ラリー・シーツ
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2010年5月17日
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | バージニア州スタントン |
| 生年月日 | 1959年12月6日(66歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 235 lb =約106.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1978年 MLBドラフト2巡目 |
| 初出場 | MLB / 1984年9月18日 NPB / 1992年4月4日 |
| 最終出場 | MLB / 1993年10月1日 NPB / 1992年10月7日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ラリー・ケント・シーツ(Larry Kent Sheets , 1959年12月6日 - )は、アメリカ合衆国バージニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。
息子はメジャーリーガーのギャビン・シーツ。
経歴
バージニア州スタウントン出身[1]。イースタン・メノナイト大学(保健体育学専攻)時代はバスケットボールの花形選手で、野球は片手間にプレーしていた[1]。1978年のMLBドラフト3巡目でボルチモア・オリオールズに指名され契約したが、ルーキーリーグのブルーフィールドに3年在籍しながら、シーズン途中で大学に復学して単位を取得した[1]。プロ7年目の1984年9月14日、メジャー初昇格を果たす。同年には日米野球に参戦し、北別府学から4メートルの逆風を突く右翼超え同点本塁打を放っていた[1]。1987年には打率.316、31本塁打、94打点の好成績を残す[1]。1990年にはデトロイト・タイガースに移籍したが、翌1991年には契約でもめて退団し、イタリアのプロリーグでプレーしていた。なお1989年オフにはNPBの横浜大洋ホエールズから勧誘を受けたものの、条件が折り合わなかったため契約できなかった[2]。また1990年オフには阪神タイガースが獲得を検討していた[1]。
1991年11月19日(日本時間)、横浜大洋ホエールズと1992年シーズンの選手契約を結んだ[2]。推定年俸は80万ドル(当時の為替レートで約1億400万円)[2]。1992年シーズンは131試合に出場、セントラル・リーグの規定打席到達者25人中6位かつチームトップとなる打率.3080(487打数150安打)、26本塁打、100打点の成績を残し[3]、セ・リーグ打点王のタイトルを獲得[4]、ベストナインに選出された。同年はセ・リーグの打点王をシーツが、首位打者と本塁打王を同様に来日1年目のジャック・ハウエルがそれぞれ獲得したが、NPBでのプレー1年目に打撃3部門のタイトルを獲得した外国人選手はジョージ・アルトマン、レロン・リー、ランス、ラリー・パリッシュに続くものだった[5]。同年のオールスターゲームにも出場した。
最終的にチームは前年同様5位に終わったが、球団は名称を「横浜ベイスターズ」に改称して迎える翌1993年もシーツを残留させ、新外国人のロバート・ローズとともに起用する方向であった[6][7]。しかし契約更改交渉が決裂したこと、また新監督の近藤昭仁が総合力を求めており、その戦力構想から外れたことから、任意引退となった[8]。日本での活躍で自信をつけたシーツ本人がメジャー再挑戦を希望したことが退団の理由であるとする文献もある[9]。球団からは指名打者 (DH) 制度のあるパシフィック・リーグでのプレーも勧められたが、本人は横浜以外のNPB他球団よりもMLBでのプレーを希望したという[10]。このため、横浜はシーツに代わる新外国人としてグレン・ブラッグスを獲得した[11]。翌1993年にはシアトル・マリナーズでプレーしたがわずか11試合の出場にとどまり、10月1日の対ミネソタ・ツインズ戦を最後に現役を引退した。
選手としての特徴
大洋への入団当初は同球団監督の須藤豊から、長打力不足に悩むチームにあって打率3割、30本塁打以上を期待できる長距離打者として期待を寄せられていた[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | BAL | 8 | 17 | 16 | 3 | 7 | 1 | 0 | 1 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .438 | .471 | .688 | 1.158 |
| 1985 | 113 | 360 | 328 | 43 | 86 | 8 | 0 | 17 | 145 | 50 | 0 | 1 | 1 | 1 | 28 | 2 | 2 | 52 | 15 | .262 | .323 | .442 | .765 | |
| 1986 | 112 | 364 | 338 | 42 | 92 | 17 | 1 | 18 | 165 | 60 | 2 | 0 | 1 | 2 | 21 | 3 | 2 | 56 | 16 | .272 | .317 | .488 | .805 | |
| 1987 | 135 | 508 | 469 | 74 | 148 | 23 | 0 | 31 | 264 | 94 | 1 | 1 | 0 | 5 | 31 | 1 | 3 | 67 | 16 | .316 | .358 | .563 | .921 | |
| 1988 | 136 | 504 | 452 | 38 | 104 | 19 | 1 | 10 | 155 | 47 | 1 | 6 | 0 | 4 | 42 | 4 | 6 | 72 | 11 | .230 | .302 | .343 | .645 | |
