ピエルカルロ・ギンザーニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/02 20:06 UTC 版)
| ピエルカルロ・ギンザーニ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 同・ロンバルディア州 リヴィエーラ・ダッダ |
| 生年月日 | 1952年1月16日(73歳) |
| F1での経歴 | |
| 活動時期 | 1981,1983-1989 |
| 所属チーム | '81,'83-'85,'86,'89 オゼッラ '85 トールマン '87 リジェ '88 ザクスピード |
| 出走回数 | 111 (76スタート) |
| 優勝回数 | 0 |
| 表彰台(3位以内)回数 | 0 |
| 通算獲得ポイント | 2 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| 初戦 | 1981年ベルギーGP |
| 最終戦 | 1989年オーストラリアGP |
ピエルカルロ・ギンザーニ(Piercarlo Ghinzani, 1952年1月16日 - )は、イタリア・リヴィエーラ・ダッダ(現・メドラーゴ)出身の元レーシングドライバー。
経歴
ヨーロッパF3チャンピオン
FF1600などのジュニアフォーミュラを経てイタリアF3選手権に参戦し、1977年にヨーロッパF3選手権のチャンピオンを獲得。1979年にイタリアF3選手権のチャンピオンを獲得する。
グループC
1980年にル・マン24時間レースを含む世界耐久選手権(WEC)に「マルティニ・レーシング」として参戦するランチア・グループCプロトタイプレーシングカーのワークスドライバーとして起用され、1982年シーズンはF1参戦を休止してランチアからWECにフル参戦した。WECではランチアだけでなく、ヨースト・レーシングのポルシェ・956などでも参戦歴を持つ。
F1
オゼッラ時代
1981年第5戦ベルギーGPにて、イタリアに本拠地を置く小チーム・オゼッラからF1デビューした。この年は第6戦モナコGPとの2戦のみスポット参戦した。
翌1982年はランチアの一員として耐久レースにワークス参戦したためF1から姿を消したが、1983年より再度オゼッラと契約し、F1に復帰。1984年はフル参戦した。ダラス市街地コースで開催された第9戦アメリカGPでは、13台がコースアウトやスピンによりリタイアする中で68周のレースを5位で走り切り、F1での初ポイントを獲得した。
トールマン時代
1985年もオゼッラから参戦していたが、8月の第10戦オーストリアGPより、ベネトンがメインスポンサーとなり体制が強化されたトールマンに移籍する。空力を得意とするロリー・バーンによって設計されたTG185はチームメイトのテオ・ファビがドイツGPにてポールポジションを獲得するなど短期的には速さを持っていたが[1]、決勝レースではマシントラブルの発生が多く、ギンザーニは参戦した7戦で完走なしに終わった。シーズン終了後にチームはベネトンに完全買収され「ベネトン・フォーミュラ」へと改組。新たにチームマネージャーとなったピーター・コリンズはファビのチームメイトとしてゲルハルト・ベルガーを獲得することを正式発表し[2]、ギンザーニはシートを半年で失った。
オゼッラ(2期目)
1986年は古巣オゼッラに復帰。しかしチームは依然マシンの戦闘力を高められておらず、全16戦で完走は第12戦オーストリアGPでの11位完走の1度のみであった。
リジェ時代
1987年、フランスのリジェに移籍。これはリジェへエンジン供給することになっていたアルファロメオがギンザーニ起用を支援したことにより得たシートだったが[3]、開幕戦を前にアルファロメオとリジェの契約が破棄されてしまった[4]。しかし、ギンザーニの後ろ盾であったアルファロメオがチームから撤退しても、ギンザーニはリジェのマシンで参戦継続できることになった。シーズン中に幾度も大規模な変更が加えられたJS29は戦闘力を持たず、前年でF1撤退したBMWからエンジンを買い取ってF1に乗り出していたアメリカ資本のメガトロン・ターボエンジンの信頼性も低かった。ギンザーニの決勝最高位は第3戦ベルギーGPでの7位で、一度も入賞は無かった。第7戦イギリスGPでは、予選中にガス欠でストップしてしまいコース上での給油行為をしたが、これがレギュレーションで禁止行為であり失格処分を受け[5]、罰金と執行猶予付き1戦出場停止のペナルティを受けた。
ザクスピード時代
1988年、ドイツのザクスピードに移籍。チームメイトは前年ドイツF3でチャンピオンを獲得した新人ベルント・シュナイダーとなった。自製の直4ターボエンジンを搭載するザクスピード・881は信頼性に欠けるエンジンで、ドライバーは2名とも予選落ちの山を築いた(ギンザーニ7回、シュナイダー10回の予選落ち)。ギンザーニはシュナイダーより多い3回の決勝レース完走を果たした。最高位は14位。
オゼッラ時代(3期目)
1989年には三たび古巣のオゼッラに戻った[6]。非力なコスワースDFRエンジンのためにパワーが低かったが、オゼッラ・FA1Mシャシーの素性は良く、チームメイトのニコラ・ラリーニが予選で10位や11位の好グリッドを獲得するポテンシャルがあった。ギンザーニは全16戦中13回の予備予選落ちを喫した。第12戦イタリアGPの期間中に会見を開き、「私のレース以外のビジネスが多忙になったのも理由の一つだが、決断した最大の理由は予備予選制度にある。今の予備予選はF1が本来あるべき姿に反していると思う。これさえ無ければまだ走っていたかったんだが。」と同年限りでの引退声明を発表した。そして「この不公平な予備予選を受けることなく、公式予選に出走できる制度に戻ったならF1復帰を考えても良い」と付け加えた[7]。最終戦オーストラリアGPでは予選突破を果たしたが、豪雨での強行開催となった決勝レースではストレートエンドで水煙により前を走るギンザーニに気付くのが遅れたネルソン・ピケに追突されるクラッシュに巻き込まれ走行不能となった。このリタイヤを最後にギンザーニはレーシングドライバーを引退した。
