トロイア【Troia/Τροία】
読み方:とろいあ
トルコ西部にある古代都市の遺跡。小アジア半島(アナトリア)の北西端、エーゲ海から内陸へ約5キロメートル、ヒッサリクの丘に位置する。紀元前3000年頃から集落ができ、紀元前2500年から前2000年頃にかけて地中海交易の拠点として栄えたが、やがてトロイア戦争が起こり衰退。古代ギリシャ時代はイリオスまたはイリオン、もしくはトロイア、トロヤとよばれた。ドイツの考古学者シュリーマンが1870年代より発掘を開始し、同地がトロイアであると比定。引き続き行われた発掘調査により、最下層の第一市から最上層の第九市まで、異なる時代の九つの都市があったと考えられ、第一市の住居跡、第二市の道路、第六市の城壁や塔、第九市の劇場や神殿などの遺跡が残る。1998年に世界遺産(文化遺産)に登録された。トロイ。
トロヤ【(ギリシャ)Troia】
読み方:とろや
⇒トロイア
トローイア
(Troia から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/10 00:56 UTC 版)
| トローイア Troia |
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大聖堂
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| 行政 | |
| 国 | |
| 州 | |
| 県/大都市 | |
| CAP(郵便番号) | 71029 |
| 市外局番 | 0881 |
| ISTATコード | 071058 |
| 識別コード | L447 |
| 分離集落 | |
| 隣接コムーネ | ビッカリ、 カステッルッチョ・デイ・サウリ、 カステッルッチョ・ヴァルマッジョーレ、 チェッレ・ディ・サン・ヴィート、 フォッジャ、 ルチェーラ、 オルサーラ・ディ・プーリア |
| 公式サイト | リンク |
| 人口 | |
| 人口 | 7,462 人 |
| 人口密度 | 45 人/km2 |
| 文化 | |
| 住民の呼称 | troiani |
| 守護聖人 | |
| 祝祭日 | |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯41度22分0秒 東経15度18分0秒 / 北緯41.36667度 東経15.30000度座標: 北緯41度22分0秒 東経15度18分0秒 / 北緯41.36667度 東経15.30000度 |
| 標高 | 439 m |
| 面積 | 167.22 km2 |
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フォッジャ県におけるコムーネの領域
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トローイア(Troia)は、人口7,462人のイタリア共和国プッリャ州フォッジャ県のコムーネの1つである。
歴史
最初は古代ローマの植民都市として「アイカ」(Aika)と呼ばれていた、後に「エチェ」(Ece)という名前に変わり、「Herdoniae」(現在のオルドーナ)、「Ausculum」(アスコリ・サトリアーノ)、「Arpi」(フォッジャ)、「Teanum Apulum」(サン・パオロ・ディ・チヴィターテ)などと一緒に社会経済的に大きな発展をした。町は1010年に、カルタゴ戦争以前の古代の集落の廃墟の上に出来た。ハインリヒ2世に包囲され、ノルマン人に征服された。町はアンジョイーニにより整備され、ブルボンによってより近代的になると、それらの君主国の没落まで信奉者がここに残った。
珍地名
由緒正しい名前だが、現代イタリア語での下品な言葉troiaとは同じ綴りであるため[1]、この町から出たアントニオ・サランドラが首相を務めた時代に一部の国会議員は彼を「トローイアの輝かしい息子」と揶揄し、サランドラも「(トローイアは)私にとっては故郷で、あなたにとっては母だ!」と反撃した[2]。また、現代でも一部の電子商取引サイトで町名が検閲により消される事態も発生した[3]。
出身者
- アントニオ・サランドラ - 元首相[2]。
脚注
- ^ “Questo borgo ha un nome volgare ma è davvero stupendo” (イタリア語). Men's Health (2025年1月23日). 2025年11月10日閲覧。
- ^ a b ““Figlio di Troja” (…di patria ma non di madre)” (イタリア語). Ambient&Ambienti (2013年12月5日). 2025年11月10日閲覧。
- ^ “Per i siti di ecommerce è solo una parolaccia. Scatta la petizione per difendere il nome del Comune Troia: “Non si censura la nostra storia”” (イタリア語). FoggiaToday (2019年6月1日). 2025年11月10日閲覧。
外部リンク
- Troiaのページへのリンク