:48 UTC 版)

ラリー・シーツ
Larry Sheets
2010年5月17日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 バージニア州スタントン
生年月日 (1959-12-06) 1959年12月6日(66歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1978年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1984年9月18日
NPB / 1992年4月4日
最終出場 MLB / 1993年10月1日
NPB / 1992年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ラリー・ケント・シーツLarry Kent Sheets , 1959年12月6日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。

息子はメジャーリーガーのギャビン・シーツ

経歴

バージニア州スタウントン出身[1]。イースタン・メノナイト大学(保健体育学専攻)時代はバスケットボールの花形選手で、野球は片手間にプレーしていた[1]1978年MLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約したが、ルーキーリーグのブルーフィールドに3年在籍しながら、シーズン途中で大学に復学して単位を取得した[1]。プロ7年目の1984年9月14日、メジャー初昇格を果たす。同年には日米野球に参戦し、北別府学から4メートルの逆風を突く右翼超え同点本塁打を放っていた[1]1987年には打率.316、31本塁打、94打点の好成績を残す[1]1990年にはデトロイト・タイガースに移籍したが、翌1991年には契約でもめて退団し、イタリアのプロリーグでプレーしていた。なお1989年オフにはNPB横浜大洋ホエールズから勧誘を受けたものの、条件が折り合わなかったため契約できなかった[2]。また1990年オフには阪神タイガースが獲得を検討していた[1]

1991年11月19日(日本時間)、横浜大洋ホエールズと1992年シーズンの選手契約を結んだ[2]。推定年俸は80万ドル(当時の為替レートで約1億400万[2]。1992年シーズンは131試合に出場、セントラル・リーグ規定打席到達者25人中6位かつチームトップとなる打率.3080(487打数150安打)、26本塁打、100打点の成績を残し[3]、セ・リーグ打点王のタイトルを獲得[4]ベストナインに選出された。同年はセ・リーグの打点王をシーツが、首位打者と本塁打王を同様に来日1年目のジャック・ハウエルがそれぞれ獲得したが、NPBでのプレー1年目に打撃3部門のタイトルを獲得した外国人選手はジョージ・アルトマンレロン・リーランスラリー・パリッシュに続くものだった[5]。同年のオールスターゲームにも出場した。

最終的にチームは前年同様5位に終わったが、球団は名称を「横浜ベイスターズ」に改称して迎える翌1993年もシーツを残留させ、新外国人のロバート・ローズとともに起用する方向であった[6][7]。しかし契約更改交渉が決裂したこと、また新監督近藤昭仁が総合力を求めており、その戦力構想から外れたことから、任意引退となった[8]。日本での活躍で自信をつけたシーツ本人がメジャー再挑戦を希望したことが退団の理由であるとする文献もある[9]。球団からは指名打者 (DH) 制度のあるパシフィック・リーグでのプレーも勧められたが、本人は横浜以外のNPB他球団よりもMLBでのプレーを希望したという[10]。このため、横浜はシーツに代わる新外国人としてグレン・ブラッグスを獲得した[11]。翌1993年にはシアトル・マリナーズでプレーしたがわずか11試合の出場にとどまり、10月1日の対ミネソタ・ツインズ戦を最後に現役を引退した。

選手としての特徴

大洋への入団当初は同球団監督須藤豊から、長打力不足に悩むチームにあって打率3割、30本塁打以上を期待できる長距離打者として期待を寄せられていた[1]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1984 BAL 8 17 16 3 7 1 0 1 11 2 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .438 .471 .688 1.158
1985 113 360 328 43 86 8 0 17 145 50 0 1 1 1 28 2 2 52 15 .262 .323 .442 .765
1986 112 364 338 42 92 17 1 18 165 60 2 0 1 2 21 3 2 56 16 .272 .317 .488 .805
1987 135 508 469 74 148 23 0 31 264 94 1 1 0 5 31 1 3 67 16 .316 .358 .563 .921
1988 136 504 452 38 104 19 1 10 155 47 1 6 0 4 42 4 6 72 11 .230 .302 .343 .645
1989 102 338 304 33 74 12 1 7 109 33 1 1 0 5 26 10 3 58 4 .243 .305 .359 .663
1990 DET 131 390 360 40 94 17 2 10 145 52 1 3 0 4 24 2 2 42 13 .261 .308 .403 .710
1992 大洋 131 537 487 61 150 32 2 26 264 100 1 0 0 4 40 7 6 59 17 .308 .365 .542 .907
1993 SEA 11 20 17 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 2 0 1 1 2 .118 .250 .176 .426
MLB:8年 748 2501 2284 273 607 98 5 94 997 339 6 12 2 21 175 22 19 351 77 .266 .321 .437 .757
NPB:1年 131 537 487 61 150 32 2 26 264 100 1 0 0 4 40 7 6 59 17 .308 .365 .542 .907
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB

表彰

NPB

記録

NPB

背番号

  • 18 (1984年 - 1988年途中)
  • 19 (1988年途中 - 1989年)
  • 9 (1990年)
  • 26 (1992年)
  • 40 (1993年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g 日刊スポーツ』1991年11月8日付2頁「大洋 新外国人選手、ラリー・シーツ外野手が内定 メジャーで31本塁打」(日刊スポーツ新聞社
  2. ^ a b c 『日刊スポーツ』1991年11月21日付5頁「大洋 新外国人選手 シーツの獲得を発表 年俸は1億4百万円」(日刊スポーツ新聞社)
  3. ^ 毎日新聞』1992年10月14日東京朝刊21頁「プロ野球 セントラル・リーグ各種成績」(毎日新聞東京本社
  4. ^ 中日新聞』1992年10月12日朝刊18頁「セ公式戦 全日程終了 打の3部門は外国人が独占」(中日新聞社
  5. ^ 『日刊スポーツ』1992年10月12日付2頁「セ・リーグ 全日程終了 表彰選手が決定、巨人斎藤が3度目の最多勝」(日刊スポーツ新聞社)
  6. ^ 神奈川新聞』1992年10月16日朝刊A版スポーツ面19頁「新外国人にローズ レイノルズは解雇決定」(神奈川新聞社)
  7. ^ 中日スポーツ』1992年10月16日付第5版2頁「大洋 新外国人ローズ内野手獲得 レイノルズは解雇へ」(中日新聞社
  8. ^ 『神奈川新聞』1992年11月17日朝刊A版スポーツ面19頁「横浜ベイスターズ ブラッグスを獲得」(神奈川新聞社)
  9. ^ 「横浜ベイスターズ優勝記念号」『週刊ベースボール』1998年10月29日増刊号87頁 ベースボールマガジン社
  10. ^ 『中日スポーツ』1992年11月17日付第5版3頁「横浜ベイスターズ レッズのブラッグス獲得 打点王のシーツを任意引退に」(中日新聞社 古賀)
  11. ^ 読売新聞』1992年11月17日東京朝刊スポーツA面23頁「米大リーグ、レッズのグレン・ブラッグス外野手が「横浜」と契約」(読売新聞東京本社

関連項目

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