チーム・ギンザーニ
引退後の1992年に「チーム・ギンザーニ」を結成し、イタリアF3選手権に参戦した後はドイツF3選手権、A1グランプリなどへ参戦。F1ドライバーとなるロバート・ドーンボスを輩出した。
その他
F1参戦と並行して他のレースにも出場。ランチアのワークスでル・マン24時間や富士スピードウェイに参戦し好成績をおさめていた。性格はひょうきんで楽天家であり、服装には気を使い、インタビュー前には髪をセットしてから臨んでいたという非常に御洒落な部分もあった。
レース戦績
ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
| 年 | エントラント | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント | 参照 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975年 | スクーデリア・アレグリニ | CRS・001 | トヨタ 2T-G | MON Ret |
NÜR | AND | MNZ 5 |
CET Ret |
DJU | 20位 | 2 | |||||||||
| 1976年 | マーチ・763 | NÜR DNS |
ZAN 1 |
MAN | AVU | PER 3 |
MNZ Ret |
CET | ÖST 4 |
KAS 4 |
KNU | VLL 3 |
6位 | 11 | ||||||
| 1977年 | AFMP・ユーロレーシング With マーチ | マーチ・773 | LEC 3 |
NÜR 1 |
ZAN 3 |
ZOL 1 |
ÖST 2 |
IMO 1 |
PER 2 |
MNZ 4 |
CET DNQ |
KUN 7 |
KAS Ret |
DON 4 |
JAR 3 |
VLL 3 |
1位 | 58 | [8] | |
| 1979年 | ユーロレーシング | マーチ・793 | アルファロメオ | VLL 1 |
ÖST 2 |
ZOL Ret |
MAG 3 |
DON | ZAN 3 |
PER 1 |
MNZ 4 |
KNU | KIN | JAR | KAS | - | - |
- 1978年のヨーロッパF2選手権でギンザーニが6位以内入賞歴を得たため、グレーデッド・ドライバーの対象となり下位カテゴリに相当するヨーロッパフォーミュラ3選手権では1979年選手権ポイント対象外となった。
全日本フォーミュラ2選手権
| 年 | 所属チーム | マシン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1978年 | シェブロンカーズ | シェブロン・B40/42 BMW | B | SUZ | FSW | SUZ 5 |
SUZ | SUZ | NIS | SUZ | -[9] | -[9] |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
| 年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | Pos. | Pts |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1977年 | Sarea Euroracing | マーチ・772 | BMW M12/7 | SIL | THR | HOC | NÜR | VLL | PAU |
MUG | ROU | NOG | PER | MIS | EST | DON 11 |
NC | 0 |
| 1978年 | ユーロレーシング | マーチ・782 | THR 10 |
HOC Ret |
NÜR Ret |
PAU Ret |
MUG 8 |
VLL 7 |
ROU Ret |
DON Ret |
NOG 8 |
PER 4 |
MIS Ret |
HOC 10 |
16位 | 3 |
F1
| 年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1981年 | オゼッラ | FA1B | USW | BRA | ARG | SMR | BEL 13 |
MON DNQ |
ESP | FRA | GBR | GER | AUT | NED | ITA | CAN | CPL | NC (31位) |
0 | |
| 1983年 | FA1D | BRA DNQ |
USW DNQ |
FRA DNQ |
NC (28位) |
0 | ||||||||||||||
| FA1E | SMR DNQ |
MON DNQ |
BEL DNQ |
DET Ret |
CAN DNQ |
GBR Ret |
GER Ret |
AUT 11 |
NED DNQ |
ITA Ret |
EUR Ret |
RSA Ret |
||||||||
| 1984年 | FA1F | BRA Ret |
RSA DNS |
BEL Ret |
SMR DNQ |
FRA 12 |
MON 7 |
CAN Ret |
