2000-2010
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「TWENITY」の記事における「2000-2010」の解説
NEO UNIVERSE作詞:hyde / 作曲:ken 19thシングル「NEO UNIVERSE/finale」の1曲目。 finale作詞:hyde / 作曲:tetsuya 19thシングル「NEO UNIVERSE/finale」の2曲目。 STAY AWAY作詞:hyde / 作曲:tetsuya 20thシングル。 get out from the shell作詞:hyde / 作曲:yukihiro 20thシングル「STAY AWAY」のカップリング曲。 READY STEADY GO作詞:hyde / 作曲:tetsuya 22ndシングル。本作に収録されているのは、9thアルバム『SMILE』収録バージョン。 瞳の住人作詞:hyde / 作曲:tetsuya 23rdシングル。 REVELATION作詞:hyde / 作曲:yukihiro 9thアルバム『SMILE』収録曲。 New World作詞:yukihiro / 作曲:yukihiro・hyde 26thシングル。 叙情詩作詞:hyde / 作曲:ken 27thシングル。 AS ONE作詞・作曲:hyde 10thアルバム『AWAKE』収録曲。 Link -KISS Mix-作詞:hyde / 作曲:tetsuya 28thシングル。本作に収録されているのは、11thアルバム『KISS』収録バージョン。 MY HEART DRAWS A DREAM作詞:hyde / 作曲:ken 31stシングル。 DAYBREAK'S BELL作詞:hyde / 作曲:ken 32ndシングル。 Pretty girl作詞・作曲:ken 11thアルバム『KISS』収録曲。 I Love Rock'n Roll作詞・作曲:Jake Hooker, Alan Merrill 配信シングル。初CD化。歌詞カードに冒頭のサビは掲載されていない。
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2000-2010
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「ストックポート・カウンティFC」の記事における「2000-2010」の解説
1999-2000シーズン、マンチェスター・シティにも勝利して好調を続けるかと思われていたが急に失速して、19試合勝ち無しという不名誉な記録を残してしまった。これは今でもクラブ記録の数字である。結局最後の2連勝で残留を掴み取り、17位となった。2000-01シーズンも、19位となってギリギリだが残留を果たした 。その次の2001-02シーズンは、当時のチームにとって最悪のシーズンとなった。ストックポートは、シーズン開幕早々から最下位に沈み、キルナー監督はミルウォールにホームで0-4と負けたことで解任された。2001年11月には元イングランド代表のカールトン・パーマーが監督に就任したが、このシーズンの3部降格を阻止することも、その次のシーズンでチームを立て直して2部に復帰させることも出来なかった。 2003年の夏には、エルウッドがセール・シャークスのオーナーであるブライアン・ケネディにクラブを売却した。これにより、セール・シャークスもエッジリー・パークを本拠地とすることになった。「チェシャー・スポーツ」という新たな会社が設立され、ストックポート・カウンティ、セール・シャークス、そしてエッジリーパークスタンドの経営権をまとめて保有していた。2003-2004シーズン、パーマーはハートリプール・ユナイテッドとブラックプールにホームで敗れたことで、僅か1週間で解任された。パーマー監督の時にフットボール・ディレクター(英語版)であったジョン・ホリンズが一時的に監督を務めた後、元北アイルランド代表監督のサミー・マキロイが新たな監督に就任した。降格の可能性がとても大きかったが、マキロイは見事チームを立て直し、最後は11戦無敗を達成して19位でシーズンを終え、残留を果たした。2004-05シーズンも続いてチームを率いたが、成績が伸びず解任され、次の監督にはクリス・ターナーが就任した。しかしそれでも成績は上がらず、最下位に沈んで降格しただけでなく、ターナーはライバルチームであるマクルズフィールド・タウンに0-6で敗れるなどしたため解任された。