| 1989 | 102 | 338 | 304 | 33 | 74 | 12 | 1 | 7 | 109 | 33 | 1 | 1 | 0 | 5 | 26 | 10 | 3 | 58 | 4 | .243 | .305 | .359 | .663 | |
| 1990 | DET | 131 | 390 | 360 | 40 | 94 | 17 | 2 | 10 | 145 | 52 | 1 | 3 | 0 | 4 | 24 | 2 | 2 | 42 | 13 | .261 | .308 | .403 | .710 |
| 1992 | 大洋 | 131 | 537 | 487 | 61 | 150 | 32 | 2 | 26 | 264 | 100 | 1 | 0 | 0 | 4 | 40 | 7 | 6 | 59 | 17 | .308 | .365 | .542 | .907 |
| 1993 | SEA | 11 | 20 | 17 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 1 | 2 | .118 | .250 | .176 | .426 |
| MLB:8年 | 748 | 2501 | 2284 | 273 | 607 | 98 | 5 | 94 | 997 | 339 | 6 | 12 | 2 | 21 | 175 | 22 | 19 | 351 | 77 | .266 | .321 | .437 | .757 | |
| NPB:1年 | 131 | 537 | 487 | 61 | 150 | 32 | 2 | 26 | 264 | 100 | 1 | 0 | 0 | 4 | 40 | 7 | 6 | 59 | 17 | .308 | .365 | .542 | .907 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- NPB
- 打点王:1回 (1992年)
表彰
- NPB
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1992年4月4日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、5番・一塁で先発出場、4打数1安打
- 初打点:1992年4月5日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤ球場)、1回表に今中慎二から適時打
- 初本塁打:1992年4月16日、対阪神タイガース3回戦(阪神甲子園球場)、1回表に湯舟敏郎から3ラン
- オールスターゲーム出場:1回 (1992年)
背番号
- 18 (1984年 - 1988年途中)
- 19 (1988年途中 - 1989年)
- 9 (1990年)
- 26 (1992年)
- 40 (1993年)
脚注
- ^ a b c d e f g 『日刊スポーツ』1991年11月8日付2頁「大洋 新外国人選手、ラリー・シーツ外野手が内定 メジャーで31本塁打」(日刊スポーツ新聞社)
- ^ a b c 『日刊スポーツ』1991年11月21日付5頁「大洋 新外国人選手 シーツの獲得を発表 年俸は1億4百万円」(日刊スポーツ新聞社)
- ^ 『毎日新聞』1992年10月14日東京朝刊21頁「プロ野球 セントラル・リーグ各種成績」(毎日新聞東京本社)
- ^ 『中日新聞』1992年10月12日朝刊18頁「セ公式戦 全日程終了 打の3部門は外国人が独占」(中日新聞社)
- ^ 『日刊スポーツ』1992年10月12日付2頁「セ・リーグ 全日程終了 表彰選手が決定、巨人斎藤が3度目の最多勝」(日刊スポーツ新聞社)
- ^ 『神奈川新聞』1992年10月16日朝刊A版スポーツ面19頁「新外国人にローズ レイノルズは解雇決定」(神奈川新聞社)
- ^ 『中日スポーツ』1992年10月16日付第5版2頁「大洋 新外国人ローズ内野手獲得 レイノルズは解雇へ」(中日新聞社)
- ^ 『神奈川新聞』1992年11月17日朝刊A版スポーツ面19頁「横浜ベイスターズ ブラッグスを獲得」(神奈川新聞社)
- ^ 「横浜ベイスターズ優勝記念号」『週刊ベースボール』1998年10月29日増刊号87頁 ベースボールマガジン社
- ^ 『中日スポーツ』1992年11月17日付第5版3頁「横浜ベイスターズ レッズのブラッグス獲得 打点王のシーツを任意引退に」(中日新聞社 古賀)
- ^ 『読売新聞』1992年11月17日東京朝刊スポーツA面23頁「米大リーグ、レッズのグレン・ブラッグス外野手が「横浜」と契約」(読売新聞東京本社)
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 ラリー・シーツ - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
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固有名詞の分類
| アメリカ合衆国の野球選手 |
ケーシー・フォッサム スティーブ・フィンリー ラリー・シーツ トム・アッカー レジー・サンダース |
| 横浜ベイスターズ及びその前身球団の選手 |
七野智秀 石井輝比古 ラリー・シーツ 山崎賢一 高橋重行 |
| ボルチモア・オリオールズの選手 |
フアン・カストロ スティーブ・フィンリー ラリー・シーツ ボブ・ターリー マーブ・スロンベリー |
| デトロイト・タイガースの選手 |
ジョニー・ペラルタ ケーシー・フォッサム ラリー・シーツ ジャック・ハナハン ミッキー・テトルトン |
| シアトル・マリナーズの選手 |
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