DET Ret |
DAL 5 |
GBR 9 |
GER Ret |
AUT Ret |
NED Ret |
ITA 7 |
EUR Ret |
POR Ret |
19位 | 2 | |
| 1985年 | BRA 12 |
POR 9 |
SMR NC |
NC (27位) |
0 | |||||||||||||||
| FA1G | MON DNQ |
CAN Ret |
DET Ret |
FRA 15 |
GBR Ret |
GER | ||||||||||||||
| トールマン | TG185 | AUT DNS |
NED Ret |
ITA DNS |
BEL Ret |
EUR Ret |
RSA Ret |
AUS Ret |
||||||||||||
| 1986年 | オゼッラ | FA1F | BRA Ret |
ESP Ret |
SMR Ret |
MON DNQ |
BEL Ret |
CAN Ret |
DET Ret |
FRA Ret |
GER Ret |
HUN Ret |
ITA Ret |
POR Ret |
AUS Ret |
NC (27位) |
0 | |||
| FA1H | GBR Ret |
|||||||||||||||||||
| FA1G | AUT 11 |
MEX Ret |
||||||||||||||||||
| 1987年 | リジェ | JS29B | BRA | SMR Ret |
BEL 7 |
MON 12 |
DET Ret |
NC (24位) |
0 | |||||||||||
| JS29C | FRA Ret |
GBR EX |
GER Ret |
HUN 12 |
AUT 8 |
ITA 8 |
POR Ret |
ESP Ret |
MEX Ret |
JPN 13 |
AUS Ret |
|||||||||
| 1988年 | ザクスピード | 881 | BRA DNQ |
SMR Ret |
MON Ret |
MEX 15 |
CAN 14 |
DET DNQ |
FRA EX |
GBR DNQ |
GER 14 |
HUN DNQ |
BEL Ret |
NC (33位) |
0 | |||||
| 881B | ITA Ret |
POR DNQ |
ESP DNQ |
JPN DNQ |
AUS Ret |
|||||||||||||||
| 1989年 | オゼッラ | FA1M89 | BRA DNPQ |
SMR DNPQ |
MON DNPQ |
MEX DNPQ |
USA DNPQ |
CAN DNPQ |
FRA DNPQ |
GBR DNPQ |
GER DNPQ |
HUN Ret |
BEL DNPQ |
ITA DNPQ |
POR DNPQ |
ESP Ret |
JPN DNPQ |
AUS Ret |
NC (37位) |
0 |
(key)
ル・マン24時間レース
| 年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合 順位 |
クラス 順位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980年 | ランチア・ベータ・モンテカルロ | Gr.5 | 26 | DNF | DNF | ||
| 1981年 | Gr.5 | 186 | DNF | DNF | |||
| 1982年 | ランチア・LC1 | Gr.6 | 152 | DNF | DNF | ||
| 1983年 | ランチア・LC2 | C | 121 | DNF | DNF |
関連項目
脚注
- ^ 「F1デザインルネッサンス 1985年レギュレーション要旨」『F1グランプリ特集 Vol.79』ソニー・マガジンズ、1996年1月16日、131頁。
- ^ 「R'on INTERVIEW ゲルハルト・ベルガー「フェラーリへの道」 by James Daly」『Racing On 1987年2月号』武集書房、1987年2月1日、60-65頁。
- ^ 1987 Ligier JS29 AlfaRomeo UnracedF1 2020年11月21日
- ^ 「LIGIER LOTO フレンチブルーに栄光あれ」『グランプリ・エクスプレス '87フランスGP号』山海堂、1987年7月20日、20-21頁。
- ^ 『フジテレビオフィシャルF1イヤーブック 87-88』1987年12月21日、142頁。ISBN 4-594-00191-2
- ^ 「ギンザーニはオゼッラに決定」『グランプリ・エクスプレス '89NA回帰元年号』1989年2月8日、31頁。
- ^ 「ギンザーニが引退を表明」『グランプリ・エクスプレス '90イタリアGP号』1990年9月28日、31頁。
- ^ “Formula 3 1977 - Race Index”. www.the-fastlane.co.uk. 2021年2月10日閲覧。
- ^ a b JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。
外部リンク
- チームギンザーニオフィシャルウェブサイト
- Team Ghinzani (@teamghinzani) - Instagram
| タイトル | ||
|---|---|---|
| 先代 リカルド・パトレーゼ |
ヨーロッパF3選手権 チャンピオン 1977年 |
次代 ヤン・ラマース |
固有名詞の分類
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