これで、クラブは4シーズンで2回も降格の憂き目に遭うことになった。 次のシーズンにはチームのオーナーがまた変わった。400万ポンドの損失を出したと報じられた、チェシャー・スポーツのブライアン・ケネディ会長がクラブの所有権をサポーターズ・トラストに譲ったのである。これは収支の赤字を解消して黒字に回復させ、またストックポート・カウンティを地域に根差したサッカークラブにするためであった。 次期監督には元選手のジム・ギャノンが最初は一時的な監督として指揮していたが、結局正式な監督に就任した。2005-06シーズンではギリギリの残留を果たした後、次のシーズンは8位で、昇格プレーオフ圏内の7位には得失点差で届かなかったが、チームの成績を上向かせることに成功した。またこのシーズン中の2007年3月3日には、スウィンドン・タウンを3-0で破って、無失点での9連勝を達成した。これはフットボールリーグの新記録であった。 2007-08シーズンの初め、元監督のダニー・ベルガラが亡くなった。ストックポート・カウンティは、FAカップこそ1回戦で格下のステインズ・タウンにリプレイ、そしてPK戦の末破れたが、リーグでは良い結果を継続して出した。2008年の初めにはアウェイ8連勝を達成し、リーグの記録を塗り替えて自動昇格圏も射程に入るほどであったが、結局自動昇格出来ずに4位となった。進出した昇格プレーオフでは、準決勝でウィコム・ワンダラーズを2-1で破り、決勝ではロッチデールとウェンブリー・スタジアムで対戦した。そして、この試合で3-2で勝利を収め、EFLリーグ1への昇格を決めた。 2008-09シーズンは、昇格チームということもありチームの下馬評は低かったが、プレーオフ圏内にまで近づくなど、それを覆す結果を見せた。しかしシーズン終盤に大きく失速してしまい、結局中位のフィニッシュとなった。ギャノンはブライトンの監督職をオファーされてチーム側も了承したが、ブライトンの会長とギャノンの話し合いの末、交渉は決裂し、ストックポートに留まることになった。 2009年4月30日、ストックポート・カウンティは債権者への返済問題を抱え、争った結果、裁判所が任命した管理人の下に置かれることになった。これは約30万ポンドの返済を求める債権者の嘆願書に続いて裁定された。また、歳入関税庁への25万ポンドの税金の支払いにも苦慮していた。ついに2009年12月16日にはチームの練習場が売りに出される事態になった。 2009年6月12日、ストックポート・カウンティを管理していたレナード・カーティスは、メルローズ・コンソーシアムへクラブを売却することに合意したと発表した。共同管理者の1人であるポール・リーブス氏は、「売却取引自体は合意となりましたが、これはメルローズ・コンソーシアムが地元との合意を得ることができるということが条件であり、クラブの将来を守るための前向きな1歩になります」とコメントした。元マンチェスター・シティの選手のジム・メルローズが代表を務める「スポーツを背景に持つビジネスマンのグループ」で構成されるメルローズ・コンソーシアムは、「ストックポート・カウンティ・フットボールクラブの未来を成功させるための基礎となる、セール・シャークス及びストックポート・メトロポリタン自治区評議会との実りある関係をより良く発展させていくことを楽しみにしている」とコメントした。 メルローズ・コンソーシアムの重要な任務は、「来シーズンのエッジリーパークでの試合を保証し、ストックポートの伝説的存在であるジム・ギャノンの職を確保するということ」だと説明されていた。2009年7月3日に管財人は、以前の株主と債権者との間で英国企業倒産法に基づく会社任意整理(CVA)に合意した。ギャノンは、スコティッシュ・プレミアリーグのマザーウェルFCの監督に就任したのだが、これを受けたストックポートのサポーターは、今後数週間の間に彼が若手選手をまるで密猟のようにカウンティから獲ってしまうのではないかという心配をした。ストックポートは新しい監督について当時リヴァプールリザーブスの監督をしていたガリー・アブレットにスポットを当て、新オーナー候補者との協議を経て2009年7月8日に監督に任命された 。が、この時まだメルローズ・コンソーシアムはクラブを買収しておらず、今後も買収することはなかった。2010年3月には、新たなコンソーシアムである「2015グループ」がクラブの買収に向けた独占権を与えられたことが発表された。
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